2011年12月 前に生まれんものは後を導き 後に生まれんひとは人は前を訪え 法語カレンダー解説

時代を去ること遥かに遠く

   

 今月の言葉は、『教行信証』後序の終りに記されていて、この文は七高僧の第四祖、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)の『安楽集』から引かれています。そこで、この言葉を浮き彫りにするために、それに先立つ前文を現代語に言い換えて紹介しておきます。それは、

   

今のときの衆生を考えるのに、ちょうど、お釈迦さまが世を去られてから後の第四の五百年に当たっている。これはまさしく懺悔し功徳を修めて仏の名号を称えるべきときである。一声、南無阿弥陀仏と称えるところに、八十億劫もの長い間の迷いの罪が除かれる。一声でそうである。ましてつねに念仏するものはつねに懺悔する人である。もしお釈迦さまの時代を去ることが近ければ、前のものが禅定や智慧を修めることが正しい学となり、後のものは兼ねることになる。もしお釈迦さまの時代を去ることが遠ければ、後のものの称名の方が正しい学となり、前のものの禅定や智慧は兼ねてすることになる。どういうわけでそうなるかと言えば、まことに今の時代の衆生は、お釈迦さまの時代を去ること遥かに遠く、宗教的素質が劣って、深いことを理解できず愚かであるからである。そのために韋提希夫人(『仏説観無量寿経』に説く「王舎城の悲劇」の主人公)は、自分や末世の五濁の衆生がとても長い間、生死を繰り返して、いたずらに苦しみを受けるのをあわれんで、仮に苦しい因縁にあって迷いの世界を超え出る道を尋ねたので、お釈迦さまは慈悲をもって、極楽に帰すべきことを勧められた。もしこの世界において修行して進もうとすれば、すぐれた覚りの結果はなかなか得ることができない、ただ阿弥陀如来の浄土の一門のみは、凡夫の情をもって願って往生することができる。もし多くの経典を開いてみるならば、これを勧められるところがたいへん多い。

(『註釈版聖典(七祖編)』一八四貢、参照)

 

と書かれ、これに続けて、今回の法語として取り上げる文章の、

   

真言を取り集めて、往益(おうやく)を助修(じょしゅ)せしむ。いかんとなれば、前に生まれんものは後を導き、後に生まれん人は前を訪へ(とぶらへ)、連続無窮(むぐう)にして、願はくは休止(くし)せざらしめんと欲す。無辺の生死海(しょうじかい)を尽さんがためのゆゑなり。

(『註釈版聖典』四七四貢)

   

があります。

  

   

五濁悪世

   

 さきの『安楽集』の内容からも少しうかがえますが、道綽禅師について考えるときに重要なことは「三時思想」です。これは仏教の歴史観とも言えるもので、お釈迦さまが涅槃に入られてから時間が経過するにしたがって、世の中が濁って仏法が衰退していくというもので、それを正法(しょうぼう)・像法・末法の三時に分けることです。その三時の期間はどれぐらいとみるかについては各種の説がありますが、道綽禅師は正法五百年、像法一千年、末法一万年と考えておられたようです。ですから、禅師が生まれられた西暦五六二年は、お釈迦さま入滅後一千五百十一年目にあたりますので、すでに末法に入っていたと確信されていたようです。前述の文中でもありましたが、末法になると五濁が顕著になることをお釈迦さまは明らかにされていました。『仏説阿弥陀経』の終りに、「五濁悪世(ごじょくあくせ)、劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・命濁(みょうじょく)」(『註釈版聖典』一二八貢)とあるのがそれです。道綽禅師がすでに末法の時代に入ったと自覚されていたことは、親鸞聖人も同じであられたし、現代の私たちも末法の真っただ中にあると明確に認識しておかねばなりません。そのような視点にたって周囲をみわたすと、無気力・無責任・無関心・無感動・無作法などの言葉を頻繁に耳にし、虚無主義的傾向が広がっているようにみえます。末法における五濁悪世の五濁について明らかにしておきましょう。

   

 「劫濁」とは、時代の濁りで戦争や疫病や飢饉などが多くなることを言い、時代的な環境社会の濁りをさします。「見濁」とは、思想の乱れを言い、邪しまな見解や教えがつぎつぎにでることをさします。人間のご都合主義が大手をふるい、それぞれの信仰をつくりだしていきます。「煩悩濁」とは、煩悩がはびこることを言い、貪り・怒り・迷い(癡(ち)=愚かな心の暗さ)などの煩悩が燃え盛る、あさましいすがたをさします。「衆生濁」とは、人間の身・心がともに弱くなり、資質が低下することを言います。「命濁」は生命の濁りということで、寿命が少しずつ短くなることをさします。数十年来のわが国だけに限ると、お釈迦さまの説示を覆しているようにみえますが、世界に目を向け、末法一万年を考えると、五濁の他のものと合わせて納得せざるをえません。

   

 「礼賛文(らいさんもん)」の、

   

人身(にんじん)受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。

   

の言葉は、私たちが親しんでよく口にしています。道綽禅師も、この世に生を受けたことで仏法に出遭えた喜びをかみしめる一方で、教えがありながら覚りに到れない末法の世であることのくやしさ、悲しさは想像を絶するものであったことでしょう。しかし、そのことが他力浄土の世界に目を向けられる機縁となったのです。そこで、道綽禅師の教えの基本が約時被機(やくじひき)(時代と衆生の資質とに相応する教え)にあることをおさえておかねばなりません。時代と環境、そして自分の能力を十分にふまえたうえでの、道綽禅師の教えにむかう姿勢から、宗教はいつも現実の社会と自分自身のすがたを視野にすることが大切であることを知らされます。どんなに尊く深い教義であっても、それが私の手が届かないようなものであれば決して救われることはなく、したがって、その宗教は意味のないものとなってしまいます。

   

   

弥陀の本願

  

  

 ここで再び最初に戻って、「真言を採り集めて」から「無辺の生死海を尽さんがためのゆえなり」までを現代語に言い換えると、

   

真実の言葉を集めて往生の助けにしよう。なぜなら、前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、数限りない迷いの人々が残らず救われるためである

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』六四六貢)

   

となります。

   

 この文中の「前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね」るについて、いろいろな受け止め方が生じてきます。その一例をあげますと、「わが家においては先に生まれた者が、後に続く子や孫をしっかり育てておかなければならない。また今、生きているお互いは先立たれた方々のご恩をいつまでも忘れないで暮らしたい」というような内容です。これは人間として大切な心がけですが、倫理・道徳のうえでとらえています。

   

 ではこのところを、どのように考えればよいのでしょうか。『歎異抄』第二条で、親鸞聖人は次のように述べておられます。

   

弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊(しゃくそん)の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言(おんしゃくきょごん)したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなり

(『註釈版聖典』八三三頁)

   

 この言葉は、はるばる関東から命がけで京都に尋ねてきた門弟の不審に対する、聖人の返答なのです。なにか学問的、論理的な説明を期待してやってきた門弟に、かえって求める側の誤りを指摘するものでした。それは、

   

しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくく(はっきりと知りたく)おぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。

(『註釈版聖典』八三二頁、参照)

   

とたしなめられたものでした。

   

 その後に、「弥陀の本願まこと」以下の話がでてきます。また、「まこと」について触れますと、同じ『歎異抄』後序に、

   

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

(『註釈版聖典』八五三~八五四頁)

   

とあります。私たちが今生を過ごす娑婆世界には、ほんとうに頼りきれるものがありません。どれほどあてにしても人には別れがあります。まして財産であれ、地位・名声でも、やがては消えていくのです。さらに言えば、喪失するものばかりを追いかけているのです。それをむなしいと感じないところが、人間の愚かさです。そのような私たち(凡夫)をみすてることができずに、阿弥陀如来は〈必ずすくう〉との本願をたててくださったのです。そして、その願いが名号となってはたらいてくださっています。ですから、如来の本願を疑いをまじえずに受け入れることが信心であり、そこにおのずから〈南無阿弥陀仏〉が口をついてでるのです。そこを親鸞聖人は、ほんとうの信心には必ずお念仏がそなわっていると仰せになっています。

   

 また「正信偈」は、

   

道俗時衆共同心(どうぞくじしゅぐどうしん)
道俗時衆ともに同心に、

唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)
ただこの高僧の説を信ずべしと。

(『註釈版聖典』二〇七頁)

   

で結ばれています。ここで親鸞聖人は、出家も在家も今のときの人びとは、さらにはこれから後に生まれてくる人びとも、みんな同じ心をもって、この高僧方が口をそろえて説かれる〈弥陀の本願まこと〉の教えを信ぜよ、と勧められています。

   

 私たちは各処で示されている、これらのおこころを疑いなく受け止めるための聴聞を欠かすことができません。それはまた、念仏相続に努めさせていただく生活として途切れることなく受け継がれていくことが望まれているのです。

   

(清岡隆文)

  

あとがき

 親鸞聖人ご誕生八百年・立教開宗七百五十年のご法要を迎えた一九七三(昭和四十八)年に、真宗教団連合伝道活動の一つとして「法語カレンダー」は誕生しました。門信徒の方々が浄土真宗のご法義をよろこび、お念仏を申す日々を送っていただく縁となるようにという願いのもとに、ご住職方をはじめ各寺院のみなさまが頒布普及にご尽力をいただいたお陰で、現在では国内で発行されるカレンダーの代表的な位置を占めるようになりました。その結果、門信徒の方々の生活の糧となる「こころのカレンダー」として、ご愛用いただいております。

    

 それと共に、法語カレンダーの法語のこころを詳しく知りたい、法語について深く味わう手引き書が欲しいという、ご要望をたくさんお寄せいただきました。本願寺出版社ではそのご要望にお応えして、一九八〇(昭和五十五)年版から、このカレンダーの法語法話集『月々のことば』を刊行し、年々ご好評をいただいております。今回で第三十二集をかぞえることになりました。

   

 真宗教団連合各派において、二〇一一(平成二十三)年~二〇一二(平成二十四)年に親鸞聖人七百五十回大遠忌を迎えますことから、聖人のいただかれた聖典のお言葉を中心に法語が取りあげられることになり、二〇一一(平成二十三)年は、親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)のなかから法語が選定されました。この法語をテーマにして、四人の方に法話を分担執筆していただき、本書を編集いたしました。繰り返し読んで、み教えを味わっていただく法味愛楽の書としてお届けいたします。

   

 本書を縁として、カレンダーの法語を味わい、ご家族や周りの方々にお念仏のよろこびを伝える機縁としていただくとともに、研修会などのテキストとしても幅広くご活用ください。

   

二〇一〇(平成二十二)年八月
本願寺出版社

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2011年12月 前に生まれんものは後を導き 後に生まれんひとは人は前を訪え 法語カレンダー解説 はコメントを受け付けていません

親鸞聖人750回大遠忌法要 -本願寺新報-

このギャラリーには1枚の写真が含まれています。

50年に一度のご勝縁に全国から17万人以上が本願寺に訪れました。 [nggallery id=2]

その他のギャラリー | 親鸞聖人750回大遠忌法要 -本願寺新報- はコメントを受け付けていません

11/26 みどり会ご案内

カテゴリー: お知らせ, 行事 | 11/26 みどり会ご案内 はコメントを受け付けていません

親鸞聖人750回大遠忌法要団体参拝にご参加いただいた方から絵葉書をいただきました。

画像をクリックすると拡大します。

安穏 親鸞聖人750回大遠忌法要団体参拝にご参加いただいた方から絵葉書をいただきました。

下関市安岡町Uさんからの絵葉書です。ありがとうございました。

カテゴリー: お知らせ, 行事 | 親鸞聖人750回大遠忌法要団体参拝にご参加いただいた方から絵葉書をいただきました。 はコメントを受け付けていません

2011年11月 心を弘誓の仏地に樹て念を難思の法海に流す 法語カレンダー解説

慶ばしいかな

     

 今月の言葉は、『教行信証』後序で、親鸞聖人ご自身が感慨をもって述べられるところです。その前後の文を含めてみると、次のとおりです。

  

慶ばしいかな、心を弘誓(ぐぜい)の仏地に樹(た)て、念(おもい)を難思の法海に流す。深く如来の衿哀(こうあい)を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜(きょうき)いよいよ至り、至孝いよいよ重し。

 (『註釈版聖典』四七三頁)

   

 ここで注目したいことは、最初に「慶ばしいかな」とあり、後に「慶喜いよいよ至り」とあることです。私たちは、ただ一度の人生をうれしいことや楽しいことによって、喜びいっぱいにしたいと願っています。そのためには、財力も必要であるし、また出世もその条件と考えます。しかし、はたしてそれらを手中にしても本当に喜べることになるでしょうか。これについて『仏説無量寿経』には、

   

 貧しいものも富めるものも、老若男女を問わず、みな金銭のことで悩んでいる。それがあろうがなかろうが、憂え悩むことには変りがなく、あれこれと嘆き苦しみ、後先のことをいろいろと心配し、いつも欲のために追い回されて、少しも安らかなときがないのである。

(『浄土三部経(現代語版)』九六頁)

   

とありますように、人生にはつねに憂い、悩みがともなうことを教えています。そのような人生において、有無にとらわれずに喜べることを聖人は表明されていると、今月の言葉を受けとめたいのです。この箇所を分かりやすく言い換えると、

   

 まことによろこばしいことである。心を本願の大地にうちたて、思いを不可思議の大海に流す。深く如来の慈悲のおこころを知り、まことに師の厚いご恩を仰ぐ。よろこびの思いはいよいよ増し、敬いの思いはますます深まっていく。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』六四五頁)

となります。

   

 ところで、浄土真宗の教えにもとづいて生活するお互いのたしなみは、如来の本願を仰ぐ<ようこそ>の思いにあります。親鸞聖人は、この<ようこそ>の思いを「哉」をもって表現されることがあります。『教行信証』において「慶ばしいかな(慶哉)」としめされるこの箇所が、その一例です。他方、「悲しきかな(悲哉)」(信文類 『註釈版聖典』二六六頁)をも、合わせ受けとめなければなりません。端的に言えば、慶哉とは「うれしや」という歓喜のこころであり、悲哉とは「はずかしや」と口にする慚愧のこころです。ここでの「悲しきかな」とは、如来の智慧の光明に照らしだされて、煩悩に明け暮れるばかりの私であることに気づかされることです。人間の根本に我執があり、そのゆえに他の人びとの欠点はよく見えるが、自分の欠点にはなかなか気づけません。ここに自己主張ばかりに力が入り、反省さえも十分になされず、自己弁護に終始することになります。現在の世相は、このあたりに基づいているのではありませんか。親鸞聖人が示される「悲しきかな」は真実の信心をめぐまれたうえでのことですから、単に悲しいのではなくて、そこにはあふれでる喜びがあるのです。したがって、「慶ばしいかな」と別にすることはできないのです。

   

 これまでは、まず今月の言葉の前後に記述される部分に目をかけてきましたが、文章としての構成からすると、『教行信証』制作にいたる心持ちを明らかにされる一段で、そのなかで、「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」の言葉は『大唐西域記』の「心を仏地に樹て、情を法海に流す」(『大正新修大蔵経』史伝部三・八八七頁・原漢文)に依っていると思われます。この書は、中国・明代にできた小説『西遊記』に登場する三蔵法師のモデルとみられる、唐代の僧玄奘(げんじょう)が著わしたインド旅行記で、それには七世紀前半のインドとその周辺、そして西域の国々のようす、とりわけ仏教事情が詳しく紹介されています。そこで、親鸞聖人も強い関心をもって、この
本を手にされたことでしょう。

   

人生の浮生なる相

   

 この辺ですこし話題を変えて、思いを巡らせてみます。人生は無常であることを衝撃をともなって感じるのが、家族や親族また親しい人との死別です。何であれ、この世の区切りとなる別れの儀式をするなかで、とくに浄土真宗はそこに大切な意義があることを強調しています。それは、死をただ別離としてあきらめるのではなくて、この悲しみによって、私か阿弥陀如来の願いとそのはたらきに遇うことのできる機会を与えられた、と受けとめることです。しかし、現実は葬儀という形式によって進行し、弔問者の対応に追われて、じっくり法話に耳を傾けることができません。しかし、そのような状況のもとでも、拝読される蓮如上人の『御文章』のなかの「白骨の章」は、圧倒的な影響力をもち続けてきました。それには相応の理由があります。まず文章が練れていて平易であるので、聴きやすく頭に入ります。さらに、全文の大半が仏教の
基本となる、無常の理の一色で埋め尽くされています。宗教の有無、また宗派を超えて、葬儀においては適切な伝道の教材として大切にされてきました。ところが、環境の急激な変化が、私たちの無常感をも徐々に薄めてきているように思えます。

   

 ここで、「白骨の章」の文面に目をむけることにします。その最初に、

    

  それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそほかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身を受けたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。

 (第五帖第十六通 『註釈版聖典』 一二〇三頁)

   

と、以下に続きます。この部分の意味は難しくないので、大筋は理解できることでしょう。一応文にそって言えば次の通りです。

   

   さて、人間の定まりないありさまをよくよく考えてみますと、およそはかないものとは、この世の始めから終りまでまぼろしのような一生涯であります。ですから、人が一万年生きたということを聞いたことがありません。一生は過ぎやすいものです。

  

 私も今、この文と合わせて、〈少年老い易く学成り難し〉の誠めが頭から離れません。『御文章』は本来手紙ですから、制作時にはなかったのですが、後には題名をつけて親しまれることになります。多くの人びとに知られている「聖人一流章」や「末代無智章」など、他にも『御文章』の冒頭の文を題名とする例がいくつもありますが、この「白骨の章」においては、もっとも強調されている、

ただ白骨(はっこつ)のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろかなり。

 (『註釈版聖典』 一二〇四頁)

  

から取っているようです。

 

 ここでは、「人間の浮生なる相」から始まります。私は、この表現について考えています。これは前掲の文で明らかなように、「人間の定まりないありさま」ということですが、浮生とは文字通りにみると浮いて生きているとなり、浮草を連想します。浮草のような人生とは、水上にあって、その根は水底の大地にはとどいていません。したがって、川面においては水の流れのままに漂ってながされていくのです。あるいは、水面を吹き通る風におされて止まることができません。このように浮生なる者の寄り集まるところが、浮世と言えましょう。

   

 処世術を心得た人を〈世渡りがうまい〉と言うことがありますが、信心の人とたとえられる妙好人(みょうこうにん)は、その多くが世間一般の尺度で測るところの世渡りのうまい人ではありません。いや、かえって処世術を心得た人との間に真意がくみ取れずに、誤解が生ずることもありました。しかし、それらの妙好人たちはまさに、「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」生き方を、身をもってしめしてくれています。阿弥陀如来の本願を大地にたとえ、そこにしっかり根をはってたくましく成長してゆるぎない大樹となるように、本願を信じるままになにをもってしても砕かれることのない金剛心がめぐまれるのです。それは、つねに如来におもいをかけ、ますます本願をたのもしく仰ぐことになります。『浄土和讃』の最初に、

   

    弥陀の名号となへつつ
    信心まことにうるひとは
    憶念(おくねん)の心つねにして
    仏恩(ぶっとん)報ずるおもひあり

 (『注釈版聖典』五五五頁)
 

と詠われる心に通じています。

  

弥陀の本願海

   

 「難思の法海」の言葉には、また親鸞聖人の特別の感慨がうかがえます。それは「海」についてです。私もまた山よりも海に惹かれます。それも、夏の喧騒が過ぎ去った後の、秋から冬の海が好きです。折々に聖人の御跡を慕って旅をしますが、かつての越後へのご流罪の道中において、国境の難所を小船に乗って居多ヶ浜(こたがはま)に上陸された、と伝えられています。そして約七年間、海とともに生活されたことを考えると、それまでの三十五年間の人生が海から遠く離れた所でのものだったので、急激な環境の変化と言えます。越後での生活を通して、親鸞聖人は海に強い感動を受けられたに違いありません。低くたれこめる暗雲と荒れ狂う鉛色の海。またときとして穏やかで、優しさをたたえる鏡のような海。そして、どれほど濁った河川の水をも受け入れて澄ませるはたらきをもつ、たのもしく光りかがやく海。聖人の著述には海の表現がきわめて多いことに気づかれることでしょう。

   

 また、その使用例においても内容はさまざまです。しかし、『教行信証』行文類「一乗海釈」にでてくる海の解釈については知っておきたいところです。そこでは、

   

   海に入ればあらゆる水が同じ塩水に変わるように、弥陀の本願海には、凡夫も聖者も、五逆謗法の人でも一味の徳に転じられる。(中略)さらに海は死骸をたもたず、浮かばせ、浜辺にうちあげてしまうように〈死骸は自力の心をさす〉、本願の海には自力の心をもっては入ることができず、その心が取り除かれて、受け入れられる。

(『註釈版聖典』 一九七頁、参照)

と説かれています。よく味わいたいところです。

(清岡隆文)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2011年11月 心を弘誓の仏地に樹て念を難思の法海に流す 法語カレンダー解説 はコメントを受け付けていません

親鸞聖人750回大遠忌法要写真ギャラリー

このギャラリーには1枚の写真が含まれています。

2011年10月11日から13日までの間、京都・西本願寺へ親鸞聖人750回大遠忌法要へ行って参りました。 西本願寺写真ギャラリーより一部抜粋しております。 [nggallery id=1]

その他のギャラリー | 親鸞聖人750回大遠忌法要写真ギャラリー はコメントを受け付けていません

安穏 親鸞聖人七百五十回大遠忌法要へ行って参りました。

このギャラリーには2枚の写真が含まれています。

2011年10月11日から13日までの間、京都・西本願寺へ親鸞聖人750回大遠忌法要へ行って参りました。

その他のギャラリー | 安穏 親鸞聖人七百五十回大遠忌法要へ行って参りました。 はコメントを受け付けていません

10/28、29日 別修永代経法要

カテゴリー: お知らせ, 行事 | 10/28、29日 別修永代経法要 はコメントを受け付けていません

2011年10月 雑行を棄てて本願に帰す 法語カレンダー解説

本願に帰す

  

 九歳での得度出家から二十年間、比叡山においての日々は、この世で覚 りをひらこうとするものですから、言語に絶する厳しいものであったと推 察できますが、親鸞聖人の山での生活の詳細はわかっていません。ただ、 みずからの能力を尽くして学問にうちこみ、もろもろの修行に励んでも、 かえって苦悩は深まるばかりでした。親鸞聖人において、最大の課題は、 妻の恵信尼さまの消息(手紙)に、「生死(しょうじ)出づべき道をば、 ただ一(ひと)すぢに仰せられ候(そうら)ひしを」(『恵信尼消息』『 註釈版聖典』八一一頁)とあるように、生死の迷いから越え出る道を究め ることにあったのです。ところが、比叡山においては、かえって「いづれ の行にても生死をはなるることあるべからざる」(『歎異抄』第三条 『 註釈版聖典』八三四頁)ということを、知らされることになりました。

  

 解決の糸口すら見いだせない苦悶を胸に、訪ねた法然聖人の言葉が、ま さに乾ききった大地に恵みの雨がしみこむようであったことでしょう。こ のことに触れて『御伝鈔』第二段では、

  

真宗紹隆(しんしゅうしょうりゅう)の大祖聖人(たいそしょうにん)( 源空)、ことに宗の淵源(えんげん)を尽し、教の理致(りち)をきはめ て、これをのべたまふに、たちどころに他力摂生(たりきせっしょう)の 旨趣(しいしゅ)を受得(じゅとく)し、あくまで凡夫直入(ぼんぶじき にゅう)の真心を決定(けつじょう)しましましけり。

(『註釈版聖典』 一〇四四頁)

   

と、法然聖人に出会うことによって、ただちに他力本願の世界に入られた ようにうかがえます。ところが一方、『恵信尼消息』第一通によりますと 、

法然上人にあひまゐらせて、また六角堂に百日龍らせたまひて候ひけるや うに、また百か日、降るにも照るにも、いかなるたいふにも、まゐりてあ りしに、ただ後世(ごせ)のことは、よき人にもあしきにも、おなじやう に、生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひしを、うけたまはり さだめで候ひしかば

(『註釈版聖典』八一一頁)

と書かれています。かつて深い苦悩をもって六角堂に百日間龍られたよう に、また同じ日数を区切って、一途に生死の迷いから越え出る道を求めて 通い続けられたというのですが、このご消息から親鸞聖人の心境がより強 く伝わってきます。

   

 私たちは日々の暮らしのなかで、愛を求め、財を求め、地位を求め続け ています。そして、それらを得るために手段を選ばず、人の心を傷つける ことにもなっています。さらに欲望はとどまることなく拡がっていきます 。もしかなえられないときには、人を怨み、社会をのろい自暴自棄になっ てしまいます。

   

 さて、法然聖人は当時、吉水において、阿弥陀仏のすくいを信じてただ 念仏するばかりであることを説いておられました。そこには、どのような 人をもすべて受け入れる、ちょうどあらゆる河川の水が流れ込む広大な海 にたとえられる、すくいの世界が示されていました。かつて三十年にもお よぶ長いときを比叡山で過ごされた法然聖人には、親鸞聖人の胸のうちが 容易に見通せたことでしょう。師と仰ぐ方からの心温まる説法によって、 親鸞聖人の苦悶はあざやかに解消していきました。そのことを『教行信証 』後序(ごじょ)で、

   

しかるに愚禿釈(ぐとくしゃく)の鸞(らん)、建仁辛酉(けんにんかの とのとり)の暦、雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す。

(『註釈版聖典』四七二頁)

   

と記しておられます。これは、親鸞聖人自身にとってはもちろん、私たち にとっての凡夫往生の道が明らかにされたのです。

   

 私たちは、直接に目にできない多くの人びと、さらには気付くことすら できない無数のいのちによって、護られ生かされていることを知らず、し たがって、自覚覚他(自身がめざめるとともに他をもめざめさせる)をこ ころがけるどころか、自害害他(白身が傷つき、他をも傷つけてやまない )の日暮らしを繰り返しています。親鸞聖人は、そのありかたをみずから のこととして「愚禿(ぐとく)」の表現をもって呼び、さらに「煩悩具足 のわれら」と述べておられます。

   

   

義なきを義とす

   
 今月の法語の「雑行」について考えてみましょう。中国の唐の時代にで られた善導大師は浄土への往生を願った方で、真宗七高僧の第五番目の方 として仰いでいます。
大師の主著である『観経疏』の「散善義(さんぜんぎ)」に、「正行(し ょうぎょう)」と「雑行(ぞうぎょう)」が説明されています。

   

 まず正行とは、阿弥陀仏の浄土に往生するための純正の行という意味で 、雑行は邪雑の行としています。もちろん善導大師や法然聖人がすすめら れるのは正行で、雑行は誡めておられます。雑行は本来、この世で覚りを ひらくうえでの行である諸善万行をもって、浄土に往生するための行とし て転用するものであるために、このように言うのです。私たちは、なにか 善いことを行って、それを認め讃えてもらって浄土に往生できると考えて いるのではないでしょうか。それは凡夫のはからいであり、かえって阿弥 陀如来の本願を疑うことになってしまいます。

   

 親鸞聖人の言葉が集められている『歎異抄』が、現代の苦悩する人びと に活力を与え続けていますが、そこに、

   

  しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき 善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪 なきゆゑに

(第一条 『註釈版聖典』八三二頁)

   

と述べられています。自力による諸善万行は、仏教一般において求められ ているところであり、親鸞聖人も比叡山時代を通して取り組まれた難行で ありましたが、それは究極的に覚りにいたることができないものでした。 今ここに、法然聖人との出会いによって「義なきを義とす」他力信心の世 界が開かれたのです。「義なきを義とす」とは、晩年に記された『御消息 』のなかで「自然法爾(じねんほうに)ということについて」においてし めされています。そこを現代語に訳して言えば、

   

「自然」ということについて、「自」は「おのずから」ということであり 、念仏の行者のはからいによるのではないということです。「然」は「そ のようにあらしめる」という言葉です。「そのようにあらしめる」という のは、行者のはからいによるのではなく、阿弥陀仏の本願によるのですか ら、それを「法爾」というのです。(中略)これは「法の徳」すなわち本 願のはたらきにより、そのようにあらしめるということなのです。人がこ とさらに思いはからうことはまったくないのです。ですから、「自力のは からいがまじらないことを根本の法義とする」と知らなければならないと いうのです。(『親鸞聖人御消息(現代語版)』五六~五七頁)

   

となります。ここでうかがえるように、「義なきを義とす」とは「自力の はからいがまじらないことを根本の法義とする」ということです。

   

 ところで、前の文中の「法爾」について一言しますと、「法」とはもの みなすべてということです。「爾」とはしかりという字ですから、合わせ ると、ものみなすべてがそうなっているということです。法然聖人の〈つ ねに仰られける御詞(二七条)〉のなかに、

   

 法爾の道理といふ事あり。ほのをはそらにのぼり、水はくだりさまにな がる。菓子のなかに、すき物ありあまき物あり。これらはみな法爾の道理 なり。

(『昭和新修法然上人全集』四九三頁)

   

があります。すなわち火(ほのを)は燃え上がるものであり、水は下へ下 へと流れていくものである。菓子(この時代は果実、すなわちくだものを 指している)には、酸いものもあれば、甘いものもある。どうしてそうな のかと言えば、結局はそうなっているということになります。それがまた 自然の道理というものなのです。したがって、「本願を信じ念仏を申さば 仏に成る」(『歎異抄』第十二条 『註釈版聖典』八三九頁)ことは法爾 の道理であると言われるのです。『歎異抄』では、前半の第一条から第十条に、門弟の唯円房が直接親鸞聖人から聞いて耳の底に強く残っている法 語を記していますが、とりわけ第一条は法義の要がのべられています。そ の冒頭が「弥陀(みだ)の誓願(せいがん)不思議にたすけられまゐらせ て」(『註釈版聖典』八三一頁)で、阿弥陀如来がなぜ私たちを救ってく ださるのかということは、どれほど頭をめぐらせ、論理をもって説明しよ うとしても不可能であることを力説されるところで、結局そうなっている としか言えないと、素直に受け取ることを勧めておられます。

   

  帰命の心

    

 親鸞聖人が「本願に帰す」と表明される、この「帰」についてさらに詳 細にうかがってみましょう。これについては、『教行信証』の「六字釈」 (南無阿弥陀仏の解釈)をとりあげなければなりません。そこでは、「し かれば、『南無(なも)』の言(ごん)は帰命(きみょう)なり」(行文 類 『註釈版聖典』 一七〇頁)からはじまって、まず「帰」の字と「命 」の字とを分けてしめされるところで、「帰」の字をいくつもの文字をも って解釈されます。

   

 その最初に「至」とあります。この意味は「いたりつく」ということで 、私たちみずからがはからうことをやめて、阿弥陀如来の本願力にいたり つくということです。

   

次に「帰悦(キエツ)」と表現されます。この悦は喜びを表す文字で、こ こに聖人はカタカナで「ヨリタノム」と読んでおられます。これが浄土真 宗のまことの信心を明かされる大切な言葉で、如来の本願力にまかせきっ たところにめぐまれるやすらぎのすがたが「帰悦」であります。阿弥陀如 来は、力のない者に如来が力となり、本当にあてにできるよりどころを持 たない者に如来が依りどころとなろうと、今はたらいてくださっています 。さらに、聖人は「帰税(キサイ)」と表現されます。税の字は「さい」 と読むときは、やどるという意味で、ここでもカタカナで「ヨリカカル」 と言っておられます。

   

 これらのことより、如来の本願をわが心の宿りとすることになって落ち 着くことになるのです。私たちは宿るところがあって、初めて心にやすら ぎが得られます。阿弥陀如来の本願は、罪悪深重にして煩悩の火がつねに 燃え続けているこの私を救うために、みずからのいのちをかけて誓ってく ださったのですから、如来の慈悲をわが心の宿りとして落ち着くすがたが 「帰税」であり、さきの「帰悦」とともに、私への阿弥陀如来の喚びかけ なのです。

(清岡隆文)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2011年10月 雑行を棄てて本願に帰す 法語カレンダー解説 はコメントを受け付けていません

9/17 みどり会ご案内

カテゴリー: お知らせ, 行事 | 9/17 みどり会ご案内 はコメントを受け付けていません