「ごえん」もっと知りたいご縁のこと

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「結ぶ絆から、広がるご縁へ」

 

浄土真宗本願寺派は、「御同朋の社会をめざす運動」の総合テーマに、「結ぶ絆から、広がるご縁へ」という言葉を掲げております。

 

「絆とは、もとは「馬などをつないでおく綱」の意味で、人が結ぶつながりのことです。この人と人との結びつきは、確かに大切でかけがえのないものですが、一方で、人間の思いや好意によるつながりは、どこまでも不確かなものでしかありません。このように人間の分別的な知の世界に「つながり」を限定させるなら、私たちの社会が抱える深い闇、大きな悲歎(ひたん)を人間の根源的なところから克服していく原理としては、不十分でありましょう。

 

一方、「ご縁」とは、人間が作為的につくり出すつながりを意味する言葉ではありません。それは、すべての物事が互いに関わり合って存在していること、あらゆる存在が無限の過去から関連し合いながら現在にいたっていることを示しています。ご縁とは、生きる力を再生させる原理となり、利己的なあり方から離れ難い自己への内省を喚起し、根源的な無力さを実感させながら、それだからこそ他者とつながりあっていくあり方を開いていきます。

 

総合テーマに「結ぶ絆から、広がるご縁へ」を掲げるのは、あらゆるものが縁起し合っているという視点に立って、この運動を進めたいという願いが込められているからです。

 

宗門は、「阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え、もって自他共に心豊かに生きることのできる社会」をめざしています。この宗門の根本的な理念を実現していくために、「御同朋の社会をめざす運動」を展開していきます。

 

 

「ご縁」と「縁起」

仏教の根底を成す思想

「ご縁」は、お釈迦さまが説いた大切な教えである「縁起」に由来する言葉です。

 

お釈迦さまはさとりを開かれ、その後45年間にわたりさまざまな教えを説かれましたが、その教えの根本が「縁起」であるといわれています。お釈迦さまは、人が生まれ、老い、病み、やがて死にいたるという苦しみの原因を探っていき、その原因が人間相互の根本的な欲望や愚かさであることを見いだしました。そのうえでその愚かさが生み出す苦悩を、「智」によって解放していく道を示されたのです。

 

お釈迦さまのさとりは、苦しみの原因を、時間をさかのぼって観察することで得られた境地であり、もともと「縁起」は、時間的な経過の中での原因と結果の関係を意味していました。しかし、後の時代に成ると、あらゆる存在は、他のものとの関係の中で存在しているという、相互の依存関係を意味するようにもなりました。つまり、「縁起」とは、私たちには見極めることが困難なものですが、宇宙のあらゆるものは時間的にも、相互の関係としても、結びつき合って存在しているのであり、バラバラに存在しているようであっても、個別に単独で存在しているものはないという、この世界に真実のあり方を示す思想を表現する言葉になりました。

 

ですから、時間的なつながりと、互いの存在が同時的につながり合っているという二つの私たちの存在を規定するとともに、仏教徒として生きる道を明らかにする奥深い原理が、この短い「縁起」という言葉に集約されているのです。

 

 

日本での浸透

とりわけ、日本に仏教が伝来して以来、この「縁起」の「お互いに関連し合う」という考え方が大切にされてきました。そのことが「縁」に「ご」をつけて「ご縁」という表現になり、江戸時代には、浄土真宗の法話などでも、たびたび用いられてきました。その後、「ご縁」は、日本社会に広く浸透し、日常でしばしば用いられる言葉となり、「多くのご縁によって生かされている」という見方が培われてきたとみられます。

 

親鸞聖人が「遠く宿縁を慶べ」と述べられるところにも、仏法に出あい、阿弥陀さまのみ教えに導かれる身となったことを、遠い過去からのはかり知れない「ご縁」によって与えられ導かれてきたとよろこばれているお姿、すなわち「縁起」の理念にもとに、「ご縁」をこよなくよろこばれているお姿があらわれています。

 

さらに親鸞聖人は、阿弥陀さまの救いを「弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)」と讃えられ、「巧妙名号顕因縁(こうみょうみょうごうけんいんねん)」と、阿弥陀さまのはたらきが、私たちの救いの「因であり縁である」と示されました。私たちの救いのすべてが、他力であるとお示しになったのです。

 

 

「業縁」

「業縁」という言葉も使われます。「業」(karman)とは、行いを意味しています。インドでは、お釈迦さまの生まれる前から、輪廻思想の中で、善い行いをすれば楽な世界に生じ、悪い行いをすれば苦しみの果があるとする因果応報の考え方があり、宿命論的な意味合いが強く、インドにおける差別的な身分制度の思想的背景になってきました。しかし、お釈迦さまは、物事は一つの原因によって生じるようなものではなく、また、多くの原因によって常に移り変わり、固定的で変わらぬ私自身はないという「諸行無常」・「諸法無我」の教えを説き、「業」に関する宿命論的な見方を否定されました。

仏教の縁起の体系はそのお釈迦さまお心を根拠とするものであり、親鸞聖人もその心を継承していかれました。

 

しかしその後、お釈迦さまが否定したにもかかわらず、現実の事態を個人の過去世に責任を負わせる考え方とし、「過去からの業によって差別を受けるのはしょうがない」といった諦めの論理として、「業」を利用してきた歴史があります。

 

さらに、親鸞聖人が『歎異抄(たんにしょう)』で「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と言われたと伝えられるお言葉は、聖人の深い自己凝視と、真実のありようが人知を超えていることを嘆じられたものであるにもかかわらず、この言葉をも私たちは差別の現実を諦めさせていく論理として使用してきた歴史的事実を有しています。

 

これらの反省に立ったうえで、仏教の根本の教えである「諸行無常」・「諸法無我」そして「縁起」といった考え方を改めて問い直すとともに、自己を深く内省し、一人ひとりが抱える課題に真摯に向き合っていくことを行動へつなげたいと思います。

 

ご縁の中に生かされているという真実の教えを根底として、自他共に心豊かに生きることのできる御同朋の社会をめざしていきましょう。

 

編集・発行:浄土真宗本願寺派総合研究所、重点プロジェクト推進室

印刷:大日本印刷株式会社

 

 

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