はたらく仏さま
坂東性純師の言葉です。坂東性純師は、一九三二(昭和七)年、東京でお生まれになられ、東京大学の印度哲学科を卒業されました。その後、大谷大学、上野学園大学などで教鞭を執られます。当然専門は仏教学でしたが、ご自身、真宗大谷派の坂東報恩寺の住職でもいらっしゃいました。報恩寺は、親鸞聖人の主著『顕浄土真実教行証文類』の草稿本、言うところの坂東本を伝えてきた寺院としても有名です。師は、このご自坊でも熱心に法話を続けられ、広く一般の人々に聖人の教えを説かれました。二〇〇四(平成十六)年、七十二歳でご往生になられています。
この言葉をよく噛みしめてみると、不思議な味わいがあることに気づきます。「『仏』は智慧と慈悲となって、はたらいていらっしゃいます」とは表現されていません。「智慧・慈悲のはたらきそのものが『仏』なのです」といわれています。「『仏』は智慧と慈悲となって、はたらいていらっしゃいます」と表現した場合、どこか「仏」は遠いところにおられ、そこから「智慧」と「慈悲」となってはたらいておられるような、場合によっては疎外感を感じさせるような表現になりかねません。「智慧・慈悲のはたらきそのものが『仏』なのです」といわれると、仏は「はたらき」、言い換えると、この私の上で「はたらき続けて止まない」すがたとして味わうことができます。坂京師は『はたらく仏さま』(真宗大谷派東京教務所)という本のなかで、次のようにいかれています。
じっとしている仏さんは物体(真宗学で使う、ものの本質という意味ではなく、ここでは文字通り、「ぶったい」として物そのものという意味)なのです。対象化された仏さんです。この勣いてやまない仏様の実態は何かというと智慧と慈悲なのです。智慧と慈悲は一刻も休みなくはたらいております。智慧と慈悲の渾然一体としたはたらきが仏様であり、そのはたらきを「仏」というわけです。
このように書かれた続きに、表記の言葉が続くのです。端的に言えば、仏さまは「はたらき」であるというのです。
智慧の出でくるなり
親鸞聖人の言葉を通して、「智慧」と「慈悲」について昧わってみましょう。いまコニ帖和讃」に資料を絞って、これらの言葉がどのように使われているか調べてみます。「智慧」という言葉は十四例、「慈悲」は四例ほど見いだすことができます。
いま「智慧」については、最もなじみの深い「讃阿弥陀仏掲和讃」から見てみましょう。親鸞聖人は、重要な語句には左側にルビのような形で説明や漢字の読み方を付しておられ、これを左訓といっています。この豊かな左訓を味わうため、ここでは本願寺派から出版されている『浄土真宗聖典全書口』から引いてみます。
智慧の光明ぽかりなし
有量の諸相ことごとく
光僥かぶらぬものはなし
真賓明に蹄命せよ
(『浄土和讃』、『浄土真宗聖典全書口』宗祖篇土、三三七頁)
真宗高田派に伝えられてきた「国宝本」と呼ばれる和讃では、この部分にまことに豊かな左訓が施されています。このなか「智慧」という言葉については、次のように記されています。現代語表記に改めてみましょう。
智は、あれはあれ、これはこれと分別して、思いはからうによりて思惟に名づ く。慧はこの思いの定まりて、ともかくもはたらかぬによりて、不動に名づく。
不動三昧なり。 (同頁、参照)
たいへん難しい言葉です。親鸞聖人は聖教を読まれるとき、言葉一つひとつ、漢字も一文字一文字を、きわめて注意深く正確に読んでいかれます。いまここで「智」という文字は、さますまなものを分別し、思いはからうという意味をあらわすといわれるのです。そのうえで、「慧」はこの分別が定まってあれこれ揺れ動かない、不動の意味をあらわすと書かれているのです。その両方の意味が込められているのが、「智慧」であるといわれています。
子どもが病気になったとき、親は心配で、何とか少しでもはやく直してやりたいと思います。小さな子どもはよく怪我をします。子どもがこけて怪我をしたとき、その怪我がどのような状態なのか、そのままでいいのか、家庭の薬を使うのか、一刻もはやく病院に行くべきなのか。怪我の場合は外科ですが、熱が出たりぐったりしているときは何科を受診させたらよいのか。親は、それらを見分けなければなりません。そのうえで、ここを受診すると決めた以上、迷ってはいけません。揺れ動いてはならないのです。
智慧のはたらきを、親鸞聖人は、法蔵菩薩の発願と修行、そして本願成就のすがたで味わっておられたのではないでしょうか。法蔵菩薩は、世自在王仏のもとで二百一十億の諸仏の国土をご覧になり、清浄の行をすべて摂め取られます。そのうえで四十八の願いをおこされ、一人もすくいからもれることのない、念仏往生の誓いが成就されているのです。「智は、あれはあれ、これはこれと分別して、思いはからう」のは、この「二百一十億の諸仏の国土」をご覧になり、思惟されたはたらきに当たります。そのうえで、念仏往生の誓いが成就されたからには、そのすくいの法は微塵も揺れ動くことはありません。このようなはたらきを「智慧」と味わっておられたのでしょう。
さらに和讃を見ますと、「智慧の念仏」とか「信心の智慧」という表現に出会います。いずれも『正像末和讃』にある言葉です。「智慧の念仏」とは、「智慧そのもののはたらきである念仏」という意味であり、「信心の智慧」とは、「信心という智慧。信心即智慧」ということなのでしょう。
ここで気をつけなければならないのは、智慧のはたらきをどこか遠いところに見てはならないということです。いま、ここで私か称える念仏、それがそのまま「智慧」のはたらくすがたなのであり、私か本願のこころを疑いなく聞き入れ、信順することが「智慧」を得ていることに他ならないのです。
同じ『浄土和讃』「讃阿弥陀仏掲和讃」の四首目を引いてみましょう。
光雲元尋如虚空
一切の有尋にさはりなし
光滓かぶらぬものぞなき
難思議に蹄命せよ (『浄土真宗聖典全書口』宗祖扁上、三三八頁)
この和讃を味わう際にも、よく左訓に注意する必要があります。これについては「顕智本」と呼ばれる和讃に重要な左訓があります。「光澤」の洋の横に、「ウルオウ」と書がれてあります。「潤う」の意味です。ここは、よく誤解されるところで、「光沢を蒙る」といえば、なにか光に当たっているように考えてしまいがちです。
よく考えると「滓(沢)」は「さわ」ですから、それは「浅く水がたまり、草の生えている湿地」(『日本国語大辞典』)です。そして、この和讃の三句目「光滓かぶらぬものぞなき」全体を、「国宝本」では「光に当たるゆへに、智慧の出でくるなり」
(『浄土真宗聖典全書口』宗祖篇上、三三八頁、原片仮名、傍点・引用者)と左訓されています。「出でくる」というのは文字どおり、「徐々に出てくる」ということです。 こう考えると、親鸞聖人加味わっておられた「智慧」のはたらきとは、浄土と本願のいわれを聞き、仰せのとおりに念仏し信順しているこの私の上に、「智慧の潤いが生まれつつある」ということであったのでしょう。
釈迦・弥陀の慈悲
「慈悲」についても、二例ほど味わってみましょう。
釈迦・弥陀は慈悲の父母
種々に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまひけり 『高僧和讃』、『註釈版聖典』五九一頁)(お釈迦さまと阿弥陀さまは、あたかも父母のような慈悲のお方です。さまざま巧みに我々を導いて、無上の信心を起こすように、はたらいておられるのです。)
釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ
仏恩報ずる身とはなれ (『正像末和讃』、『同』六〇六頁)(お釈迦さまと阿弥陀仏の慈悲によって、菩提心である、仏のさとりをひらこうというこころをいただくのです。信心の智慧をいただくことこそ、仏さまのご恩に報いているすがたなのです。)
これらを読んでみると、慈悲の味わいがよくわかります。お釈迦さまや阿弥陀さまの慈悲は、文字どおり、この私に「無上の信心」や「信心の智慧」を起こさせるはたらきであったのです。
こう考えて、もう一度、坂東性純師の言葉にかえってみましょう。
智慧・慈悲のはたらきそのものが「仏」なのです (『はたらく仏さま』五九頁)
いま、この私の上で、「信心の智慧」となってはたらいていらっしやる阿弥陀さま。そして、必ず「信心の智慧」を得させようとはたらいておられる阿弥陀さま。そのはたらきの他、別に仏さまがおられるのではなかったのです。私たち一人ひとりは、みな、阿弥陀さまとともにあったのです。そう気づいて歩む人生が、親鸞聖人のいわれた仏道であったのでしょう。
(山本撮叡)