十月は、栗山力精(くりやまりきしょう)氏が寺報「海」二百五十八号に記された言葉です。
栗山氏は一九一七(大正六)年、広島県のお生まれです。}九三九(昭和十四)年に福岡県の円徳寺に入られ、伝道活動に勤しまれました。寺報「海」は一九五五(昭和三十)年に創刊、栗山氏がご往生になる前年の一九八〇(昭和五十五)年には、三百号を数えました。
さて今月の法語では、世俗の論理と仏教の論理が根本的に異なることが示されています。世俗の論理とは、私たちの日常生活での論理ということです。
しばしば誤解を受けますが、仏教は、私たちの願いを思いのままに実現する便利な道具ではありません。また、世俗を巧みに生き抜くための処世術でもありません。もちろん、お寺に参拝したり、仏教を聴聞することで、一時的に気分が落ち着くなどの効用もあるかもしれません。けれども、それは仏教の本質ではない点に注意する必要があります。
では、仏教は何を課題とする教えなのでしょうか。
このことは、若き日のお釈迦さまの物語から窺うことができます。次のような内容です。
カピラ城の王子であったお釈迦さまは、なに不自由ない優雅な生活を送っていました。
ある日、お釈迦さまは馬車に乗って宮殿の外に散歩に出かけました。
東の門からお城を出ると、体が衰えた老人に出会いました。王子であるお釈迦さまの周りには、そうした老人はおりません。お釈迦さまは、御者に「あの人は何という者であるか。他の者と違っているようだ」とお尋ねになりました。そして、御者からそれが老人というもので、年齢を重ねれば、誰もがそのようになることを知らされます。
お釈迦さまはショックを受け沈み込んだ気持ちで、その場から宮殿に引き返されました。
またある日、南の門から出かけると、今度は重い病人に出会います。お釈迦さまは同様に御者に尋ねられ、宮殿に引き返します。またある日、西の門から出かけると、今度は死人に出会います。今度もまた同様でした。お釈迦さまは老・病・死の事実に衝撃を受けられたのです。
そしてまたある日、今度は北の門から出かけました。そこでお釈迦さまは、気高い出家者に出会います。御者から出家者について説明を受け、自ら出家する決意を固められました。
この物語は四門出遊(しもんしゅつゆう)と呼ばれています。お釈迦さまが直面された課題と、出家して求道の生活へと入られた心の動きがあらわされています。
仏教の課題
四門出遊の物語で示されるお釈迦さまの課題は、仏教の課題そのものと言うことができます。
物語の中で、お釈迦さまは老・病・死の事実に衝撃を受けられます。『アングッタラ・二カーヤ』というパーリ語経典には、出家前のお釈迦さまが、次のような反省をされたと記されています。
愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している― 自分のことを看過して。(中略)わたくしがこのように考察したとき、青年期における青年の意気(若さの驕り)はまったく消え失せてしまった。
(『中村元選集【決定版】』 一一巻、」五六頁、春秋社)
さらに、お釈迦さまは、病・死について考察され、「健康時における健康の意気(健康の驕り)」「生存時における生存の意気(生きているという驕り)」が全く消え失せたとされています。
「若さの驕り」「健康の驕り」「生存の驕り」とは、自らの老・病・死に心を向けることができない、私たちのありさまをあらわしている言葉です。科学の進歩により、老・病・死を先延ばしにすることは、いくらか可能になりました。けれども老・病・死から完全に逃れるという希望は、決して満たされることがないままです。お釈迦さまは、老・病・死の事実が他ならぬ自分自身に降りかかることを深く受け止め、ショックを受けられたのです。
世俗の論理を超えて
老・病・死は、私たちにとって代表的な不幸です。なぜなら、老・病・死は、私たちが社会で築き上げてきた財産や、地位や、名誉など、あらゆるものを根こそぎ損ねてしまうからです。
残念なことに世俗で手に入れた物事は、必ず失われてしまいます。そうした不安定なものは、私たちの究極的依り所にはなり得ません。頼りにできないのです。
ところが私たちは、老・病・死の厳しい現実に、なかなか心を向けることができません。そして目先の楽しみを追い、失われる幸せばかりを求めているのではないでしょうか。
栗山氏は次のようにもおっしゃっています。
仏の教えは、この生死(しょうじ)を出ずべき道、生死を離れ出る道を教えるのである。
いままでは生死の中に埋没して、煩悩のとりこになっていて、自分では幸せだと思い込んでいたのである。(「海」二九八号)
煩悩とは自分中心の心のことです。自分自身を悩ませる結果を招く心です。しかし私たちは煩悩に振り回され、その中で自分の「幸せ」を求めています。そして、財産や地位や名誉を得ようとする中で、自分か傷つき、他人を傷つけを繰り返しています。
自分の思い通りにならないと言っては、怒り、悲しみ、その余り、後悔に暮れる行いをしてしまうこともしばしばです。「私が、私が」と他人を押しのけ、ようやく望みを叶えても、世俗の論理の中で得た幸せは、老・病・死によって、結局は失われてしまいます。
世俗の論理で「幸せ」と思える事柄は、誤った思い込みなのではないでしょうか。日常生活の中で、私たちが追い求めている幸せとはどのようなものか、よくよく考える必要がありそうです。
仏教は、煩悩に根ざす世俗の論理を明らかにし、それを乗り越えていく教えなのです。
病院のそばで
お釈迦さまは二十九歳の時に出家され、厳しい修行の末に、さとりを開き、仏と成られました。これは煩悩を断ち、老・病・死がもはや不幸とはならない生き方をされるようになったということです。世俗の論理を離れられたのです。
ところが、私たちは世俗の論理を離れることが不可能です。煩悩に振り回され、止むことがありません。根深い愚かさを抱えているからです。
もう何年も前のことです。事情があって転居することになり、賃貸物件を探していました。不動産屋さんがいくつかの物件を案内してくださいました。その一つに病院に近い物件がありました。高齢者の医療を得意とする病院のようで、窓からは治療に取り組む患者さんやお医者さんの姿が見えました。あいにく希望の条件と合わず、その物件には入居しませんでした。その時に、若い係の方が次のようにおっしゃいました。
「病気の方の姿がいつも見えるのはいやですよね」
気楽に断れるように、という心遣いだったのだと思いますが、本音のようにも思えました。
お断りした理由が別の点にあったこともあり、私は強い違和感を覚えました。もし、私の家族があの病院に通っていると言ったら、どう返答するつもりだったのだろう。そんなことも考えました。
私たちは、お釈迦さまのように、鋭いセンスを持ち合わせていません。老・病・死のように、考えたくもないようなことに話題が及ぶと、すぐに「不吉だ」などと言って話を避けようとします。若い係の方と同様、自分の問題として考えることが、なかなかできません。このように言っている私も、「家族があの病院に通っていると言ったら」とは考えたものの、「私があの病院に通っていると言ったら」とは、考えることができませんでした。私もまた煩悩の海に溺れ、若さ・健康・生存の驕りの中にあるのです。
仏法をあるじとし、世間を客人とせよ
それでは、私たちは世俗の論理のままで生きるしかないのでしょうか。いいえ、そうではありません。蓮如上人のお言葉が思い出されます。
一、仏法をあるじとし、世間を客人(まろうど)とせよといへり。仏法のうへよりは、世間のことは時にしたがひあひはたらくべきことなりと云々(うんぬん)
(『蓮如上人御一代記聞書』一五七条、『註釈版聖典』一二一八頁)
一、「仏法を主とし、世間のことを客人としなさい」という言葉がある。仏法を深く信じた上は、世間のことはときに応じて行うべきものである
(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』一○一頁)
蓮如上人が仰せになる仏法とは、阿弥陀如来のご本願の救いのことです。阿弥陀如来は、私たちが根深い煩悩を抱えていることを見抜いておられます。そして、世俗の論理の中で苦悩を深める私たちこそ、救わずにはおれないとはたらいてくださっています。
私たちは底なしの愚かさを抱えています。そのような愚者に向けられた「南無阿弥陀仏」を依り所として生きるよりほかありません。阿弥陀如来の智慧と慈悲が込められたお名号「南無阿弥陀仏」は、世俗の論理が行き詰まることを私たちに知らせるはたらきです。そして世俗の論理に迷う私たちを救おうとする、真実の喚び声であるのです。
世俗の論理に合わせ、都合よく仏法を受け止めるのではなく、仏法を中心に、仏法に合わせて世俗での生き方を考え直さなければなりません。
それが、阿弥陀如来の本願を聞信する浄土真宗門徒の生活なのです。
(黒田義道)