2023年3月のことば こころにじごくがあるよ ひにちまいにちほのをがもゑる

   自覚的世界としての地獄

数ある仏教書のなかで、「地獄」について最も詳しく説かれている本として『往生要集』を挙げる人は多いと思います。七高僧の第五祖で平安時代に活躍された源信和尚が書がれたこの本は、全十章から構成されており、たいへん難解なものでありますが、端的に言いますと、その内容は「厭離機上 欣求浄土」ということになります。速やかに迷いの世界(餓土)を厭い離れて、真実の世界である浄土に生まれることを願うことが勧められています。その第一章に迷いの世界の具体的なありさまが、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道輪廻の世界として描かれています。

特に地獄のありさまの記述が全体の六割ほどを占めていて、非常に詳しく描かれています。

言うまでもなく、地獄とは生前中に犯した罪により、死後に罪人が赴かねばならない地下の世界のことです。『往生要集』では、罪の軽い方から重い方の順に、①
等活、②黒繩、③衆合、①叫喚、⑤大叫喚、⑥焦熱、⑦大焦熱、⑧無間(阿鼻)、の八つの地獄世界が、詳しく説かれています。初めの等活地獄の記述には、地下一千由旬(四千里)の深さのところにあり、生き物を殺しか者が堕ちると説か
れています。最後の無間地獄にいたっては、さらに底深く、頭を逆さにして堕ちること二千年にして、ようやく到達する世界と示されています。源信和尚は、こうした世界を実在の世界とお考えだったのでしょうか。それについて、黒田覚忍先生は次のように受けとめておられます。

  われわれの日頃の生き方は、他人の罪やあやまちは見えるけれども、自分の罪やあやまちはなかなか気づきません。また気づいたとしても、自分の罪やあやまちはひた隠しにし、他人のあやまちは非難攻撃し、いいふらすことを憚りません。このようなことを互いに繰り返しているのがわれわれの日頃のすがたではないでしょうか。(中略)私たちのこのような罪深さを比喩的に表現されて  いるのでしょう。          (『はじめて学ぶ七高僧』 一一〇-一一一頁)

地獄の世界は、私たちの日頃の生きざまを心深く省みて、その奥底にひそむ自己中心の根性に気づく人が感じる自覚的世界と言うことができます。そうなってきますと、現代の私たちにも無関係ではなくなります。

妙好人才市さん

さて、三月のことぼけ、妙奸人と讃えられた市井の念仏者、浅原才市さんの言葉です。才市さんは一八五〇(嘉永三)年に現在の島根県桜江町で生まれ、十九才のときに母のトメさんが亡くなるのですが、その前年に、トメさんは才市さんに
「お寺参りして仏法を聴聞し、お念仏をよろこぶ人になっておくれ」と哀願されました。そこから才市さんの聞法生活が始まりました。三十才のときに博多に出稼ぎに行き、そこで真宗僧侶であった父・西教の勧めで出会った、当時学徳高く名僧といわれた博多・万行寺の七里恒順師から大いに勧化を受け、聞法に励まれました。
五十八才のときに家族の待つ島根県温泉津町に帰り、下駄職人をしながら安楽寺住職梅田謙敬師の教導を受けられました。そして、六十四才から一九三二(昭和七)年に八十三才でご往生されるまでの二十年間に、阿弥陀如来の救いを喜ぶ信心の詩を書き綴ったノートを残されたのです。

三月のことばは、楠恭編『妙奸人 才市の歌』に集録されているものです。

  さいちこころに、なにがある。
さいちこころに、じごくがあるよ。
ひにち、まいにち、ほのをがもゑる。
めにわめゑねど、
これが正をこを、

ありかたいな。
をやさまが、わしのこころい、
なむあみだぶと、とろけやい、
ごをんうれしや、なむあみだぶつ、
なむあみだぶつ。                        (二〇七頁)

才市さんは、自分の心のなかに地獄がある。その証拠に、毎日の生活のなかでその地獄の業火が燃えさかっている、と歌われています。こうした境地はどこから生まれてきたものでしょうか。ありかたくも、親さま(阿弥陀如来)が南無阿弥陀仏の名号となって自分の心に届いてくださり、離れることなく一つになってくださっていると続けておられます。そのことについて次のような歌も残されています。

あさましや
さいち こころの火の中に
大悲のおやは 寝ずのばん
もえる機を ひきとりなさる
おやのお慈悲で
(梯賽圓著『妙奸人のことば』 一四九頁)

機とは、阿弥陀如来の救いのめあて、対象になっている者という意味です。心の火のなかに、つまり地獄のなかに阿弥陀さまがいらっしやって寝ずの番をしてくださる。煩悩の火(炎)をお慈悲によって引き取ってくださるというのは、とても味わい深い表現だと思います。才市さんは、「御法義のかぜをひいた、念仏のせきが出る」とも歌われています。咳が出るのは風邪を引いた証しでありますが、念仏が自分の口から出るのは、それほどに阿弥陀如来の心、本願のはたらきが、心深く宿っている証しだということを表しています。その心によって自覚せしめられているところの自分の罪深さを地獄とおっしゃっているのです。これは、先はどの源信和尚の地獄観と重なるものでもあります。
寝ずの番をし、燃える心を引き取ってくださる阿弥陀如来の慈悲のはたらきは、私たちが願うべき世界、さとりの世界、仏智(智慧)を知らせてくれるものです。
しかしその一方で、そうした真実と相反する心と生き方しか持ち合わせていない、私たちの正体にも気づかせてくれるのです。それが凡夫の仏道といわれる浄土真宗の往生道なのだと言えます。
繰り返しのようになりますが、才市さんが言うように、地獄とは視覚で見る世界でも、また一般的に考えられているような死後に赴く世界なのでもなく、阿弥陀さまの救いのはたらきに出遇った者が、本当の自分のすがたに出遇ったときに、そうとしか表現できない世界のことを言うのです。

仏恩報謝の生活

自分の心の中に燃えさかる地獄の業火を自覚し、阿弥陀如来にしっかりと番をしてもらい、引き取り手になってもらった才市さんの生活は、ただその漸愧と歓喜の思いを内に秘めて終始したわけではありませんでした。
近年、妙奸人に関する学術研究書や解説書、そして法味を綴られた伝道書などを多く出版されている菊藤明道先生は、才市さんが仏恩報謝の生活を送ったことについて、次のように教えてくださっています。

  才市さんはご信心の詩を詠むだけでなく、日々の生活そのものがお念仏の生活でした。仕事もご信心のはたらきであり、「仏恩報謝の行」といっています。
明治三十七年(一九〇四)には、大日本仏教慈善会財団の会員になり毎年寄付をしています。各地の凶作飢饉や天災被害に何度もお見舞金を送っています。
(『妙奸人の詩』七七頁)

才市さんが利他的生き方を大事にされていたことがうかがわれます。あらゆるいのちをわけへだてなく慈しみ苦を取り除くという、仏の智慧そのものに生きることはできないという自覚をいただくことは、決して自分の正体に居直るものではありません。それは、いつも一緒にいてくださる阿弥陀如来の心に少しでも学び実践する生き方へと、変容させてもらうことを意味しています。親鸞聖人は、『御消息』第二通において次のようにおっしやっています。

  かつては阿弥陀仏の本願も知らず、その名号を称えることもありませんでしたが、釈尊と阿弥陀仏の巧みな手だてに導かれて、今は阿弥陀仏の本願を聞き始めるようになられたのです。以前は無明の酒に酔って、貪欲・填恚・愚痴の三毒ばかりを好んでおられましたが、阿弥陀仏の本願を聞き始めてから、無明の酔いも次第に醒め、少しずつ三毒も好まないようになり、阿弥陀仏の薬を常に好むようになっておられるのです。
(『親鸞聖人御消息 恵信尼消息(現代語版)』九頁)

このお言葉を受けて、専如ご門主はご親教「念仏者の生き方」において、

  仏法を依りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間になるのです。

とお示しくださっています。
地獄と表現される私たちの自己中心の欲張り心は根強いものですが、そのような凡夫が歩むことのできる大乗の菩薩道(利他を大切にする生き方)が浄土真宗のみ教えであることを、立教開宗八百年にあたって確認させていただきます。
(河智 義邦)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 パーマリンク