2016年7月 往くも帰るも他力ぞと ただ信心をすすめけり 法語カレンダー解説

hougo201607第三祖・曇鸞大師

 

今月の法語は、七高僧の第三祖であります曇鸞大師(四七六~五四二)の教えを称えられたご文の意訳です。これは、「正信偈」のなかの、

 

往還回向由他力(おうげんねこうゆたりき)
正定之因唯信心(しょうじょうしいんゆいしんじん)

 

往還の回向は他力による。正定の因はただ信心なり
(『註釈版聖典』二〇五頁)

 

のおこころを詠われたものです。さて、このおこころをうかがう前に、まず曇鸞大師とはどういうお方であったかということを考えてみたいと思います。

 

「正信偈」には、曇鸞大師の伝記をエピソードを交え示されています。親鸞聖人が「正信偈」の中に四劫を費やして伝記を示されることは、非常にめずらしいことであります。それほどまでに劇的であり感動的であったものと思われたのではないでしょうか。その四句のうち二句が、

 

三蔵流支授浄教(さんぞうるしじゅじょうきょう)
梵焼仙経帰楽邦(ぼんじょうせんぎょうきらくほう)

 

三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまひき。

(『註釈版聖典』二〇五頁)

 

であります。『教行信証(現代語版)』によりますと、「菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された」とわかりやすく訳されております。

 

大師は、龍樹菩薩・天親菩薩のあとを継いで、中国に出られた最初の祖師です。はるか東方に五台山(ごだいさん)を望む雁門(がんもん)の地で出生されましたが、当時は北魏(ほくぎ)の孝文帝(こうぶんてい)の時代でありました。孝文帝は深く仏教に帰依し、仏教興隆に力を注いだお方でありました。

 

そのような時代の中、早くから仏教に心を惹かれたということです。出家の後、大師は龍樹菩薩の『中論』『十二門論』『智度論』、および『百論』を学び、いわゆる四論宗の学者として頭角を現し、続いて『大集経』の研究に取り組まれました。しかし、健康を損ねたので、不老長寿の法を求めて、はるか一千二百キロ以上の道のりを超え、揚子江の南の地に住む道教の師、陶弘景を訪ねられました。そして、そこで『仙経』十巻を授けられました。

 

その『仙経』を抱え意気揚々と帰路に着いたのですが、途中洛陽の都で、はからずもインドから来ていた訳経僧・菩提流支(ぼだいるし)に出遇いました。このお方は数多くの経論を翻訳された学識高い超一級の高僧でしたが、大師は大胆にも菩提流支にむかって「仏教の中に、この仙経に勝る教えがあるか」と問うたというのです。その問いに対し菩提流支は地に唾を吐いて、「仙経に説く不老長寿の法も、所詮は生死輪廻を出るものではない。たとえいのちを長らえたとしても、やがて必ず死に、生死を流転するのみである」と厳しく叱責され、『観無量寿経』を授けられたということです。

 

実は『観無量寿経』には、阿弥陀仏の久遠のいのちとその世界が、そしてそこに往生して永遠のいのちを得る道が説かれてあります。菩提流支の一喝に目が覚めた大師は、命がけで手に入れたにもかかわらず『仙経』を焼き捨てて、深く浄土の教えに帰依されたのです。決して不要なものを捨てたのではありません。また、何かの役に立つと思って傍らに残しておられたのでもありません。命がけで手に入れた貴重な書は、世間的には高価な書であるかもしれませんが、自らの生死の解決、生老病死そのものを根本とする苦には、何の手だてにもなり得ないということだったのです。

 

それからというもの浄土教を専らに学び、自行化他に勤しまれて『往生論註』二巻を著され、大いに浄土教の顕揚に努められたということです。

 

 

「往くも還るも 他力ぞと」

 

ところで親鸞聖人は、『教行信証』の「教巻」の一番最初に、

 

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。

(『註釈版聖典』 一三五頁)

 

と示されました。実は大師の教えから出ているのですが、聖人はそれを押しひろげて、往相・還相の二種の回向を説く教えこそ浄土真宗であると、体系的に顕されました。また、この二種の回向は、本願力の回向に他ならないと仰っています。法語の「往くも還るも」という言葉は、この往相・還相のことです。簡単に述べますと、往相とは浄土へ往生する相、還相とは浄土から迷いの世界へ還ってくる相、ということになります。さらに言えば、往相とは、この私か浄土へ往生するはたらき、ちからのことであり、また還相とは、この私か浄土へ往生した後に、迷いの世界であるこの世へ還ってきて衆生を済度するはたらきのことです。この「ちから、はたらき」すべてが本願力回向だということです。それを「他力」というのです。

 

そもそも仏教一般では、この私が積んだ善根(ぜんこん)功徳を他の人のために施すことを回向と言います。しかしながら、私どものような凡夫がいくら死にものぐるいで精進したとしても、煩悩がある限りは雑毒(ぞうどく)の善でしかなく、かたちだけの中味のない虚仮(こけ)の行と言わざるを得ません。「愚禿悲歎述懐(ぐとくひたんじゅっかい)」のご和讃をいただきますと、

 

悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝸(じゃかつ)のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる

(『註釈版聖典』六一七頁)

 

と詠われてありますが、私たちの心は、蛇や蝸(さそり)のごとく、ややもすると他人を傷つけかねない危ない存在であります。そのような私たちが雑毒の善や虚仮の行をもって、他に施しをすることは決してできないばかりか、私一人の往生すら叶うものではありません。それができるのは、煩悩を完全に脱却した阿弥陀如来だけであります。

 

つまり、回向の主体は阿弥陀如来の本願力ということです。私たちを導いてくださる、このような阿弥陀如来のちから、はたらきを、親鸞聖人は『教行信証』「行巻」に、

 

しかるに覈(まこと)に其の本を求むれば、阿弥陀如来を増上縁(ぞうじょうえん)とするなり。

(『註釈版聖典』一九二頁)

 

とお示しくださいました。そのおこころは、往相も還相もそのもとをたずねれば、すべては阿弥陀如来の本願にもとづいた「増上縁」でありますということです。

 

「増上縁」とは強力な縁ということですから、私たちが浄土に往生するためのはたらきである名号も信心も、そして、浄土に往生した後、ただちに仏としての活動にはいり、浄土から迷いの世界へふたたび還ってきて、あらゆる手段を講じてご縁のある方々を浄土に導くことも、すべて阿弥陀如来のおはからいであったのです。

 

まだ同じ「行巻」には、

 

おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の起すところの諸行は、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑに。

(『註釈版聖典』一九二頁)

 

とあります。「かの浄土に生ずると」とは往相であり、「かの菩薩・人・天の起すところの諸行」とは還相のことです。これらはすべて阿弥陀如来の方で用意され、この私たちに施してくださっているということを、すなわち往相も還相も他力であると、はかりしれない深い感慨と謝念をもっていただかれたのでありました。

 

 

ただ信心一つ

 

さてこのような阿弥陀如来のはたらきを、私たちはどのように受け止めれば良いのでしょうか。

 

法語の「ただ信心を すすめけり」にそのことが示されています。

 

私たち凡夫が、必ず往生させていただく身と定まるのは、ただ信心一つによるということでしょう。前の言葉では、往相も還相もともに阿弥陀如来のおはからいであったと述べられておりますから、私の方ですることは、いただくこと以外の他のことはありません。このいただきぶりを信心と申しあげるのです。

 

ただ信心といっても、私のつくり上げた信心ではありません。虚仮不実の身である私がいくら積み上げたとしても、それによって浄土往生はかないません。言い換えれば、私の力ではこの世から浄土への橋をかけることができない、ということです。だから、それができるのは阿弥陀如来だけであります。

 

また、信心をいただくといっても、なにか品物のようなかたまりを受け取るのではありません。阿弥陀如来のお慈悲のこころをいただくのであります。そのおこころをいただいたとき、不思議なことに、すでに彼岸からこの世にかけられた橋があったことに気づかされるのです。それが一切衆生を救わずにはおかないという、ご本願の喚びかけなのです。それが仏さまの名のりであり、名号であったのです。

 

したがって、私たちはただただ本願を信じて、み名を呼ぶよりはかないのです。ご本願の喚びかけによって救われるのでありますから、私の作り上げる信心は一切無用であると言わざるを得ません。

 

このように、阿弥陀如来のみ教えに心身をゆだねること、すなわち信心ひとつを勧められたのです。そこで『教行信証』「行巻」に、

 

愚かなるかな後の学者、他力の乗ずべきを聞きてまさに信心を生ずべし。みづから局分(局の字、せばし、ちかし、かぎる)することなかれ

(『註釈版聖典』一九四頁)

 

と、すべてをまかせることができる他力の法を聞いて、信心をおこすべきである。決して自力にこだわってはならないと、信心の大切な意味を強調されているのも、要は信心が本願力回向の他力に相応するからであります。そのことをはじめて明らかにされたのが曇鸞大師でありました。

(桐原良彦)

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