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50年に一度のご勝縁に全国から17万人以上が本願寺に訪れました。 [nggallery id=2]
慶ばしいかな
今月の言葉は、『教行信証』後序で、親鸞聖人ご自身が感慨をもって述べられるところです。その前後の文を含めてみると、次のとおりです。
慶ばしいかな、心を弘誓(ぐぜい)の仏地に樹(た)て、念(おもい)を難思の法海に流す。深く如来の衿哀(こうあい)を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜(きょうき)いよいよ至り、至孝いよいよ重し。
(『註釈版聖典』四七三頁)
ここで注目したいことは、最初に「慶ばしいかな」とあり、後に「慶喜いよいよ至り」とあることです。私たちは、ただ一度の人生をうれしいことや楽しいことによって、喜びいっぱいにしたいと願っています。そのためには、財力も必要であるし、また出世もその条件と考えます。しかし、はたしてそれらを手中にしても本当に喜べることになるでしょうか。これについて『仏説無量寿経』には、
貧しいものも富めるものも、老若男女を問わず、みな金銭のことで悩んでいる。それがあろうがなかろうが、憂え悩むことには変りがなく、あれこれと嘆き苦しみ、後先のことをいろいろと心配し、いつも欲のために追い回されて、少しも安らかなときがないのである。
(『浄土三部経(現代語版)』九六頁)
とありますように、人生にはつねに憂い、悩みがともなうことを教えています。そのような人生において、有無にとらわれずに喜べることを聖人は表明されていると、今月の言葉を受けとめたいのです。この箇所を分かりやすく言い換えると、
まことによろこばしいことである。心を本願の大地にうちたて、思いを不可思議の大海に流す。深く如来の慈悲のおこころを知り、まことに師の厚いご恩を仰ぐ。よろこびの思いはいよいよ増し、敬いの思いはますます深まっていく。
(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』六四五頁)
となります。
ところで、浄土真宗の教えにもとづいて生活するお互いのたしなみは、如来の本願を仰ぐ<ようこそ>の思いにあります。親鸞聖人は、この<ようこそ>の思いを「哉」をもって表現されることがあります。『教行信証』において「慶ばしいかな(慶哉)」としめされるこの箇所が、その一例です。他方、「悲しきかな(悲哉)」(信文類 『註釈版聖典』二六六頁)をも、合わせ受けとめなければなりません。端的に言えば、慶哉とは「うれしや」という歓喜のこころであり、悲哉とは「はずかしや」と口にする慚愧のこころです。ここでの「悲しきかな」とは、如来の智慧の光明に照らしだされて、煩悩に明け暮れるばかりの私であることに気づかされることです。人間の根本に我執があり、そのゆえに他の人びとの欠点はよく見えるが、自分の欠点にはなかなか気づけません。ここに自己主張ばかりに力が入り、反省さえも十分になされず、自己弁護に終始することになります。現在の世相は、このあたりに基づいているのではありませんか。親鸞聖人が示される「悲しきかな」は真実の信心をめぐまれたうえでのことですから、単に悲しいのではなくて、そこにはあふれでる喜びがあるのです。したがって、「慶ばしいかな」と別にすることはできないのです。
これまでは、まず今月の言葉の前後に記述される部分に目をかけてきましたが、文章としての構成からすると、『教行信証』制作にいたる心持ちを明らかにされる一段で、そのなかで、「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」の言葉は『大唐西域記』の「心を仏地に樹て、情を法海に流す」(『大正新修大蔵経』史伝部三・八八七頁・原漢文)に依っていると思われます。この書は、中国・明代にできた小説『西遊記』に登場する三蔵法師のモデルとみられる、唐代の僧玄奘(げんじょう)が著わしたインド旅行記で、それには七世紀前半のインドとその周辺、そして西域の国々のようす、とりわけ仏教事情が詳しく紹介されています。そこで、親鸞聖人も強い関心をもって、この
本を手にされたことでしょう。
人生の浮生なる相
この辺ですこし話題を変えて、思いを巡らせてみます。人生は無常であることを衝撃をともなって感じるのが、家族や親族また親しい人との死別です。何であれ、この世の区切りとなる別れの儀式をするなかで、とくに浄土真宗はそこに大切な意義があることを強調しています。それは、死をただ別離としてあきらめるのではなくて、この悲しみによって、私か阿弥陀如来の願いとそのはたらきに遇うことのできる機会を与えられた、と受けとめることです。しかし、現実は葬儀という形式によって進行し、弔問者の対応に追われて、じっくり法話に耳を傾けることができません。しかし、そのような状況のもとでも、拝読される蓮如上人の『御文章』のなかの「白骨の章」は、圧倒的な影響力をもち続けてきました。それには相応の理由があります。まず文章が練れていて平易であるので、聴きやすく頭に入ります。さらに、全文の大半が仏教の
基本となる、無常の理の一色で埋め尽くされています。宗教の有無、また宗派を超えて、葬儀においては適切な伝道の教材として大切にされてきました。ところが、環境の急激な変化が、私たちの無常感をも徐々に薄めてきているように思えます。
ここで、「白骨の章」の文面に目をむけることにします。その最初に、
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそほかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身を受けたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。
(第五帖第十六通 『註釈版聖典』 一二〇三頁)
と、以下に続きます。この部分の意味は難しくないので、大筋は理解できることでしょう。一応文にそって言えば次の通りです。
さて、人間の定まりないありさまをよくよく考えてみますと、およそはかないものとは、この世の始めから終りまでまぼろしのような一生涯であります。ですから、人が一万年生きたということを聞いたことがありません。一生は過ぎやすいものです。
私も今、この文と合わせて、〈少年老い易く学成り難し〉の誠めが頭から離れません。『御文章』は本来手紙ですから、制作時にはなかったのですが、後には題名をつけて親しまれることになります。多くの人びとに知られている「聖人一流章」や「末代無智章」など、他にも『御文章』の冒頭の文を題名とする例がいくつもありますが、この「白骨の章」においては、もっとも強調されている、
ただ白骨(はっこつ)のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろかなり。
(『註釈版聖典』 一二〇四頁)
から取っているようです。
ここでは、「人間の浮生なる相」から始まります。私は、この表現について考えています。これは前掲の文で明らかなように、「人間の定まりないありさま」ということですが、浮生とは文字通りにみると浮いて生きているとなり、浮草を連想します。浮草のような人生とは、水上にあって、その根は水底の大地にはとどいていません。したがって、川面においては水の流れのままに漂ってながされていくのです。あるいは、水面を吹き通る風におされて止まることができません。このように浮生なる者の寄り集まるところが、浮世と言えましょう。
処世術を心得た人を〈世渡りがうまい〉と言うことがありますが、信心の人とたとえられる妙好人(みょうこうにん)は、その多くが世間一般の尺度で測るところの世渡りのうまい人ではありません。いや、かえって処世術を心得た人との間に真意がくみ取れずに、誤解が生ずることもありました。しかし、それらの妙好人たちはまさに、「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」生き方を、身をもってしめしてくれています。阿弥陀如来の本願を大地にたとえ、そこにしっかり根をはってたくましく成長してゆるぎない大樹となるように、本願を信じるままになにをもってしても砕かれることのない金剛心がめぐまれるのです。それは、つねに如来におもいをかけ、ますます本願をたのもしく仰ぐことになります。『浄土和讃』の最初に、
弥陀の名号となへつつ
信心まことにうるひとは
憶念(おくねん)の心つねにして
仏恩(ぶっとん)報ずるおもひあり(『注釈版聖典』五五五頁)
と詠われる心に通じています。
弥陀の本願海
「難思の法海」の言葉には、また親鸞聖人の特別の感慨がうかがえます。それは「海」についてです。私もまた山よりも海に惹かれます。それも、夏の喧騒が過ぎ去った後の、秋から冬の海が好きです。折々に聖人の御跡を慕って旅をしますが、かつての越後へのご流罪の道中において、国境の難所を小船に乗って居多ヶ浜(こたがはま)に上陸された、と伝えられています。そして約七年間、海とともに生活されたことを考えると、それまでの三十五年間の人生が海から遠く離れた所でのものだったので、急激な環境の変化と言えます。越後での生活を通して、親鸞聖人は海に強い感動を受けられたに違いありません。低くたれこめる暗雲と荒れ狂う鉛色の海。またときとして穏やかで、優しさをたたえる鏡のような海。そして、どれほど濁った河川の水をも受け入れて澄ませるはたらきをもつ、たのもしく光りかがやく海。聖人の著述には海の表現がきわめて多いことに気づかれることでしょう。
また、その使用例においても内容はさまざまです。しかし、『教行信証』行文類「一乗海釈」にでてくる海の解釈については知っておきたいところです。そこでは、
海に入ればあらゆる水が同じ塩水に変わるように、弥陀の本願海には、凡夫も聖者も、五逆謗法の人でも一味の徳に転じられる。(中略)さらに海は死骸をたもたず、浮かばせ、浜辺にうちあげてしまうように〈死骸は自力の心をさす〉、本願の海には自力の心をもっては入ることができず、その心が取り除かれて、受け入れられる。
(『註釈版聖典』 一九七頁、参照)
と説かれています。よく味わいたいところです。
(清岡隆文)
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2011年10月11日から13日までの間、京都・西本願寺へ親鸞聖人750回大遠忌法要へ行って参りました。 西本願寺写真ギャラリーより一部抜粋しております。 [nggallery id=1]
本願に帰す
九歳での得度出家から二十年間、比叡山においての日々は、この世で覚 りをひらこうとするものですから、言語に絶する厳しいものであったと推 察できますが、親鸞聖人の山での生活の詳細はわかっていません。ただ、 みずからの能力を尽くして学問にうちこみ、もろもろの修行に励んでも、 かえって苦悩は深まるばかりでした。親鸞聖人において、最大の課題は、 妻の恵信尼さまの消息(手紙)に、「生死(しょうじ)出づべき道をば、 ただ一(ひと)すぢに仰せられ候(そうら)ひしを」(『恵信尼消息』『 註釈版聖典』八一一頁)とあるように、生死の迷いから越え出る道を究め ることにあったのです。ところが、比叡山においては、かえって「いづれ の行にても生死をはなるることあるべからざる」(『歎異抄』第三条 『 註釈版聖典』八三四頁)ということを、知らされることになりました。
解決の糸口すら見いだせない苦悶を胸に、訪ねた法然聖人の言葉が、ま さに乾ききった大地に恵みの雨がしみこむようであったことでしょう。こ のことに触れて『御伝鈔』第二段では、
真宗紹隆(しんしゅうしょうりゅう)の大祖聖人(たいそしょうにん)( 源空)、ことに宗の淵源(えんげん)を尽し、教の理致(りち)をきはめ て、これをのべたまふに、たちどころに他力摂生(たりきせっしょう)の 旨趣(しいしゅ)を受得(じゅとく)し、あくまで凡夫直入(ぼんぶじき にゅう)の真心を決定(けつじょう)しましましけり。
(『註釈版聖典』 一〇四四頁)
と、法然聖人に出会うことによって、ただちに他力本願の世界に入られた ようにうかがえます。ところが一方、『恵信尼消息』第一通によりますと 、
法然上人にあひまゐらせて、また六角堂に百日龍らせたまひて候ひけるや うに、また百か日、降るにも照るにも、いかなるたいふにも、まゐりてあ りしに、ただ後世(ごせ)のことは、よき人にもあしきにも、おなじやう に、生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひしを、うけたまはり さだめで候ひしかば
(『註釈版聖典』八一一頁)
と書かれています。かつて深い苦悩をもって六角堂に百日間龍られたよう に、また同じ日数を区切って、一途に生死の迷いから越え出る道を求めて 通い続けられたというのですが、このご消息から親鸞聖人の心境がより強 く伝わってきます。
私たちは日々の暮らしのなかで、愛を求め、財を求め、地位を求め続け ています。そして、それらを得るために手段を選ばず、人の心を傷つける ことにもなっています。さらに欲望はとどまることなく拡がっていきます 。もしかなえられないときには、人を怨み、社会をのろい自暴自棄になっ てしまいます。
さて、法然聖人は当時、吉水において、阿弥陀仏のすくいを信じてただ 念仏するばかりであることを説いておられました。そこには、どのような 人をもすべて受け入れる、ちょうどあらゆる河川の水が流れ込む広大な海 にたとえられる、すくいの世界が示されていました。かつて三十年にもお よぶ長いときを比叡山で過ごされた法然聖人には、親鸞聖人の胸のうちが 容易に見通せたことでしょう。師と仰ぐ方からの心温まる説法によって、 親鸞聖人の苦悶はあざやかに解消していきました。そのことを『教行信証 』後序(ごじょ)で、
しかるに愚禿釈(ぐとくしゃく)の鸞(らん)、建仁辛酉(けんにんかの とのとり)の暦、雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す。
(『註釈版聖典』四七二頁)
と記しておられます。これは、親鸞聖人自身にとってはもちろん、私たち にとっての凡夫往生の道が明らかにされたのです。
私たちは、直接に目にできない多くの人びと、さらには気付くことすら できない無数のいのちによって、護られ生かされていることを知らず、し たがって、自覚覚他(自身がめざめるとともに他をもめざめさせる)をこ ころがけるどころか、自害害他(白身が傷つき、他をも傷つけてやまない )の日暮らしを繰り返しています。親鸞聖人は、そのありかたをみずから のこととして「愚禿(ぐとく)」の表現をもって呼び、さらに「煩悩具足 のわれら」と述べておられます。
義なきを義とす
今月の法語の「雑行」について考えてみましょう。中国の唐の時代にで られた善導大師は浄土への往生を願った方で、真宗七高僧の第五番目の方 として仰いでいます。
大師の主著である『観経疏』の「散善義(さんぜんぎ)」に、「正行(し ょうぎょう)」と「雑行(ぞうぎょう)」が説明されています。
まず正行とは、阿弥陀仏の浄土に往生するための純正の行という意味で 、雑行は邪雑の行としています。もちろん善導大師や法然聖人がすすめら れるのは正行で、雑行は誡めておられます。雑行は本来、この世で覚りを ひらくうえでの行である諸善万行をもって、浄土に往生するための行とし て転用するものであるために、このように言うのです。私たちは、なにか 善いことを行って、それを認め讃えてもらって浄土に往生できると考えて いるのではないでしょうか。それは凡夫のはからいであり、かえって阿弥 陀如来の本願を疑うことになってしまいます。
親鸞聖人の言葉が集められている『歎異抄』が、現代の苦悩する人びと に活力を与え続けていますが、そこに、
しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき 善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪 なきゆゑに
(第一条 『註釈版聖典』八三二頁)
と述べられています。自力による諸善万行は、仏教一般において求められ ているところであり、親鸞聖人も比叡山時代を通して取り組まれた難行で ありましたが、それは究極的に覚りにいたることができないものでした。 今ここに、法然聖人との出会いによって「義なきを義とす」他力信心の世 界が開かれたのです。「義なきを義とす」とは、晩年に記された『御消息 』のなかで「自然法爾(じねんほうに)ということについて」においてし めされています。そこを現代語に訳して言えば、
「自然」ということについて、「自」は「おのずから」ということであり 、念仏の行者のはからいによるのではないということです。「然」は「そ のようにあらしめる」という言葉です。「そのようにあらしめる」という のは、行者のはからいによるのではなく、阿弥陀仏の本願によるのですか ら、それを「法爾」というのです。(中略)これは「法の徳」すなわち本 願のはたらきにより、そのようにあらしめるということなのです。人がこ とさらに思いはからうことはまったくないのです。ですから、「自力のは からいがまじらないことを根本の法義とする」と知らなければならないと いうのです。(『親鸞聖人御消息(現代語版)』五六~五七頁)
となります。ここでうかがえるように、「義なきを義とす」とは「自力の はからいがまじらないことを根本の法義とする」ということです。
ところで、前の文中の「法爾」について一言しますと、「法」とはもの みなすべてということです。「爾」とはしかりという字ですから、合わせ ると、ものみなすべてがそうなっているということです。法然聖人の〈つ ねに仰られける御詞(二七条)〉のなかに、
法爾の道理といふ事あり。ほのをはそらにのぼり、水はくだりさまにな がる。菓子のなかに、すき物ありあまき物あり。これらはみな法爾の道理 なり。
(『昭和新修法然上人全集』四九三頁)
があります。すなわち火(ほのを)は燃え上がるものであり、水は下へ下 へと流れていくものである。菓子(この時代は果実、すなわちくだものを 指している)には、酸いものもあれば、甘いものもある。どうしてそうな のかと言えば、結局はそうなっているということになります。それがまた 自然の道理というものなのです。したがって、「本願を信じ念仏を申さば 仏に成る」(『歎異抄』第十二条 『註釈版聖典』八三九頁)ことは法爾 の道理であると言われるのです。『歎異抄』では、前半の第一条から第十条に、門弟の唯円房が直接親鸞聖人から聞いて耳の底に強く残っている法 語を記していますが、とりわけ第一条は法義の要がのべられています。そ の冒頭が「弥陀(みだ)の誓願(せいがん)不思議にたすけられまゐらせ て」(『註釈版聖典』八三一頁)で、阿弥陀如来がなぜ私たちを救ってく ださるのかということは、どれほど頭をめぐらせ、論理をもって説明しよ うとしても不可能であることを力説されるところで、結局そうなっている としか言えないと、素直に受け取ることを勧めておられます。
帰命の心
親鸞聖人が「本願に帰す」と表明される、この「帰」についてさらに詳 細にうかがってみましょう。これについては、『教行信証』の「六字釈」 (南無阿弥陀仏の解釈)をとりあげなければなりません。そこでは、「し かれば、『南無(なも)』の言(ごん)は帰命(きみょう)なり」(行文 類 『註釈版聖典』 一七〇頁)からはじまって、まず「帰」の字と「命 」の字とを分けてしめされるところで、「帰」の字をいくつもの文字をも って解釈されます。
その最初に「至」とあります。この意味は「いたりつく」ということで 、私たちみずからがはからうことをやめて、阿弥陀如来の本願力にいたり つくということです。
次に「帰悦(キエツ)」と表現されます。この悦は喜びを表す文字で、こ こに聖人はカタカナで「ヨリタノム」と読んでおられます。これが浄土真 宗のまことの信心を明かされる大切な言葉で、如来の本願力にまかせきっ たところにめぐまれるやすらぎのすがたが「帰悦」であります。阿弥陀如 来は、力のない者に如来が力となり、本当にあてにできるよりどころを持 たない者に如来が依りどころとなろうと、今はたらいてくださっています 。さらに、聖人は「帰税(キサイ)」と表現されます。税の字は「さい」 と読むときは、やどるという意味で、ここでもカタカナで「ヨリカカル」 と言っておられます。
これらのことより、如来の本願をわが心の宿りとすることになって落ち 着くことになるのです。私たちは宿るところがあって、初めて心にやすら ぎが得られます。阿弥陀如来の本願は、罪悪深重にして煩悩の火がつねに 燃え続けているこの私を救うために、みずからのいのちをかけて誓ってく ださったのですから、如来の慈悲をわが心の宿りとして落ち着くすがたが 「帰税」であり、さきの「帰悦」とともに、私への阿弥陀如来の喚びかけ なのです。
(清岡隆文)