「智慧光」のはたらき
一月の法語は、『浄土和讃』の中の冒頭、「讃阿弥陀仏偶和讃(さんあみだぶつげわさん)」第九首のはじめの二句です。まず、その全四句とその現代語訳をうかがいましょう。
無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)するゆゑ
智慧光仏(ちえこうぶつ)となづけたり
一切諸仏(いっさいしょぶつ)・三乗衆(さんじょうしゅ)
ともに嘆誉(たんよ)したまへり (「註釈版聖典」五五八頁)
(阿弥陀仏の光は無明の闇をすべて破るから、智慧光仏と申しあげる。すべての仏も菩薩も縁覚(えんがく)も声聞(しょうもん)も、みなともにほめたたえておられる。「三帖和讃(現代語版)』一一頁)
このご和讃では、阿弥陀さまの智慧の輝きである「智慧光」を讃嘆されて、「如来の智慧の輝きは、私どもの無知の闇を打ち破ってくださる」と讃えられています。『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』(『大経』と通称されます)には、阿弥陀さまの大いなるはたらきを、「十二光仏」の仏名(ぶつみょう)をかかげて称讃されている場面があります。また、中国浄土教の基礎を築かれた曇鸞大師(どんらんたいし)は、『讃阿弥陀仏偶』という、この「十二光仏」を讃えられる偶文を作られました。親鸞聖人は、これら経典や祖師の言葉に基づいて「讃阿弥陀仏偶和讃」をご制作になられましたが、この「十二光仏」の第八に「智慧光」が挙げられているのです。
『仏説無量寿経)』には、次のように阿弥陀さまがおさとりを開かれ、衆生をお救いになる姿が説かれています。
阿弥陀さまは元は法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)といわれ、「あらゆるものが真実のさとり(正覚)の世界に至るようにならなければ、私はさとりを開くまい」との大誓願(本願)をおこされて、兆載永劫(ちょうさいようごう)といわれる永い永い間のご修行を行われました。そしてその本願を成就し、「限りない光と限りないいのち」の仏である阿弥陀さまとなられて、さとりの世界であるお浄土を建立されたのです。その結果、あらゆる生きとし生けるもの(一切衆生)をお浄土に導くおはたらきを、今現になされているのです。
このように、阿弥陀さまの本願のはたらき、大慈悲のはたらきが、「仏説無量寿経」では説かれます。
「十二光仏」は、この阿弥陀さまの大いなる慈悲のはたらきを具体的に示されているものと、うかがうことができます。その中で「智慧光仏」とは、仏としてすべてを見通される智慧-私どもの知識や言葉の世界をはるかに超えた、あるがままの真理(真如(しんにょ))をさとる智慧のちからIIIが、すべてを照らし出す輝きを持っているということが示されているといえるでしょう。
自己中心にしか動くことのできない私どもは、真実を知るすべを持たず、無知蒙昧の中にあって、自分勝手で貪るような欲望によってさまようばかりです。さらに、そのような欲望が満足できないために、怒りや恨みを生み出します。これら葛藤する激情が「煩悩」といわれ、お釈迦さま以来、説き示されてきた私ども「煩悩具足」の姿であります。このような私どもを、無知の闇、煩悩の闇からさとり(正覚)の世界へと救い出してくださるのが阿弥陀さまであり、それが「智慧光仏」と呼ばれるゆえんです。
無明の闇
このご和讃の「無明の闇を破す」というお言葉をいただくと、第一に思い浮かぶのが、親鸞聖人の主著「教行信証」の冒頭のお言葉です。『教行信証』には、その全体の「序文」にあたる章がおかれ、一般に「総序」と呼ばれています。聖人はこの総序に「浄土の真実の教」たる浄土真宗の根本を端的に述べられて、阿弥陀さまの本願のはたらきに帰すること、そしてインド・中国・日本へと、そのみ教えを伝えられた祖師方のご教示に報謝すべきことを披渥されています。その冒頭に、
ひそかにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船(だいせん)、無磯(むげ)の光明(こうみょう)は無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)なり。
(わたしなりに考えてみると、思いはかることのできない阿弥陀仏の本願は、渡ることのできない迷いの海を渡してくださる大きな船であり、何ものにもさまたげられないその光明は、煩悩の闇を破ってくださる智慧の輝きである。「顕浄土真実教行証文類(現代語版)』三頁)
と宣言されています。すなわち、
あたかも、自分では渡ることのできない大海原を、大きな安定した船に乗せていただいて向こう岸まで渡していただく、そのように、大慈悲のはたらきそのものである阿弥陀さまの本願のはたらきが、大きな船となってさとりの岸であるお浄土に渡してくださる。また、自分勝手な欲望の中で苦悩する私どもの苦悩の闇である煩悩を、その阿弥陀さまのすべてを見通されている智慧の輝きが破ってくださるのである。
と、阿弥陀さまの大いなる智慧と慈悲のはたらきを讃えておられるのです。
まさに、このご和讃前半のお心が総序の冒頭に、感謝と感激をもって語られているといえるでしょう。
ご和讃の典拠
親鸞聖人は、このご和讃を、どのような根拠によって作られているのでしょうか。前述のように、「仏説無量寿経」に説かれる「十二光仏」、そして「十二光仏」を讃嘆される曇鸞大師の『讃阿弥陀仏渇』が、直接の典拠であるともいえるでしょうが、諸先生方がご指摘の通り、『仏説無量寿経』の「胎化得失(たいけとくしつ)」と呼ばれているご文を念頭に置いておられたとも拝察されるのです。
「胎化得失」の文では、次のようなことが説かれています。
一つには、「明信仏智(みょうしんぶっち)」といい、阿弥陀さまの本願のおはたらき、大慈悲のおはたらきにそのままお任せする心、すなわち全幅の信任の心である真実信心に至った人は、この世を去るその時にお浄土に忽然と生まれる、このことを「化生(けど)」といいます。
しかしそれに対して、二つには「不了仏智(ふりょうぶっち)」といい、本願や大慈悲にいささかでも疑いがあるものは、お浄土の宮殿に生まれても。あたかも蓮のつぼみの中に閉じこもっているかのように、あるいは胎内にとどまっているかのように、真実の往生に至りえないでいるのです。そして五百年の間、仏の姿も菩薩・声聞(しょうもん)などの聖者(しょうじゃ)方にさえもまみえることがないので、これを「胎生(たいしょう)」といいます。このように、ここでは本願に対する疑いを持つことが往生の大きな妨げであることが示されています。
「胎化得失」のご文には、
かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑなり。その胎生のものはみな智慧なし。
(『註釈版聖典』七七頁)
と説かれていますが、このご文から、親鸞聖人のご和讃に「無明の闇を破す」とある「無明」(無知)とは、阿弥陀さまのみ教えに疑いを持つことを意味しているとうかがうことができます。純粋に阿弥陀さまのお導きにそのまま従わせていただくことが、信心のかなめであること、そしてまた、そのような信心は阿弥陀さまの智慧の輝きのはたらきによって与えられるのである、といただくことができます。
朝陽を浴びて
このご和讃をいただきながら、思い出されることがあります。
それは、ベルギーのアントワープに慈光寺を開かれた、アドリアンーベルさん(一九二七-二○○九)のことです。
ペルさんの学生時代は、世界大戦などの変勁を経て、キリスト教の世界にも思想的に混乱が生まれ始めていた頃といえるでしょうが、その頃から東洋思想を学ぶようになり、仏教にも関心を持っておられたようです。しかし浄土真宗については、まだその名前さえも知られていない頃で、いわゆる上座仏教(じょうざぶっきょう)や、大乗仏教でも自ら禅定(ぜんじょう)を深め空(くう)の哲理を求めるような道などを学ぽうとされていたと思われます。
そんな折、英国のジヤックーオースチンさん(一九一三-一九九三)と出遇われるご縁が生まれます。銀行員だったオースチンさんは、いち早く英訳された『歎異抄』に魅せられて、その翻訳と解説を行った、神戸の稲垣最三師(法名によって瑞剱師と呼ばれます)に手紙を出され、その後、瑞剱師から一方的に手紙を送り続けられるというようにして、手紙説法が続けられたのでした。三百通以上の手紙によって、仏教の基本、大乗仏教の思想、浄土真宗の教義、他力回向のこと、お念仏のことなどが緯々説かれ、オースチンさんは、ついに浄土真宗本願寺派で得度されたのでした。そうして、ペルさんとも文通をしていたのですが、ある時(一九六〇年代後半と思われます)、英国からアントワープのペルさん宅を訪ね、仏教談義をさ
れたとのことです。
おそらく、オースチンさんからペルさんには、「自らさとりを求める道は凡夫に成就できるのですか」という課題を、またペルさんからオースチンさんには、「他力回向の教え、ただ弥陀の本願を信じて念仏する道とはどのような教えなのですか」という疑問を語りかけるという、論議が展開されたことだろうと想像されます。その談論は夜を徹してなされ、東の空か明るくなる頃、訪問者であるオースチンさんは疲れ切って寝込んでしまったのですが、ベルさんは頭が冴えわたり眠れないでいました。
そして、東の空にかすかに明るくなる朝陽を拝して、ベルさんは「はっとした」といわれるのです。かすかに朝陽を浴びながら、「阿弥陀さまの光明に照らされている……」という感慨を覚えたということなのです。太陽の光は阿弥陀さまの光明ではありませんし、それ以上に「如来の光明」は私どもの肉眼で見えるような光ではないのですが、ペルさんは朝陽を浴びて、「このちっぽけな私にふりそそいでい 3る阿弥陀さまの大きな輝き、大きなおはたらき」を感じ取られたのであろう、とうかがうことができるでしょう。
まさに、「無明の闇を破ってくださるのが、如来の智慧の輝きである」と詠われているのがこのご和讃である、といただくことができるでしょう。
(佐々木恵精)