2014年12月 永遠の拠り所を 与えてくださるのが 南無阿弥陀仏の 生活である 法語カレンダー解説

2014-12私の依りどころ

 

今月の言葉は、坂東性純(しょうじゅん)先生の法話集『心のとるかたち』の中からです。先生は東京上野の坂東報恩寺の住職であるとともに、大谷大学教授、イースタンブディスト協会顧問など仏教界の多数の要職を歴任された仏教学者であり、真摯な念仏者であられました。

 

私ごとになりますが、先生は私がかつて本願寺ハワイ教団の開教使でハワイのマウイ島に駐在していた頃、一九七三年、ハワイ大学の宗教学部主催で行われた『鎌倉仏教セレブレーション』の講師の一人として来布されたことがありました。約二ヵ月間滞在され、その間、講義その他で親しくお話を聞くご縁に恵まれ、まだ赴任して間もない、不安でいっぱいであった私を、「役割や地位が人間を形成してくれます。おみ法第一のご活躍を念じています」とやさしく励ましてくださった、その穏やかなお人柄が懐かしく偲ばれます。

 

さて、「依りどころ」と申しますと、私どもは常に何かを依りどころ(あて、たより)として生きているようです。それは人それぞれに、財産であったり、教育や学問・知識であったり、健康や家族であったり。夢とか希望とか、最近では絆という言葉もよく聞きます。しかし、これらのものは刻々と移り変わっていくものであり、時には何もかもなくなってしまうことさえあります。いや、これらのものは人生を送る上で確かに大切なものであるには違いないが、永遠であるとはいえません。私の命も、例外なく終わっていく時がやってきます。今日ともしらず、明日ともわからないこの人生の終わりに至って、私か大切に握りしめてきたこれらのものは、何一つ私に寄り添うものはないのです。では、「水遠の依りどころ」とはどのようなものを言うのでしょうか。

 

蓮如上人は、

 

もしただいまも無常の風きたりてさそひなば、いかなる病苦にあひてかむなしくなりなんや。まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。されば、死出の山路のすゑ、三塗(さんず)の大河をばただひとりこそゆきなんずれ。これによりで、ただふかくねがふべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり、信心決定してまゐるべきは安養の浄土なりとおもふべきなり。

(『註釈版聖典』一一〇〇頁』)

 

と、お示しくださっています。

 

本当にたよりとなるものは、有限の人間を超えた存在である仏さま(阿弥陀さま)より外にはありません。親鸞聖人はそのことを、ご和讃に、

 

畢竟依(ひっきょうえ)(最終的なよりどころ)を帰命せよ

(『同』五五七頁、傍線部筆者)

 

と教えてくださいます。

 

『維摩経(ゆいまきょう)』というお経の「問疾品(もんしつぼん)」の中に「衆生病む故にわれ病む」という言葉があります。ここでいう”われ”とは、阿弥陀さま仏さまのことを指しますが、”仏さまご白身が病気をする”というのです。いざという時にはまったくたよりにならないものを当てにし、ウカウカと日々を送っている私の病(煩悩)をご覧になって、阿弥陀さまはご白身が病気をするほどにご心配くださいました。そして、兆載永劫(ちょうさいようごう)の長い長いご修行のすえについに完成したのがお浄土の世界です。 そこは、有限な人間が永遠に救われていく世界でありました。

 

 

阿弥陀さまのお浄土を思う

 

かつて、NHKの夜のラジオ番組に「にっぽんのメロディー」(一九七七年~一九九一年)というのがありました。中西龍アナウンサーが担当で、味のある独特のナレーションで、私はその大ファンでした。毎回、番組の最後に「赤とんぼ」のBGMが流れる中、リスナーが投稿した俳句が一句紹介されます。ある年の暮れ、次のような俳句が紹介されました。

 

藁屑も混じる切干届きけり

斉藤久子

 

(以下は、その中西アナウンサーの朗読です)

俳句の世界では、〈切干〉は大根だけに限られています。冬の初めに千切りにして、一週間ほどで出来上がる切干が、遠いふるさとの実家からでも届いたのでありましょう。一年中どこでも売っている極ごく庶民的な保存食ですが、この句の作者がこれを口にするするのはこの時季だけであり、しかも店で売っているものでは駄目なのです。同じ大根であってもどこか味が違うのです。

古里から送ってくるものには、それこそ<ふるさとの味>がこもっているのです。しかも実家の田んぼで収穫した稲の藁まで混じって届くのです。兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川、遠くにありて思うふるさとと、そこに出来た産物は、たとえひとがなんと言おうと、世界中のどこよりどこのものよりもいいのです。望郷の思いを胸に、荷物の紐を解く手のもどかしさ嬉しさ……。古里のあの太陽に、あの筵(むしろ)の上で干された切干……。

さて、作者はこの切干をその夜、汁物に入れたでしょうか、それとも煮物か酢のものにか……。いずれにしろ普段より食がすすんで、さぞおいしかったこことでありましょう…..。

藁屑も混じる切干届きけり  斉藤久子

今晩はこれにて 皆さんお休みなさい……。

 

艱難辛苦(かんなんしんく)の人生にあって、ふるさとはわが心の支えです。中西アナウンサーの名調子を聞きながら、私は阿弥陀さまのお浄土を思うのです。お浄土は、私の今日を支える土台であり、「いのちのふるさと」です。お浄土があればこそ人生の荒波を超えていくことができます。いわば私の成立根拠ともいえるでしょう。

 

阿弥陀さまは私がこの世のいのち終えて帰るところ、広大無辺のお浄土をご用意くださいました。そのお浄土から阿弥陀さまかこのシャバに来てくださっている、 その姿が名号「南無阿弥陀仏」です。私の命の中に入り満ちて、この口からお称名となってこぼれ出てくださいます。それは、「あなたを必ずこの弥陀の浄土に迎えとるから安心しなさい」と喚んでくださる喚び声です。 南無阿弥陀仏の生活とは、この阿弥陀さまの喚び声を、わが称える念仏の中心に聞いていくところにあります。ですから、お念仏の人は常に阿弥陀さまかご一緒です。

 

 

如来さまに抱かれた生活

 

私か長年ご教化にあずかった深川倫雄(ふかがわりんゆう))和上から、かつて次のような話を聞かせていただいたことがあります。

 

寺の法要や行事に生涯欠かさず手伝いやお参りに来ていた門徒のお婆ちゃんが入院したので、坊守さんがお見舞に行った時のこと。そのお婆ちゃん、入院してしばらくは周囲に気を使ってこらえていたけど、いっときして思わず「ナマンダブ、ナマンダブ」とお念仏が出たんだそうです。ちょうどその時、体温計を持って病室に入ってきた若い看護師さんが、たしなめるように、 「バアチャン、そんなこと病院で言っちゃいけません。元気だして」と言ったそうな。看護師さんにしてみれば励ましたつもりだったのですが、お婆ちゃんは、
「まあ、どうしょうかしらん。考えてみりゃ長年、寺へ参らしてもろうたのは、こういう時こそ阿弥陀さまがご一緒くださるお念仏こそ、値打ちがあると思うておりました。そういう説教を聞いてもきましたし、本当にそうだと思うておりました」

 

看護師さんの言葉がはがゆうて、はがゆうて、お婆ちゃんは「どうしようか、荷物まとめてかえろうかしらん」と、腹立たしく思うておったところに、K先生というお医者さん(院長先生)が回診においでで、

 

「なあバアチャン、いざとなったらお念仏よりほかないけえのお」

 

と、おっしゃってくれました。

 

「まあー、ご院家さんの説教よりありがたかったよ!」と。

 

このお婆ちゃんの生活は、日々ナンマンダブツを称える生活なのです。いえ、ナンマンダブツの中に日暮らしをさせていただいている、と言った方がよいでしょう。親鸞聖人のよろこびは、生きているたった今、如来さまのお浄土に間違いなく往生させていただく身に定まった、というよろこびでありました。死んでから先だけの話ではないのです。只今が、お浄土参りの道中です。

 

如来さまはお浄土におられる。けれども、いつも私についていてくださいます。お念仏が口から出てくだざるのがその証拠です。お浄土は、つねにこの私に名号(なもあみだぶつ)を通じてはたらきかけ、喚びかけている世界であり、そこに摂取不捨のよろこびに生きる念仏者とお浄土との現実的なかかわりがあるのです。

 

かたつむり どこで死んでも我が家かな

 

お念仏申すものは”カタツムリ”のようなものです。かたつむりがいつでも家つきであるように、念仏者は、もうすでに如来さまに抱かれた生活です。私の今おる所が、たすかる場所。どこでどのように倒れようと、倒れた場所がお浄土です。五分先のいのちの約束のない不安な人生を<わがいのち み親にまかせて 大安心>のうちに日暮らしさせていただきます。しかも、見たこともないお浄土にわれわれは、いのち尽きて初めて参らせていただくのでありますが、阿弥陀さまは「帰っておいで」とおっしゃってくださいます。

 

なつかしい親の待つふるさとに帰るように、お浄土に参らせていただきます。阿弥陀さまは、私たちに究極の安心を与えてくださったのです。そこに〈南無阿弥陀仏の生活は、永遠の依りどごころを与えてくささる〉ということができるのであります。

 

(稲田静真)

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