2021年12月のことば 今日である あること難き 今日である

先生の生涯

今月のことばは、九州鸞音会から発行された『藤代聴麿先生法語集』からの引用です。
藤代聴麿先生は一九一一(明治四十四)年に、福岡県田川郡にある真宗大谷派の伯林寺にてお生まれになりました。
藤代先生については、法語集の「けじめに」の中に次のように紹介されています。

藤代先生は念仏者であり、伝道者であると同時に、絵描きでもあられました。
「若いころ、絵でも書いて暮らそうかと、寺を出て京都に上りました。」と話しておられたように、曽我量深先生に出遇わなければ、一生絵を描いて過ごされた方かも知れません。
先生の一生を変えたものは、戦争そして師との出会いでした。

(『藤代聴麿先生法語集』)

藤代先生は、真宗大谷派屈指の学僧である曽我量深師との出遇いによって、真の念仏者としてその生涯を歩まれました。深く聞思した曽我師の教えを、持ち前の感受性と自らの人生経験により幾度も咀聯し、再びその深遠な教えを極めて短い「法語」という言葉に凝縮して、多くの人々に感化を与えられました。また多才であった先生は絵描きとしてもご高名で、自らの絵に法語を書き添えるという手法により、あまたの念仏者をお育ていただいた希有の伝道者でもあったのです。
多大な功績を残された先生は、一九九三(平成五)年四月十三日に自坊の伯林寺にてご往生になりました。御年八十二歳のことです。

これからとこれまで

藤代先生が遺された法語の中で最も有名な言葉と言えば、これまでが これからを 決めるのではない。これからが これまでを 決めるのだ                         (『藤代首麿先生法語集』)
ではないかと思います。この言葉は仏教の世界だけではなく、学校教育の現場や一般社会の中でも広く紹介されて、今でも人々の心をとらえているようです。今月の法語にも通じる言葉なので、先ずこのことについて少し昧わってみたいと思います。

時の流れ

私たちは普段の生活の中で、時の流れを「未来」↓「現在」↓「過去」という時間の流れの中で受け止めています。そしてこのような時間感覚の中で、幼い子どもは「大きくなったら野球選手になりたい」などと未来に夢と希望を抱き、大人になると「老後のことが不安で」と未来を不安の種として生活をしています。常に未来がやって来て今となり、過去として流れ去っていき、一度過ぎ去った過去は立ち戻ることも変えることもできない事実として私の人生に足跡を残していくのです。しかし、少し視点を変えると「過去」↓「現在」↓「未来」へと時間が逆に流れている場合もあるのではないでしょうか。「あの時、あなたと出会ったから……」までは同じでも、「私はこんなに幸せな人生を歩んでいます。これから先もさっと……」と人生の行く先に光を見つめながら生きている人もあれば、それとは逆に、「ろくな人生じゃなかった。これから先が思いやられる」と未来を悲観的に生きている人もいます。この場合明暗は分かれていますが、両者とも過去を起点に今があり、未来に向かって時間か流れているという点では同じなのです。

諸行無常

お釈迦さまは、私のいのちとそれを支えている一切の世界のあり方を「諸行無常・諸法無我」、そして「縁起」という教えとして明らかにしてくださいました。その内容を簡潔に言えば、-この世のあらゆるもの(私も含めて)は千変万化しながら常に移り変わり続けていて、不変なものは何一つない。一瞬一瞬に変化しながら、ただその時の縁によって結びついている存在であるIということです。
先はどの時間ということに話を戻してみましょう。私たちはお釈迦さまから教えていただいた「諸行無常(移り変わり)」を「時の流れ」として捉えています。1赤ちゃんが生まれて成長して大人となり、やがて年老いて死んでいくIという一連の流れを、「変化し続けた」と受け取るのか、それとも「時が流れた」と受け取るかの違いです。ここで大切なのは、過去も現在も未来も「今を生きる私の中では同時に流れている(変化している)」ということです。もっと端的に言えば、過去とは-今の私の中にある記憶のことIであり、未来とはI今の私の中にある期待や不安のことなのです。ですから過去に起こった事実は変わらなくても、過去の意味は今の私の中でいくらでも変わっていきます。人間は出会った事実で生きているのではなく、その意味によって喜怒哀楽しているのですから、「今」を生きる私か「これから」の人生の本当の意味と喜びを見出し九時、私の「これまで」の意味も大きく変わってきます。大切なのは人生は常に今の連続なのだということです。

本願力にあひぬれば
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし

(『高僧和讃』、『註釈版聖典』五八〇頁)

本願のはたらきに出会ったものは、むなしく迷いの世界にとどまることがない。あらゆる功徳をそなえた名号は宝の海のように満ちわたり、濁った煩悩の水であっても何の分け隔てもない。

(『三帖和讃(現代語版)』七八頁)

親鸞聖人のお示しを大切にいただきたいと思います。

あること難き今日

アメリカの作家デールーカーネギー(一八八八-一九五五)は「人生とは今日一日のことである」と言っていますが、これは前述した「人生は今の連続である」と共通しか言葉だと思います。人生は今日の連続なのです。目が覚めたらいつも今日なのです。しかしここで大切なことは、「連続」と「繰り返し」は違うということです。
浄土真宗の僧侶で教育者でもあった東井義雄先生の次のような詩があります。

目がさめてみたら

目がさめてみたら
生きていた
死なずに
生きていた
生きるための
一切の努力をなげすてて

眠りこけていたわかしであったのに
目がさめてみたら
生きていた
劫初以来
一度もなかった
まっさらな朝のどまんなかに
生きていた

(『家にこころの灯を』二四三頁、探究社)

さて、藤代先生の「今日である あること難き 今日である」という法語には住職継承を祝してという添え書きがあります。ご自坊なのか他寺に出講された時のものなのかはわかりませんが、この短い言葉の中に先生の感慨深さ胸中が伝わっ
てくるようです。
お寺の住職が後継者に代を譲ることは、その寺が存続していくためには当然必要なことであり別に珍しい出来事でもありません。しかし継職ができるということは当たり前のことではないのです。今まで寺を護り続けてくださった方々の苦労とご恩を、これから寺を担う者が引き継いでいく。それは、よくぞ生まれ難き人間
に生まれ、如来の強縁に催され、寺を継ごうという心を育てられた。そして何よりもあること難きいのちがいま今日ここにある。そんな出来事なのです。何と不思議なご縁なのでしょうか。
ある日のこと、お釈迦さまはこれまで一度たりとも誰にも見せたことがない清らかなお姿で、目映い光を放ちながらお立ちになられていました。そのお姿を拝したお弟子の阿難維者は光の訳を問い讃歎します。

今日世尊、諸根悦予し、姿色清浄にして光顔巍々とましますこと、明浄なる鏡の影、表裏に暢るがごとし。威容顕曜にして超絶したまへること無量なり。
(『仏説無量寿経』、『註釈版聖典』八頁)
(世尊、今日は喜びに満ちあふれ、お姿も清らかで、そして輝かしいお顔がひときわ気高く見受けられます。まるでくもりのない鏡に映る姿が透きとおっているかのようでございます。そして、その神々しいお姿がこの上なく超えすぐれて輝いておいでになります。『浄土三部経(現代語版)』 コー~一三頁)

出世の本懐(お釈迦さまがこの世にお出ましになった目的)である『仏説無量寿経』が説かれようとしている今日という日。それは阿難尊者だけではなく、煩悩の苦海に浮き沈みする私たち一切の衆生にとって、今日という日に法が説かれるのではなく、法が説かれるために選び取られ、与えられた今日であったのです。私かいま生かされている今日という日は、本願に出遇い念仏申すために与えられた、まことに「あること難き今日」なのです。
(田中 信勝)

あとがき

親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年のご法要を迎えた一九七三(昭和四十八)年に、真宗教団連合の伝道活動の一つとして「法語カレンダー」は誕生しました。門信徒の方々が浄土真宗のご法義を喜び、お念仏を申す日々を送って
いただく縁となるようにという願いのもとに、ご住職方をけじめ各寺院のみなさまに頒布普及にご尽力をいただいたおかけで、現在では国内で発行されるカレンダーの代表的な位置を占めるようになりました。その結果、門信徒の方々の生活
の糧となる「こころのカレンダー」として、ご愛用いただいております。
それとともに、法語カレンダーの法語のこころを詳しく知りたい、法語について深く味わう手引き書が欲しいという、ご要望をたくさんお寄せいただきました。
本願寺出版社ではそのご要望にお応えして、一九八〇(昭和五十五)年版から、このカレンダーの法語法話集『月々のことば』を刊行し、年々ご好評をいただいております。今回で第四十二集をかぞえることになりました。
二〇ニー (令和三)年の「法語カレンダー」では、「宗祖親鸞聖人に遇う」というテーマを設け、これまでお念仏を称え人生を生きぬかれた、先師の言葉を選定いたしました。本書では、これらのご文についての法話や解説を四人の方に分
担執筆していただきました。繰り返し読んでいただき、み教えを味わっていただく法味愛楽の書としてお届けいたします。
本書をご縁として、カレンダーの法語を味わい、ご家族や周りの方々にお念仏のよろこびを伝える機縁としていただければ幸いです。また、各種研修会などのテキストとしても幅広くご活用ください。

二〇二〇(令和二)年八月
本願寺出版社

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