2012年表紙 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし「正像末和讃」 法語カレンダー解説

「三帖和讃」の成立

 

「表紙のことば」に『正像末和讃』の言葉が掲げられています。

 

和文の『教行信証』とまでいわれる親鸞聖人の和讃は、その著述全体で大きな意味を持つものであります。聖人の晩年の大著、「三帖和讃」は、今はひとまとまりのものとして扱われていますが、『正像末和讃』は『浄土和讃』『高僧和讃』とは事情を異にし、独自の経過を辿ってできたものと考えられます。

 

『正像末和讃』がほぼ現在の形に整ってきましたのは、これまでのところ、親鸞聖人が八十六歳の秋であったといわれています。『浄土和讃』、『高僧和讃』(『浄土高僧和讃』)が一連のものとして成立してから、ちょうど十年が経過していることになります。ただ『浄土高僧和讃』に次いで計画的に順序立てられて『正像末和讃』が成立したかというと、必ずしもそうとはいえないことが、研究者によって指摘されています。それは、親鸞聖人が七十歳から八十歳にかけて、必ずしも健康で生き続けることばかりを予期してはおられなかったであろうということ。そして、『浄土和讃』『高僧和讃』の二和讃は、奥書からも知られるように、それだけで完結した一つの著作とその時点では考えられていたということが窺えるからです。したがって、「三帖和讃」はそろって流布したのではないといわれています。段階的に成立し、結果的に「三帖和讃」として定着したものであると考えられます。ちなみに、「三帖和讃」という呼称の最初は、覚如上人の次子・従覚(じゅうかく)上人の著『慕帰絵詞(ぼきえことば)』のなかにみられます。

 

なお、内容としては、『浄土和讃』が「浄土三部経」を中心に構成されているのに対して、『高僧和讃』は七高僧によって組織付けられているので、それぞれ『浄土和讃』は「正信偶」の前半の依経段(えきょうだん)、『高僧和讃』は後半の依釈段(えしゃくだん)の構成と軌を一にするとみられています。

 

今、『正像末和讃』には百十六首の和讃が収められています。その内容は、「夢告讃」一首、「正像末浄土和讃」五十八首、「誡疑讃(かいぎさん)」二十三首、「皇太子聖徳奉讃」十一首、「愚禿悲歎述懐」十六首、「善光寺和讃」五首、「自然法爾(じねんほうに)」の法語、結びの和讃二首となっています。

 

 

大悲の恩を知る

 

 

今取り上げられている和讃は、このなかの「誡疑讃」(「仏智疑惑和讃」)の第七首目の後半部です。その一首には、

 

信心のひとにおとらじと

疑心自力の行者も

如来大悲の恩をしり

称名念仏はげむべし

(『註釈版聖典』六一一頁)

仏智を疑う自力の行者であっても、信心の行者に劣ってはならないと思い、阿弥陀さまの大悲の恩の深さを知って、称名念仏に励みましょう。

 

と詠われています。

 

この和讃は、意味を取る場合、なかなかむずかしいものがあります。それは、「自力の行者も」といわれる前半と「大悲の恩を知り」といわれている後半とが一つにつながらず、読みにくいということがあります。あるいは、自力の行者と称名念仏とを関係付けてみますと、自力の念仏を勧めているようにも読むことができそうです。もちろん、親鸞聖人が自力念仏を勧められることはありません。

 

そこで、この和讃を次のようにいただいていけばと思います。

 

「仏智を疑う自力念仏の行者でも、他力信心の人に劣らないように、大悲のはたらきによって第十八願の念仏者になったのであるから、どうか報恩の念仏を称えてください」と。このように窺えば、自力の称名を勧めている和讃ではないといえます。特に、「如来大悲の恩を知り」という言葉によって、自力の行者が第十八願の他力に心が翻ったことが読み取れます。

 

これら『正像末和讃』「誡疑讃」では、仏智を疑うことによって辺地懈慢(へんじけまん)に留まることを厳しく誡めておられます。『無量寿経』に説かれる、胎生(たいしょう)・化生(けしょう)といったお浄土への生まれ方を背景にして、第十八願の世界に帰入すべきことを勧められているのです。

 

 

如来の行である念仏

 

 

ところで、「称名念仏はげむべし」といわれる称名念仏について、親鸞聖人の言葉によって少し窺ってみたいと思います。同じく『正像末和讃』には、

 

真実信心(しんじつしんじん)の称名(しょうみょう)は

弥陀回向(みだえこう)の法なれば

不回向(ふえこう)となづけてぞ

自力の称念(しょうねん)きらはるる

(『註釈版聖典』六〇七頁)

 

真実信心によって称えられる念仏は阿弥陀さまがお与えくださったおみのりですから、それを「不回向」といい、自力の思いによって称えられる念仏は、嫌われてしまうのです。

 

とあります。

 

真実信心の称名は、阿弥陀さまが与えてくださった法であるから、私の方から回向していくのではない。だから不回向と名付け、自力の念仏を嫌われるのです。念仏とは、阿弥陀さまから与えられるもので、私が自分の力で称える念仏ではありません。

 

甲斐和里子さんは、

 

御仏をよぶわがこゑは
御仏のわれを喚びます御声なりけり

(『草かご』二四四頁)

 

と詠まれています。また、池山栄吉さんは、

 

よき人の仰せにききてみ名を呼べば
喚ばはせたまふみ声きこえぬ

(『仏と人』三五九頁)

 

と詠っておられます。どちらも、念仏しているのは私であるけれども、その根源を訪ねて行けば、人間の行いではなく、阿弥陀さまが私に喚びかけておられる如来の行であることを詠っておられるのです。

 

それでは、この念仏が阿弥陀さまの行であることを、さらに「南無阿弥陀仏」の六字の意味から窺っていきたいと思います。南無阿弥陀仏の「南無」とは、帰命と訳されます。もともとサンスクリット語ナマス(namas)とは腰をかがめるという意味ですが、それが転じて帰命となったのです。

 

それはともかく、親鸞聖人はこの「帰命」を解釈して、

 

「帰命は本願招喚(ほんがんしょうかん)の勅命(ちょくめい)なり。

(『教行信証』「行文類」『註釈版聖典』 一七〇頁)

 

と述べられ、私を呼んでいてくださる喚び声だといわれています。また、「阿弥陀仏」を解釈して、

 

「即是其行(そくぜごぎょう)」といふは、すなはち選択本願(せんじゃくほんがん)これなり。

(『同』)

 

と説示されます。

 

では、どのように阿弥陀さまは私に喚びかけていてくだざるのでしょうか。蓮如上人は、六字の名号を「われをたのめ(南無)」「必ず助ける(阿弥陀仏)」という喚び声の内容と受け取っていかれました。それは『御文章』の、

 

この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり。

(『同』 一一〇六頁)

 

といわれる文によっても知られるところです。そういう勅命を聞いて、私の方からは「必ず助かると弥陀をたのむ」という信心を表す言葉となるのです。また、「南無阿弥陀仏」と称えているのは、

 

阿弥陀如来の御たすけありつることのありがたさたふとさよとおもひて

(『同』 一一三一頁)

 

といわれるように、仏恩報謝の念仏であると示されています。

 

 

真仮を知る

 

 

親鸞聖人は、念仏を自力の念仏・他力の念仏にはっきりと分けられました。阿弥陀仏の本願も真実と方便とに分けられ、「浄土三部経」にも真実教と方便教があるといわれました。そして、

 

真仮(しんけ)を知らざるによりて、如来広大(にょらいこうだい)の恩徳(おんどく)を迷失(めいしつ)す。

(『註釈版聖典』三七三頁)

 

と述べておられます。

 

今、和讃で「如来大悲の恩を知り」といわれていることと、『教行信証』「真仏土文類」で「如来広大の恩徳を迷失す」といわれていることを重ね合わせると、真仮を知ることが大悲を知るということであるということがわかりますので、少し真仮を知るということについて考えてみたいと思います。

 

真仮を知るとは、何が真実で何が方便であるかを知る、はっきり見極めるということです。たとえば、なぜ『無量寿経』が真実の教といえるのかということが一つ考えられます。親鸞聖人は、『無量寿経』に、お釈迦さまがこの世にお出ましになられたのは『無量寿経』を説くためであると説かれた、いわゆる出世本懐(しゅっせほんがい)の文があることによって、真実教の証明とされました。しかし、『法華経』にも出世本懐の文があります。としますと、出世本懐の文だけでは『無量寿経』が真実教とはいえなくなります。

 

しかし、『無量寿経』は真実の教であるといわなければなりません。なぜなら、『無量寿経』には本願と名号が説かれ、それによる救済の論理が説き示されているからです。如来の大慈悲を、そしてその功徳のすべてを、一切の生きとし生けるものに与えたいという願いが、名号という言葉となって届けられているのです。私たちは、そういう如来の本願によって救われていくのです。『無量寿経』に説かれているから真実であるということではなく、真実である本願が説かれているから『無量寿経』は真実の経典であると、親鸞聖人はみられたと窺うことができます。

 

一方、親鸞聖人は、このような『無量寿経』に対して、『観無量寿経』『阿弥陀経』はそれぞれ方便の教えを説いた経典とみられました。この三つの経典は、本願に対応させますと、それぞれ第十八願、第十九願、第二十願にあたります。

 

 

真実と方便

 

 

ところで、もう一つ問題なのは、そのような真実と方便との関係です。方便とは、サンスクリット語では、もともと動詞ウパ・イ(upa-√i)が変化した名詞ウパーヤ(upaya)という、「返づく、到達する」という意味を持つ語です。そして、特に大乗仏教では、この方便の思想を抜きにしてはその教えが成り立たないといってよいほど、重要なものです。経典によっては、「方便品(ほうべんぼん)」という特別に方便について論ずる一品が独立してあるほどです。

 

さて、親鸞聖人の立場で、方便をどのように考えておられるかが問題です。方便とは、真実に到る手段なのか、それとも真実の仮に現れたものなのか、という問題ですが、従来は、真実に入るまでは必要で真実に入れば不用だという、捨てものの方便論が強くいわれていたようです。しかし、真実そのものを、つまり如来の大悲をそのなかに感じられるような方便の意味を認めていくこともできると思います。

 

このように受け止めながら、今一度、今月の和讃である「誡疑讃」にかえって方便について考えてみますと、自力念仏の人だと切り捨てるのではなく、やがて必ず如来の大悲を知って念仏の人になってほしい、あるいは、大悲を知る人になってくれるはずだという気持ちが込められている、和讃のように思われてくるのです。

 

親鸞聖人の経典理解には独創的なものがあります。たとえば、「浄土三部経」に隠顕(おんけん)をみていくという態度が、それにあたります。『無量寿経』は、真実教として真実のみ教えを説く経典ですが、『観無量寿経』『阿弥陀経』には、表と裏の意味があるとみていかれるのです。『観無量寿経』は、表(顕)では定散二善を説く経典ですが、裏(隠)からは第十八願、他力の教えを説く教えであるというように。いずれにしても、このような経典観から窺えることは、捨てたものにも意義を認めていこうという態度が、その根底にあるように思われます。

(大田利生)

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