孟蘭盆会(うらぼんえ)(歓喜会(かんきえ))

 夏のお盆が近づくと、「亡くなった方が、帰ってこられるよ」「ひょっとすれば、トンボやチョウになって帰って来られるから、生き物をとってはダメよ」と、よくいわれたことがありました。

  

 どうしてお盆になると、お父さんたちは同じことを教えてくれていたのでしょうか。みなさんが、毎日食事をするとき、いただくものの名前を思い出してみて下さい。

 

 例えば、お米・お野菜・お魚・お肉・お豆・と、まだまだあります。

 

そして、私たちの先輩たちが、食べ物に尊敬する意味の「お」ということばをつけておられたことに気がつきます。

 

 このことは、ただ食べ物という品物を口にしているのではないとう思いがあったのでしょう。だから、食事のときは、いつでも、どこでいただいても、合掌して”いただきます”と、食前のことばを申してきたのです。

  

 毎日の生活のなかで、なにげなく言っていることばや、掌をあわせるしぐさに「たくさんの”いのち”のつながりのなかで、私の”いのち”は今、与えられているのですよ」と、教えられてきたようです。

 

 どの”いのち”も尊いんだよと教えてくれる反面、また、どの親もわが子だけが可愛いという一面があります。考えてみますと、この私一人を育てるために、知らず知らずのうちに親は、どれだけまわりの人たちを傷つけてきたかわかりません。そうしなければ、この私が、一人前に育つことはなかったんだよと、お盆のお話しで聞かせていただいたことがあります。

  

 お盆は、亡き人のご恩を返すための日であるよりも、返し尽くすことのできないご恩を、ただただ感謝する日としたいものです。そのことが、ふだん忘れがちになってしまっている”いのち”の尊さを学はしていただくことになると思います。

 

  ふだんは忘れてしまって”いのち”の尊さ、すべての”いのち”はひとしく、私の”いのち″も、アリや小さな虫の”いのち”も、その重さ・尊さということでは、等しいということにも、気づかせていただきたいものです。

 

 そんなことを考えるために、お盆はつとめられてきたものでありましょう。

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