はじめに
表紙のことぼは、松野尾潮音師の言葉です。師は、一九ニー(大正十)年生まれで、愛知県岡崎市にある浄土真本願寺派明願寺の住職として門信徒を教化しつつ、一九九九(平成十二年にご往生されました。その間に、本願寺派の企画調査室室長や伝道院研修部長を歴任したり、地元の岡崎市の教育委員などを務めたりされています。
私は、恩師の武内紹晃先生のご縁で、同派の「布教講会」で一緒に仕事をさせていただきました。戦前・戦中・戦後という激動の時代を生き抜かれた師の人生は、ご苦労の多いものだったと思います。
私は、師の書かれた『仏教と浄土真宗』(本願寺出版社)を読んだことがあります。この表紙のことぼけ、伝道院研修部長の任にあった一九六五(昭和四十)年の文章の中にありますが、そこには世間的な価値観が急激に変化する時代と社会にどう対応しようかという思いが感じられます。
社会の変化
私か大学生になった一九七四(昭和四十九)年は、一九六〇年と一九七〇年の安保闘争という学生運動が終息しつつある時代でした。当時の社会では、若者を無気力・無関心・無責任の「三無主義」の世代と評価し、その後には無感動・無作法を加えて「五無主義」の世代とも評していました。戦争を体験しか世代の大人には、当時の若者たちが社会に対する積極的な情熱を持っていないように映ったのでしょう。
だから、この世代の若者を「しらけ世代」と総称しました。その後一九八〇年代には、自分かちの世代と社会に対する価値観が共有できない若者を「新人類」とレッテルを貼って呼びました。そのような若者の風潮は現代にも少なからず残っていて、影響を与えているように思います。
しかし、いつの時代でも、どこの世界・地域であっても、親の世代が感じる子どもたちの価値観は、「新人類」と呼ぶべきものではないでしょうか。それは世代が変わっただけで、それぞれが自己中心性(我執)の上にしか価値観をもっていないからでしょう。
念仏申す身となって
さて、私は表紙のことばを見た時、甲斐和里子さんのお念仏を喜ぶ二首の和歌、
御仏をよぶわがこゑは御仏のわれをよびます御声なりけり
(『草かご』 二四四頁)みほとけの御名を称ふるわが声はわがこゑながら尊とかりけり
(『同』 一八五頁)
が浮かびました。そして、「かたじけない≒もったいない」という思いが続きました。
彼女の和歌は、前者が二〇一三(平成二十五)年の九月、後者が二〇一四(平成二十六)年の一月の「法語カレンダー」に採用されています。私は、後者の縁で『心に響くことば』(本願寺出版社)にこれらの歌の味わいを書かせていただいていたので、思い合わせたのでしょう。
「念仏」とは、「私」の口をついて出てくる「南無阿弥陀仏」という声です。それを「称名」といいますが、それはみ仏が「私」を喚び続けるはたらきなのです。これを「名号」といいます。
「称名」と「名号」
浄土真宗では「南無阿弥陀仏」を、「称名」ともいい、「名号」ともいいます。この両者は一見してわかるように、「名」の字の位置が後と前という大きな違いがありまた。それらの経典が中国に伝来し、紀元前後から多くの方々の苦労によって、長い年月をかけて漢字に翻訳され続けました。徒歩以外に主な交通手段のない時代、シルクロードを通してインドの僧が中国に伝えたのです。その後、中国の僧がインドに求法の旅をされたのです。そのようにして翻訳に携わった僧をコニ蔵法師」と呼びます。その中には国禁を犯してまで仏典を求めた方がいます。それが、「玄奘」という三蔵法師です。孫悟空の『西遊記』で知られる玄奘三蔵は実在の人物なのです。
そのようにして漢訳された経典が日本にもたらされたのです。
私たち日本人は、本堂やお内仏で勤行する時には、漢訳された経典をそのまま拝読しているのです。一方、その内容を学ぶ時に、その漢文を和語として読み下したりします。漢文を和語としてどう読み理解するかで、種々な解釈と味わいが生まれたりするのです。
漢文では動詞の目的語はその動詞の後に置かれますので、「称名」とは「名を称する「こと」」と読み下すことができます。一方、「名号」が「名を号する[こと]」であす。
さて、インドで成立した経典はもともと主にサンスクリット語で書かれていましるならば「号名」となるべきですが、そうなってはいません。また、この「号」は略
字で本来は「號(ごう)」です。つまり、「號」は「虎」に関わるもので、虎が大声で自分の存在を十方に告げるために吠える様を意図しています。その意味で、「名号」とは名告
り主が大声で自己存在を告げている様です。端的に言えば、「名号」とは名告りです。
すなわち、阿弥陀如来が十方衆生に、この「私」に、自らの存在を「名」をもって名告り続けているのです。
また、「名号」については、伝統的に「すべての功徳を名に施す(全徳施名)」といわれます。すなわち、阿弥陀仏においては、その智慧と不一不二の大悲の「名告り」をもって衆生を「摂め取ること(摂取不捨)」こそが、仏のすべての功徳、如来の「いのち」をかけた願いであるというのです。それを踏まえた上で、敢えて漢語の「名号」を和語として書き下すならば、私は「名をもって号す[こと]」となると味わっています。しかし、阿弥陀仏の「名号」とは単に名を告げることだけではないのです。「名号」こそが私にとっては仏・如来そのものなのです。換言すれば、「私」の口にこぼれる「南無阿弥陀仏」の念仏こそ、「私」の「いのち」に寄り添う如来の願いそのものなのです。
さて、私たちは自分の親を「おかあさん」「おとうさん」と呼びます。しかし、どうして私たちはそう呼ぶようになったのでしょう。それは親の側が、赤ん坊は何もわかっていない、あるいはわからないのを承知の上で、生まれたばかりの「いのち」に向かって、「おかあさんよ」「おとうさんよ」と何度も喚びかけずにはおれず、名告り続けていたからでしょう。その名告り、喚びかけが「名号」なのです。その名号は、「ここにいるよ、心配するな」という親心であり、「お母さんとよんでくれ」という思いであり、「どんなことがあろうとも見捨てず、必ず育てる」という願いなのです。その願いが「私」に至り届いているからこそ、「私」の声となって「カアカア」「トオトオ」というように、「名を称える」ようになるのです。
時代が激変したとしても、また価値観に断絶を感じて親が子を「○○世代」などと評したとしても、この親心、親の願いは変わらないのではないでしょうか。
ある出来事を通して
たとえば、ドラマや映画を見ていると、迷子になったわが子を捜索するシーンがあります。捜索をしても見つからず、捜索隊員が拡声器を使って「OOちゃん」と子どもの名を叫んだりしでいます。たぶん、私たちも同じような行動を取ると思います。その場合、子どもの名を呼ぶ「私」は、子どもに返事を期待しているのではないかと思います。なぜなら、ふだん子どもの名を呼んだ時に返事をしないと、「聞こえたならば、返事をしなさい」と叱りますから。要するに、迷子のわが子の名を呼んで、その返事を聞き、「私」白身が安心したいのであろうと思います。
しかし、子どもの名を呼ばずに、「おかあさんよ」と叫びながら捜索する親の姿が㈲面に出てくる時があります。この場合でも子どもの返事を期待しているのでしょうが、もう一つ違う意味があるように思えます。それは、一人で不安なわが子に対して寄り添う親心が感じられるのです。つまり、「おかあさんよ」という名告りには、「私はあなたのことを忘れてないからね、一人ではないからね」という親心を感じるのです。それが「名号」なのではないでしょうか。
なお、私は迷子の子どもを探す時、「おかあさん」と呼ぶのが親心だと言いたいのではありません。また、どちらの探し方が正しいとか、そういうことを言いたいのではありません。自分の身に置き換えて味わってもらいたいだけです。
自己を知らされる
さて、お釈迦さまは私たちの生きている世界を「娑婆(サパー一忍土)」といわれました。この言葉は、古今東西、どんな制度の上でも人間が構築した社会(器世間)は苦悩を生み出すものであることを意味します。なぜならば、それを作りあげているのが、自己中心的な煩悩をもつ人間(有情世間)だからです。その点を、唯円房が著したといわれる『歎異抄』では、
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたは
ごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
(『註釈版聖典』八五三~八五四頁)
というのです。親鸞聖人は、自らを「煩悩具足の凡夫」といわれ、そんな自己中心的な「私」が作り上げた世の中は真実ではなく、虚仮不実なのである、と仏・如来に知らされ、告白されているのです。
先の「しらけ世代」や「新人類」という表現も、当時の若者たちが他者との関係を嫌い、社会を無視する生き方をしているように見えたからでしょう。しかし、それは、戦前の全体主義や安保闘争への反感や反動だともいえます。身勝手な私たち凡夫は、ややもすると反動によって両極端に揺れてしまいます。そこには、今を生きる自己を見つめる視点が欠落していないでしょうか。悲しいかな、人間は自らを見つめることが苦手なのです。そして、無自覚に、「間違っている」のは自分以外の人であり、組織や社会であると決めつけています。
善導大師(ぜんどうだいし)は『観経疏(かんぎょうしょ)』「玄義分(げんぎぶん)」で、
これ経教はこれを喩ふるに鏡のごとし。 (『註釈版聖典(七祖篇)二二八七頁)
といわれています。「経」に顕された仏の教え(仏法)は、「私」を映し出す「鏡」のよ
うなものだといわれているのです。「南無阿弥陀仏」という仏の名告りこそが、「私」
のあり様を照らし続ける仏陀の「智慧」のはたらきであり、いつでもどこでも「私」
を見放さず寄り添い続ける如来の「慈悲」のはたらきに他ならないからです。如来
の「智慧と慈悲」のはたらきのすべてが、「南無阿弥陀仏」という名号となって届い
ています。
今を生きる自らの姿を知らないまま生きるということは、まさに「裸の王様」で
しかありません。自らのあり様を知らずして、いかに生きるかを考えても虚しくな
るだけではないでしょうか。お念仏申す日暮らしの中に如来の願いを聞き開きつつ、苦悩多い人生であっても如来のご恩を知り、感謝と慶びをもって生き抜かせていただきましょう。
以上のように、私は表紙のことば「念仏となって私の口から現われて下さるみ仏のはたらき」を味わいました。
(内藤 昭文)