2019年6月のことば 無擬の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり。

日常の孤独

現在、私は妻と二人の娘とともに京都に住み、私と妻の両親は、それぞれ車で一、
二時間ほどの距離のところに住んでいます。いわゆる核家族です。両親はたまに手助けに来てくれますが、基本は妻と私、特に妻が子育てをしています。妻は、児童館の子育て教室にもたまに出かけたりしますが、小さな子どもがいるとなかなか思うように出かけられません。子育てをしていると、世間から取り残されているようだ、と感じることもあるようです。今は町中に住んでいて、まわりには人が多くい
ます。それでも一歩、家のなかに入ってみると、世の流れと断ち切られたような、子育てに追われる家族の孤立、孤独があります。

源信和尚のお言葉

六月のことばは、親鸞聖人の『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいぶん)』のなか、源信和尚の銘文よりいただいています。

  無擬の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり。
(『註釈版聖典』六六二頁)

『尊号真像銘文』の「尊号」とは、礼拝対象としての阿弥陀さまの名号(南無阿弥陀仏や帰命尽十方無眼光如来など)のことで、「真像」とは、親鸞聖人が大切にされた祖師方の肖像画のことです。「銘文」とは、掛け軸をイメージしていただくと(イメージしづらいかもしれませんが)、中央に絵や文字があり、その上下に文章が付されているものがあります。その付されている文章が「銘文」で、経典や祖師方の書物の文章となります。この「尊号」や「真像」の上下に付されている「銘文」について、親鸞聖人が解説を施されている書物が『尊号真像銘文』となります。そのなか、今月の法語は、源信和尚の「往生要集」の文章についての解説のなかの一文となります。
源信和尚は、平安時代中期の比叡山の僧です。その主著である『往生要集』では、人は、この迷いの世界(穢土(えど))を厭(いと)い離れ、お浄土の世界を欣(ねが)い求めるべきであり、念仏によってお浄土に往生していくことが記されています。この書は、浄土教の流
れに大きな影響を与え、後の親鸞聖人も源信和尚を敬われ、浄土真宗では七高僧のお一人となっています。
源信和尚は、この『往生要集』のなかで、私たちが依りどころとする「浄土三部経」の一つである『観無量寿経』の、

  一一光明、偏照二十方世界念仏衆生摂取不捨。
(『浄土真宗聖典全書目』三経七祖篇、八七頁)
一々(いちいち)の光明(こうみょう)は、あまねく十方世界(じっぽうせかい)を照(て)らし、念仏(ねんぶつ)の衆生(しゅじょう)を摂取(せっしゅ)して捨(す)てたまはず。
『註釈版聖典』 一〇二頁)

のご文を受けて、

  またかの一々の光明、あまねく十方世界の念仏の衆生を照らして、摂取して
捨てたまはず。              (「註釈版聖典(七祖篇)』九五六頁)

と示され、このご文に続いて、

  我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見、大悲無倦常照我身
(『浄土真宗聖典全書』‥』三経七祖篇、一一〇八頁)
(われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦むことなくして、つねにわが身をてらしたまふ。
「註釈版聖典(七祖篇)』九五六-九五七頁)

と示されます。
阿弥陀さまの光は、あらゆる世界の人々を照らし、摂め取って捨てられないけれども、私は煩悩に覆われて、仏さまを見たてまつることができない。にもかかわらず、阿弥陀さまの大いなる慈悲のはたらきは、このような私を見捨てることなく常に照らし続けてくださっている、という意です。

大悲無倦常照我

親鸞聖人は、源信和尚のこのご文をとても大切にされました。先はどの「我亦在
彼・:」というご文を読まれた方は、どこかで聞いたことがあるという思いを持たれ
た方も多いのではないでしょうか。私たちがお勤めする「正信偶」の、

  我亦在彼摂取中
煩悩郭眼雖不見
大悲無倦常照我             (『日常勤行聖典』三二頁)

(われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。『註釈版聖典』二〇七頁)

の一節は、この『往生要集』のご文に基づいていますし、源信和尚のことを詠われた『高僧和讃』では、

  煩悩にまなこさへられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり            (「註釈版聖典」五九五頁)

と詠まれています。
そして『尊号真像銘文』では、源信和尚のご文を銘文として解説が施され、「常照我身」の「照」の解説として、

無磯の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり。つねにてらすといふは、つねにまもりたまふとなり。            (『註釈版聖典』六六二頁)

とお示しくださっておられるのです。阿弥陀さまのなにものもさまたげとならない光は、常に照らし護ってくださっているのです。私は煩悩に覆われて、仏さまを見たてまつることができない、にもかかわらずです。

厭い離れるべき世界

源信和尚の『往生要集』では、この迷いの世界を厭い離れ、浄土を欣い求めるべきことが説かれます。この迷いの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)の説示として、特に地獄のありさまが綾々説かれていることが有名ですが、今のこの人間界のありさまについても読み応えがあります。
人間界のありさまとして、種々の経典から、不浄・苦・無常のすがたがあると示されます。不浄とは「清らかではない」ということですが、もっと具体的には汚いということで、例えば「髄より膚に至るまで、八万戸の虫あり」(『註釈版聖典(七祖篇)』八三〇頁)と、私たちの体にはさまざまな虫がいると書かれています。最近はあまり聞かれなくなりましたが、一昔前まではシラミに人々は悩まされました。死してのちは、姐などの虫に食されるのが私たちでした。また、どんなに美味しいものを食べても、便・尿として出さざるをえないのが私です。
苦のすがたとは、仏教では人生のすがたを苦として捉えますが、やはり少し具体的に書かれています。例えば。

  この五陰の身は、一々の威儀、行住坐臥、みな苦にあらずといふことなし。
(『註釈版聖典(七祖篇)』八三四頁)

と、「歩いて苦しく、立って苦しく、座って苦しく、寝て苦しい」と書かれています。
体のどこかに痛みを抱えておられるかたも多いのではないでしょうか。私の場合は
膝ですが、ひどいときは歩いても、立っていても、座っていても、さらには寝ていて
も痛みがあり、そのような痛みと付き合っていかざるをえない日々を送っています。
そして、無常のすがたとは。

  一切のもろもろの世間に、生ぜるものはみな死に帰す。   (「同」八三五頁)

と、かならずみな死が訪れるのであり、どんなに長い寿命があったとしても終わりがあることが示されます。
源信和尚は、このような不浄・苦・無常のありさまである人間の世界を厭い離れるべきであると示されます。
『往生要集』では、人の世のすがたが不浄・苦・無常として徘々示されています。そのありさまをうかがうと、確かに私の人生は不浄であり苦であり無常であると感じる一方で、いまひとつ現実味が薄れているようにも思われます。これはおそらくは、現代を生きる私たちの生活は、源信和尚の頃、親鸞聖人の頃、または数十年前よりも、相当に快適になっているからではないでしょうか。
不浄ということに関していえば、多くの人々はシラミの庫みから解放され、また私の幼少期の頃と比較しても、(エの数が減り、道端で猫やイタチが死んで姐が湧いている光景を目にすることがなくなりました。不浄である本質は変わりませんが、それを感じる機会が減り、見た目にキレイになっているのが現代社会でしょう。
『往生要集』では、人間の世界のすがたにつづいて、天の世界のすがたが示されています。天の世界は、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)でいえば、人間よりも上の世界で、快楽極まりない世界であり、天人の寿命もはるかに長いとされます。
はるかに長いのですが、命が終わる時がきます。天人が衰えてくると、これまで仲良くしていたまわりの天人は離れていき、

  われいま依なく怯なし。たれかわれを救ふものあらん。
(『註釈版聖典(七祖篇)』八三八頁)

と頼るものがない孤独に苛まれていくさまが示されています。

   孤独な世を生きる

不浄なるものが日常の生活から見えづらくなり、かつてなく快楽極まりなくなっているのが現代の人間の世界かもしれません。それはまるで天の世界であるかのようです。しかし、たとえ天の世界であっても衰え、命終は避けがたく、快楽極まりなきゆえに、一層と孤独が際だってきます。
冒頭、今、いわゆる核家族として暮らしていることを書きましたが、核家族はもはや当たり前の世の中で、むしろ三世帯同居が珍しくなっています。それどころか、今、日本でもっとも多いのは、単独世帯(一人暮らし、独居)となっています。高齢の一人暮らしの方では、一日、誰とも話さない方や、孤独死の不安を感じておられる方が多いという話も聞きます。
また、掛け軸をイメージしづらいかもしれませんとも書きましたが、お仏壇のある仏間があり、床の間かあり掛け軸があり、親がいて子がいて孫がいる景色が、当たり前ではなくなって久しくなりました。
便利になり、不浄が見えづらくなり、快楽を見い出しやすい世の中であるがゆえに、個々の孤独は増し、また、家族のあり方も孤独を感じやすいものとなっています。そのような世の中で、私をいつも照らしまもってくださっている阿弥陀さまのありがたさ、かたじけなさを昧わってまいりたいものです。
(長岡 岳澄)

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