妙好人
「妙好人(みょうこうにん)」とは、お念仏をいただいた篤信の念仏者を讃える称讃の言葉として用いられます。もともとは、善導大師(ぜんどうだいし)が用いられたのが最初でした。『仏説観無量寿経』に、釈尊が篤信の念仏者を讃えて、
もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中(にんちゅう)の分陀利華(ぶんだりけ)なり。
(『註釈版聖典』一一七頁)
と説かれています。分陀利華(芬陀利華とも表記されます)とは、泥田にありながら清浄な華を咲かせる白蓮華(びゃくれんげ)のことです。これを善導大師は註釈されて、経に分陀利華と讃えられたことは、
すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人(じょうじょうにん)なり、人中の希有人(けうにん)なり、人中の最勝人(さいしょうにん)なり。
(『観経疏』「散善義」『註釈版聖典(七祖篇)』四九九~五〇〇頁)
と言われ、言葉を尽くして念仏者を称讃されました。
特に、「妙好人」という言葉をもって篤信の念仏者を表すようになったのは、江戸時代の真宗学者・実成院仰誓(じつじょういんごうぜい)師からで、その後、次第に一般に使用されるようになり、今や海外でも「Myokonin」で通用するようになっています。
源左さんの苦悶
一月の法語は、その妙好人の一人として讃えられる足利源左(あしかがげんざ)さんの言葉から選ばれました。
源左さんは、本名を足利喜三郎と言いますが、一般に源左衛門と言い、略して「源左」で通っておりました。鳥取県の浜村温泉に近い気多郡(けたぐん)山根村の生まれで、根っからのお百姓さんでした。頑強な体格で気性も荒く、喧嘩や賭博もした青年期であったようですが、勤労には精を出し、分け隔てなく人びとの難儀を助ける性格だったとのことです。
源左さんが聞法を始めたきっかけは、十八歳の時に、父親が当時流行していたコレラにかかり急死して、動転したことでした。父親がわずか半日のわずらいで亡くなるのですが、その直前に、「おらが死んで淋しけりゃ、親をさがして親にすがれ」と言い残した遺言が心にとどまり、死とは何か、親さまとは何かを考える毎日でした。そして、願正寺を訪ねて住職の芳瑞(ほうずい)師の導きを受けて、聞法生活を始めたのでした。
さらに、二十一歳で結婚して、五人の子どもを授かりますが、いずれも死別するという、世の無常をつくづく思わされて、近隣の法座に出向き、本願寺にも足を運んで求道し続けます。しかし、死について、親さまについて、わからない苦悶の日々が続いていました。
ふいっとわからしてもらったいな
三十歳を過ぎたある夏の朝、「ふいっとわからしてもらったいな」と、源左さんが語る出来事が起こります。
源左さんは、いつものようにまだ夜の明けやらぬうちに、牛を連れて、裏山の城谷(じょうだん)へ草刈りに行きました。朝日が昇る頃、刈り取った草を幾つかに束ねて牛の背に担がせ、帰ろうとする時に、全部乗せては牛が辛かろうというので、一把(わ)だけ、自分が背負って帰ろうとしました。
ところが、疲れていたのでしょうか、急に腹が痛くなってどうにもならないので、背負っていた草の束を、牛の背に負わせました。自分はスーツと楽になった、その瞬間に心が開けたのです。
ふいっと分らしてもらったいな。
(柳宗悦・衣笠一省編『妙好人 因幡(いなば)の源左』三頁)
と、源左さんは後々までこのように語っております。「おれが背負っていかねば」と、気張っていた草の束を、牛の背にまかせたとたんに、手ぶらとなった自分は、ウソのように楽になった。その時、わたしのこの生と死のすべてをしっかりと支えて、「お前の生死はすべてこの親が引き受けたぞ」と喚び続けていてくださる阿弥陀さまがましますことを、全身で「ふいっと」気づかせてもらった、というのです。
その後は、「デン(牛)がおらの善知識だあ」とよろこび、なおいっそう牛を大事にしています。自分には(人間には)背負いきれない深重なる罪業を、阿弥陀さまがすでに背負ってくださっていた、その他力のご恩に気づかされたということができるでしょう。
おらなあ、親さんが、源左助けるって云はれっだけえ、ようこそゝよりほかにゃないだいなあ
(『同』九九頁)
ようこそゝ、なんまんだぶゝ
(『同』四頁)
このように、口癖のように語り、多くの人びとにお念仏のよろこびを伝えたのでした。
とにかく お慈悲は ぬくいでなあ
(『山陰 妙好人のことば』二三頁)
これが一月の法語です。ここに、源左さんが、苦しい、悲惨な人生を味わいながらも、大慈悲の温もりのなかにあることをしみじみと語られた言葉と、いただくことができるでしょう。
よろこびと安堵の言葉
『仏説観無量寿経』に「仏心(ぶっしん)とは大慈悲(だいじひ)これなり」(『註釈版聖典』一〇二頁)とあります。阿弥陀さまは、煩悩や苦悩、悲嘆のただなかにある私たちのあるがままの姿を見通し、常にはたらきかけて、摂取不捨されています。どのようなことがあっても、とらえて離すことなく見捨てることがない、如来の大慈悲です。そこに、言い知れぬ「温もり」を味わうのです。源左さんが、如来の大慈悲をひしひしと感じている、その心が深く味わわれます。
親鸞聖人は、『教行信証』行文類に、
大悲(だいひ)の願船(がんせん)に乗(じょう)じて光明(こうみょう)の広海(こうかい)に浮(うか)びぬれば、至徳(しとく)の風静かに衆禍(しゅか)の波(なみ)転ず。
(『註釈版聖典』 一八九頁)
と説かれています。すなわち、「本願の大いなる慈悲の船に乗り、念仏の衆生を摂め取る光明の大海に浮かぶと、この上ない功徳の風が静かに吹き、すべての禍(わざわい)の波は転じて治まる」と示されています。
そのとおりに、如来の大慈悲の船に乗せていただいていることのよろこびと安堵が、源左さんの言葉からいただかれます。
(佐々木恵精)