2013年11月 忘れても 慈悲に照らされて 南無阿弥陀仏 法語カレンダー解説

hougo201311あるがまま

 

秋の深まりとともに、見事に色づいた葉っぱが自然のままにパラパラと散っていく姿は、いろんなことを問いかけ教えてくれます。

はからいを超えた自然そのものであり、あるがままのすばらしさでしょう。葉っぱも春に芽吹いて、夏には青々と繁り、そして季節とともに色を変えながら、最後は散っていくのです。私も間違いなく、いのち終わっていかなくてはならないのですが、葉っぱのようにパラパラとはいきそうもありません。握りしめて放したくないものばかりです。若さを握りしめ、健康を、家族を、財産を、地位を、名誉をというように、挙げたらきりがありません。何よりいのちそのものを握りしめているのですから。ありのままに散っていく葉っぱは、「あなたは何を握りしめているのか」と問いかけます。

 

現代の私たちの生活は、ますます窮屈で生きにくくなるばかりです。頼りになるのは自分だけだと、脇目もふらず、財や地位を手に入れようと必死で働いています。その頼りであるはずのわが身が突然の病に倒れたり、そうでなくても衰え病んでいくのです。まったくあてにならないものを頼りにし握りしめて、その挙げ句に、こんなはずではなかったと涙を流し苦悩しているのが、私たちのあり方にほかなりません。さらに悲しいことには、あてにならないとわかっていても、あてにせずにおれないのです。

 

しかし、そんな何でも私が私がと力んで、私の確かさを根拠にしようとする生き方から解放されている人がおられます。こんな私をそのまま受けとめ、何があろうともしっかりと支えずにはおかないという大いなる願いのなかに、自在に生きる道があるのだと教えてくださっているのが、妙好人(みょうこうにん)と呼ばれた人びとです。

 

 

妙好人才市さん

 

今月は、そんな妙好人としてよく知られている浅原才市(さいち)さんの言葉です。才市さんは、嘉永三(一八五〇)年に島根県温泉津町(現大田市)小浜に生まれ、若い頃は船大工として働き、五十五歳の頃から下駄職人として生計をたてていました。若い頃から聴聞を重ねたようで、南無阿弥陀仏のこころをどこまでも聞きぬいたに違いありません。六十四歳の頃から、ご法義の味わいを自ら「口あい」と呼ぶ歌にして、ノートに書き残し始めています。下駄作りのかたわら、心に浮かんだことを仕事中はかんな屑などに書き留め、夜になってからノートに書き写したものです。そして、昭和七(一九三二)年に八十三歳で浄土往生を遂げるまでの約二十年間に、いまわかっているものだけで、六千首もの法悦(ほうえつ)の歌を残しています。

 

これら才市さんの多くの歌に満ちあふれているのは、「南無阿弥陀仏」にほかなりません。その歌のほとんどは、「南無阿弥陀仏」か「ご恩うれしや 南無阿弥陀仏」で結ばれています。それは、才市さんが称えるよろこびあふれるお念仏であることは言うまでもありませんが、南無阿弥陀仏そのものが才市さんの上にいきいきとはたらいている躍動感あふれる姿と言えるでしょう。

 

才市さんは、いま現にこのわが身に届いてはたらきつつあるもの、わが身を揺り動かし目覚めしめつつあるものを、南無阿弥陀仏といただいたのです。それは私からのアプローチではなく、徹底して仏さまの側からのはたらきかけです。私が理解したから、私がつかんでいるから、私が思っているから、ということではありません。それはみな私が前提となっています。いつの間にか、私を確かなものとしているのです。

 

才市さんは、南無阿弥陀仏の確かさを聞きぬきました。私が理解したから間違いがないと、私を確かさの根拠にするのではなく、不確かな私を救わずにおれないという南無阿弥陀仏の救いにおまかせしたのです。

 

才市さんの数多い「口あい」のなかから、少しその味わいをうかがってみましょう。

 

あなた わかしを どうしてすくう
わたしゃ ひとつも 合点がいらぬ
合点がいらずば その機のままよ
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏

『ご恩うれしゃ』二二頁)

 

阿弥陀さまを「あなた」と呼んで、二人だけの対話を楽しんでいるような歌です。

 

こんな私をどのようにして救うのか、私の理屈で理解したから救われるとか、救われないとか、そんな私の理解(合点)などとっくに超えているのが、この南無阿弥陀仏の救いです。どこまでもあてにならない、わが身やわが心を当てにして苦悩している私(その機)を、そのまま救うというお慈悲がありがたくて、よろこばずにおれないのです。

 

忘れても

 

あらためて今月の言葉である才市さんの歌をみてみましょう。

 

忘れても 慈悲に照らされ 南無阿弥陀仏

 

私が阿弥陀さまのお慈悲を思っている時間など、たかが知れています。思い起こすどころか、忘れっぱなしです。思い出しても、すぐに忘れてしまいます。私はいつでも煩悩の虜になって、欲にまみれ、腹立ち、自分中心の愚かさで一杯です。恥ずかしいけれど、私から出てくるのはこれしかありません。阿弥陀さまが先にはたらきだして、こんな私が照らし出され、教えられて、私が忘れても、忘れられないとはたらき続ける親さまがすでに私の声となって、南無阿弥陀仏と名告(なの)りをあげていてくだざるのです。

 

この才市さんの心を、もう少しつぶさにうたった歌があります。

 

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
忘れて暮らす わたくしに
南無阿弥陀仏が さきにでて
思い出すのは いつでもあとよ
わたしゃつまらん(だめだ) あとばかり
わしのこころが さきならだめよ
おやのお慈悲が さきにある
おやのお慈悲は さきばかり
わしの返事は あとばかり
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏

(『ご恩うれしや』一五九頁)

 

いつも先に出てくださるお念仏。自分のことで精一杯、自分の都合ばかりで、右往左往している私を揺り動かし、呼び覚ましてくださるお念仏。どこまでも、この私を照らして止まないはたらきなのです。そのはたらきが私の声となり、響きとなっているのがお念仏ですから、才市さんは私が称えるのではないと歌っています。

 

名号(を) わしが称えるじゃない
わしにひびいて 南無阿弥陀仏

(『同』一五一頁)

 

それは、私の全身に満ち満ちていてくださるはたらきですから、仏さまが称えてくださるお念仏だとよろこんでいます。あるいは、この私が仏さまに拝まれていることがお念仏であると、受けとめているのです。

 

さいちがほとけを 拝むじゃない
さいちがばとけに 拝まれること
南無阿弥陀仏

(『同』六〇頁)

 

 

摂取不捨のはたらき

 

いつも仏さまのはたらきが先にあります。その仏さまのはたらきであるお慈悲のなかにあることの実感を歌ったものがあります。

 

如来さん あなたのお慈悲は
摂取不捨の お慈悲でありまするな
ありがたいな
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(『ご恩うれしや』 二六六頁)

 

ここでは、お慈悲につつまれていることを、こんな私を摂めとって捨てないという、はたらきのなかに生かされているという実感をもって、そのよろこびで表しています。阿弥陀仏とは、そういうはたらきそのものなのです。

 

親鸞聖人は、ご和讃の左訓に「摂取」ということをわかりやすく説明して、

 

摂(おさ)めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂(せつ)はものの逃ぐるを追はへとるなり。
摂はをさめとる、取は迎へとる

(『註釈版聖典』五七一~五七二百・脚註)

 

と示されています。

 

阿弥陀さまのお慈悲は、いかなるものでもすべて拒まず受け入れるために、じっと待っているというような受け身ではなく、どこまでも追いかけてつかまえるという、じっとしておれない積極的な能動態のはたらきであると言えるでしょう。

 

捨てないとは、本当にそのものを生かそうとする積極的な意味があります。私が私のまま生き抜いていくことのできる道が開かれていることです。

 

念仏は
さいちが ほとけに とられた
ぶつの念仏
南無阿弥陀仏

(『ご恩うれしや』 一六○頁)

 

「仏にとられた」とは、南無阿弥陀仏が私にはいり込んできたのです。気づいてみれば、摂取不捨のお慈悲のはたらきの真っただ中にあったのです。私たちは、そのはたらきのなかにありながら気づくことなく、相変わらず、私が私がと、私からのアプローチに終始しているのです。「わしの心が先ならだめよ」と、才市さんは教えています。不確かな私の心を、そして私の身体をあてにして苦しんでいる私の姿に気づかせてくださるのです。

 

わたしや こまったことがある
どこをむいても 向き場がないよ
あしをぬべて すまんことであります

(『ご恩うれしや』六〇頁)

 

才市さんの姿が思い浮かぶようです。どこにいても、どこを向いても、如来さんのはたらきのなか、もうすでにここにきてくださっているのです。

 

如来さんは
ひとつも 寝やしなさらんがの
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏

(『同』六一頁)

 

こっちが忘れても、こっちが寝ていても、忘れられない、寝てはおれないはたらきどおしのお慈悲のただ中にいるのです。才市さんが出遇った「如来さんのお慈悲」に、私たちも出遇わせていただきたいものです。

 

(才市さんの歌で、一部平仮名は漢字に書き改めております)

(後藤明信)

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