2014年10月 ただ念仏せよ 念仏せよ 大悲回向の 南無阿弥陀仏 法語カレンダー解説

201410一人がためなりけり

 

この言葉は、梅原真隆(うめはらしんりゅう)和上の歌集『雑華雲』に収められた一首です。梅原和上は、明治、大正、昭和の中期を生き抜かれた偉大な真宗学者でありました。また、歌人でもあり、『雑華雲』『薺(なずな)の花』などに格調高い法悦の歌を数多く遺されています。

 

梅原和上といえば、霊山勝海(よしやましょうかい)和上が以前紹介してくださった話で、私の脳裏に焼きついているエピソードが思い出されます。兵庫県の芦屋市に「芦屋仏教会館」という聞法の道場がありますが、これを建てたのは丸紅商社の創始者である初代、伊藤長兵衛さんであります。伊藤長兵衛さんが芦屋に住むようにかって、ふと気がついたことには、「この芦屋にはお寺がない、お聴聞する場所がない」ということでありました。「仏にお礼することも知らん、聞法することも知らん、何というけったいな所じゃ、こんなところで人が育つのかいな、そうだ、ここにお寺を建ててみんなに聴聞してもらおう」そう考えた伊藤長兵衛さんは早速計画を立て、尊敬する梅原先生に相談に出向きました。ところが、その計画をじっと聞いておられた梅原先生は開口一番「伊藤さん、あなたはよいことをしようと思っておられるかもしれませんが、私は賛成できませんよ」の一言。「なぜですか」と普通ならば聞くところでしょうが、伊藤長兵衛さんは聞きません、梅原先生もまた、何でいけないのか、その理由をおっしゃいません。二人はそのまま別れるのです。

 

この時、伊藤長兵衛さんは七十歳くらいで、梅原和上は当時、龍谷大学の教授で四十歳そこそこです。親子ほども歳が違い、金を持っているのは伊藤長兵衛さんで、反対するのは梅原先生。伊藤長兵衛さんは、梅原先生ほどのお方が反対なさるのだから何か深いわけがあるに違いないと、そのことをのみ朝な夕な、寝ても覚めても働いている時もこのことが頭を離れませんでした。ところが、ある日ハッと気がつきました。取るものもとりあえず、当時、京都の東山に住んでおられた梅原先生の所へかけつけました。

 

「先生、この間の計画は全部ご破算にしました。しかし、今日は新しい計画を持ってきましたので相談にのってください」

 

そして、次のように言われたのです。

 

「新しい計画といいますのは、やはり、この芦屋に浄土真宗のお寺を建てたいのです。が、今度建てるお寺は、芦屋の人たちに聞法してもらうためではなく、この私がお聴聞するお寺が芦屋にありませんから、芦屋に聞法の道場を建てて、日曜ごとに聴聞させてもらおうと思います」

 

と言いましたら、梅原和上が身を乗り出して、

 

「伊藤さん、その言葉を今日まで待っていました」と。

 

そうして出来上がったのが芦屋仏教会館である、そして、法座のたびに席の最前列で熱心にお聴聞なさる伊藤長兵衛さんの姿があったということです。

 

弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなりけり。

(『註釈版聖典』八五三頁)

 

と、親鸞聖人が味わわれたように、「今日のご縁は我一人のためと思うべし」という姿勢、これを崩しては浄土真宗の聴聞は成立しませんよ、との梅原和上のご教化が偲ばれます。

 

お説教のあとで「ああ今日の話はうちの嫁に聞かせたかった」とか「お念仏のおみのりを次の世代に伝えるにはどうしたらよいか」と言われる人がいますが、仏教は、自分をさておいて他人に聞かせるハナシではありません。問題なのはこの私。

 

この私(罪悪生死の凡夫)をどうやって救おうかとのご苦労が、阿弥陀さまの五劫思惟でありました。

 

 

ただ念仏せよ

 

実はこの歌にはもう一つ「念仏せよ」が冒頭にありまして、

 

念仏せよただ念仏せよ念仏せよ

大悲回向の南無阿弥陀仏

 

が、本来の歌の全容です。「念仏せよ」が三度も繰り返されてあります。しかも、ただ念仏せよとは、ただこのことひとつ、お念仏よりほかに私の救われていく道はないよ、という意味合いです。

 

普通一般的に宗教と言えば、こちらから神さまや仏さまにお願いして助けてもらうことだと思われています。ナモアミダブツを祈りの言葉のように誤解している方が多いのです。ところが、浄土真宗のお救いは、阿弥陀さまからの一方的なお救いです。私の思いや計らいには一切用事がなく、すべてが阿弥陀さまの他力(一人ばたらき)で救われていきます。何故か。そうでなければ救われようのない私の姿がそこにあるからです。

 

人の悪口、己の自慢は大得意。うわべの顔と、腹の中とは大違い。人を傷つけ、いいじゃ悪いじゃ、好きじゃ嫌いじゃ、損じゃ得じゃと、心は常に自己中心。どこにそんな人がいるのかとキョロキョロ探す必要はありません。それはまさしくこの私の姿。

 

私たちは、よく「正直にいいなさい」と子どもを責めますが、大人の世界がどれほど正直でしょう。少しわが身のことを振り返ってみるだけでも、自己弁護のウソを積み重ねている自分を発見します。心の中を映すレントゲンでも発明されたら、たまったものではありません。

 

また、動植物の命をいただかねば生きていけないという事実。害虫という名のもとに蚊をたたき、ゴキブリを退治し、豚や牛や魚を食材として食べる。生きていくという、そのこと自体が罪つくりの日暮らしにほかなりません。親鸞聖人は一生涯「恥づべし傷むべし」(『註釈版聖典』二六六頁)と、深くご白身を見つめられました。

 

また、『一念多念文意』には、

 

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらはれたり

(『註釈版聖典』六九三頁)

 

と、悲嘆なさいました。

 

このような私の姿を、阿弥陀さまは、煩悩成就、煩悩具足と見込まれました。そして、諸仏にすでに見離されたこのような者をどうしたら救うことができるかと立ちあがってくださったのです。あるお同行の言葉に、

 

如来さまは タマ杓子

同行衆は  イモ団子

救おうと思や 落ちる

救おうと思や 落ちる

ドギャーすかしらん

 

と、ありますように五劫という長い長い間思惟し、阿弥陀さまは「ナンマンダブツ」と言葉となり声となってこの口に称えられ、耳に聞こえる姿となって私のところに届いてくださいました。

 

「もうお前を救う仏は届いているよ。もうお前の親がここにおるよ」と私の口から名告(なの)り出てくださっている、それが私の「ナモアミダブツ」 です。そして、このお念仏こそが凡夫(この私)の救われていくたったひとつの道であるとしめされました。

 

生まれたばかりの仔猫を親猫が運ぶとき、仔猫の首のところを親猫が口にくわえて運びます。猿の赤ちゃんは母猿にしがみついたりぶら下がったりしています。しかし、仔猫はすっかり全身を親猫に預け、まかせきって、しがみつく力もぶらさがる力もいりません。〈仔猫が私で、母猫が阿弥陀さま〉私が救われていくに必要なすべてを弥陀の名号「ナモアミダブツ」に込めて、私に届いてくださっています。私がお念仏申す時、私に念仏させようとする阿弥陀さまのお手まわしが、すでにあったのです。この如来さまのおはたらきを、本願力回向(ほんがんりきえこう)とも大悲回向(だいひえこう)とも申します。
世にこれほどのお慈悲があるでしょうか。

 

 

嬉しいときも悲しいときも

 

阿弥陀さまの大悲心が私の胸に宿ったら、「ようこそ阿弥陀さま」と、お礼を申さずにはおれません。 その報恩の思いがまた、ご報謝の念仏となって出てくださいます。

 

南無阿弥陀仏に 味ふたつ

親の喚ぶ声

子の慕う声

 

念仏申すということは、「安心せよ、引き受けたぞ」とおっしゃる阿弥陀さまのお喚び声であるとともに、「ようこそ阿弥陀さま」と、私の頭が下がり切った相でもあります。

 

うれしいときもナンマンダブツ。悲しい時もナンマンダブツ。腹が立った時も何でもない時もナンマンダブツと、□からお念仏が出てくださる。いつでもどこでも浄土真宗の門徒はお念仏を申す日暮らしです。弥陀の救いは、煩悩成就の私を離れてはありません。今、ここに、すなわち私のいるところが、如来のはたらき場所です。ですから、何も仏前に座っている時だけとは限りません。道を歩いてナンマンダブツ。掃除をしながらナンマンダブツ。風呂の中でもナンマンダブツ。無理に合掌せずともよいのです。ねてもさめても、寝言にまでナンマンダブツと顕われてくださる阿弥陀さまです。

 

その仏さまのお誓いは、聞いて来いではありません。称えて来いでもありません。

 

「聞こえる仏となって救うぞ」、「称えられる仏となって救うぞ」と、全てが仏の手元で仕上げられて凡夫のところに出かけていって、抱いてかかえてはたらく「ナモアミダブツ」とナってくださいました。

 

ところで、また私には、喉頭ガンで声を失われた故・高千穂徹乗(たかちほてつじょう)和上の一文が、ズシリと心に響いてまいります。

 

「愚痴になるかも知れないが、声の出ないことは本当に寂しいものであります。時にはなんとかして一回声がでないものだろうかとさえ思う。(中略)どうか立派な声をもっておられる人々よ、その立派な声を、あまり他人の悪□をいうときに使わずに、お念仏を称える時にこそ使ってください。声なき私の切なる願いであります」と。

 

念仏せよ ただ念仏せよ 念仏せよ
大悲回向の 南無阿弥陀仏

 

弥陀大悲に生かされ、ご報謝に生き抜かれた梅原和上の、ご生涯の結論ともいうべき歌であろうかと深く味わわせていただきます。

(稲田静真)

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