和讃を味わうご縁に
二〇一七(平成二十九)年の法語カレンダーでは、ご和讃をともに味わうご縁とさせていただくこととなりました。
「和讃」とは和語による仏教讃歌ということで、平安時代の中頃から作られるようになりました。今様歌(いまよううた)の形式で、口ずさみやすい七・五調の歌謡によって、仏法を、また祖師がたの偉業を讃える詩歌として、民衆にも親しまれるようになっていったものと見られます。七・五を一句として、五句、七句、十句、あるいは数十句で一首とする「和讃」が盛んに作られたとのことですが、平安時代のものでは、例えば、比叡珀・天台の祖師で、親鸞聖人が浄土真宗の第六祖と仰がれる、源信和尚(げんしんかしょう)が作られた『極楽六時讃』があります。これは、七・五の句が八百七十句余りからなる長編の和讃で、極楽に往生した人が浄土を直接見聞するというかたちで、お浄土が讃嘆されています。
鎌倉期に入ってからは親鸞聖人が多くの和讃を作られましたが、そのご和讃は、七・五を一句として四部を一首とする形式で、その内容はそれぞれの和讃一首ごとに完結していました。口ずさみやすい和讃一首一首に浄土真宗の奥義を味わうことができ、しかも、仏法の奥義(おうぎ)を、また祖師がたのご教示を詠(うた)い讃嘆されて、報謝の心を示されているところに、大きな特徴があります。
主なご和讃として、浄土真宗のみ教えに基づいて阿弥陀さまとお浄土を讃えられる『浄土和讃』、七高僧のお導きとお徳を讃える『高僧和讃』、末法の世にある凡夫が救われるみ教えを讃える『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』の三帖(さんじょう)が、三帖和讃」としてまとめられ、聖人の教えを受ける御同朋御同行(おんどうぼうおんどうぎょう)によって常々詠われています。その他の和讃を含めて、聖人は五百首以上の和讃を作られており、そのおかげによって私どもはご法義を味わい、その法味(ほうみ)を楽しむことができることになったといえるでしょう。
また、親鸞聖人の畢生(ひっせい)の大著は、漢文体で論述された大論書『顕浄土真実教行証文類(げんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』(『教行信証』などと通称します)で、ここに浄土真宗の法義が示され、そしてまた報謝の心が披渥(ひれき)されていますが、聖人ご制作のご和讃も、『教行信証』と同じように真宗の法義のかなめが詠われ、報謝の心が詠われているため、「和語の教行信証」といわれます。日頃から、その格調高く優雅なご和讃を味わうことで仏法に出遇(であ)い、阿弥陀さまのお慈悲をいただくことができることから、このようにいかれているのです。
『高僧和讃』「善導讃」
それでは、法語カレンダーの月々のことばを通して、ご和讃を味わわせていただきましょう。
仏恩ふかくおもひつつ
つねに弥陀を念ずべし (『註釈版聖典』五九三頁)
表紙にあげるご和讃の言葉ですが、これは『高僧和讃』の中の善導大師を讃える和讃「善導讃」の第二十五首(『高僧和讃』全体通しては第八十六首)の後半(第三・四句)になります。『三帖和讃(現代語版)』には、
仏(ほとけ)のご恩を深く思い、常に阿弥陀仏の名号を称えるがよい。 二一五頁)
とあります。
この和讃の前半二句に、
弘誓(くげい)のちからをかぶらずは
いづれのときにか娑婆(しゃば)をいでん (『註釈版聖典』五九三頁)
(阿弥陀仏の本願のはたらきを受けなければ、はたしていつ娑婆世界を出ることができるであろう。三帖和讃(現代語版)』 一一五頁)
と詠われるのに続くもので、「阿弥陀さまの本願のはたらきにいだかれているご恩を深く受け止め、お念仏させていただかなくては」という、報謝の心が示されているといただくことができるでしょう。
娑婆とは
前半二句の中の「娑婆(しゃば)」とは、元は梵語(ぼんご)のサパー(saha)の音写語で、「忍(にん)・堪(かん)忍(にん)」などと訳されます。現代語としては一般に、不自由な施設から外の自由な世界を指して「娑婆」といい、軍隊の兵役なとがら解放されて自由の身となることを、俗に「娑婆に出る」などといいます。しかし、本来の仏教語としては「堪え忍ぶ」という意味の言葉で、この世の生きとし生けるもの(衆生)は自分の欲望が満たされず怒りや争いに振り回される、いわゆる煩悩の苦悩を堪え忍ばなければならないという意味で、この苦悩の世界、堪忍しなければならない世界を「娑婆」とか、「娑婆世界」「堪忍土」などといいます。
このご和讃では、その前半に、
阿弥陀仏の本願のおはたらきをお受けしなかったら、欲望や怒りの渦巻く煩悩に振り回されている娑婆世界(苦悩の世界)を、果たしていつ出られるだろうか。とても出られるものではない。
と詠われ、その後半に、
〔阿弥陀仏のご本願のはたらきに抱かれているからこそ、この娑婆を出ることができる。〕その仏のはたらきのご恩を深く思わせていただき、常に阿弥陀さまのみ名をお称えしなくては。
というように、本願のはたらきをいただいていることへの報謝の心が詠われているといただくことができます。
善導大師のお心
このご和讃は、前述の通り、『高僧和讃』の中の「善導讃(ぜんどうさん)」全二十六首の結びに当たる二首うちの第一首であり、善導大師(だいし)のお言葉に基づいて詠われています。善導大師のご著書『般舟讃(はんじゅさん)』は、浄土を願生する信心の人として阿弥陀さまのお徳を讃嘆する一大詩篇ですが、その中に次のような一節があり、それを親鸞聖人は『教行信証』の「信文類(しんもんるい)」に引用されています。そこには、
今より仏果に至るまで、長劫に仏を讃めて慈恩を報ぜん。弥陀の弘誓の力を蒙らずは、いづれの時いずれの劫にか娑婆を出でんと。
(『註釈版聖典』二六〇頁)
(これからさとりを開くまで、長く仏の徳をとだえて、大いなる慈悲の恩に報いていこう。阿弥陀仏の本願のはたらきを受けることがなかったなら、はたしていつ迷いの世界を出ることができようか。『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』二五〇頁)
とあり、その内容は、
阿弥陀仏の本願のはたらきを受けなかったならば、いつになったらこの苦悩する迷いの世界を出ることができるだろうか。〔本願のはたらきに出遇わせていただいているから、この迷界を出離する身となっているのである。〕 その阿弥陀仏のご恩を讃え、その大慈悲のはたらきにご恩報謝していこう。
と詠われているといただくことができるでしょう。この阿弥陀さまのはたらきに対するご恩報謝の心が、まさにこの和讃に詠われているのです。
冠頭のご和讃から
さらに、『浄土和讃』の冒頭には、一般に「冠頭讃」と呼ばれる二首が置かれていますが、このご和讃は「三帖和讃」全体のかなめを示す、まさに「冠頭」のお言葉であるといえるでしょう。
その第一首には、
陀の名号となへつつ
半心まことにうるひとは
憶念の心つねにして
仏恩報ずるおもひあり 三註釈叛聖典(一五五五頁)
真実の信心を得て阿弥陀仏の名号を称える身となった人は、常に本願を心に思いおこし、仏のご恩に報いようとするのである。三帖和讃(現代語版)』三頁)
と詠われます。
親鸞聖人は、比叡山で修行に修行を垂れながらも、さとり(正覚)への道を得ることができず、苦悶された末に恩師法然聖人を訪ねられました。そして法然聖人より「ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべし」(『歎異抄』『註釈版聖典』啓二二頁)という教えをいただかれ、「弥陀の本願を信じ、そのおはたらきにお任せして浄土往生の身とさせていただく、そのご恩報謝の念仏をさせていただくばかりである」と、念仏の道を一筋に歩まれることになりました。
この冠頭のご和讃は、まさに「真実信心の人」であり「念仏の行人」であるものの、あるべき姿を詠われていると、いただくことができるでしょう。
表紙に挙げるご和讃のことばもまた、この冠頭のご和讃と同じように、仏恩報謝に生きる念仏者の姿をお示しくださっていると、うかがうことができるでしょう。
親鸞聖人にお出遇いし、念仏の道を歩むものとして、まさに仏恩報謝に生かさせていただかなくては、と想うところです。
(佐々木恵精)