2015年5月24日の大河ドラマ『花燃ゆ』の終わりに光明寺がご紹介されましたが、皆様ご覧いただいたでしょうか。
見逃した方は今週の土曜日の再放送がございますので是非ご覧ください。
さて、2015年3月末に光明寺前の歩道に観光説明版が設置されました。
奇兵隊の母体となった、光明寺党及び久坂玄瑞の観光説明版です。
光明寺(この説明版の対面のお寺)
京都本願寺の8代目蓮如上人(れんにょしょうにん)の弟子であった釈正善(しゃくしょうぜん)が、大永年間(1521~1528)に豊浦郡西市(現在の下関市豊田町西市)に堂を建てたことに始まるとされています。その後、内日、幡生を経て、享保17年(1732)に当地へ移転しました。
幕末、長州藩が関門海峡で攘夷を実行した際(「攘夷戦争」)には、中山忠光・久坂玄瑞が率いる「光明寺党」の本拠となりました。文久3年(1863)5月10日、草が玄瑞ら「光明寺党」は亀山八幡宮下から萩藩軍艦「庚申丸(こうしんまる)」に乗り込み、米船「ペンブローク」に向けて砲撃を開始。まさに、彼らの砲撃が攘夷決行の第一砲となったのです。
なお、儒学者・医者など様々な身分の人々で組織された「光明寺党」は、後に高杉晋作が結成する「奇兵隊」の母体となりました。
※攘夷とは・・・外的を追い払い、国内に入れないようにすること
設置者:下関市観光施設課
近くにお立ち寄りになりましたら足を少し止めてご覧ください。