この言葉は、宮戸道雄(みやとみちお)著の『仏に遇うということ』に出てきますが、その一部を紹介します。
「鶴と亀」とは、これはわれわれ日本人が描いている幸福の象徴ですね。鶴は千年亀は万年とか申しまして、長生不死でしょう。だから、めでたいときに使います。つまり、一時的に欲望が満たされたという話です。人間は一生涯、「鶴と亀」を求めて歩いてきた、ということですね。そして、その「鶴と亀がすべった」というのですから、私の人生の目標は鶴と亀ではなかったのだ、つまり幸福の追求ではなかったのです。ただ一つ、自分自身に出遇うためであった。生死のカゴの中をノタウチ回るしかなかった私に、夜明けして、そこから出る、生死を出離(しゅつり)する、このこと一つのための私の人生だったのだと、私の歩んでいく方向と目的がハッキリして、確かな一足一足が念仏によって与えられてくるということを、「鶴と亀がすべった」と言ったのではないかと思います。
(二四七頁)
人は誰でも幸福を求めて生きています。どうすれば人間は幸福になれるだろうか、どうしたら幸福を手に入れることができるかを考えます。ところが、人生は自分の思いどおりにはいきません。思いどおりにいかないところに、人生の苦悩が起こってきます。人間は、自分の思っている主観の感情と客観の事実が一致すると幸せを感じますが、主観の感情と客観の事実とが一致しない時には苦悩が出てきます。苦悩の原因はどこにあるかというと、それは主観の感情にあると受け止めるのが仏教の見方です。
たとえば、大学受験の生徒にとって、自分の希望の大学に合格すれば、自分の思い(主観)がかなったのでよろこびになります。しかし、不合格になると、自分の思いとは反対の事実(客観)が起こりますので、そこで苦しみが出てきます。苦しみの原因は自分以外にあると考えて、むつかしい問題を出した大学が悪いとか、学校の先生の教え方が悪かったとか、自分のことを棚に上げて批判をします。それでは苦悩の根本解決にはなりません。苦しみの原因を尋ねていきますと、客観の事実にあるのではなく、自分の側にあるのです。このように、自分の側に苦悩の原因を探っていくのが問題の解決方法と言えます。
苦悩の起こる人生を根本的に克服しようとすれば、自分の殻だけに閉じこもるのではなく、念仏の教えに導かれながら、心の持ち方を転換することが大切なのではないでしょうか。
迷いを転じる
仏教の目的は、迷いを転じて覚りを開くことであります。親鸞聖人は「覚り」という宝を探しに、比叡山に登られました。比叡山では聖道門(しょうどうもん)の教えが基本です。聖道門の教えとは、自らの力で煩悩を断ちきって覚りの真理に到る道を説くものです。
親鸞聖人は、常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)の堂僧(どうそう)として、常行三昧にはげまれました。常行三昧とは、お堂のなかで、九十日間、休みもなく阿弥陀如来の周りを回りながら、心に仏を思い口には念仏を称えて歩き続ける修行です。これを続けますと、修行者は自分のなかで阿弥陀仏に出遇うことができるというのです。親鸞聖人は、自らをみがいて仏と同じ覚りを開こうと努力をされましたが、阿弥陀仏に出遇うどころか、かえって、いままで気づかなかった心の醜さが見えてくるようになりました。
親鸞聖人の曾孫である存覚(ぞんかく)上人は、『嘆徳文(たんどくもん)』に、
定水(じょうすい)を凝らすといへども識浪(しきろう)しきりに動き、心月(しんがつ)を観ずといへども妄雲(もううん)なほ覆ふ。(中略)すべからく勢利(せいり)を抛(なげう)ちてただちに出離を悕(ねが)ふべし
(『註釈版聖典』一〇七七頁)
と、その心境を述べておられます。精神を集中して覚りに近づこうとすればするほど、かえって煩悩にさえぎられて、仏さまから離れていく自分に気づき、自力聖道門の教えがいかにむつかしいものであるかを知らされました。
比叡山の修行に行きづまりを感じられた親鸞聖人は、悩みを解決してくれる新たな道を求めて、山を下りる決心をされました。
そして、親鸞聖人は、在家仏教の道を歩まれた聖徳太子に救いを求めて、六角堂に参龍(さんろう)されました。その後に、吉水の草庵で、専修念仏の教えを説いておられた法然聖人のもとに通われ、真剣な聞法を続けられました。
本願念仏との出遇い
法然聖人は、四十三歳の時に、善導大師の『観経疏』の
一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、時節の久近(くごん)を問はず、念々に捨てざ
るをば、これを正定の業と名づく、かの仏願に順ずるがゆゑに。(『教行信証』信文類、引文 『註釈版聖典』二二一頁)
という一文に出遇われました。こうして、すべての人びとが救われる道に目覚められ、心の眼を開くことができました。そして、凡夫の救われる道は、阿弥陀さまの名である念仏を称えるだけで救われると言われました。
法然聖人は、念仏を称える人が救われていく理由を、「仏の仏願がそうなっているから」と言い、「念仏する者は必ず往生させる」と第十八願に誓われているからだ、と言われるのです。こうして、善導大師の教えを受けて、迷いを離れて覚りに到る道として、専修念仏の教えを説いていかれました。
専修念仏の教えとは、「阿弥陀仏の本願は、もともと凡夫を救うために誓われたものであるから、本願を信じ、念仏を称えるだけで救われる」というものでした。法然聖人の説かれる念仏とは、自分の方から仏を尋ね求めていくものと考えられていたけれども、実はすでに仏の方から願いがかけられ、救いの手がさしのべられていたという、他力の念仏の教えでありました。
親鸞聖人は、法然聖人の教えを新鮮な教えと受け止められたのです。『教行信証』後序には、
しかるに愚禿釈(ぐとくしゃく)の鸞(らん)、建仁辛酉(けんにんかのとのとり)の暦(れき)、雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す。
(『註釈版聖典』四七二頁)
と示されているように、親鸞聖人は、自力の念仏を放棄して、阿弥陀仏の本願念仏の教えに入っていかれました。二十九歳の時でした。本願念仏との出遇いが、人生の大きな転機(回心)となりました。
『歎異抄』後序には、
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
(『註釈版聖典』八五三~八五四百)
とあります。これは、私たちはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、私たちの社会は燃えさかる家のような世界であります。すべてこの世は虚しく偽りで、真実と言えるものは何一つもありません。はかない不安な世の中にあって、阿弥陀さまの願いを受けて称える念仏だけが真実であると、親鸞聖人はおおせになっておられるのです。
『高僧和讃』には、
智慧光(ちえこう)のちからより
本師源空(ほんしげんくう)あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願(せんじゃくほんがん)のべたまふ(『註釈版聖典』五九五頁)
と、本願念仏を開かれたのは法然聖人であることを述べています。親鸞聖人は、ただ法然聖人の教えを受け継ぐだけであります。親鸞聖人にとっての真実とは、法然聖人の説かれる本願念仏の教えでありました。
親鸞聖人は、
親鸞におきでは、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり。
(『歎異抄』第二条 『註釈版聖典』八三二頁)
と言って、法然聖人の言葉を聞いて信ずるだけで、ほかに救われる方法があるわけではありませんと断言されています。
また、
たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ
(『同』)
と、「法然聖人の行かれるところならば、たとえそれが地獄であろうとも、私はどこまでもよろこんでついて行く」とおっしゃって、法然聖人に対する絶対の信頼と帰依を示されています。
阿弥陀仏の本願が真実であるから、本願念仏の道を明らかにしてくださった法然聖人の言葉が、どうして嘘・偽りでありましょうか。阿弥陀仏の真実なることを確信されることによって、親鸞聖人の進む方向が明らかとなりました。
念仏によって与えられる人生
『歎異抄』第三条には、「善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや」(『註釈版聖典』八三三頁)と、有名な悪人正機(あくにんしょうき)が述べられています。
その後に、
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因(しょういん)なり。
(『註釈版聖典』八三四頁)
と述べて、「阿弥陀さまは、凡夫を救おうと本願を立ててくださったのだから、自分が善人と思っている人よりも、優先的に悪人こそが浄土に生まれることができるのです」と語られています。
自力で往生しようと思う人は、本願のはたらきを信じる心が欠けていますので、阿弥陀さまの本願のこころに反しています。それに対して、自分で自分のことを悪人と自覚した人は、本願のはたらき(他力)にまかすことができますので、善人よりも悪人の方が阿弥陀仏の救いの対象であると、親鸞聖人はおおせになられました。
念仏の道は、煩悩に振り回されている凡夫を救うためのものです。また、浄土に生まれて覚りの智慧をいただく道です。
煩悩具足の凡夫という自覚は、立派な人間ではないように受け取られがちですが、阿弥陀さまの摂取の光明に包まれ、あらゆる恵みに感謝し、社会のさまざまな問題に積極的に関わっていく生き方と蘇っていくものです。このような生き方が、念仏によって与えられる人生であります。
(石田雅文)