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信心の人
今月の言葉は、『親鸞聖人御消息』第十一通の終わりに出てきます。親鸞聖人は「信心の人」を「真の仏弟子」と称されますが、それは、その身は娑婆世界・穢土(えど)にありながらも、「浄土(の教え)」を根拠・畢竟依(ひっきょうえ)として人生を歩んでいる人だからとお考えだからです。この消息では、その「真の仏弟子」が、仏教の修道上、どのような境位を得ているかについて簡明に説明されています。
まず、前半から後半にかけては、次のように述べられています。
信心をえたるひとは、かならず正定聚(しょうじょうじゅ)の位に住するがゆゑに等正覚(とうしょうがく)の位と申すなり。『大無量寿経』には、摂取不捨の利益に定まるものを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には等正覚と説きたまへり。その名こそかはりたれども、正定聚・等正覚は、ひとつこころ、ひとつ位なり。等正覚と申す位は、補処(ふしょ)の弥勒とおなじ位なり。弥勒とおなじく、このたび無上覚にいたるべきゆゑに、弥勒とおなじと説きたまへり。
さて『大経』(下)には、「次如弥勒」とは申すなり。弥勒はすでに仏にちかくましませば、弥勒仏と諸宗のならひは申すなり。しかれば、弥勒におなじ位なれば、正定聚の人は如来とひとしとも申すなり。浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来とひとしと申すこともあるべしとしらせたまへ。弥勒はすでに無上覚にその心定まりてあるべきにならせたまふによりて、三会(さんね)のあかつきと申すなり。浄土真実のひとも、このこころをこころうべきなり。
(『註釈版聖典』七五八~七五九頁)
信心の人が現生において「正定聚」「等正覚」の位に入り、「弥勒とおなじ位」に至っていることを示され、「如来とひとし」とも表現されています。正定聚・等正覚とは、「仏に成るべき身となる」(『弥陀如来名号徳』『註釈版聖典』七二九頁)ことをいいます。阿弥陀さまの真実のはたらきに目覚めた人は、この世界で仏そのものに成ることができたわけではないが、如来のはたらきによって間違いなく仏に成ることが決定せしめられるというのです。それを、親鸞聖人はお釈迦さまの意を承けて、その位を「弥勒菩薩と同じ」「如来と等しい」といわれるのです。
『御消息』は、帰洛された親鸞聖人が関東の門弟宛てに認(したた)められたもので、四十三通残されています。その第十二、十三通においても「如来とひとし」ということについて言及されています。おそらくは、さまざまな念仏の受け止め方が存在した関東において、真宗念仏に生きる人びとの尊厳性に関わる何らかの問題が生じ、それに対して聖人がお答えになる必要があったものと考えられています。すなわち、信心を得て生活を送る人は如来と等しい徳を身に得ていることを明らかにして、真宗念仏を相続することの意義深さを強調されたのだと思います。
「おなじ」と「ひとし」
しかしながら、親鸞聖人はこれを即身成仏義と誤解されないよう、慎重に言葉を使っておられます。辞書では、「おなじ」と「ひとし」はほぼ同義で扱われています。しかし、聖人の著述の上では、原則的に意味を区別して使われています。お釈迦さまは、信心の人を「如来(仏)とひとし」と説かれていますが、聖人はそれを、「仏のような人」であると解釈されています。菩薩は次の生で仏に成る位にあるけれども、仏そのものではありません。聖人は、信心の人は「娑婆(しゃば)の縁尽きて・・かの土(浄土)へはまゐる」(『歎異抄』第九条『註釈版聖典』八三七頁)ことは間違いなく、「臨終一念の夕、大般涅槃(だいはつねはん)を超証(ちょうしょう)す」(『教行信証』「信文類」『同』二六四頁)るけれども、今は仏そのものではないと示されます。その区別をつけるために、信心の人は、立場上、菩薩とは同一であるといえるけれども、如来・仏と比べる時は、決して「おなじ」ではなく、未だ仏には成っていない(「ひとし」)という言い方をされています。二つの言葉に、そのような意味の違いを見ておられるのです。
仏であるお釈迦さまのまなざしには信心の人にはたらく仏心が観取されて、それで「仏と同じ」という意味でおっしゃったのかも知れません。それは、唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)の知見の上のお言葉といえます。しかし、如来のはたらきによって救われる側にはそう解釈しきれない事情がありました。
相矛盾する心
阿弥陀さまの本願のはたらき・仏心をいただくとは、「真如一実の功徳宝海」(『教行信証』「行文類」『註釈版聖典』 一四一頁)を、お覚りの心そのものを、いただくことであります。信心の人は「あさましき不浄造悪の身」(『親鸞聖人御消息』『同』七五八頁)でありながら、阿弥陀さまのはたらきによって真実の心で満たされ、如来と同体に成ることができるのです。それはまた、
しらず、もとめざるに、功徳の大宝その身にみちみつがゆゑに、大宝海とたとへたるなり。
(『一念多念文意』『註釈版聖典』六九二頁)
といわれるように、私たちの側に何か功績があってそうした境位に入るのではなく、如来のはたらきによって知らず求めずに恵まれるものなのです。阿弥陀さまは、私たちのことを真実の心で満たしてくださっています。しかしながら、親鸞聖人はその人を指して「仏と同じ人」とはいえなかったのです。さらにいうと、それは真実に出遇ったからこそ、気づかされる白身の姿への目覚めゆえにいえなかったのです。
浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実(こけふじつ)のわが身にて
清浄(しょうじょう)の心もさらになし
(『正像末和讃』『註釈版聖典』六一七頁)
浄土真宗のみ教えに帰依しましたけれども、真実の心になることはありません。
うそ・偽りのわたしには、清浄の心などあるはずもありません。
鏡に照らしてわが身を見ることができるように、如来の真実のはたらきを身に受けたからこそ、わが身の不真実に目覚めざるを得なかったのです。如来の本願真実は、「この身こそあさましき不浄造悪の身」であるという苦悩の存在であるという気づきを通して出遇うことができる性質のものでありながら、その真実に出遇い信心が恵まれるがゆえに、また「虚仮不実」と吐露せざるを得ない深い自覚が生ぜしめられるのです。これが、「仏と同じ」と解釈できなかった理由だといえます。そして、その自覚は本願に出遇う前の自覚とは質的に大きな違いがあります。いわゆる「二種深信」の文には、
自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。(中略)かの阿弥陀仏の、四十八願(しじゅうはちがん)は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。
(『註釈版聖典(七祖篇)』四五七頁)
とあります。ここには、本願真実に出遇ったことにより、いっそう悲愴感・絶望感が深まったというよりも、死ぬまで煩悩(罪業)から離れられない「ありのままの自己の姿・本性」に出遇うことができたという深い懺悔と、阿弥陀さまとともにありのままの自分を引き受けて生きていけるという喜びが語られています。このような一見相反する気持ちが交差し、ひとつの心の上に現れているのが浄土真宗の信心の特色ともいえます。
浄土に居す
親鸞聖人は、光明寺の和尚(善導大師)の『般舟讃』の文を解釈して、
「信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居す」と釈したまへり。「居す」といふは、浄土に、信心のひとのこころつねにゐたりといふこころなり。これ弥勒とおなじといふことを申すなり。これは等正覚を弥勒とおなじと申すによりて、信心のひとは如来とひとしと申すこころなり。
(『親鸞聖人御消息』『註釈版聖典』七五九頁)
と述べられています。
このように、消息の終わりに示された今月の言葉も、この身は娑婆世界にあって煩悩具足の身であることは変わらないけれども、阿弥陀さまのはたらきに満たされ、覚り(浄土)の教えを依りどころとして人生を生き抜いていく身となった、ということを述べておられるのです。
慶(よろこ)ばしいかな、心を弘誓(ぐせい)の仏地に樹(た)て、念(おもい)を難思(なんじ)の法海に流す。
(『教行信証』後序『同』四七三頁)
聖人の著述の諸所に、確かな依りどころを得て生きていくことのできる慶びが豊かな表現で表されています。
(河智義邦)
2012年7月15日14:00から光明寺本堂で「真空管アンプ音楽鑑賞会」が開催され、邦楽・洋楽・JAZZといった、さまざまな曲が真空管アンプから広い本堂に響きわたり、まるでコンサート会場のようでした。
また、当日はとても暑い中、老若男女問わずたくさんの人が会場を訪れ、心地よいひとときを過ごされました。
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観音・勢至の二菩薩
この法語は、親鸞聖人が『正像末和讃』に
弥陀(みだ)・観音(かんのん)・大勢至(だいせいし)
大願(だいがん)のふねに乗(じょう)じてぞ
生死(しょうじ)のうみにうかみつつ
有情(うじょう)をよばうてのせたまふ(『註釈版聖典』六〇九頁)
阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩の三尊は、大悲の船(本願の船)に乗り込んで、生死の海に浮かびながら、有情(衆生)を喚びつづけ救い取ってくださいます。
と詠まれたなかに出てくる言葉です。和讃のなかには、この一首のように、観音・勢至の両菩薩が登場するものがいくつかあります。その一つが、『浄土和讃』のなかの次の一首です。
観音(かんのん)・勢至(せいし)もろともに
慈光世界(じこうせかい)を照曜(しょうよう)し
有縁(うえん)を度(ど)してしばらくも
休息(くそく)あることなかりけり(『同』五五万頁)
観音・勢至二菩薩は、そろって慈悲の光明によって世界を照らし、縁のある衆生を救済して、しかもしばらくも休むことがありません。
阿弥陀如来と観音勢至の二菩薩は、古来「弥陀三尊」と呼ばれ、三尊形式では阿弥陀如来を中心に脇侍(きょうじ)として左側に観音菩薩、右側に勢至菩薩が立っておられて、それぞれ阿弥陀如来の慈悲と智慧のはたらきを象徴しています。
説明が相前後しますが、「智慧」とは、自己中心的な思いを交えず、すべてのものを分けへだてなく照らし見るという心を、「慈悲」とは、すべてのものを慈しみあわれんで救おうとする心のことをいいます。両者は別々のものではなく「覚り」の内実・二側面であって、真の智慧は自ずから慈悲としてはたらき、真の慈悲のはたらきは智慧を根拠として行われます。それはまた、「智慧の光明」「慈光」といったように、ともに光明と譬喩されます。『浄土和讃』では、二菩薩がともに慈悲の光明によって娑婆世界を照らされて、衆生を救済されることが示されています。
また、この和讃の前二首には、浄土に生まれた無数の菩薩たちが功徳を修め、穢国に戻って衆生を教化し、「弥陀の本願」に帰依せしめられることが詠われています。
観音・勢至の二菩薩は、特に菩薩からの上首とされ、阿弥陀さまの救済活動の手伝いを休むことなく行われているのです。親鸞聖人が、聖徳太子の上に観音菩薩のはたらきを、法然聖人の上に勢至菩薩のはたらきの具現相を見ておられたことは、よく知られているところです。
観音菩薩の御利益
このうち、観音菩薩は、阿弥陀如来の一脇侍という立場とは趣を異にする、独白の側面を持ち合わせています。日本では、『観音経』に基づき平安時代に成立したとい われる西国三十三力所の観音霊場巡りや、病気治し・災難の身代わり・厄除けなど、各地に伝わるいわゆる「御利益信仰・民間信仰」の対象となっている、単独での「観音信仰」が有名です。こうした独白の信仰が生まれ広まったのも、観音菩薩の慈悲的性格によるものと思われます。しかしながら、少々むずかしいことを申すようで恐縮ですが、そうした信仰と浄土教思想における阿弥陀如来の脇侍としての観音菩薩とは一線を引き、交通整理をしておくことが大切であろうと思います。
すべての人の覚りの実現を目指す大乗仏教(浄土真宗もその一つです)には、膨大な数の経典があり、そこに説かれる表現法や実践法などもバラエテイに富んでいます。
そのため同じ仏・菩薩であっても、経論釈によって意義付けが異なり、人びとの受け入れ方や関わり方(信仰形態)も、時代性や地域色を帯びています。
阿弥陀さまの浄土へ往生させていただく教えを聞信していくにあたっては、親鸞聖人が『無量寿経』等を根拠として解釈されたように、観音・勢至の二菩薩は無数の菩薩とともに、人間の欲望充足を目的とする御利益信仰を勧める聖者(しょうじゃ)ではなく、果てしない欲に振り回されて生きる衆生を、煩悩を超えた領域に生きる阿弥陀如来の本願に帰依せしめるという、いわば真の仏教的御利益を与えるために活動をされている聖者と受け止めることが大事かと思います。
すなわち、浄土真宗においては、二菩薩が仕えておられる弥陀一仏を念ずることが肝要で、帰するところ南無阿弥陀仏の念仏の教えをいただいて往生浄上させていただくことが、何よりもありがたい御利益といえるのです。
やわらかいこころ
その三尊が、遠い彼岸からではなく、大悲の船に乗って生死の海に浮かび、私たちを覚りへと導こうとされる姿が讃えられているのが、初めの和讃です。それは、さきほど触れましたように、私(たち)が日々の生活のなかで我欲から離れることができず、「智慧・慈悲」と真逆な心で自損損他(じそんそんた)して生きていることを心配されたからに違いありません。また、迷信など根拠のない言い伝えや信仰にとらわれている姿も、大きな心配事であると思います。その心は三毒の煩悩ともいかれ、存覚(ぞんかく)上人は、
貪欲(どんよく)を生じ瞑恚(しんに)をおこすことも、そのみなもとをいへば、みな愚痴よりいでたり。
(『顕名紗(けんみょうしょう)』『真宗聖教全書』第三巻、三二六頁)
と述べられています。
人間は、自分の都合に合わせて、無ければないで有ればあったで、際限なくものを欲し満足を得ず(貪欲)、欲が妨げられたり、自分の思うようにいかなかったりすると、怒り、ねたみ、言葉や行動で他者を排除しようとする性分を持っていて(瞋恚)、それらはすべて愚痴から生まれたものと示されます。愚痴とは、自己(自我)中心的な頑なな心で世界を捉え生きている「凡夫」の姿を指します。
この凡夫の姿を「セトモノ」(瀬戸物)と表現した人がいます。書家・詩人であった相田みつをさんです。
セトモノと
セトモノと
ぶつかりッこすると
すぐこわれちゃう
どっちか
やわらかければ
だいじょうぶ
やわらかいこころを
もちましょう
そういうわたしは
いつもセトモノ(『生きていてよかった』五四頁、角川文庫)
「やわからかいこころ」とは、自分をセトモノと自覚する心のことだと思います。
私も何ら偉そうなことを言えたものではないのですが、日頃の人間関係でぶつかり合い感情が乱れると、ついついその原因を自分以外に求めようとしてしまいます。しかし、ご縁に導かれた結果かどうかはなはだ自信はありませんが、近頃は以前よりは少し冷静に事態を見つめ、対処できるようになった気でいます。
大願の船に乗らせていただいても、私の煩悩が消えるわけではありません(いつもセトモノ)。しかしながら、常にセトモノ(煩悩具足の凡夫)と自覚せしめられる世界(やわらかいこころ)をいただいていることは、凡夫の仏道にとって極めて大事なことで、そこには緊張感とともに安心感があります。
二菩薩は、またそうした念仏者に常に寄り添ってくださっています。
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)をとなふれば
観音(かんのん)・勢至(せいし)はもろともに
恒沙塵数(ごうじゃじんじゅ)の菩薩(ぼさつ)と
かげのごとくに身にそへり(『註釈版聖典』五七五頁)
「南無阿弥陀仏」と阿弥陀さまの御名を称えると、観音菩薩や勢至菩薩がともに、他の砂や塵ほどの無数の菩薩方と一緒になって、その称える人を添い護ってくださいます。
(河智義邦)
オーディオマニアにはたまらない、本格的なオーディオ設備を使用した音楽鑑賞会を光明寺の本堂で開催します。
歴史が刻まれた由緒ある場所で木造ならではの音の響き、最高の音楽と共に一日をごゆっくりお過ごし下さい。

誓願不思議・名号不思議
今月の法語は、「ただ如来にまかせまゐらせおはしますべく候ふ」(『註釈版聖典』七八一頁)という、『親鸞聖人御消息』第二十三通の結びの文です。その直前には、
往生(おうじょう)の業(ごう)には、わたくしのはからひはあるまじく候ふなり。
(『註釈版聖典』七八一頁)
とあります。これから、この法語は「お浄土参りは自分の力ではとても不可能です。それには阿弥陀さまをたよりにする生き方しかほかに道はありません」という、親鸞聖人の思し召しです。このお心をたずねてみましょう。
このお手紙と『歎異抄』第十一条の内容が、ほぼ同じです。親鸞聖人ご在世の時に、誓願と名号を別々にみる異安心がありました。それは、誓願の不思議力に救われると信じるのは他力真実の信心で、名号の不思議力に救われると信じるのは他力のなかの自力の信心である、という主張です。この異安心を、親鸞聖人は「これみなひがごとにて候ふなり」(『註釈版聖典』七八一頁)と判定されています。このことは、
誓願(せいがん)の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この名字をとなへんものをむかへとらんと御約束あることなれば、まづ弥陀の大悲大願(だいひだいがん)の不思議にたすけられまゐらせて、生死(しょうじ)を出づべしと信じて、念仏の申さるるも如来の御はからひなりとおもへば、すこしもみづからのはからひまじはらざるがゆゑに、本願に相応して、実報土(じっぽうど)に往生するなり。これは誓願の不思議をふねと信じたてまつれば、名号の不思議も具足(ぐそく)して、誓願・名号の不思議ひとつにして、さらに異なることなきなり。
(『註釈版聖典』八三八~八三九頁)
という『歎異抄』の文をみれば、正義(しょうぎ)がわかります。誓願と名号を別々にわけては阿弥陀さまのお心がわかりません。私たちは親鸞聖人の思し召しを正しくいただかねばなりません。
たまわりたる信心
中央仏教学院の講堂は、毎日、全学生が講義の前に仏前で勤行をしている尊い空間です。講堂の正面には、ご門主御染筆の「学仏大悲心」(仏の大悲心(だいひしん)を学して『観経疏』「玄義分」『註釈版聖典(七祖篇)二九八頁』)の額が、かかっています。学生たちはこのお言葉を肝に銘じて、日々僧侶の自覚をあらたにしながら精進をしています。「学仏大悲心」とはご本願を聞くことであり、如来のまことを信じる生き方です。ご本願を信じて生きてゆかねば、空しさがのこる人生です。「宝の山に入りて手を空しくして帰ることなかれ」(『往生要集』『同』八四二頁)とありますが、まことに人生は仏法が聞ける宝の山のなかの生活です。しかし、この人生はあっという間に過ぎてしまいます。急いで後生の一大事の解決に心がけねばなりません。
生きてよし死してまたよし法の身は
今日の一日(ひとひ)を よろこびに生(う)く
と、曽我是精師が詠っています。この念仏者は、お聴聞を通して生死をのりこえる道を確信されていたのですね。まさにお聴聞は人生の師です。
『歎異抄』第六条と後序に、「如来よりたまはりたる信心」(『註釈版聖典』八三五、八五二頁)という表現があります。世間では人が信心をつくるようにいうのですが、浄土真宗は私がつくる信心とはいいません。人生で、ご法義話は大切な時間ですが、相手に浄土真宗の信心を誤解されないように気をつけるべきです。阿弥陀さまのお慈悲そのものが信心ですから、浄土真宗ではこのように「たまわりたる信心」という表現をつかいます。お名号ができあがった理由がわかれば、ただ「ありがとうございます」とお念仏するだけです。称えるお念仏は、そのまま「まかせよ」の阿弥陀仏の招喚の勅命です。「必ず助ける」如来の願力が阿弥陀仏の四字の意義で、これを法といいます。「必ず助かる」衆生の信心が「南無」の二字の意義で、これを機(き)といいます。
阿弥陀仏は、「若不生者不取正覚」(もし生(しょう)ぜずは、正覚(しょうがく)を取らじ。「無量寿経」『註釈版聖典』一八頁)と誓った正覚の御名ですから、お名号には必ず「助ける」という誓願の成就があります。「南無」は帰命と訳され、「必ず助ける」の勅命に帰順する信心です。信心は救われた人に現れたことがらですから、「阿弥陀仏」の法に対して「南無」を機といいます。このように、「阿弥陀仏」の法によって「南無」の機が成ぜられ、「南無」と「阿弥陀仏」は一体不二に成就しているから、私がまちがいなく救われる証となります。蓮如上人は、これを「機法一体(きほういったい)の南無阿弥陀仏」といわれました。
『御文章』第二帖目第十四通の「秘事法門の章」に、
ただひとすぢに阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき、かならず弥陀如来の摂取の光明を放ちて、その身の娑婆(しゃば)にあらんほどは、この光明のなかに摂(おさ)めおきましますなり。これすなはちわれらが往生の定まりたるすがたなり。されば南無阿弥陀仏と申す体は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心といふは、この南無阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりとこころうべきなり。さればわれらがいまの他力の信心ひとつをとるによりて、極楽にやすく往生すべきことの、さらになにの疑(うたがい)もなし。
(『註釈版聖典』一一三一頁)
と説かれていますが、このご文が今月の法語を説明し尽くしているように思われます。
親のよびごえ
明治時代に、原口針水という和上がおられました。
われ称えわれ聞くなれど南無阿弥陀
つれてゆくぞの親のよびごえ(梯實圓著『妙好人のことば』二二七頁)
という歌をつくっています。とてもありがたい歌です。私が称えるお念仏でありますが、その声が私の耳にとどけば、阿弥陀さまの招喚の勅命といただかねばなりません。
南無阿弥陀仏は、阿弥陀さまが私を救ってくださっているすがたです。同時に、私が阿弥陀さまに救われているすがたです。これが、親鸞聖人が伝えてくださった称名念仏の意義です。『教行信証』「行文類」と『尊号真像銘文』には親鸞聖人の六字釈があり、ここに南無阿弥陀仏の意義が明らかにされています。
六字釈は、善導大師と親鸞聖人、それに蓮如上人の三人の方のものがあります。そのなか、善導大師の六字釈は、「南無」の二字と「阿弥陀仏」の四字にわけた解釈です。親鸞聖人は。「南無阿弥陀仏」の六字全体を帰命・発願廻向(ほつがんえこう)・即是其行と、三義の解釈をされています。両者の解釈には相違がありません。発願廻向は、「二尊(にそん)の召しにしたがうて、安楽浄土に生れんとねがふこころ」(『尊号真像銘文』『註釈版聖典』六五六頁)で、私を往生成仏させる阿弥陀さまのはたらきのことです。お慈悲のありったけを衆生にもたせてやりたいという、阿弥陀さまのお心です。どのようにして私にお慈悲をもたせるのかを示すのが、帰命です。それを「帰命は、すなはち釈迦(しゃか)・弥陀の二尊の勅命(ちょくめい)にしたがひて、召しにかなふと申すことばなり」(『同』)とお示しです。蓮如上人は、称名念仏は阿弥陀さまが私を「われをたのめ、必ず助ける」という喚びかけであり、それを聞き信じる私が「必ず助かると弥陀をたのむ」すがたであるとお示しです。お念仏をするそのままが、阿弥陀さまの勅命を聞いて信順しているすがたなのです。
「即是其行(そくぜごぎょう)」は、
法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の選択本願(せんじゃくほんがん)なりとしるべしとなり。安養浄土(あんにょうじょうど)の正定(しょうじょう)の業因(ごういん)なりとのたまへるこころなり。
(『尊号真像銘文』『註釈版聖典』六五六頁)
とお示しです。この即是其行は、私を往生成仏させる阿弥陀さまのはたらきです。善導大師は、このことを『無量寿経』を引用して、
一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力(だいがんごうりき)に乗じて増上縁(ぞうじょうえん)となさざるはなし
(『観経疏』「玄義分」『註釈版聖典(七祖篇)』三〇一頁)
といっておられます。「若不生者不取正覚」(もし生ぜずは、正覚を取らじ)の本願が成就したお名号ですから、「われにまかせよ、必ず助ける」のはたらきが称名念仏です。私のお救いは阿弥陀さまの一人ばたらきです。このことを先哲は「唯信独達(ゆいしんどくとつ)」といいました。親鸞聖人は、「私のためにできあがった南無阿弥陀仏が往生の行になる」とおっしゃいました。第十八願が成就して名号になり、名号が正定業となるのです。
信心そのものがお名号ですから、お念仏を称えているままが、私の往生浄土の因となっているのです。
私たちは目に見えないものは信じられない性癖があります。それなら見えないものをどうして信じられるのでしょうか。このことで思いだすのが、「私たちは本願力をどこで知るのでしょうか。たとえば野原に花が咲いていたら、すでにそこには春がきているとわかります。阿弥陀さまが私のところにきてくださっていると知れるのは、私が称えているお念仏からです。お念仏は阿弥陀さまのはたらきそのものだといただくべきです。」(『親鸞聖人の教義』一八~一九頁、取意)といわれた、大江淳誠和上の言葉です。ご本願が如実に念仏生活のうえに現れているといただくべきです。お念仏している姿は、阿弥陀さまとともに生きているすがたなのです。このようにお念仏をいただいていくのが、親鸞聖人のお考えです。浄土真宗の称名は、称えさせられているところのお念仏といえます。
そのままのお助け
多くのお同行に慕われていた一蓮院秀存師が、「浄土真宗の要は、そのままのお助けじゃ」と、話されたことがあります。それを聞いたお同行が、「このままのお助けですね」と念をおしました。一蓮院は首をふり、「ちがうぞ、そのままのお助けじゃ」と言い放ちました。お同行はしばらく沈黙した後に、「このままのお助けでございますか」と聞き直しました。一蓮院は、ただお念仏をしているだけです。お同行はどう理解していいのかわからず、「もう一度お聞かせください。私はどうにもわかりません」と懇願しました。一蓮院は「そのままのお助けじゃ」と同じことを言うだけでした。それを聞いたお同行ははっとして、「ありがとうございます。もったいないことです」と言い、一蓮院とともにお念仏を称え始めました。一蓮院さまはお同行のその領解を喜び、「お互いに尊いご法縁にあわせてもらいましたのう。お浄土では必ずお会いしましょう」と、うれしそうに言われたそうです。ありがたい逸話ですね。
これと似たような話を、ずいぶんと前に『大乗』(本願寺出版社刊)で読んだ記憶があります。梅原真隆和上のもとに、大病を患っていたお同行が、「今生のみやげに浄土真宗の要を書いてほしい」と懇願しました。そこで梅原和上は、
なにもかもまかせまつりて
南無阿弥陀
この身このまますくわれてゆく(大乗刊行会編『珠玉のことば』一九九頁)
という歌をつくって渡されたという話です。この歌からも浄土真宗の核心が伝わってきます。むずかしい言葉を覚えて得意げに話すよりも、「そのまま助けるぞ」という招喚の勅命をすなおにいただいて喜ぶ人生にこそ、私が救われる道がひらけてくるのです。いや、私の救いの道はすでにひらかれていたと気づかせていただけるのです。
こうなると、生きていることがうれしくなってきますね。
(鎌田宗雲)
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