2011年表紙 遠く 宿縁を慶べ 法語カレンダー解説

本年は、親鸞聖人七百五十回大遠忌にあたります。まさしく「宿縁を慶ぶ」、尊い年を迎えました。いつも以上に、お念仏に心をかけた一年でありたいものです。

さて、「宿縁」の「宿」とは、「以前の」「以前からの」といった意味です。たとえば「宿題」とは、「以前からの課題」という意味ですね。

したがって、「宿縁」とは、今こうしてご本願に出遭うことのできた、この時点より以前すべてを含めての仏縁ということです。

み教えをよろこぶ身になれたのには、人それぞれ、様々な理由や事情があったことでしょう。浄土真宗の家庭に生まれたことで仏法を聴く身になれた人もあるでしょうし、あるいは、愛しい人やかけがえのない人との死別によって、その悲しみ自体はいつまでも変ることはないでしょうが、あとから振り返ったとき、あの人のおかげで仏さまに手を合わす身になれた、そういうご縁もあるでしょう。順縁・逆縁どちらもご縁となるのが、仏縁の尊いところです。私自身を振り返った時も、順縁・逆縁さまざまに思い当たります。

そしてさらには、自分中心の見方しかせずに、理屈ばかり言って素直に言うことを聞かない私が、今こうして、お念仏のみ教えに出遭い、ご信心よろこぶ身となれたのは、遠い遠い遥か昔から、この私に注がれた、阿弥陀さまの尊いお育てのご縁があればこそでした。

私たち一人ひとりは、みな性格も違えば、抱えてきた人生も異なります。言われたことを素直に聞く人もいれば、私のように理屈をこねて、なかなか素直に聞かない人間もいます。そのような、異なった人たちそれぞれに見合ったオーダーメイドのお救いを届けてくださるのが、阿弥陀さまのお慈悲のあり方です。

スーツを買うときも、既製服より、オーダーメイドの方がぴったり合います。この阿弥陀さまのオーダーメイドこそが「宿縁」であり、また「選択本願(せんじゃくほんがん)」でもあります。

阿弥陀さまが「選択」されたからこそ確かなのであって、私たちの「選択」は素人療法にすぎません。うっかり転んで、肩をしたたか打ったとき、肩をグルグル回してみて、これなら大丈夫だろうと思っていても、翌日になっても痛みがおさまらないので病院に行ってみると、お医者さんから「肩の骨が折れてますよ。肩を回したりしてはいけません」と叱られることになります。

こんな素人療法などではなく、阿弥陀さまの「選択」にまかせることが大切です。阿弥陀さまの「選択本願」が、私に対してはたらきかけてくださったすべての歴史の集積が「宿縁」なのであり、この如来さまのお手回しを思えば、ただただ慶ばせていただくばかりです。

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