2014年3月 帰ってゆくべき世界は 今遇う光によって 知らされる 法語カレンダー解説

201403彼岸にあたって

 

三月は春彼岸の季節です。彼岸とは、「彼方の岸」という意味で、こちら側の、私どもの迷いの世界を「此岸(しがん)」というのに対して、苦悩の海を隔てた「悟りの岸」を彼岸といい、涅槃界を意味しています。

 

もともと、迷いの世界のあらゆる生きとし生けるものを救おうとして修行される大乗の菩薩たちの実践道が「波羅蜜」(パーラミター)と呼ばれます。それが「悟りを完成する」、すなわち「悟りの岸に到る」実践道で、「到彼岸」とも訳されます。
これを略して「彼岸」といわれるようになりました。したがって「彼岸」とは、本来「悟りに至る〔菩薩の〕修行」といえます。

 

その彼岸の法要「彼岸会」が春分、秋分を中心に前後七日間行われるようになったのは、『観無量寿経』に、阿弥陀さまを深い瞑想の中で観じ取る「観想」が説かれ、その第一に「日想観(にっそうかん)」が説かれていることによっているようです。

 

すなわち、善導大師が説かれるように、阿弥陀さまを観想してそのはたらきに出遇い、悟りに到ろうとするのに、まず「私どもに受け止められるよう、悟りの世界を西方浄土と方位を示して、お浄土と阿弥陀仏のすがたを立てられた」(指方立相(しほうりっそう)といわれます)とされて、その阿弥陀仏と阿弥陀仏の世界を観想する道が説かれます。

 

その第一が日想観です。阿弥陀仏の世界「浄土」を観ずるのに、西に沈みつつある赤々と照り輝く夕陽を観ずる、眼を閉じてもありありと夕陽が見られるように観想する。そこに西方十万億の世界を超えたところのお浄土のすがたをいただくというわけです。そして、もっとも適切な「日想観」は、真東から日が昇り真西に沈む、その夕陽を観想するとされ、春分、秋分の日が特別な「観想」のときとされるのです。

 

これがお彼岸の日となり、その前後七日間にお彼岸の法要「彼岸会」が執り行われるようになったようです。西に沈みつつある夕陽を拝してお浄土に、そして阿弥陀さまに心を馳せる、ということで、たとえば大阪の四天王寺では、古くからお彼岸に多くの参拝者が参詣し、夕陽を拝されたと聞きます。

 

夕陽を拝して阿弥陀さまの光明に抱かれていることを感ずるところに、夕陽を拝する意味があるといえるでしょうが、さらに、夕陽がなくても、お念仏の中に阿弥陀さまの智慧と慈悲のはたらき、その光明に抱かれていることを気づかされていくことになるでしょう。今月のことばの「今遇う光によって」とは、この阿弥陀さまの無量なる光明に出遇うということで、阿弥陀さまのご本願のはたらきに出遇い、慶びと報謝のお念仏が口元で出てくるとき、「帰るべき世界」であるお浄上が知らされるということになります。

 

 

光明に照らされて

 

この法語に関連して、ヨーロッパの篤信の念仏者の一人をご紹介しましょう。それは、ベルギーのアントワープに慈光寺を開かれたアドリアン・ペル(一九二七―ニOO九)というお方です。ペル師は、十七歳ころから仏教に惹かれて、まずは上座部系の仏教(初期仏教)からですが、仏教を学ぶようになったとのことです。学生時代には宗教学を学ばれ、特に東洋思想に惹かれて道教の研究をされていたようですが、その中で仏教もしだいに大乗仏教―般若経や華厳思想など―を学ぶようになっていったとのことです。そんなとき、英国・ロンドンのジャック・オースチン師と文通されるようになった。オースチン師は、その数年前にすでに仏教とりわけ『歎異抄』に出遇い、他力のみ教えに傾倒されでいたのでした。

 

そして、オースチン師がアントワープを訪ねて仏教談義をされたときのことです。
まだ「他力」に徹しきることができないでいるペル師に、大乗仏教の究極としての「他力回向」を語り掛けるオースチン師、そのお二人は、夜を徹して仏教について、そして他力について、議論し合ったとのことでした。そして東の空が白むころ、疲れ果てて寝てしまったオースチン師のそばで、ペル師は朝陽がほのかに射しこむ中で、「〔如来の〕光明に照らされている」という感慨を覚えた、とのことでした。如来の大慈悲に照らされているのだ、と観じ取られたということでしょう。人間性、理性を中心とするヨーロッパの思想文化の伝統の中にあって、まれな不思議なことですが、如来の大智・大悲のはたらき、無量の光明に出遇い、他力の教えに遇われた、といえるだろうと思われます。

 

 

大悲ものうきことなく

 

ヨーロッパの篤信の念仏者をもう一人ご紹介しましょう。スイスのジュネーブに信楽寺を開かれたジャン・エラクル(一九三〇―二〇○五)というお方です。敬虔々クリスチャンの家庭に育ち、若くして司祭にまでなっていたエラクル師ですが、修道院での「黙想」の生活を好んでおられたとのことで、次第に東洋思想(インド)の神秘主義に、そして仏教に惹かれて、本格的に仏教を学ばれる、それも、法華経や華厳経などを漢訳経典で学ぶほどになられたのでした。しかし、華厳や天台などは自らの努力では不可能な道であることに気づかされて、先人の導きにも出遇って『歎異抄』などを通して真宗に帰依するに到られたのでした。そして、一九七〇年にはジュネーブで「真宗協会」を設立されるに到り、のちに信楽寺を開くことになります。「黙想」や瞑想を好んでおられたことからもうかがえるように、師は勤行を大事にされて朝夕のお勤めには「正信偶」を日本式の勤行で丁寧にお勤めされます。

 

そのお勤めについて、このような感慨を述べられています。いつも、「正信掲」をお勤めしますと、

 

極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
のところに来ると、胸が詰まり感激のあまり涙が出るのです……。

 

と言われるのです。この四句は、「正信偈」の中の、源信和尚の教えを述べられる最後の偶文で、

 

極重の悪人はただ仏を称すべし。われまたかの摂取のかかにあれども、 煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。

(『註釈版聖典二○七頁』)

 

「きわめて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、煩悩がわたしの眼をさえぎって、見たてまつることができない。しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる」と述べられた。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』一五一百頁)

 

と詠われています。エラクル師は、「これは、私のために説かれているおことばだ。罪の重い、煩悩に支配された愚かなこの私に、自分の眼では見たてまつることができないでいるのに、阿弥陀如来のはたらき、慈悲の光明は、飽くことなく常に照らしていてくがさるとは……といただかれて、感涙するのだ」といわれるのです。
大悲の光明に出遇っておられる姿が、ここにあるといえるでしょう

(佐々木惠精)

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