2012年1月 摂取の心光 つねに照護したもう 法語カレンダー解説

「正信偈」の文

  

  
今月の法語は、『教行信証』「行分類」の「正信偈」の文から選ばれました。

  

まず、「正信偈」について少し述べることから始めたいと思います。「正信偈」は正式には「正信念仏偈」と呼ばれます。われわれ浄土真宗の門徒が心の依りどころとする根本聖典、『教行信証』の最も重要な一部分の抜粋です。それは、六十行百二十句からなる讃歌です。

   

「帰命無量寿如来 南無不可思議光(きみょうむりょうじゅにょらい なもふかしぎこう)」(『日常勤行聖典』六貢)から始まるこの偈頌(げじゅ)は、多くの人に親しまれ、読誦されています。また、この二句のなかに、親鸞聖人の喜びと如来の光のなかに見も心も投託された信条が、余すところなく表されています。

    

一月の法語解説でも少し触れましたが、「正信偈」は二つの部分に分けられ、「法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ)」(『同』)からは『無量寿経』に基づいて述べられる依経段、「印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)」(『同』十七貢)以下は三国七高僧の釈によって説かれる依釈段と呼ばれます。

   

そしてこの偈のなかに『教行信証』の全体が圧縮されているのです。したがって、「正信偈」を読むことによって真宗教義の全体が鳥瞰(ちょうかん)できるのです。そしてまた、「正信偈」を学べば真宗教義のすべてを学んだことになるといっても、過言ではありません。

   

さて、その「正信偈」のなかから、

   

摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご)

(『日常勤行聖典』十三貢)

(摂取の心光、つねに照護したまふ。『註釈版聖典』二〇四貢)

   

の文が取り上げられてあります。この一句は『観無量寿経』の、

   

光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。

(『註釈版聖典』一〇二貢)

   

や、善導大師の『観念法門(かんねんぽうもん)』に、

   

ただもつぱら阿弥陀仏を念ずる衆生のみありて、かの仏の心光つねにこの人を照らして、摂護(しょうご)して捨てたまはず

(『註釈版聖典(七祖篇)』六一八貢)

   

等とある文に依られていると考えられます。

  

  

「摂取」の心

   
ところで、摂取という語につきましては、国宝本(真筆本)の『浄土和讃』「弥陀経讃」(「阿弥陀経和讃」)の左訓に次のようにあります。

   

おさめとる
ひとたびとりてながくすてぬなり
せふはものヽにぐるをおわえとるなり せふはおさめとる、
しゆはむかえとる

(『真宗聖典全書』第二巻、三七九貢・原文片仮名)

  

とあります。

   

「摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。摂はをさめとる、取は迎へとる」(『註釈版聖典』五七二貢)という言葉から、桐渓順忍和上のおっしゃっておられたことが思い出されます。それは、「逃げても逃げても救われる。救われるのに逃げている」という言い方をされていたことです。私たちは阿弥陀さまに背を向けて逃げているのですが、どこまでも追っかけてきて抱き取って離さないというのが摂取の意味である、といわれています。

   

また、「摂」と「取」に分けてそれぞれの意味を示しておられるのも、親鸞聖人の説明の特徴です。たとえば、「慶喜」という語についても、

   

慶(きょう)はよろこぶといふ、信心をえてのちによろこぶなり。喜はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。 

(『註釈版聖典』七一二貢)

   

とあります。このような例は他にもいくつかありますが、分釈することによって元の言葉の意味がより深く味わわれるように思われます。それは、言葉が動的に生きた姿をとってくるということでしょうか。

   

このように、「弥陀経讃」の摂取の語に意味を示しておられます。その和讃一首の全体をみますと、

   

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる

(『註釈版聖典』五七一貢)

    

十方のさまざまな世界にうごめき念仏を称えながら生きている衆生をご覧になって、光明のなかに摂め取りお捨てにならない方を、阿弥陀仏と申しあげます。

   

と詠っておられます。

   

この和讃では、阿弥陀仏という名告りは、十方世界に生きるあらゆる者を念仏の衆生に育てあげ、光明のなかに摂め取って捨てないからであり、それゆえに阿弥陀と名付けるのであるといわれます。といたしますと、摂取ということが「阿弥陀仏」という名告りの基盤をなしているということです。摂取不捨ということを離しては、阿弥陀仏という仏さまを語ることはできないということです。

   

ですから、阿弥陀仏の仏像を拝見しますと、右手を高く掲げ、左手を下にしておられます。それは、摂取と不捨ということを表しておられる姿といわれています。もっとも智慧と慈悲を示されているとの見方もあります。いずれにしましても、この和讃からは阿弥陀仏と名付ける理由として、念仏の衆生を摂取して捨てないからだといわれます。

   

このように、摂取といわれる阿弥陀さまのはたらきは、心光によって表されます。

   

私どもが目にする太陽とか月の光、あるいは蛍光灯の光などは色光といって、心光とは区別されます。色光は波動とか粒子でできていると、物理学では考えてきました。しかし、心光とはそのように分析できるものではありません。心光に遇えば、見えなかったものが見えてくる、気付かなかったものが気付かされる、知らなかったものが知られてくるとでも説明できるでしょうか。心光とは、信心を得た人を護り育ててくださる仏さまの智慧のはたらきをいうのです。それは救いの光ということであります。

   

親鸞聖人が真実の経といわれる『無量寿経』には、名号による救いの論理が説かれているとともに、光明による救済が説かれています。たとえば、第三十三願には、

   

たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、わが光明を蒙(こうぶ)りてその身に触れんもの、身心柔軟にして人天に超過せん。もししからずは、正覚を取らじ。

(『註釈版聖典』二一貢)

   

とあります。摂取の光明に包まれた者は、煩悩が消えて身も心もやわらぐという、願いです。光明は本来智慧を表すのですが、ここでは慈悲の光明として、その意義を担っています。浄土教では、慈悲としての光明が強調されてくるように思われます。

   

親鸞聖人もまた、光明を智慧と慈悲の両方を表すものとみていかれます。『御消息』のなかで、

   

無礙光如来(むげこうにょらい)の慈悲光明に摂取せられまゐらせ候ふゆゑ、名号をとなへつつ不退の位に入り定まり候ひなんには、

(『親鸞聖人御消息』『同』七七七貢)

   

と述べられて、光明によって慈悲を表されています。また、『浄土和讃』には、

   

慈光はるかにかぶらしめ
ひかりのいたるところには
法喜をうとぞのべたまふ
大安慰(だいあんに)を帰命せよ

(『註釈版聖典』五五八貢)

   

(曇鸞大師(どんらんだいし)は、)はるかに離れた浄土からの阿弥陀さまの慈しみの光明をいただいた者は、仏法を喜ぶ心をいただくとおっしゃっています。大きな安心と慰めをお与えくださる阿弥陀さまに、帰依いたしましょう。

   

と、やはり慈悲の光明を讃詠されています。

   

このように、心光について窺うことができますが、その心光によって常に照護される利益に恵まれていると述べられるのです。

   
讃嘆と自省

   
ところで、阿弥陀さまの光に照らされているのであれば、もはや貪りや瞋り(いかり)といった醜い心は起こらないのでしょうか。このことについて、親鸞聖人は巧みな比喩を用いて、次に続く「正信偈」の文のなかに述べられています。それは、

   

巳能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん)
貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)
常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん)

(『日常勤行聖典』一三貢)

   

(すでによく無明の闇を破すといへども、貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実信心の天に覆へり。『註釈版聖典』二〇四貢)

   

というお言葉です。ここでは、雲や霧によって日光がさえぎられるように、私たちの貪愛や瞋憎の妄念は常に起こり、信心の大空を覆ってしまっていると喩えておられます。しかし、次に、

   

譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ)
雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん)

(『日常勤行聖典』一四貢)

   

(たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし。『註釈版聖典』二〇四貢)

   

と続いています。これは、いかに雲霧がその日光を遮ろうとも、地上のすべてはあきらかであるという喩えですが、これは、一度信心を獲れば、その後は往生についての疑いの心は起こらないということを表しています。そして、このような譬喩によって、摂取の心光によって護られてる姿を明らかにされているのです。

   

ここで一つ注意してみたいことは、「摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご)」に常とあり、「常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん)」に常の文字が見られるということです。この二つの常の文字のなかに、親鸞聖人の限りない讃嘆、そして喜びの思いが伝わってくるようですし、同時にまた深い自省の思いが込められているように窺われます。

   

親鸞聖人は、『教行信証』で、信心を「誠なるかな・慶ばしいかな・悲しきかな」(三哉)と、喜びと悲しみの思いをもっておっしゃいました。今の二つの常もそうです。二つの常が別々にあるのではないのです。煩悩具足の凡夫であるということと阿弥陀さまの慈光に浴するということとは、けっして切り離しては考えられないのです。

   

松影の暗きは月の明かりかな

  

という歌があります。月の光によって影が写るのです。光と影、これもひとつのものであります。

   

ところで、この「摂取心光常照護」の文を、親鸞聖人は『尊号真像銘文』のなかに、

   

「摂取心光常照護」といふは、信心をえたる人をば、無礙光仏(むげこうぶつ)の心光つねに照らし護りたまふゆゑに、無明の闇はれ、生死のながき夜すでに暁になりぬとしるべしとなり。

(『註釈版聖典』六七二貢)

   

と説明されています。阿弥陀さまの心光は常に照らし護ってくださるのです。源信和尚(げんしんかしょう)も、

   

大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ。

(『往生要集』『註釈版聖典(七祖篇)』九五六~九五七貢)

   

と述べられています。大悲の光明は、すっぽり私を包み照らしているのです。その光明のはたらきに気付いた時、すなわち信心をいただいた時、無明の闇が晴れるといわれるのです。その闇を長い夜に喩えられています。闇は、闇を破ることはできません。「明来闇去」という言葉がありますように、光によって破られるのです。自分の煩悩の深さを徹底的に内省していく時、阿弥陀さまの光に遇うことができるということです。同じ「正信偈」のなかにあります、「極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)」(『日常勤行聖典』三二貢)(極重の悪人はただ仏を称すべし『註釈版聖典』二〇七貢)という言葉の「極重悪人」をわがこととして思う時、弥陀の大悲のなかに摂め取られているということであります。

   

「摂取心光常照護」の言葉から、親鸞聖人が『教行信証』「信文類」で、現生において十種の益を得ると述べられているなかに、「心光常護の益」があることも思い出されます。この句によって、ほのぼのとした歓喜の心が生じてくる、そんな法語として味わうことであります。

 

(大田利生)

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宇部の蓮光寺に参拝に行って参りました。

2011年11月26日、宇部にある蓮光寺と宗隣寺に参拝に行って参りました。 [nggallery id=3 template=caption]

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2012年表紙 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし「正像末和讃」 法語カレンダー解説

「三帖和讃」の成立

 

「表紙のことば」に『正像末和讃』の言葉が掲げられています。

 

和文の『教行信証』とまでいわれる親鸞聖人の和讃は、その著述全体で大きな意味を持つものであります。聖人の晩年の大著、「三帖和讃」は、今はひとまとまりのものとして扱われていますが、『正像末和讃』は『浄土和讃』『高僧和讃』とは事情を異にし、独自の経過を辿ってできたものと考えられます。

 

『正像末和讃』がほぼ現在の形に整ってきましたのは、これまでのところ、親鸞聖人が八十六歳の秋であったといわれています。『浄土和讃』、『高僧和讃』(『浄土高僧和讃』)が一連のものとして成立してから、ちょうど十年が経過していることになります。ただ『浄土高僧和讃』に次いで計画的に順序立てられて『正像末和讃』が成立したかというと、必ずしもそうとはいえないことが、研究者によって指摘されています。それは、親鸞聖人が七十歳から八十歳にかけて、必ずしも健康で生き続けることばかりを予期してはおられなかったであろうということ。そして、『浄土和讃』『高僧和讃』の二和讃は、奥書からも知られるように、それだけで完結した一つの著作とその時点では考えられていたということが窺えるからです。したがって、「三帖和讃」はそろって流布したのではないといわれています。段階的に成立し、結果的に「三帖和讃」として定着したものであると考えられます。ちなみに、「三帖和讃」という呼称の最初は、覚如上人の次子・従覚(じゅうかく)上人の著『慕帰絵詞(ぼきえことば)』のなかにみられます。

 

なお、内容としては、『浄土和讃』が「浄土三部経」を中心に構成されているのに対して、『高僧和讃』は七高僧によって組織付けられているので、それぞれ『浄土和讃』は「正信偶」の前半の依経段(えきょうだん)、『高僧和讃』は後半の依釈段(えしゃくだん)の構成と軌を一にするとみられています。

 

今、『正像末和讃』には百十六首の和讃が収められています。その内容は、「夢告讃」一首、「正像末浄土和讃」五十八首、「誡疑讃(かいぎさん)」二十三首、「皇太子聖徳奉讃」十一首、「愚禿悲歎述懐」十六首、「善光寺和讃」五首、「自然法爾(じねんほうに)」の法語、結びの和讃二首となっています。

 

 

大悲の恩を知る

 

 

今取り上げられている和讃は、このなかの「誡疑讃」(「仏智疑惑和讃」)の第七首目の後半部です。その一首には、

 

信心のひとにおとらじと

疑心自力の行者も

如来大悲の恩をしり

称名念仏はげむべし

(『註釈版聖典』六一一頁)

仏智を疑う自力の行者であっても、信心の行者に劣ってはならないと思い、阿弥陀さまの大悲の恩の深さを知って、称名念仏に励みましょう。

 

と詠われています。

 

この和讃は、意味を取る場合、なかなかむずかしいものがあります。それは、「自力の行者も」といわれる前半と「大悲の恩を知り」といわれている後半とが一つにつながらず、読みにくいということがあります。あるいは、自力の行者と称名念仏とを関係付けてみますと、自力の念仏を勧めているようにも読むことができそうです。もちろん、親鸞聖人が自力念仏を勧められることはありません。

 

そこで、この和讃を次のようにいただいていけばと思います。

 

「仏智を疑う自力念仏の行者でも、他力信心の人に劣らないように、大悲のはたらきによって第十八願の念仏者になったのであるから、どうか報恩の念仏を称えてください」と。このように窺えば、自力の称名を勧めている和讃ではないといえます。特に、「如来大悲の恩を知り」という言葉によって、自力の行者が第十八願の他力に心が翻ったことが読み取れます。

 

これら『正像末和讃』「誡疑讃」では、仏智を疑うことによって辺地懈慢(へんじけまん)に留まることを厳しく誡めておられます。『無量寿経』に説かれる、胎生(たいしょう)・化生(けしょう)といったお浄土への生まれ方を背景にして、第十八願の世界に帰入すべきことを勧められているのです。

 

 

如来の行である念仏

 

 

ところで、「称名念仏はげむべし」といわれる称名念仏について、親鸞聖人の言葉によって少し窺ってみたいと思います。同じく『正像末和讃』には、

 

真実信心(しんじつしんじん)の称名(しょうみょう)は

弥陀回向(みだえこう)の法なれば

不回向(ふえこう)となづけてぞ

自力の称念(しょうねん)きらはるる

(『註釈版聖典』六〇七頁)

 

真実信心によって称えられる念仏は阿弥陀さまがお与えくださったおみのりですから、それを「不回向」といい、自力の思いによって称えられる念仏は、嫌われてしまうのです。

 

とあります。

 

真実信心の称名は、阿弥陀さまが与えてくださった法であるから、私の方から回向していくのではない。だから不回向と名付け、自力の念仏を嫌われるのです。念仏とは、阿弥陀さまから与えられるもので、私が自分の力で称える念仏ではありません。

 

甲斐和里子さんは、

 

御仏をよぶわがこゑは
御仏のわれを喚びます御声なりけり

(『草かご』二四四頁)

 

と詠まれています。また、池山栄吉さんは、

 

よき人の仰せにききてみ名を呼べば
喚ばはせたまふみ声きこえぬ

(『仏と人』三五九頁)

 

と詠っておられます。どちらも、念仏しているのは私であるけれども、その根源を訪ねて行けば、人間の行いではなく、阿弥陀さまが私に喚びかけておられる如来の行であることを詠っておられるのです。

 

それでは、この念仏が阿弥陀さまの行であることを、さらに「南無阿弥陀仏」の六字の意味から窺っていきたいと思います。南無阿弥陀仏の「南無」とは、帰命と訳されます。もともとサンスクリット語ナマス(namas)とは腰をかがめるという意味ですが、それが転じて帰命となったのです。

 

それはともかく、親鸞聖人はこの「帰命」を解釈して、

 

「帰命は本願招喚(ほんがんしょうかん)の勅命(ちょくめい)なり。

(『教行信証』「行文類」『註釈版聖典』 一七〇頁)

 

と述べられ、私を呼んでいてくださる喚び声だといわれています。また、「阿弥陀仏」を解釈して、

 

「即是其行(そくぜごぎょう)」といふは、すなはち選択本願(せんじゃくほんがん)これなり。

(『同』)

 

と説示されます。

 

では、どのように阿弥陀さまは私に喚びかけていてくだざるのでしょうか。蓮如上人は、六字の名号を「われをたのめ(南無)」「必ず助ける(阿弥陀仏)」という喚び声の内容と受け取っていかれました。それは『御文章』の、

 

この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり。

(『同』 一一〇六頁)

 

といわれる文によっても知られるところです。そういう勅命を聞いて、私の方からは「必ず助かると弥陀をたのむ」という信心を表す言葉となるのです。また、「南無阿弥陀仏」と称えているのは、

 

阿弥陀如来の御たすけありつることのありがたさたふとさよとおもひて

(『同』 一一三一頁)

 

といわれるように、仏恩報謝の念仏であると示されています。

 

 

真仮を知る

 

 

親鸞聖人は、念仏を自力の念仏・他力の念仏にはっきりと分けられました。阿弥陀仏の本願も真実と方便とに分けられ、「浄土三部経」にも真実教と方便教があるといわれました。そして、

 

真仮(しんけ)を知らざるによりて、如来広大(にょらいこうだい)の恩徳(おんどく)を迷失(めいしつ)す。

(『註釈版聖典』三七三頁)

 

と述べておられます。

 

今、和讃で「如来大悲の恩を知り」といわれていることと、『教行信証』「真仏土文類」で「如来広大の恩徳を迷失す」といわれていることを重ね合わせると、真仮を知ることが大悲を知るということであるということがわかりますので、少し真仮を知るということについて考えてみたいと思います。

 

真仮を知るとは、何が真実で何が方便であるかを知る、はっきり見極めるということです。たとえば、なぜ『無量寿経』が真実の教といえるのかということが一つ考えられます。親鸞聖人は、『無量寿経』に、お釈迦さまがこの世にお出ましになられたのは『無量寿経』を説くためであると説かれた、いわゆる出世本懐(しゅっせほんがい)の文があることによって、真実教の証明とされました。しかし、『法華経』にも出世本懐の文があります。としますと、出世本懐の文だけでは『無量寿経』が真実教とはいえなくなります。

 

しかし、『無量寿経』は真実の教であるといわなければなりません。なぜなら、『無量寿経』には本願と名号が説かれ、それによる救済の論理が説き示されているからです。如来の大慈悲を、そしてその功徳のすべてを、一切の生きとし生けるものに与えたいという願いが、名号という言葉となって届けられているのです。私たちは、そういう如来の本願によって救われていくのです。『無量寿経』に説かれているから真実であるということではなく、真実である本願が説かれているから『無量寿経』は真実の経典であると、親鸞聖人はみられたと窺うことができます。

 

一方、親鸞聖人は、このような『無量寿経』に対して、『観無量寿経』『阿弥陀経』はそれぞれ方便の教えを説いた経典とみられました。この三つの経典は、本願に対応させますと、それぞれ第十八願、第十九願、第二十願にあたります。

 

 

真実と方便

 

 

ところで、もう一つ問題なのは、そのような真実と方便との関係です。方便とは、サンスクリット語では、もともと動詞ウパ・イ(upa-√i)が変化した名詞ウパーヤ(upaya)という、「返づく、到達する」という意味を持つ語です。そして、特に大乗仏教では、この方便の思想を抜きにしてはその教えが成り立たないといってよいほど、重要なものです。経典によっては、「方便品(ほうべんぼん)」という特別に方便について論ずる一品が独立してあるほどです。

 

さて、親鸞聖人の立場で、方便をどのように考えておられるかが問題です。方便とは、真実に到る手段なのか、それとも真実の仮に現れたものなのか、という問題ですが、従来は、真実に入るまでは必要で真実に入れば不用だという、捨てものの方便論が強くいわれていたようです。しかし、真実そのものを、つまり如来の大悲をそのなかに感じられるような方便の意味を認めていくこともできると思います。

 

このように受け止めながら、今一度、今月の和讃である「誡疑讃」にかえって方便について考えてみますと、自力念仏の人だと切り捨てるのではなく、やがて必ず如来の大悲を知って念仏の人になってほしい、あるいは、大悲を知る人になってくれるはずだという気持ちが込められている、和讃のように思われてくるのです。

 

親鸞聖人の経典理解には独創的なものがあります。たとえば、「浄土三部経」に隠顕(おんけん)をみていくという態度が、それにあたります。『無量寿経』は、真実教として真実のみ教えを説く経典ですが、『観無量寿経』『阿弥陀経』には、表と裏の意味があるとみていかれるのです。『観無量寿経』は、表(顕)では定散二善を説く経典ですが、裏(隠)からは第十八願、他力の教えを説く教えであるというように。いずれにしても、このような経典観から窺えることは、捨てたものにも意義を認めていこうという態度が、その根底にあるように思われます。

(大田利生)

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12/10 みどり会のご案内

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2011年12月 前に生まれんものは後を導き 後に生まれんひとは人は前を訪え 法語カレンダー解説

時代を去ること遥かに遠く

   

 今月の言葉は、『教行信証』後序の終りに記されていて、この文は七高僧の第四祖、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)の『安楽集』から引かれています。そこで、この言葉を浮き彫りにするために、それに先立つ前文を現代語に言い換えて紹介しておきます。それは、

   

今のときの衆生を考えるのに、ちょうど、お釈迦さまが世を去られてから後の第四の五百年に当たっている。これはまさしく懺悔し功徳を修めて仏の名号を称えるべきときである。一声、南無阿弥陀仏と称えるところに、八十億劫もの長い間の迷いの罪が除かれる。一声でそうである。ましてつねに念仏するものはつねに懺悔する人である。もしお釈迦さまの時代を去ることが近ければ、前のものが禅定や智慧を修めることが正しい学となり、後のものは兼ねることになる。もしお釈迦さまの時代を去ることが遠ければ、後のものの称名の方が正しい学となり、前のものの禅定や智慧は兼ねてすることになる。どういうわけでそうなるかと言えば、まことに今の時代の衆生は、お釈迦さまの時代を去ること遥かに遠く、宗教的素質が劣って、深いことを理解できず愚かであるからである。そのために韋提希夫人(『仏説観無量寿経』に説く「王舎城の悲劇」の主人公)は、自分や末世の五濁の衆生がとても長い間、生死を繰り返して、いたずらに苦しみを受けるのをあわれんで、仮に苦しい因縁にあって迷いの世界を超え出る道を尋ねたので、お釈迦さまは慈悲をもって、極楽に帰すべきことを勧められた。もしこの世界において修行して進もうとすれば、すぐれた覚りの結果はなかなか得ることができない、ただ阿弥陀如来の浄土の一門のみは、凡夫の情をもって願って往生することができる。もし多くの経典を開いてみるならば、これを勧められるところがたいへん多い。

(『註釈版聖典(七祖編)』一八四貢、参照)

 

と書かれ、これに続けて、今回の法語として取り上げる文章の、

   

真言を取り集めて、往益(おうやく)を助修(じょしゅ)せしむ。いかんとなれば、前に生まれんものは後を導き、後に生まれん人は前を訪へ(とぶらへ)、連続無窮(むぐう)にして、願はくは休止(くし)せざらしめんと欲す。無辺の生死海(しょうじかい)を尽さんがためのゆゑなり。

(『註釈版聖典』四七四貢)

   

があります。

  

   

五濁悪世

   

 さきの『安楽集』の内容からも少しうかがえますが、道綽禅師について考えるときに重要なことは「三時思想」です。これは仏教の歴史観とも言えるもので、お釈迦さまが涅槃に入られてから時間が経過するにしたがって、世の中が濁って仏法が衰退していくというもので、それを正法(しょうぼう)・像法・末法の三時に分けることです。その三時の期間はどれぐらいとみるかについては各種の説がありますが、道綽禅師は正法五百年、像法一千年、末法一万年と考えておられたようです。ですから、禅師が生まれられた西暦五六二年は、お釈迦さま入滅後一千五百十一年目にあたりますので、すでに末法に入っていたと確信されていたようです。前述の文中でもありましたが、末法になると五濁が顕著になることをお釈迦さまは明らかにされていました。『仏説阿弥陀経』の終りに、「五濁悪世(ごじょくあくせ)、劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・命濁(みょうじょく)」(『註釈版聖典』一二八貢)とあるのがそれです。道綽禅師がすでに末法の時代に入ったと自覚されていたことは、親鸞聖人も同じであられたし、現代の私たちも末法の真っただ中にあると明確に認識しておかねばなりません。そのような視点にたって周囲をみわたすと、無気力・無責任・無関心・無感動・無作法などの言葉を頻繁に耳にし、虚無主義的傾向が広がっているようにみえます。末法における五濁悪世の五濁について明らかにしておきましょう。

   

 「劫濁」とは、時代の濁りで戦争や疫病や飢饉などが多くなることを言い、時代的な環境社会の濁りをさします。「見濁」とは、思想の乱れを言い、邪しまな見解や教えがつぎつぎにでることをさします。人間のご都合主義が大手をふるい、それぞれの信仰をつくりだしていきます。「煩悩濁」とは、煩悩がはびこることを言い、貪り・怒り・迷い(癡(ち)=愚かな心の暗さ)などの煩悩が燃え盛る、あさましいすがたをさします。「衆生濁」とは、人間の身・心がともに弱くなり、資質が低下することを言います。「命濁」は生命の濁りということで、寿命が少しずつ短くなることをさします。数十年来のわが国だけに限ると、お釈迦さまの説示を覆しているようにみえますが、世界に目を向け、末法一万年を考えると、五濁の他のものと合わせて納得せざるをえません。

   

 「礼賛文(らいさんもん)」の、

   

人身(にんじん)受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。

   

の言葉は、私たちが親しんでよく口にしています。道綽禅師も、この世に生を受けたことで仏法に出遭えた喜びをかみしめる一方で、教えがありながら覚りに到れない末法の世であることのくやしさ、悲しさは想像を絶するものであったことでしょう。しかし、そのことが他力浄土の世界に目を向けられる機縁となったのです。そこで、道綽禅師の教えの基本が約時被機(やくじひき)(時代と衆生の資質とに相応する教え)にあることをおさえておかねばなりません。時代と環境、そして自分の能力を十分にふまえたうえでの、道綽禅師の教えにむかう姿勢から、宗教はいつも現実の社会と自分自身のすがたを視野にすることが大切であることを知らされます。どんなに尊く深い教義であっても、それが私の手が届かないようなものであれば決して救われることはなく、したがって、その宗教は意味のないものとなってしまいます。

   

   

弥陀の本願

  

  

 ここで再び最初に戻って、「真言を採り集めて」から「無辺の生死海を尽さんがためのゆえなり」までを現代語に言い換えると、

   

真実の言葉を集めて往生の助けにしよう。なぜなら、前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、数限りない迷いの人々が残らず救われるためである

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』六四六貢)

   

となります。

   

 この文中の「前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね」るについて、いろいろな受け止め方が生じてきます。その一例をあげますと、「わが家においては先に生まれた者が、後に続く子や孫をしっかり育てておかなければならない。また今、生きているお互いは先立たれた方々のご恩をいつまでも忘れないで暮らしたい」というような内容です。これは人間として大切な心がけですが、倫理・道徳のうえでとらえています。

   

 ではこのところを、どのように考えればよいのでしょうか。『歎異抄』第二条で、親鸞聖人は次のように述べておられます。

   

弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊(しゃくそん)の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言(おんしゃくきょごん)したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなり

(『註釈版聖典』八三三頁)

   

 この言葉は、はるばる関東から命がけで京都に尋ねてきた門弟の不審に対する、聖人の返答なのです。なにか学問的、論理的な説明を期待してやってきた門弟に、かえって求める側の誤りを指摘するものでした。それは、

   

しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくく(はっきりと知りたく)おぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。

(『註釈版聖典』八三二頁、参照)

   

とたしなめられたものでした。

   

 その後に、「弥陀の本願まこと」以下の話がでてきます。また、「まこと」について触れますと、同じ『歎異抄』後序に、

   

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

(『註釈版聖典』八五三~八五四頁)

   

とあります。私たちが今生を過ごす娑婆世界には、ほんとうに頼りきれるものがありません。どれほどあてにしても人には別れがあります。まして財産であれ、地位・名声でも、やがては消えていくのです。さらに言えば、喪失するものばかりを追いかけているのです。それをむなしいと感じないところが、人間の愚かさです。そのような私たち(凡夫)をみすてることができずに、阿弥陀如来は〈必ずすくう〉との本願をたててくださったのです。そして、その願いが名号となってはたらいてくださっています。ですから、如来の本願を疑いをまじえずに受け入れることが信心であり、そこにおのずから〈南無阿弥陀仏〉が口をついてでるのです。そこを親鸞聖人は、ほんとうの信心には必ずお念仏がそなわっていると仰せになっています。

   

 また「正信偈」は、

   

道俗時衆共同心(どうぞくじしゅぐどうしん)
道俗時衆ともに同心に、

唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)
ただこの高僧の説を信ずべしと。

(『註釈版聖典』二〇七頁)

   

で結ばれています。ここで親鸞聖人は、出家も在家も今のときの人びとは、さらにはこれから後に生まれてくる人びとも、みんな同じ心をもって、この高僧方が口をそろえて説かれる〈弥陀の本願まこと〉の教えを信ぜよ、と勧められています。

   

 私たちは各処で示されている、これらのおこころを疑いなく受け止めるための聴聞を欠かすことができません。それはまた、念仏相続に努めさせていただく生活として途切れることなく受け継がれていくことが望まれているのです。

   

(清岡隆文)

  

あとがき

 親鸞聖人ご誕生八百年・立教開宗七百五十年のご法要を迎えた一九七三(昭和四十八)年に、真宗教団連合伝道活動の一つとして「法語カレンダー」は誕生しました。門信徒の方々が浄土真宗のご法義をよろこび、お念仏を申す日々を送っていただく縁となるようにという願いのもとに、ご住職方をはじめ各寺院のみなさまが頒布普及にご尽力をいただいたお陰で、現在では国内で発行されるカレンダーの代表的な位置を占めるようになりました。その結果、門信徒の方々の生活の糧となる「こころのカレンダー」として、ご愛用いただいております。

    

 それと共に、法語カレンダーの法語のこころを詳しく知りたい、法語について深く味わう手引き書が欲しいという、ご要望をたくさんお寄せいただきました。本願寺出版社ではそのご要望にお応えして、一九八〇(昭和五十五)年版から、このカレンダーの法語法話集『月々のことば』を刊行し、年々ご好評をいただいております。今回で第三十二集をかぞえることになりました。

   

 真宗教団連合各派において、二〇一一(平成二十三)年~二〇一二(平成二十四)年に親鸞聖人七百五十回大遠忌を迎えますことから、聖人のいただかれた聖典のお言葉を中心に法語が取りあげられることになり、二〇一一(平成二十三)年は、親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)のなかから法語が選定されました。この法語をテーマにして、四人の方に法話を分担執筆していただき、本書を編集いたしました。繰り返し読んで、み教えを味わっていただく法味愛楽の書としてお届けいたします。

   

 本書を縁として、カレンダーの法語を味わい、ご家族や周りの方々にお念仏のよろこびを伝える機縁としていただくとともに、研修会などのテキストとしても幅広くご活用ください。

   

二〇一〇(平成二十二)年八月
本願寺出版社

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親鸞聖人750回大遠忌法要 -本願寺新報-

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50年に一度のご勝縁に全国から17万人以上が本願寺に訪れました。 [nggallery id=2]

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11/26 みどり会ご案内

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親鸞聖人750回大遠忌法要団体参拝にご参加いただいた方から絵葉書をいただきました。

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安穏 親鸞聖人750回大遠忌法要団体参拝にご参加いただいた方から絵葉書をいただきました。

下関市安岡町Uさんからの絵葉書です。ありがとうございました。

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2011年11月 心を弘誓の仏地に樹て念を難思の法海に流す 法語カレンダー解説

慶ばしいかな

     

 今月の言葉は、『教行信証』後序で、親鸞聖人ご自身が感慨をもって述べられるところです。その前後の文を含めてみると、次のとおりです。

  

慶ばしいかな、心を弘誓(ぐぜい)の仏地に樹(た)て、念(おもい)を難思の法海に流す。深く如来の衿哀(こうあい)を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜(きょうき)いよいよ至り、至孝いよいよ重し。

 (『註釈版聖典』四七三頁)

   

 ここで注目したいことは、最初に「慶ばしいかな」とあり、後に「慶喜いよいよ至り」とあることです。私たちは、ただ一度の人生をうれしいことや楽しいことによって、喜びいっぱいにしたいと願っています。そのためには、財力も必要であるし、また出世もその条件と考えます。しかし、はたしてそれらを手中にしても本当に喜べることになるでしょうか。これについて『仏説無量寿経』には、

   

 貧しいものも富めるものも、老若男女を問わず、みな金銭のことで悩んでいる。それがあろうがなかろうが、憂え悩むことには変りがなく、あれこれと嘆き苦しみ、後先のことをいろいろと心配し、いつも欲のために追い回されて、少しも安らかなときがないのである。

(『浄土三部経(現代語版)』九六頁)

   

とありますように、人生にはつねに憂い、悩みがともなうことを教えています。そのような人生において、有無にとらわれずに喜べることを聖人は表明されていると、今月の言葉を受けとめたいのです。この箇所を分かりやすく言い換えると、

   

 まことによろこばしいことである。心を本願の大地にうちたて、思いを不可思議の大海に流す。深く如来の慈悲のおこころを知り、まことに師の厚いご恩を仰ぐ。よろこびの思いはいよいよ増し、敬いの思いはますます深まっていく。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』六四五頁)

となります。

   

 ところで、浄土真宗の教えにもとづいて生活するお互いのたしなみは、如来の本願を仰ぐ<ようこそ>の思いにあります。親鸞聖人は、この<ようこそ>の思いを「哉」をもって表現されることがあります。『教行信証』において「慶ばしいかな(慶哉)」としめされるこの箇所が、その一例です。他方、「悲しきかな(悲哉)」(信文類 『註釈版聖典』二六六頁)をも、合わせ受けとめなければなりません。端的に言えば、慶哉とは「うれしや」という歓喜のこころであり、悲哉とは「はずかしや」と口にする慚愧のこころです。ここでの「悲しきかな」とは、如来の智慧の光明に照らしだされて、煩悩に明け暮れるばかりの私であることに気づかされることです。人間の根本に我執があり、そのゆえに他の人びとの欠点はよく見えるが、自分の欠点にはなかなか気づけません。ここに自己主張ばかりに力が入り、反省さえも十分になされず、自己弁護に終始することになります。現在の世相は、このあたりに基づいているのではありませんか。親鸞聖人が示される「悲しきかな」は真実の信心をめぐまれたうえでのことですから、単に悲しいのではなくて、そこにはあふれでる喜びがあるのです。したがって、「慶ばしいかな」と別にすることはできないのです。

   

 これまでは、まず今月の言葉の前後に記述される部分に目をかけてきましたが、文章としての構成からすると、『教行信証』制作にいたる心持ちを明らかにされる一段で、そのなかで、「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」の言葉は『大唐西域記』の「心を仏地に樹て、情を法海に流す」(『大正新修大蔵経』史伝部三・八八七頁・原漢文)に依っていると思われます。この書は、中国・明代にできた小説『西遊記』に登場する三蔵法師のモデルとみられる、唐代の僧玄奘(げんじょう)が著わしたインド旅行記で、それには七世紀前半のインドとその周辺、そして西域の国々のようす、とりわけ仏教事情が詳しく紹介されています。そこで、親鸞聖人も強い関心をもって、この
本を手にされたことでしょう。

   

人生の浮生なる相

   

 この辺ですこし話題を変えて、思いを巡らせてみます。人生は無常であることを衝撃をともなって感じるのが、家族や親族また親しい人との死別です。何であれ、この世の区切りとなる別れの儀式をするなかで、とくに浄土真宗はそこに大切な意義があることを強調しています。それは、死をただ別離としてあきらめるのではなくて、この悲しみによって、私か阿弥陀如来の願いとそのはたらきに遇うことのできる機会を与えられた、と受けとめることです。しかし、現実は葬儀という形式によって進行し、弔問者の対応に追われて、じっくり法話に耳を傾けることができません。しかし、そのような状況のもとでも、拝読される蓮如上人の『御文章』のなかの「白骨の章」は、圧倒的な影響力をもち続けてきました。それには相応の理由があります。まず文章が練れていて平易であるので、聴きやすく頭に入ります。さらに、全文の大半が仏教の
基本となる、無常の理の一色で埋め尽くされています。宗教の有無、また宗派を超えて、葬儀においては適切な伝道の教材として大切にされてきました。ところが、環境の急激な変化が、私たちの無常感をも徐々に薄めてきているように思えます。

   

 ここで、「白骨の章」の文面に目をむけることにします。その最初に、

    

  それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそほかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身を受けたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。

 (第五帖第十六通 『註釈版聖典』 一二〇三頁)

   

と、以下に続きます。この部分の意味は難しくないので、大筋は理解できることでしょう。一応文にそって言えば次の通りです。

   

   さて、人間の定まりないありさまをよくよく考えてみますと、およそはかないものとは、この世の始めから終りまでまぼろしのような一生涯であります。ですから、人が一万年生きたということを聞いたことがありません。一生は過ぎやすいものです。

  

 私も今、この文と合わせて、〈少年老い易く学成り難し〉の誠めが頭から離れません。『御文章』は本来手紙ですから、制作時にはなかったのですが、後には題名をつけて親しまれることになります。多くの人びとに知られている「聖人一流章」や「末代無智章」など、他にも『御文章』の冒頭の文を題名とする例がいくつもありますが、この「白骨の章」においては、もっとも強調されている、

ただ白骨(はっこつ)のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろかなり。

 (『註釈版聖典』 一二〇四頁)

  

から取っているようです。

 

 ここでは、「人間の浮生なる相」から始まります。私は、この表現について考えています。これは前掲の文で明らかなように、「人間の定まりないありさま」ということですが、浮生とは文字通りにみると浮いて生きているとなり、浮草を連想します。浮草のような人生とは、水上にあって、その根は水底の大地にはとどいていません。したがって、川面においては水の流れのままに漂ってながされていくのです。あるいは、水面を吹き通る風におされて止まることができません。このように浮生なる者の寄り集まるところが、浮世と言えましょう。

   

 処世術を心得た人を〈世渡りがうまい〉と言うことがありますが、信心の人とたとえられる妙好人(みょうこうにん)は、その多くが世間一般の尺度で測るところの世渡りのうまい人ではありません。いや、かえって処世術を心得た人との間に真意がくみ取れずに、誤解が生ずることもありました。しかし、それらの妙好人たちはまさに、「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」生き方を、身をもってしめしてくれています。阿弥陀如来の本願を大地にたとえ、そこにしっかり根をはってたくましく成長してゆるぎない大樹となるように、本願を信じるままになにをもってしても砕かれることのない金剛心がめぐまれるのです。それは、つねに如来におもいをかけ、ますます本願をたのもしく仰ぐことになります。『浄土和讃』の最初に、

   

    弥陀の名号となへつつ
    信心まことにうるひとは
    憶念(おくねん)の心つねにして
    仏恩(ぶっとん)報ずるおもひあり

 (『注釈版聖典』五五五頁)
 

と詠われる心に通じています。

  

弥陀の本願海

   

 「難思の法海」の言葉には、また親鸞聖人の特別の感慨がうかがえます。それは「海」についてです。私もまた山よりも海に惹かれます。それも、夏の喧騒が過ぎ去った後の、秋から冬の海が好きです。折々に聖人の御跡を慕って旅をしますが、かつての越後へのご流罪の道中において、国境の難所を小船に乗って居多ヶ浜(こたがはま)に上陸された、と伝えられています。そして約七年間、海とともに生活されたことを考えると、それまでの三十五年間の人生が海から遠く離れた所でのものだったので、急激な環境の変化と言えます。越後での生活を通して、親鸞聖人は海に強い感動を受けられたに違いありません。低くたれこめる暗雲と荒れ狂う鉛色の海。またときとして穏やかで、優しさをたたえる鏡のような海。そして、どれほど濁った河川の水をも受け入れて澄ませるはたらきをもつ、たのもしく光りかがやく海。聖人の著述には海の表現がきわめて多いことに気づかれることでしょう。

   

 また、その使用例においても内容はさまざまです。しかし、『教行信証』行文類「一乗海釈」にでてくる海の解釈については知っておきたいところです。そこでは、

   

   海に入ればあらゆる水が同じ塩水に変わるように、弥陀の本願海には、凡夫も聖者も、五逆謗法の人でも一味の徳に転じられる。(中略)さらに海は死骸をたもたず、浮かばせ、浜辺にうちあげてしまうように〈死骸は自力の心をさす〉、本願の海には自力の心をもっては入ることができず、その心が取り除かれて、受け入れられる。

(『註釈版聖典』 一九七頁、参照)

と説かれています。よく味わいたいところです。

(清岡隆文)

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親鸞聖人750回大遠忌法要写真ギャラリー

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2011年10月11日から13日までの間、京都・西本願寺へ親鸞聖人750回大遠忌法要へ行って参りました。 西本願寺写真ギャラリーより一部抜粋しております。 [nggallery id=1]

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