阿弥陀仏が主(あるじ)
『冠婚葬祭入門』という本、ご存知でしょうか。一時はよく売れたそうですが、その本の中に、「お仏壇には、仏像が付きもので、もし仏像が無い場合は、仏画で間に合わせて結構です。」とありました。
その影響でしょうか、ある人が「お仏壇を買ったら、アミダさんをまけてもらいましたわ」と、得々としておられました。
ご門徒のお仏壇のご本尊は、ほとんどご絵像(仏画)ですから、みんな「間に合わせもの」や、「おまけ」を拝んでいることになります。
本当は、お仏像にお仏壇が付きものであって、お仏壇にお仏像が付いてくるものでは
ありません。
お仏壇は先祖の位牌壇ではない
どうして、このような間違いがおこってくるのでしょうか。
それは、お仏壇が、ご先祖の入る処になっているからであります。
日本人は、家の宗教はあるけれど、一人ひとりに宗教心がない、といわれるのもこのお仏壇のあり方にその原因がありそうです。
お骨や、写真、位牌などご先祖にまつわるものが、お仏壇の中心になっていないと落着かない人にとっては、お仏壇というのは、ご先祖さまの入るありがたそうな箱であればよいのであって、ご本尊が「おまけ」であっても、埃だらけてあっても、さほど気にならないのかもしれません。
ですから、ご本尊のお荘厳であるお花や、お灯明やお香も、お念珠・聖典まで、ご先祖のための道具になってしまっています。
ご先祖、ご先祖といっていますが、ひょっとしたら、白分たちが幸福になるために利用しているのかもしれません。
①年忌があたっていないのに、お仏壇を買うと不幸がおきるのではないてしょうか。
②お仏壇の向きが悪いから、病気が治らないのではないでしょうか。
③お仏壇を動かす場合、お経をあげてもらわないといけないのでしょうか。
①お念珠のひもが切れると、何か不吉なことがおこるのではないでしょうか。
などなど、お仏壇に関係したこのような間いが多いのは、どういうことでしょう。
お仏壇が、人間の安らぐ場所、亡き人は懐しく偲ぶもの、という世界からはるかに遠くなってしまっていることはもったいないことです。
お仏壇はお礼するところ
浄土真宗のお仏壇は、文字通りご本尊てある阿弥陀仏をご安置する壇てあります。
お仏像であろうとご絵像であろうと、浄土真宗のご本尊は立像といって、立っておられます。それは、立つたまま私たちを抱きとって救う仏さまだからです。座って居れぬほど救うに急を要するというお相であります。
しかも、阿弥陀仏の御手は、あなたの救いは全部、この仏が仕上げているから安心しなさい、という印でありますから、私たちはただ「南無阿弥陀仏」とお礼のお念仏をするばかりであります。
そうです、真宗のお仏壇は、阿弥陀仏にお礼申す場所であります。
私たちの先輩は、「明日は試験だから、アミダさんによい点がとれるよう頼んでおいで」などと言わなかったのです。どんな時にも「お礼しておいで」と言いつづけて来たのであります。
お仏壇は人間の育つところ
あるご婦入が、劫い時を回想していわれました。
「お母さんと一緒に畑に行ったことがありました。お母さんは土に鍬を入れていました。私は、小川のほとりで遊んでいた時、蛙が足元にきたので思わず踏んでしまったのです。それを見たお母さんは、ナンマンダブツ・ナンマンダブツといいながら、グニャッとなった蛙を小川の中に入れやり 蓬か何かの草の汁を蛙の口に入れました。しばらくしてノ几気になった蛙を離して、その行方を見てから、私を抱きしめて“良かったね”といわれたのです。
そして、“アミダさまがよろこんでいられるよ”といって、また仕事にかかりました。
その時、劫なごころに思いました。
アミダさまって、お仏壇の中にじっとおられるばかりと思っていたけれど、こんなところにもおられるんだなあ、そして、アミダさまって、蛙が肋かっとことまで大よろこびされる、やさしい仏さまなんだなあ、と思わず、お礼のお念仏をしました。
すると、お母さんもお念仏していましてね、あのひととき今でも忘れられません」と。
このご姉人のご主人は三男でしたが、結婚してすぐに、お仏壇を迎えられました。
その二年後に、かわいい赤ちゃんが生まれたのですが、肺炎をわずらって数カ月のいのちを散らせてしまったそうです。
「長男でもないのに、お仏壇なんか買うから赤ちゃんを死なせたのと違うか」と近所の人にいわれたそうですが、アミダさまが「そうか よしよし」と親子を抱きしめてくださるようで、ああお仏壇があってよかった。アミダさまのおかげて悲しみを乗りこえさせてもらいました、といわれました。
この人には、祟りとか罰とかが全く通じません。
今は亡きお母さんのおかげです。といわれるこの人にとって、ご先祖は善知識なのです。
ご本尊である阿弥陀さまを押しのけて、お仏壇の中心に置いて、はばからないご先祖壇からは、この人のように、やさしく、豊かな人生は開かれません。
お仏壇は、本当の人開か育つ場所であります。
(都呂須 孝文)