2023年表紙のことば 親鴬聖人の出現は私一人のためであった

難信・難聞の教え

本年の法語カレンダー(表紙)は、横超慧日先生(一九〇六-一九九六)の言葉からはじまります。先生は、現在の愛知県二呂市にある真宗大谷派の願行寺に生まれ、東京帝国大学(現・東京大学)の印度哲学科に入学されて、高楠順次郎・木村泰賢・宇井伯寿といった、仏教学の研究で世界的な業績を残された諸教授から薫陶を受けられました。なかでも直接師事されたのが、同じ真宗大谷派寺院の出身者であった常磐大定教授でした。そのもとで中国仏教の研究に邁進され、とりわけ大乗仏教経典の『法華経』や『涅槃経』について、多くの著作を上梓されました。
一九四九(昭和二十四)年に大谷大学の教授になられてからは、中国仏教思想はもとより、親鸞聖人を中心に浄土仏教思想の研究や学生の教育、そしてお同行への教化伝道にも力を尽くしていかれました。
この表紙のことぼは、『慶喜奉讃に起つ』のなかの一節です。この本は、二〇二二(令和四)年に親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年の慶讃法要を記念して出版されたものですが、先生の言葉は、これより五十年ほど前の一九七三(昭和四十八)年の慶讃法要時に執筆された文章が、再録されたものです。その言葉は、半世紀という時間を越えて、今なお強い感化を与えてくださいます。前後の文章と併せて引用いたします。

浄土ということを現在の生と同じ地平に求めたり、来生ということをただ単に肉体的死滅後の生とのみ考えて、自己にとって何か望ましい生であるかを考えたことのない人、また自己の力の限界につき当たったことのない人、そうした人には正しくこの法門は難信であるといわれるゆえんである。そしてこれが難信であり、不可思議の法であるだけに、その法にめぐり会えた人のよろこびは大きく、これを明らかにせられた親鸞聖人の出現は私一人のためであったとい
う感激をよびおこすのであろう。              (七二丁七四頁)

聖人が誕生された八百五十年前と私たちが生きている現代とは別世界といっていいほどの隔たりがあることは、誰もが認めるところだと思います。「浄土に往生する」というお話をうかがっても、ご縁が深くそのままに聞ける人もいれば、「浄土」という言葉・世界について引っ掛かると言いますか、疑問を抱いて、そのような場所・世界を信じることはできないから、その教えをいただくことはできませんという人がいることは、この言葉が書かれた五十年前も同様であったと思います。それが「現在の生と同じ地平に求め」る人のことです。浄土という世界がいかに遠くとも、月や火星のように実際に存在するならば、その教えを受け入れるという立場の人がいます。実証的・合理的に理解できるならば信じましょうということだと思います。
また、阿弥陀如来の救い・浄土往生の教えは、単に死後の救いを説いているもの
で、今の自分の人生や生き方、あるいは幸福とは無関係な教えで、まだまだ先で聞くべきものなどと考えている人にとっても、「浄土」という世界、その教えは、難信だと指摘されています。難信という前に、右から左へ聞き流されてしまう、聞いてもらうことの難しい難聞の教えとも言えるかもしれません。

知的理解の重要性

浄土真宗のみ教えは、自力の修行ではさとりの境地に入ることのできない凡夫・衆生が、阿弥陀如来のご本願のいわれを疑いなく、すなおに聞き入れていくことによって、その浄土に往生せしめられ、直ちにさとりの身とさせていただくというものです。そこに、さかしらな凡夫の知恵や価値判断をさしはさむ必要はないとも聞かせていただきます。しかしながら、そのことは、決して本願について説かれた『仏説無量寿経』の教説や、阿弥陀如来、そして浄土という存在や場所について、学問的に学ぶことを否定されているわけではありません。

『歎異抄』第十二条には、次のようにあります。

   本願他力の真実の教えを説き明かされている聖教にはすべて、本願を信じて念仏すれば必ず仏になるということが示されています。浄土に往生するために、この他にどのような学問が必要だというのでしょうか。
本当に、このことがわからないで迷っている人は、どのようにしてでも学問をして、本願のおこころを知るべきです。経典や祖師がたの書かれたものを読んで学ぶにしても、その聖教の本意がわからないのでは、何とも気の毒なことです。                    (『歎異抄(現代語版)』二一頁)

阿弥陀如来の本願のお心(真意)や聖教の本意を知るために学問することは、意味のあることだと述べられています。そのことによって、ますます阿弥陀如来の深いお心を知り、浄土真宗の教えがいかに素晴らしい道を説いているかがわかるので
す。ただし、学問をすることで往生が決まるとか、学問によって名聞利養(名誉欲や財欲)を得ようとする考え方に対しては、過ちであると厳しく戒められていることは十分に注意しなければなりません。
法事の後の会食時に、あるご門徒さんから「浄土について理論的な説明をしてほしい」と依頼されたことが何度かあります。現代にあって、こうした人が数多くおられることは無理がらぬことだと思いますし、その心情を否定することなく、少しでも学問的な解説を通して、その真意・本意を、まずは知識としてでも知っていただくことも大切なことだと思います。

私一人のため

ところで、このご指摘に続くのが表紙のことばです。この「親鸞聖人の出現は私一人のためであった」という言葉をうかがって、ただちに思い起こされるのが、『歎異抄』後序の次の文です。

親鸞聖人がつねづね仰せになっていたことですが、「阿弥陀仏が五劫もの長い間思いをめぐらしてたてられた本願をよくよく考えてみると、それはただ、この親鸞一人をお救いくださるためであった。思えば、このわかしはそれほど
に重い罪を背負う身であったのに、救おうと思い立ってくださった阿弥陀仏の本願の、何ともったいないことであろうか」と、しみじみとお話しになっておられました。                      (『同』四八-四九頁)

阿弥陀如来の本願は、十方の衆生、生きとし生けるものを救うと喚びかけてくださっています。では、その喚びかけを聞き入れ、浄土に往生する道を歩まねばならないのは、一体誰のことでしょうか。親鸞聖人は、それはさとりにいたるための善行を何一つ修めきることができない私以外にない、と受けとめられたのです。聖人は比叡山で修行に励み、心を磨き、自らの煩悩を抑制して、あらゆる人々を分けへだてなく救いとることのできる、聖なる菩薩になろうとされていました。しかしながら、根強い煩悩の火を消すことができず、貪愛の心・脱憎の心を断つことができず、仏道者として絶望の淵に立だされたのです。そのときの聖人の心情は、存覚上人の『歎徳文』に次のように表現されています。

  定水を凝らすといへども識浪しきりに動き、心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ。                      (『註釈版聖典』 一〇七七頁)

厳しい瞑想行に励み、心を集中して静かな水面のような心境に入ろうとしても、私の意識は波のようにしきりに動き落ち着かず、きれいに輝く月のような心の本性を見ようとしても、煩悩の雲が心を覆ってしまう。年少時に比叡山に登られ、不思議にも「この身」として生まれたいのちの意義を、菩薩行に従事して生きること、つまり心を磨き智慧を得て利他行(慈悲行)に従事する生き方に見出されたものの、青春の、人生のすべてをかけたその道に、大きな挫折と絶望感を抱かれたのです。
その心情はいかぽかりであっただろうと想像します。そうした経験を経て、法然聖人に出遇われ、阿弥陀如来の本願のみ教えに帰人されていかれたのです。浄土に往生するという教えは、聖人と同じような比叡山での修行を必須条件とはされませんが、智慧と慈悲を理想として真実の生き方を求めつつ、この身に宿る識浪と妄雲を深く自覚することを通してのみ、深くうなずいていけるものだといえます。

先生は、そのことを「現に苦難の道にさまよっている私に代わって道をきりひらいてくださった」と述懐されています。まさしく、極悪最下の人のための極善最上の真実の教えが、親鸞聖人のご誕生によって、歴史のなかにその身をもって具体的に明らかになったのです。真実を求め、煩悩を抱えた身であることに苦悩する者に、真実に生きる道が開かれたことを意味する出来事でありました。聖人にとっては、阿弥陀如来の出現はまさに「親鸞一人がため」と表現するほどの有り難き出来事であり、またその聖人がご誕生にならなければ、今日の私たちが本願の真意に遇うことはできませんでした。あらためて、「親鸞聖人の出現は私一人のためであった」という言葉の感激が伝わってきます。先生もまた聖人同様に、仏道を歩む現実のまっただ中で、「この身」に苦悩されたのだと思います。
(河智 義邦)

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