2020年11月のことば 拝まない者も おがまれている 拝まないときも おがまれている

体験と言葉

車井義雄師の最晩年の詩集にある言葉です。このフレーズは一度だけでなく、何度か異なる詩のなかでも使っておられるようです。
東井義雄師は、兵庫県豊岡市にある浄土真宗本願寺派の東光寺でお生まれになりました。一九コー(明治四十五)年、四月九日のことです。宣]宗ゆかりのものは、宗教者として師を見ていきますが、師の略歴を見ますと、なんと言っても師の表の顔は教育者でした。インターネット上にあるホームページ『東井義雄記念館』には、その足跡が詳しく書かれています。小学校一年生での、母との死別。貧窮による旧制中学への進学断念。時代の勁きや流れのなかでの苦悩。決して順風満帆の生活を送られたわけではありませんでしたが、師範学校卒業後、一九七一一(昭和四十七)年の定年退職まで、四十年の長さにわたって教育に携わって来られました。
東井義雄師の言葉には、阿弥陀さまのご恩が語られていると同時に、師の深い体験も語られているのです。何の本であったか忘れましたが、若い頃、東井師の教員時代の次のような逸話を読んだ記憶があります。

弁当の時間になると、必ず何人かの生徒が、フッと教室から出て行きます。そ  の理由が、よく私にはわかります。彼らは貧しくて、弁当を持って来ることができないのです。黙って校庭で、水だけを飲んで時を過ごし、午後の授業が始まる頃、彼らぼそっと戻って来る……

こんな内容であったと思います。感性の豊かな師は、教員としてそのすがたを見ながら、何もしてやれないもどかしさに、どれほど苦悩されたことでしょう。師自身も旧制中学の試験に合格しながら、経済的な事情から父に反対され、進学を断念された経験があります。また、このような言葉もあったと思います。
貧乏なお寺の本堂には、ネズミがうろうろしている。ネズミたちは、お供えしてあるお仏飯にかじりつく。仏さまは何もなさらない。お仏飯をかじる不ズミに何もできない仏さま。こんな仏さまに何の力があるのだろうか……。ここにはむしろ、仏さま、仏法に対する懐疑の念が表明されています。小学校一年生で母と死別されたときの経験を、後に師は次のように語られています。
父の不在の時など、母が仏前に座しておつとめをするかたわらで、母をまねて「きみょうむりょうじゅにょらい……」と唱和しながら見上げる時の、母のなんともいえぬうれしそうな微笑は、今もあざやかに私の眼前にある。私は、それがうれしくて、母の顔をみいみい体をくっつけておつとめをした記憶がある。(中略)後年、ずいぶん仏にそむくような思想を追い求めた私であるが、結局、そむき切ることができず、仏の前にひきすえられて仏前にぬかずいた時、私は、仏の微笑の中に、母の微笑を見て頭があがらなかった。
(『わが心の自叙伝』、『車井義雄著作集』第七巻二三四頁)

「後年、ずいぶん仏にそむくような思想を追い求めた私であるが」と告白されています。それでも「そむき切ることができなかった」のは、その母の微笑の記憶ゆえであったのです。仏さまや教えに対する懐疑、それが仏さまとの決定的な決別に至らなかったのは、幼少時の記憶にある母の微笑のおかげであった。この告白は、宗教の本質がどこにあるかを雄弁に語っていると思います。車井師晩年の境地とその言葉は、このような経験を経てのものであったのです。

人生観の変化と円熟

この言葉が使われている詩を、鑑賞してみましょう。

  なんだかうれしく

「無理をせんといてください」

「無理をしないで休んでいてください」
腰が曲がって
ひどく小さくなってしまった老妻に
何べんも気づかってもらいながら
土手の草を刈る

何だか
うれしく
何だか
しあわせで……
「拝まない者も
おがまれている
拝まないときも
おがまれている」

「ここが
み手の
まんなか」

土手の草を刈らせてもらう

何だか
うれしく
何だか
しあわせで……。             (『東井義雄詩集』 一九九~二00頁)

この詩では、一組の老夫婦の日常が描かれています。土手の草を刈る私に、腰の曲がった老妻が声を掛けてくれるのです。
「無理をせんといてください」
「無理をしないで休んでいてください」
年老いた私を気遣う妻。
人は一生のなかで、そのときそのとき、人生観を変えながら生きています。皆、それぞれは忘れていても、二、三歳の幼児期には、私は世界をどのように見ていたのか。もっとさかのぼれば、胎児のときはどんな世界を見ていたのか。少年期、青年期、結婚や家族、子どもとの出会い、やがて孫に囲まれて……。皆が同じ道を歩むとは限りませんが、経験を積むと、歳相応に人生観も世界観も変わってきます。
少年期はもとより、教員となってからも、車井師は、たいへんなご苦労を続けられました。それらの経験を経て退職を迎え、全国に講演行脚に出られるようになり、師の人生観もまた円熟味を加えていったのでしょう。

「拝む」と「おがまれている」

右の詩にもどってみます。車井師は、老妻の声、その気遣いに喜びを感じておられることに、気をつけねばなりません。
私たちは、決して阿弥陀さまの恩や慈悲のはたらきを、直接知ることはできません。浄土や仏さまのすがたは「こころも言葉も及ばぬ」世界なのです。
「拝まない者もおがまれている拝まないときもおがまれている」というフレーズを見てみましょう。一句目と三部目の「拝む」は漢字です。二部目と四効目の「おがむ」はひらがなになっています。「拝む」という言葉は、第一義的には、礼拝する、手を合わせてお辞儀するという、私の動作をあらわす言葉です。「▽心に願う」「懇願する」「嘆願する」などの意味もありますが、これは真宗の味わいとしてはふさわしくないでしょう。とすると、右の「拝む」は、具体的には本堂やお仏壇、お墓参りなどのときにする、私たちの身体の動作と考えてよいでしょう。そう考えると、

一日のうちで私か拝んでいる時間は、ごくわずかしかありません。
日本語は便利な言葉で、漢字、ひらがな、カタカナを使い分けられます。右の詩で、漢字の「拝む」は私の動作です。それをひらがなの「おかか」にすると、よほど表情が柔らかになります。続いて「ここがみ手のまんなか」とありますから、もちろんこの「み手」は仏さまの「み手」をあらわしています。「おがむ」というはたらきは、あくまで仏さまのはたらきなのです。さらに気をつけなければならないのは、「み手のまんなか」ですから、仏さまは手を合わせて私を拝んでいらっしやるのではなく、「み手」のなかにこの私を包み込んでいらっしゃる、というのです。「み手」というのは、もちろん比喩、象徴的な表現で、阿弥陀さまの大いなるはたらきをあらわしています。

阿弥陀さまの大いなるはたらき

繰り返しになりますが、車井師は仏さまの「み手」を直接感じ取っておられるのではありません。「無理をせんといてください 無理をしないで休んでいてください」という、妻の声の上に、仏さまのはたらきを味わっておられるのです。そしてここでは、妻の声を契機として「うれしさ」「しあわせ」が語られていますが、匹十年の教員生活で出会われたであろう幾多の人々。教え子、同僚、また幼い頃「正信掲」を勣めたとき。それらすべてが、私に大いなるはたらきを知らせてくれるすがたであったという境地が、ここで語られているのでしょう。
「拝まない者も」とありますから、これを「拝んでいないときの私」と読むこともできます。一般化して「拝むことを知らない者」と読むこともできます。両方の意味を兼ねているのでしょう。そうすると詩の最初二句は、「拝んでいないときの私も、いまだ拝むことすら知らない人も、大いなる仏さまのはたらきのまんなか」という意味になります。これは阿弥陀さまの大いなるはたらき、その広大無辺の側を詠嘆したものとも言えましょう。
「拝まないときも」は、文字どおり時間をあらわしています。先ほど私は、拝むことを私の身体の動作と言いましたが、心で仏さまを思うことも含めてよいのではないかという疑問も湧いてきます。しかし、私の心の「思い」は、喜怒哀楽、私の感情の動きの一つですから、やはりここは善導大師のいわれる、読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五正行のなかの一つである「礼拝」と見ておきたいと思います。そうすると私たちは一日のうち、「拝んで」いないときがほとんどしょう。
東井先生がどこかで、体中毛の一杯生えた毛虫、モゴモゴとどこかユーモラスな動きをする毛虫が、あぜ道をあっちへ行き、こっちへ行きしているすがたを見て、そこに私たちのすがたを投影していらっしゃった詩を、読んだことがあります。そのように、うろうろしているばかりの私。そんな私を休むことなく「おがんで(つつみこんで)」おられる阿弥陀さま。これは大悲無倦の徳をあらわしたとも読めます。 これは、さまざまな経験の上に到達された、東井先生最晩年の味わいの言葉なのでした。
(山本撮叡)

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