過去・現在・未来は時の流れを表す日常語です。
仏教では、これを「三世(さんぜ)」といいます。過去は過ぎ去ったもの、現在は生起したもの、未来はいまだ来ないものという意味です。
三世は過去・現在・未来のほかにも。前世・現世・後世ともいい、略して「過現未(かげんみ)」とか「己今当(いこんとう)」ともいいます。
しかし、これらの言葉には、どこにも「時」という語が見当たらないのです。
それは、仏教では、時間というものを実体としてあつかわず、存在するものの変遷としてとらえられるからなのです。その過程の上に、仮に三つの区別を立てているにすぎないと説きます。
仏教は、その三世の中でも、現在を問題にします。
それは、過去は現在の原因として、未来派現在の結果としてあるものだから、現在がすべてだ、と考えるからです。
お寺の門の脇の掲示板に、こんな言葉を見つけました。
「過去を悔いず、未来を待たず、現在を大切にふみしめよ」
『くらしの仏教語豆辞典』より抜粋