2019年8月のことば 涅槃の真因はただ信心をもってす

三心と一心

七月のことば(九四頁)でも触れた、『無量寿経』の第十八願には、

  たとひわれ仏(ぶつ)を得(え)たらんに、十方(じっぽう)の衆生(しゅじょう)、至心信楽(ししんしんぎょう)してわが国に生(しょう)ぜんと欲ひて、乃至十念(ないしじゅうねん)せん。もし生(しょう)ぜずは、正覚(しょうかく)を取(と)らし。ただ五逆(ごぎゃく)と誹諧正法(ひほうしょうほう)とをば除く。                       (『註釈版聖典』 一八頁)

とあります。ここにありますように、もともとは漢文での第十八願で説かれる「至心信楽、欲生我国」とは、「至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて」と書き下されるように、一心から信じて、わたしの国に生まれたいと願う」というような、心の動きのことを表していました。
親鸞聖人は、この第十八願は「至心・信楽・欲生」という三つの心について説かれているとみられました。(それは、もともと法然聖人がみられた理解を引き継ぐものでした。)
四月のことば(五六頁)でも少し触れられていましたが、親鸞聖人は『教行証文類』信文類において、この第十八願の三心を天親菩薩の論書である『浄土論』のなかの、

  世尊我一心 帰一命尽十方 無尋光如来 願安楽国。
(『浄土真宗聖典全書』」』三経七祖篇、四三三頁)

(世尊(せそん)、われ一心に尽十方無磯光如来(じんじっぽうむげこうにょらい)に帰命(きみょう)したてまつりて、安楽国(あんらくごく)に生(しょう)ぜんと願(がん)ず。
『註釈版聖典(七祖篇)』二九頁)

の「一心」と、同一のものかどうかを問題にされます。ちなみにこの「一心」は、もとはおそらく「一心に」(心から信じて)というように副詞的に使用されていると思われますが、親鸞聖人の『教行証文類』信文類では、「一心」とは「一つの心(で)」というように名詞でとらえられています。また、この議論は古来「三一問答」といわれています。その「三一問答」の答えの部分に今回の言葉は出てきます。

問ふ。如来の本願(第十八願)、すでに至心・信楽・欲生の誓を発したまへり。  なにをもつてのゆゑに論士(天親)「一心」といふや。

答ふ。愚鈍の衆生、解了易からしめんがために、弥陀如来、三心を発したまふといへども、涅槃の真因はただ信心をもつてす。このゆゑに論主、三を合して一とせるか。                   (『註釈版聖典』二二九頁)

(問うていう。阿弥陀仏の本願には、すでに「至心・信楽・欲生」の三心が誓われて  いる。それなのに、なぜ天親菩薩は「一心」といわれたのであろうか。
答えていう。それは愚かな衆生に容易にわがらせるためである。阿弥陀仏は「至  心・信楽・欲生」の三心を誓われているけれども、さとりにいたる真実の因は、ただ信心一つである。だから、天親菩薩は本願の三心を合せて一心といわれのたであろう。『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』 一九三頁)

再度、「三一問答」の議論を確認してみましょう。『無量寿経』の第十八願では、「至心・信楽・欲生」の三心が説かれています。天親菩薩の『浄土論』のなかでは二心」が説かれています。すると疑問が生じます。阿弥陀さまが誓われた本願と、天親菩薩の自ら信心を明らかにされた帰敬の言葉とに、隨証があるとは考えにくいことですが、この二つの関係をどのように考えればいいのでしょうか? 親鸞聖人は、このような問いを設けられました。そして(自分自身による)答えとして、『浄土論』で「一心」が説かれたのは、信心を十分によく理解できない衆生に対して容易にわがらせるためである、と説かれました。その一心は、「三一問答」の展開に従うと、(『無量寿経』の)三心がおさまったところの「信楽」と同一です。その「信楽」こそが「一心」です。こうして、『無量寿経』で誓われた阿弥陀さまの本願である「三心」と、天親菩薩の帰敬の言葉である「一心」との間には、矛盾がないことを示されました。
この流れをうけて、「涅槃の真因はただ信心をもつてす」という一文が出てくるのです。したがって、ここでは「信心」とは複雑なものではない「一心」のことであり、その「信心」は経典においても論書においても共通して説かれており、かつ涅槃の真実の因であるということが、主張されているのです。

「涅槃」の意味

「涅槃」とは梵語ニルヴァーナの音写とされ、意訳としては「滅度」とされています。これは、釈尊以来、迷いの世界である輪廻を解脱するものとして、仏教で一貫して目標とされている静かなさとりの境地(涅槃寂静)のことをいいます。
その涅槃に至る道には、初期仏教以来、瞑想、六波羅蜜、天台の止観、真言の三密、禅など、さまざまな方法(行)が提唱されてきました。浄上教も釈尊一代の仏教の流れにあり、浄土に往生した後に得るという相違はありますが、目標はやはり同じく涅槃です。
この伝統に則って、「涅槃の真因はただ信心をもつてす」という言葉が生まれているのですが、この表現は、おそらく法然聖人の『選択集』を承けたものと考えられます。

  生死の家には疑をもって所止となし、涅槃の城には信をもって能人となす。
(『註釈版聖典(七祖鎬)』 コー四八頁)
(迷いの世界に輪廻し続けるのは、本願を疑いはからうからであり、さとりの世界に入るには、ただ本願を信じるよりほかはない。)

と法然聖人は述べられました。親鸞聖人はおそらくこの文を継承して、その涅槃の本当の原因が「信心」であるとしています。すなわち「信心(ー心・信楽)」が涅槃の真因であるとされました。(ただし、細かく見ると、二つの文章には、「信」と「信心」という相違、また「能入」と「真因」という相違があります。)

  「信心」の重視

ここで取り上げられている「信心」という語は、浄土教の伝統を大きくさかのぼると、先にも挙げた『無量寿経』の第十八願成就文に由来します。

  あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹膀正法とをば除く。 (『註釈版聖典』四一頁、傍線引用者)

(無量寿仏の名を聞いて個白喜び、わずか一回でも仏を念じて、心からその功徳をもっ  て無量寿仏の国に生れたいと願う人々は、みな往生することができ、不退転の位に至るのである。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを膀るものだけは除かれる『浄土二部経(現代語版)』七一頁、傍線引用者)

この成就文に出てくる「信心」という言葉を親鸞聖人は重視され、『教行証文類』信文類をはじめさまざまな箇所で言及する中心の語として使用されました。また浄土真宗の中心の概念(信心正因)ともなっていきます。

「教行証」の体系と「教行信証」の体系

仏教は伝統的に行を中心として体系づけられており、法然聖人も専修念仏を主張されました。法然聖人は、「念仏」という行を表に出して諸行との優劣を語ることによって、一般仏教と浄土宗との違いを明らかにされました。こうして、「行」を基点としてギリギリのところで諸宗派と対峙しておられたのです。親鸞聖人は、法然聖人の没後、師の姿勢をより鮮明にされ、それら諸行と念仏の違いを「信心」という一心」の問題を交じえつつ説きました。
それまで体系的には、「教において行じて証る」という「教行証」という仏道の過程で議論されていたところに、親鸞聖人は「信」という概念を別に設けて、「教において行じて(信じて)証る」という「教行信証」という新しい体系を示されたのです。
おそらく、そのように説くことが最も実感に洽うものだったと思われます。そのなかで、伝統的に語られてきた「行」ではないものを涅槃の因として前面に押し出したところに、親鸞聖人の教義の特色があります。そして、それは仏教・浄土教の歴史において大きな展開点となっています。
親鸞聖人は、『教行信証』(『教行証文類』)において、この「信」を中心にした新しい体系を理論的に構築していきます。「信」の意義を拡大し、それを中心に教義付けました。そして、その「信心」の反対となる「疑」(はからい)を最も忌避すべきこととしました。こうして法然聖人とは違う角度から、独自に法然聖人の教えを補いつつ説かれているということができます。

信にもとづいた新たな仏道

また、この「涅槃の真因はただ信心をもってす」という一文を丁寧に語る場合、実際の時間の経過として、浄土教の伝統に則って分析するならば、

信心の獲得

往生する

浄土の理想的な修行環境
入正定聚・必至滅度の誓い(第十一願)のはたらき

涅槃(滅度)に至る

という過程が考えられます。それらを省略して、因果関係の論理に焦点をあて、大きくほかの要素を省略しますと、「涅槃の真因はただ信心をもつてす」(『註釈版聖典』二二九頁)ということになります。
八月のことぼけ、「涅槃の真因はただ信心をもつてす」という語り方によって法然聖人の念仏往生の教えを説かれたものです。それは、「ただ信心」という複雑でない言い方によって多くの人を誘引し、伝統にしばられず、人間の内面に焦点をあてて新しい仏道というものを示された言葉といえます。
(佐々木 大悟)

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