2018年5月 かの如来の 本願力を観ずるに 凡愚遇うて 空しく過ぐるものなし。

「空しく過ぐるものなし」

「人生が空しい」という人があるけれど、「人生を空しいもの」としか思えない人の人生が空しいだけである。阿弥陀さまの人悲の心にふれて、人生を尊いものであると知らされた人にとって、けっして「空しい人生」というものはないと、親鸞聖人は私たちに教えてくださいます。
さて、今月のことばとよく似た言葉を、どこかで耳にしたり、目にしたことはないでしょうか。浄土真宗本願寺派の葬儀に会葬された際に、お勤めをよくよく聞いていると、終わりに近づいた頃に、こんなご和讃を耳にされることと思います。

本願力(ほんがんりき)にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳(くどく)の宝海(ほうかい)みちみちて
煩悩(ぼんのう)の濁水(じょくすい)へだてなし             (「註釈版聖典」五八〇頁)

この和讃は親鸞聖人がお造りになった「高僧和讃」「天親讃」の一首で、浄土真宗の教えを味わう上で、とても大切な和讃の一つです。
今月のことばは、親鸞聖人がお造りになった『入出一一門偶頌』という渇頌(うた)のこ即で、もともと、

かの如来の本願力を観(かん)ずるに、凡愚(ぼんぐ)、遇(もうお)うて空(むな)しく過(す)ぐるものなし。
一心専念(いっしんせんねん)すれば、すみやかに真実功徳(しんじつくどく)の大宝海(だいほうかい)を満足せしむ、
(「註釈版聖典」五四六貞)

と続いていくご文の前半のお言葉です。先にあげた「天親讃」の一首も、この「入出二門偈頌」のご文も、どちらも、浄上真宗の七高僧のお一人、インドの天親菩薩の『浄土論』の中の、

仏の本願力を観ずるに、遇ひて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ。 ((註釈版聖典 七祖篇)』三一頁)

というご文が依りどころとなっています。

必ず浄土に生まれる

これら三つのご文はとてもよく似ていますが、少し言葉が変わっていたり、また言葉がつけ加えられたりしています。この少しの言葉の違いが、実は浄土真宗の教えを理解する上で大きな意味を持っているのです。
もともと「浄土論」のご文は、「阿弥陀さまの本願力(救済力)を心に思いうかべてみると、浄土に往生して阿弥陀さまに出遇いながら、仏道を完成することがないままに空しく時を過ごすというものはけっしてありません。阿弥陀さまはその本願力によって、すみやかに宝のような功徳を満足せしめて、私たちをさとりに至らしめてくださるのです」ということをあらわしています。このような阿弥陀さまの救いのはたらきを「不虚作住持功徳」といいます。
これが親鸞聖人の「入出二門喝頌」になると、「浄土論」のご文にはなかった「凡愚」とか「一心専念すれば」、さらには「功徳」に「真実」という言葉が加えられているのです。おそらく親鸞聖人は、「浄土論」のご文に感銘を受けながらも、さらに次のようなことを明らかにしようとされたのだと思われます。
まず一つには、阿弥陀仏の救済を受けるのは「煩悩具足の凡夫」である私たちだということ。二つには、宝の海ようなすばらしい功徳を満足させていただくのは、浄土に往生してからではなく、「T心にもっぱら阿弥陀仏の名を称えるとき」、すなわち今この土においてのことであるということ。三つには、その時に得る利益は私たち凡夫の自力の善根によって得る「不実の功徳」ではなく、阿弥陀仏の智慧と慈悲が満足された「真実の功徳」であるということです、もちろんこれは、現生においてさとりを開くということではありません。称える名号そのものに、阿弥陀仏の智慧と慈悲の徳がこめられていて、私たち衆生がその名号をはからいをまじえずに受け入れ、口に称えるところに、仏となるべき因がまどかに満たされる(仏因円満の身となる)ということを明らかにされているのです。この位を正定聚(必ず仏になることが決定しているなかま)といい、また「弥勒と同じ(次の生には仏となるといわれている弥勒菩薩と同じ徳を得ているということこといわれるのです。
さらに「天親讃」になると、『浄土論』の「仏の本願力を観ずるに、遇いて空しく過ぐるものなし」というところが、「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき」となっていて、『浄土論』の「よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ」というところは、「功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」となっています。
これによって、親鸞聖人が明らかにしようとされていることは、一つには、「本願力を観ずる」ということは「阿弥陀さまに遇う」ことであり、今すでに阿弥陀さまに出遇っているから、けっして人生を空しく過ごすことはない、とおっしゃっているのです。「本願力を観ずる」ということが、「阿弥陀さまに遇う」ことであるというのは、少し説明が必要かと思います。
そのお心を、親鸞聖人の『一念多念文意』という書物によってうかがってみると、

「観」は願力をこころにうかべみると申(もう)す、またしるといふこころなり。「遇(ぐ)」はまうあふといふ。まうあふと申すは、本願力を信ずるなり。「無(む)」はなしといふ。「空(くう)」はむなしくといふ。「過(か)」はすぐるといふ。「者(しゃ)」はひとといふ。むなしくすぐるひとなしといふは、信心あらんひと、むなしく生死にとどまることなしとなり。                 (「註釈版聖血『』六九一頁)

と解説されています。「まうあふ(もうあう)」とは、「参逢(まいあうこの変化した語で、「値」とか「遇」とも書き、「参上してお目にかかる」とか「尊い方にお会いする」、または「会わせていただく」ということです。
親鸞聖人は、このご書物で天親菩薩のお言葉を次のようにお領解されたのです。

「すべての人びとを救いたい」という願いをおこして修行に励まれ、その願いを実現してすべての人々を救いつつある阿弥陀さまが、大悲の心をもって私たちを「南無阿弥陀仏(必ずたすけるぞ、われにまかせよ)」と喚んでいてくださいます。その声をはからいなく聞いて、「必ずたすかると、あなたにおまかせします」と、阿弥陀さまにこの身をおまかせしているものは、もうすでに阿弥陀さまにお出遇いしているということになります。今すでに阿弥陀さまとご一緒に生きていくのですから、浄土に生まれることは決定しているのです。このような人は、けっして空しく生死(迷い)の世界にとどまることはないのです。

煩悩を抱えたままの救い

二つには、「功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」とあり、また三つにその功徳は「真実功徳」であるといわれているように、阿弥陀さまの本願力をはからいなく受け入れていくものは、煩悩を抱えたままで、その煩悩が宝のような功徳に転じられていく、ということを明らかにされたのです。
そのことを『尊号真像銘文』には、

「能令速満足功徳大宝海(のうりょうそくまんぞくくどくだいほうかい)」といふは、「能(のう)」はよしといふ、「令(りょう)」はせしむといふ、「速(そく)」はすみやかにとしといふ。よく本願力を信楽(しんぎょう)する人はすみやかに疾く功徳の大宝海を信ずる人のその身に満足せしむるなり。如来の功徳のきはなくひろくおほきにへだてなきことを、大海の水のへだてなくみちみてるがごとしとたとへたてまつるなり。            (「註釈版聖血『』六万二頁)

といわれ、また「一念多念文意」には、

「能」はよくといふ。「令」はせしむといふ。よしといふ。「速」はすみやかにといふ、ときことといふなり。「満(まん)」はみつといふ。「足(そく)」はたりぬといふ。「功徳(くどく)」と申すは名号(みょうごう)なり。「大宝海(だいほうかい)」はよろづの善根功徳満(ぜんごんくどくみ)ちきはまるを海にたとへたまふ。この功徳をよく信ずるひとのこころのうちに、すみやかに疾く満ちたりぬとしらしめんとなり。しかれば、金剛心(こんごうしん)のひとは、しらず、もとめざるに、功徳の大宝その身にみちみつがゆゑに、大宝海とたとへたるなり。                     (「註釈版聖典」六九一~六九二頁』)

といわれたのです。このことを私たちになじみの深い「正信偶」には、

能発一念喜愛心(のうはついちねんきあいしん) 不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)
几聖逆膀斉回入(ぼんしょうぎゃくひうさいえにゅう) 如衆水人海一味(にょしゅすいにゅうかいいちみ)

(よく一念喜愛(いちねんきあい)の心(しん)を発(ほっ)すれば、煩悩(ぼんのう)を断(だん)ぜずして涅槃を得るなり。
几聖(ぼんしょう)・逆膀斉(ぎゃくほうひと)しく回入(えにゅう)すれば、衆水海(しょすいうみ)に入(い)りて一味(いちみ)なるがごとし。「註釈版聖典」二〇三頁)

といわれています。
浄土真宗の教えは、善人も悪人も、賢き人も愚かな人も、富める人も貧しき人も、お年寄りも若い人も、男の人も女の人も、まったくわけへだてすることなく、ただ阿弥陀さまの本願を素直に聞き入れる時、すみやかに阿弥陀さまの救いのみ手の中に摂めとられます。そして、たとえ汚れた川の水であっても、海はその川の水をわけへだてなく受け入れて同じ一つの塩味に変えなしていくように、さとりの障りとなる自己への執われ(煩悩)も、そのまま転じてさとり(自他の分別を超えた世界)の功徳に変えなして、私たちにさとりの功徳を与えてくださる、ということです。
このような阿弥陀さまの大悲のお心に聞きふれた人にとって、どんなに辛いこと、悲しいことがあったとしても、けっして「空しい人生」ではないのですよ、と親鸞聖人は教えてくださったのです。                                 (藤津信照)

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