「暑さも寒さも、彼岸まで」ということばを、みなさんは聞いたことがあるかなあ。
どんなにキビシイ寒さであっても、また、いく日も続いたウダルような暑さも、お彼岸のころになると、すごしやすくなるという意味のことばなんだよ。
ところで、お彼岸には、家族そろってお墓参りにでかけ、掃除・草取りをして、お花やお香をあげたことが、何度かあると思います。 どうしてお彼岸になると、決まってお墓参りをするのでしょうか。 死んだ人に会えるからでしょうか。
“彼岸”というのは、阿弥陀さまの世界・お浄上の世界をあらわしたことばです。
私たちのいる迷いの世界である”此岸”に対することばです。此岸にいる私たちは、いつでも自分を中心にして生きています。このことは、お年寄りから赤ちゃんまで、みんな同じです。
ちよっと考えてみようか。 私の家族・私の学校・私の机・私の・・というように、いつでも「私」がついてまわり、私が中心でなければがまんできないのが、私たちです。
そんな私たちですが、それぞれ”私の都合”のいいようにしか、物ごとを見ることができませんし、考えることもできません。正しく見ることができずに、計算ちがいがおこり、悩み、苦しむのが私たちです。
そんな私たちに、彼岸のお浄土から、この私の口からお念仏となて、「気づいておくれよ。はやく目を覚ましておくれよ」と、阿弥陀さまは、よびかけてはたらいてくだ下さっているのです。
ちょうど、こわい夢を見てうなされているときに、肩に手をかけ、ゆり勤かし、声をかけて目をさまさせて、恐ろしい思いから解放して下さるように、あなたを温かくがきとって、一人ぼっちではないのですよと、よびかけて下さっているのです。
そして、「この阿弥陀さまに出遇っておくれよ。この阿弥陀さまのおよび声に、耳をかたむけておくれよ」と、願っていて下さるのが、私たちのことを人切にしてくれて、亡くなって往かれた人たちです。
お墓参りをして、亡くなって往かれた人の前で、お念仏をとなえ、手を合わせている姿を見ていただくことが、何よりも亡くなった人に喜んでいただけることなのです。
だから、この私が、お念仏のみ教えに会うことが、何よりも人切なことなんです。