お墓

 私たち人間がこの地球上に誕生してから、随分長い歴史を経てきました。

 最近は考古学者によって、人類太古の遺跡が発掘される過程で、それは非常に原始的ではありますが、すでに葬儀や遺体安置の形跡がみられると報告されています。

 インドで興った仏教も人びとの埋葬については、いろいろな方法をとってきました。

 北インドのクシナガラで入滅されたお釈迦さまは、その弟子たちによって、遺骸は「荼毘」にふせられ、遺骨はインド各地に分骨し、仏塔を建てたと伝えられています。また、後世全インドを統一して、マウリヤ王朝を樹立したアショカ王は、深く仏教に帰依し、その在忙中に八万四千といわれるほど数多くの仏塔を建てたといわれています。そうして今もそのいくつかは往時の面影をとどめています。

 その後、仏教はインドから西域・中国・朝鮮を経て日本へと伝播していく過程での墓塔もさまざまに変化してきました。

 ところで、私たち浄土真宗の教団では、この墳墓のことをどのように考えてきたのでしょうか。

 親鸞聖人が九十年のご生涯を終えられて、お浄土に還帰されたとき、遺弟たちは聖人をどのように葬したのでしょうか。このことについて『御伝抄』には、次のように記述されています。

 

 洛陽東山の西の麓、鳥辺野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる。遺骨を拾いて、おなじき山の麓、鳥辺野の北の辺、大谷にこれををさめをはんぬ。

文永九年冬のころ、東山西の麗、鳥辺野の北、大谷の墳墓をあらためて、おなじき麓よりなけ西、古永の北の辺に遺骨を堀り渡して仏閣を立て、影像を安ず。

   

 このことは私たちの教団にとっては、大変重要な意味をもっています。それはこの仏閣が現在の本願寺の基となるからです。

 お墓は一般的には死者の霊安所とか、また祖先崇拝の場としてとらえられている場合が多いようですが、しかし、仏教は本来、空・無我を説く教えですから、一般的にいわれている霊の存在を否定いたします。したがってお墓は霊安所的な考え方をしないのが仏教徒の正しいあり方です。それでは何のために墓碑を建てるのかということになりますが、浄土真宗では墓碑を建てるとき、その題字に「南無阿弥陀仏」とか、また「倶会一処」という文字を刻かのが通例です。これはこの文字、つまり七名号によって示されますように、お墓はご法義相続の場であることを表わしているからです。これは「ときをもいはず、ところをもきらはず念仏申す」場として在るのです。

 ところが近年、巷ではこのお墓に関するいろいろな俗信、たとえば、墓碑建立について、その建て方・日時・方角などの良否・また墓相字といったことがよくいわれているようですが、これは真実の教えにたつとき、全く戯論といわざるを得ません。

 お墓の正面に刻まれている「南無阿弥陀仏」については前述のとおりですが、それでは「倶合一処」という文字を刻むのは、それはどのような意味があるのでしょうか。

 これは私たち浄土真宗の所依の経典である『浄土三部経』のひとつである『仏説阿弥陀経』に説かれている経文の一句であります。

  

「舎利弗、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。ゆゑはいかん。かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり。」

  

 この経文のこころは、私たちが本願力によって信心に恵まれ、浄土往生を願うと、すばらしい善き人びととともに一処に会うことができるという意味です。また、このことについて、先師は「わたくしの尊敬する人、親しい人、愛しい人びとなど、これらの
 人びとと出会い、そして再び別れることのない世界」とわかりやすく説いて下さっています。このような意味から浄土真宗では「倶合一処」の経文を墓碑の題字として用いて仏縁を深めてきました。

 妙好人・浅偉才市さんは、次のような詩を詠んでいます。

  

  わたしの名号  なむあみだぶつ
  せかいの名号  なむあみだぶつ
  浄土の名号   なむあみだぶつ
  わたしも浄土も なむあみだぶつ
  みんなひとつ  なむあみだぶつ

  

 「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」を題字にしたお墓は、これはただ単に先祖代々の納骨所ということではなくして、それは「みんなひとつ、なむあみだぶつ」と大きく開かれた世界を意味しています。

 浄土真宗のみ教えを聴聞するものは、ご本願によって、いのちあるすべてのものが、ともに教われる世界、そうして、親鸞聖人が「御同朋」といわれた「みんなひとつ」の「倶会一処」の世界に生かされる人間です。

 私たちは墓前にぬかずき、静かにお念仏させていただくとき、改めて「念仏は無碍の一道なり」ということを自覚せしめられることでありましょう。

(西脇 正文)

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