2014年11月 衆生にかけられた大悲は無倦である 法語カレンダー解説

201411阿弥陀さまのお慈悲

 

およそ四十数年前になりますが、私が龍谷大学の学生の頃、毎週日曜日には東西本願寺の日曜講演(お西の本願寺会館〈現在は聞法会館〉や、お東の高倉会館)によくお聴聞に出かけたものでした。その折、高倉会館でお若い頃の広瀬杲(ひろせたかし)先生のお話のご縁にたびたび遇ったことを懐かしく思い出します。今月の言葉は、その広瀬先生の『宿業(しゅくごう)と大悲(だいひ)』の中の一説です。

 

さて、「衆生にかけられた大悲」とは、阿弥陀如来が生きとし生けるもの全てに願いをかけてくださっている、そのお慈悲のこころです。阿弥陀さまは、煩悩にまみれた私共衆生を救うために四十八の願をお建てになりました。親鸞聖人は、その四十八願を一つにつづめると第十八願におさまるのであって、その第十八番目の願が、如来さまのご本意(本音)が説かれた願として「本願」といわれました。

 

その阿弥陀さまの本音、第十八願には、「この弥陀が、仏になったならば、十方の生きとし生ける者よ、ほんとうに疑いなく私の国に生まれると思ってくれよ。そしてわずか十声でも私の名を称えていく者を、もし浄土に生まれさせることができなかったら、私は正覚をとりません。ただ五逆罪と正法を膀るものはダメだぞよ」と、誓われてあります。

 

一言でいえば「摂取不捨」(凡夫のあなたがたすかることがなかったならば、この弥陀自身がたすからない)と味わわれます。

 

しかし、「ただ五逆と正法を誹謗するをば除く」とあります。「決して見捨てない、みんな救うぞ」といいながら、親殺しや仏法を謗る者はダメだとあります。これは、どのようにいただいていけばよいのでしょうか。

 

この「唯除五逆誹膀正法」のご文は本願の抑止門として、親鸞聖人はここに阿弥陀さまの広大無辺のお慈悲を深くいただいていかれたのです。それは、実は「五逆と誹謗正法の者が最も気にかかるぞ」との如来の深い思し召しにほかなりません。
すでに罪を犯した者は「案ずるでないぞ、必ず救うぞ」と、そして、まだ罪を犯してない者は「謹んでたしなめよ、恐ろしいしわざであるぞよ」とご注意くだざるのであり、結局、五逆謗法の者こそ本願のお救いのお目当てといただくわけです。

 

利井鮮明和上のうたに、

 

子の罪を親こそ憎め 憎めども

捨てぬは親の情けなりけり

 

というのがありますが、本願のこころを詠まれたものでありましょう。阿弥陀さまのお慈悲は、一切衆生を救うのであるけれど、一番どん底のものをまず標準として救うというのが、浄土真宗です。浄土真宗のご法義の特色に「悪人正機(あくにんしょうき)」が挙げられますが、悪人を好むわけではなく、悪いことをする程救われるということでもありません。一番弱い者を標準にするということです。阿弥陀仏のお慈悲は、一番あわれな者を標準とします。そういう者でも心をひるがえさせ、聞く気にさせて、みな救うぞ、というのが第十八願の「唯除五逆誹謗正法」のこころです。

 

 

映画「北のカナリアたち」より

 

一昨年の冬、「北のカナリアたち」という映画を見ました。北海道は最果ての島の小学校、信人を含め全校生徒は六人でした。島に赴任してきたのは吉永小百合演ずる川島はる先生です。はる先生は合唱を通して子どもたちに希望を与えていきます。

 

両親のない信人は、はる先生を母親のように慕うのです。しかし、ある事件をきっかけに先生は島を追われ、子どもたちは歌を捨てました。

 

さて、二十年後の東京で、信人は殺人事件の容疑者となってしまいます。はる先生にも警察から問い合わせがきました。再び島を訪れ、子どもたら一人ひとりを訪ねていくはる先生。そこで彼らは、心の底にずっとわだかまっていた誰にもいえなかった悩みや苦しみを、初めて吐露するのです。はる先生が島を追われた真相も次第に明らかになっていきました。

 

信人はふるさとの島でついに捕らえられ、罪を認めました。 法の裁きを受けなければなりません。しかし、ここで、粋なはからいがもたらされます。島の教室に、手錠を外された信人が現れました。そこに待っていたのは、五人の仲間たちとはる先生。殺人犯を、何のわだかまりもなくあたたかく受け入れます。警察も見て見ぬフリをして容認するのです。そこには、信人の罪を咎める言葉も責める心もありませんでした。みんなのやさしさに触れ、信人は号泣し、顔はクシャクシャです。そこで、はる先生の指揮のもと、かつての小学生六人は昔歌った「かなりや」の歌を合唱するのです。

 

信人を乗せた船が、岸を離れるラストシーン。刑事に再び手錠をはめられ、遠ざかっていく信人に向かって、仲間が口々に大声で叫びます。

 

「信ちゃーん」
「帰ってこいよー」
「俺たちがいるからなー」
「信ちゃーん、ごめんなー」
「次もみんなで、一緒に歌うよー」
「待っているからなー」
「お前は1人じゃないからなー」
「元気でいるんだぞー」
そして、はる先生が、
「信ちゃーん、みんな、あなたが、好きだからー」と。

阿弥陀さまのお慈悲を彷彿とさせるような温かい言葉の数々。これらの言葉に信人はどんなに救われたことでしょうか。実に感動的なシーンでした。いささか映画の説明が長くなりましたが、この「かなりや」の歌詞をご存じでしょうか。

 

一、唄を忘れた金糸雀は 後の山に棄てましょか いえ いえ それはなりませぬ

二、唄を忘れた金糸雀は 背戸の小藪に埋めましょか いえ いえ それもなりませぬ

三、唄を忘れた全糸雀は 柳の鞭で ぶちましょか いえ いえ それはかわいそう

四、唄を忘れた金糸雀は 象牙の舟に銀の擢 月夜の海に浮べれば 忘れた唄を思い出す

 

ずいぶんひどい言葉(詞)です。しかし、考えてみますと、世間の人は「唄を忘れたカナリア」のような人間には冷淡であることがあたりまえのような気がします。落ちぶれた者には誰もが寄り付かなくなるが、ひとたび成功するとどこからともなく親類縁者が近づいてくるようなものです。

 

 

わが名を称えよ、必ず救う

 

しかしながら、弱き者、落ちていく者、どうしようもない者を決して見捨てることなく、涙してご一緒してくださるお方が、たった一人だけおられる。それが阿弥陀さまです。唄を忘れたカナリアも、阿弥陀さまの慈光に照らされて、ご本願の船に乗せられ救われていくのである。と、作詞者の意図はさて置き、歌詞の味わいは世に発表された瞬間から受け取る側の自由であるとも聞きますので、あえてこのように味わってみました。

 

み仏は、限りなき手段をもって私どもをお救いくださいます。過ちを犯してしまった信人に、阿弥陀さまが、はる先生や仲間の言葉となって、届いているような思いがしました。

 

さて、信人の罪の原因は、ほんのふとしたはずみでした。もし、私か信人のような状況下にあれば、同じ罪を犯すのではなかろうか、と思わずにいられません。極悪非道といわれるような人間であっても、背景にあるそれまでの生い立ちや環境などが多分に影響していることでしょう。

 

私は幸いにも今まで殺人を犯すような縁に触れなかっただけであった。縁に触れればこの私も、何をしでかすかわからんのです。“信人は悪人”と向こうにまわし、“私は善人”と、遠くから見てはいなかったか。実際に手にかけずとも、私は今まで、いくたび人には見せられないような心を起こしてきたことでありましょうか。聖徳太子がいわれました。

 

われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ

(『註釈版聖典』 一四三六頁)

 

共に、煩悩に覆われた凡失でありました。 “唄を忘れたカナリア”とは他人ごとではなかった。親鸞聖人は、このような私(凡夫)の姿を悪人、極重の悪人と申されました。阿弥陀さまは、その私を倦むことなく、つつんでいてくださる。「わが名を称えよ、必ず救う」とひたすら喚んでいてくださいます。聖人は、その無倦(むけん)のお慈悲をよろこんでいかれたのです。

 

親鸞聖人は「正信偈」に、源信和尚の『往生要集』の言葉を引かれて、

 

極重悪人唯称仏 我亦往彼摂取中

煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我

 

極重の悪人はただ仏を称すべし。われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦(ものう)きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり)

(『註釈版聖典』二〇七頁)

 

と、仰せられました。また、『高僧和讃』源信讃には、

煩悩にまなこさへられて

摂取の光明みざれども

大悲ものうきことかくて

つねにわが身をてらすなり

(『註釈版聖典』五九五頁)

 

極悪深重(ごくあくじんじゅう)の衆生は

他の方便さらになし

ひとへに弥陀を称してぞ

浄土にうまるとのべたまふ

(『同』)

 

と、感激をこめて詠まれています。

 

私は、今日もまた、如来さまの慈光のなかに生かされています。無倦の大悲に護られてある身の仕合せをよろこぶばかりです。

(稲田静真)

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