2019年7月のことば 浄土真宗のならいには 念仏往生ともうすなり

『一念多念文意』の概略

七月のことばは、『一念多念文意』の後半(『註釈版聖典』六九四頁)に出てきます。
『一念多念文意』は『一念多念証文』とも呼ばれ、法然聖人門下で兄弟子であった隆寛律師(1148~1227)の著書である『一念多念分別事』に引証された経文の要文や関連する諸文をあげ、親鸞聖人が註釈を施されたものです。それぞれ、二念往生」に対する証文を十三文、例えば、

諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向
願生彼国 即得往生 住不退転(『註釈版聖典』六七七-六七八頁)

「多念往生」に対する証文を八文、例えば、

一日乃至七日、名号をとなふべし             (「同」六八六頁)

をあげて、そして最後に、この「浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり」という文章でまとめています。実際にその結論部分をみますと、

  おもふやうには申しあらはさねども、これにて一念多念のあらそひあるまじきことは、おしはからせたまふべし。浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり、まったく一念往生・多念往生と申すことなし。これにてしらせたまふべし・
南無阿弥陀仏           (『註釈版聖典』六九四頁、傍線引用者)

とあります。
この親鸞聖人のご文について、梯賓圓師は次のように現代語訳されています。

思っていることを充分に言い表すことはできなかったけれども、上来引証してきた証文と、その文意によって、一念を立てて多念を否定したり、多念を立てて一念を否定したりするような論争などしてはならないということは、わかっていただきたい。ヽ` 真宗の法義は念仏往生であると聞いている。決して一念往生の法義でも、多念往生の法義でもない。そのことをこれらの文証を通してよく心得ていただきたい。
南無阿弥陀仏。     (梯賓圓著『一念多念文意講讃』四一一頁、傍線引用者)

親鸞聖人が用いられる「浄土真宗」という語には多義ありますが、この文脈での「浄土真宗」とは、広く言えば、善導大師から法然聖人まで伝えられてきた浄土教の教えの流れ、より限定すれば法然聖人の浄土宗のこころという意味にとれるのではないかと思います。また、「ならい」という言葉も、ここでは「伝え聞くこと」くらいの意味が考えられます。
「一念」と「多念」

親鸞聖人当時には、「一念往生」「多念往生」の論争がありました。一念多念とは、丁寧にいうと一念義、あるいは多念義のことをいいます。一念義とは、浄土往生は一声の念仏で決定するという考え方をいいます。一方、多念義とは一生涯、できるだけたくさんの念仏を称え、その功徳によって浄土往生が決定するという考え方をいいます。このような一念多念といった「念の多少」を問題とする見方に対する反証的な文章として、親鸞聖人の「浄土真宗のならいには、念仏往生と申すなり」という一文が語られているといってよいでしょう。「一念往生≒多念往生」といった言い方のほかにも、「十念往生」といった言い方もありますが、ここで「一念往生」や「十念往生」ではなく「念仏往生」という言い方をされているのは、念仏の回数へのこだわりを無効化させたいという意図があったと考えられます。

「一念多念」という問題の発端

そもそも、浄土教においては、念仏を声に出して称える回数、称名念仏として「一念多念」が問題となる前段階として、多くの経典の読誦や阿弥陀仏への礼拝や観察といったさまざまな行のなかから、往生のための行(修行)として、称名念仏行が選ばれたという経緯があります。善導大師が「称名正定業」(「観経疏」「散善義」、「註釈版聖典(七祖篇)」四六三頁)といわれたように、そのようなさまざまな行からひとたび称名念仏が選ばれた後は、その念仏をいったい何回称えるべきかということが問題となりました。
この一念往生・多念往生の論争は、おおもとにまでさかのぽると、四月のことば金三頁)でも触れられた、『無量寿経』の第十八願に、

  たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹膀正法とをば除く。                (「註釈版聖典」 一八頁、傍線引用者)

とあり、「十念」(乃至十念)と説かれるところに発端があります。また一方で、第十八願成就文には「一念」(乃至一念)と説かれています。

あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹膀正法とをば除く。       (「註釈版聖典」四一頁)
(無量寿仏の名を聞いて信じ喜び、わずか一回でも仏を念じて、心からその功徳をもって無量寿仏の国に生れたいと願う人々は、みな往生することができ、不退転の位に至るのである。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを膀るものだけは除かれる『浄土三部経(現代語版)』七一頁)

ちなみに、ここで「一念多念」の問題となっているうちの「一念往生」の「一念」という用語は、この第十八願成就文にある「一念」という語に由来します。
これら願文(十念)と成就文(一念)の間に細かい鮭髄があるところから、いったい行者は十念を行えばよいのか、一念を行えばよいのか、あるいはもっと多く念仏すべきなのか(例えば、百万遍)、総じて何回念仏すべきなのかということが問題となっていったと考えられます。
おおもとである『無量寿経』において、願文と成就文がともに「一念」で統一されていたり、あるいはともに「十念」であったりしていれば、あるいは、このような問題が後世に波及するようなことはなかったかもしれません。

念仏から信心への展開

そのおおもとの問題である第十八願文とも関連しますが、二念多念」の論争に対しては、別にこの第十八願に対してどのような願名をつけるのか、という願名の変遷を眺めることからも、みていくことができます。
『無量寿経』には本願文が四十八文あります。註釈がなされる初期段階ではそうではなかったのですが、註釈の歴史のある段階以降、徐々にそれぞれの願に名前がつけられるようになります。それは、新羅の法位(七世紀頃)の『無量寿経義疏』という註釈書が嘆矢とされています。本願名については、法位以降もさまざまな名前がっけられ、異なったまとめ方がなされるようになりました。(その願名は、それぞれの誓願の意味の中心をとった要約ととることができます。)例えば、唐の懐感(七世紀頃)は第十八願を「十念往生之願」、日本では奈良時代の智光(七〇九-七八〇頃)は「諸縁信楽十念往生願」と名づけました。また、同じく良源(九一二-九八五)は「聞名信楽十念定生願」と名づけていたことが知られています。これら諸師はいずれも、「十」という回数に注目していたことがうかがわれます。
法然聖人は、諸師の第十八願の願名に対して、「念仏往生の願」というシンプルな願名を採用されています。「念仏往生の願」という願名には、「十念」という回数ではなく、ただ「念仏」によって「往生」することを示したかったという意識がうかがえます。すなわち、念仏が本願に誓われた行いであるというところに力点があります。また、法然聖人が別に示された「選択本願」という言い方もありますが、これも阿弥陀仏によって選択された願(そしてそこに説かれる念仏)というところに焦点があたった願名であるといえます。
これらを総合しますと、親鸞聖人は「浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり」と、師である法然聖人の真意を承けた「念仏往生」の語をやはり選んで使用されていたと考えられます。法然聖人滅後も、二念多念」の問題は継続していたようです。
ちなみに、親鸞聖人は、第十八願に「往相信心之願」「本願三心之願」という願名をつけられました(『顕浄土真実教行証文類(教行証文類)」信文類、『註釈版聖典』二一一頁)。これは、「十念」という念仏の問題を心の問題に移行させ、「信心」の問題と受け止められたからです。このことは、これらの念仏の多少の論争と決別し、距離を置くという意味もあったことが考えられます。          (佐々木 大悟)

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