でや、うまいやろ
七月のことぼは、利井明弘先生のお言葉です。先生は一九三六(昭和十二年に大阪府高槻市に生まれられ、一九九〇平成二)年より十年以上にわたり、行信教校(高槻市)の校長を務められました。そして、二〇〇三(平成十五)年に出講先の広島で突然ご往生されるまで、多くの方がたをお導きくださいました。残念ながら、私は直接その警咳に接するご縁はありませんでしたが、先生の法話集等を通して、そのお人柄やお念仏の味わいに触れさせていただいています。また、生前の利井先生を知る方がたから、「明弘先生と一緒に焼酎を飲んだときはいつも、とても嬉しそうに『でや、うまいやろ』とおっしゃっていたなあ」と、先生を懐かしむお言葉を聞かせていただきます。先生はお念仏の話をされるときも、お念仏を深く味わいながら、そしてたいへん嬉しそうにお話しされていたとうかがっております。利井先生は、「でやごっまいやろ」とおっしゃりながら、多くの方がたとお念仏を味わい喜んでいかれました。
さて、今月のことばは、利井先生のご自坊、常見寺の寺報である「常見寺だより」に掲載された、先生のご法話の一節です。「正しいものに遇って 正しくない自分を知らされている」というお言葉は、「お念仏の教えに出遇うことで、この私
かいかに煩悩を抱えて自己中心的な生き方をしているのかを知らせていただく」と味わうことができます。浄土真宗のお念仏の教えとは、煩悩に振り回され、善行の一つもできず、とても自分の力では救われ難いこの私に、阿弥陀さまが声の仏となって届いてくださっているという教えです。阿弥陀さまが、「あなたはあなたのままでいい。私か必ずあなたを救う」と喚び続けてくださっているのです。普段から都合のよいことばかりを口にし、ときには人の悪口も出てくるこの私の口からお念仏が出てくださるのは、そんな生き方をしているこの私を何としても救いたいと立ち上がってくださった、阿弥陀さまのおはたらきをいただいているからなのです。
お念仏の主
もう十年近く前のことです。勤め先の大学で、基礎演習という科目を担当していたのですが、あるとき、講義が終わると三人の学生が私のところにやってきました。その学生たちは三人ともお寺の出身で、将来はお寺を継いで住職になることを目指している学生たちでした。その三人が、「講義を聞いたり、本を読んだりして、少しずつ専門用語もわかるようになってきたのですが、真宗学の内容がどうもしっくりこないというか、どこがありかたいのか白分のなかではっきりしません」と相談してきました。そこで私は、「専門用語などの知識を身につけることも大切ですが、ご法話をお聴聞してみると、また味わいが変わるかもしれませんよ。一緒にお聴聞に行きませんか」と誘い、数日後、大学の近くの会館で開かれている法座にその三人の学生と一緒にお参りしました。
そして、会場の真ん中あたりの席に学生だちと一緒に座りました。すると、前の方に座っておられる方がたのなかに、ひときわ大きな声でお念仏をしておられる年配の女性がおられました。実はその方は、他のお寺や聞法施設にも熱心にお聴聞に行かれる方で、私もこれまで何度かお見かけしたことがありました。その女性は、いつどこでお聴聞されるときも、誰よりも大きな声でお念仏をされ、その日もお説教が始まる前から大きな声でお念仏しておられました。そして、お説教が始まっても、「なまんだぶ、なまんだぶ」と何度も大きな声でお念仏しながらお聴聞しておられました。
そのとき、私だちより一列前に座っていた男性が立ち上がり、後ろの方に座っていた会館の若い職員さんを手招さして呼びました。職員さんがその男性のところに来て、「どうかされましたか」と小さな声で尋ねると、その男性は、「あのおばあちゃんがずっと大きな声でお念仏しているので、声が気になってご法話に集中できません。静かにしてもらうように言ってもらえませんか」と、職員さんに言いました。すると職員さんは男性に、「今はお説教中ですから、お説教が終わりましたら私からあの方にお話しさせていただきます。今日のところはこのままお聴聞を続けていただけませんか」と伝え、男性も「わかりました」と言って席仁戻り、お聴聞を続けられました。
そして、お説教が終わると、先はどの職員さんがその女性のところに行き、「本日はお参りいただき、ありがとうございました。実はお参りされている方のなかから、『もう少しお念仏の声の大きさやタイミングを考えてほしい』という要望がございました。次回から少しご配慮いただけませんでしょうか」と、伝えました。するとその女性は、「あんた、言う相手が間違っとるよ」とおっしゃいました。そう言われた職員さんがキョトンとしていると、続けてその女性は、「私か自分から進んで称えているお念仏なら止められるけれど、このお念仏は阿弥陀さまが今、煩悩まみれの私を喚んでくださる声だもの。お念仏を止めてほしいなら、私じゃなくて、阿弥陀さまに交渉するのが筋ですよ」とおっしゃるのです。職員さんは返す百葉がなかなか見つからず、苦笑いをしておられました。
この女性の態度は少し極端だと思われる方もおられるかもしれませんが、このやり取りを目の当たりにした三人の学生たちは、「今日のお説教の内容は少し難しくてわからないところもあったけど、お説教の後にあのおばあちゃんの言葉を聞いて、浄土真宗のお念仏は阿弥陀さまのお喚び声であるということが、何かストンとわかったような気がしました」と、笑顔で言ってくれました。分厚い本を何冊読むよりも、お念仏を喜んでおられる方のおすがたそのものが学生たちには響いたようでした。
その三人の学生だちとはその後も時々一緒にお聴聞に行き、お説教が終わると喫茶店で少しゆっくり話をするといった関係が続きました。そんなあるとき二二人の内の一人が、「自分もいつか死ぬんだということを、これまであまり本気で考えたことはありませんでした。しかし、講義やお説教のなかで『死』ということについて頻繁に話を聞くようになり、少しずつ自分の死について考えるようになりました」と教えてくれました。まだ二十歳前後の若い学生が、自らの死について少しずつ真剣に見つめようとしているすがたに驚きました。そして、学生とのそのようなやりとりを通して、十数年前の次のような出来事を思い出しました。
散る桜 残る桜も 散る桜
うちのお寺の本堂の前には、樹齢三百六十年を超える枝垂れ桜があります。毎年春になると、遠近各地から多くの方が花を眺めにいらっしやいます。ある年の春のこと、その日は桜はもう満開をすぎて散り始めていましたが、それでも朝から桜の下で花を眺めておられる方が何組かおられました。ちょうどその日、ご門徒さんが納骨堂にご家族のお骨を納めるため、お寺にいらっしゃっていました。納骨前のお勤めが本堂で終わり、納骨堂へ移動するため、いったん本堂から外に出ていただきました。
私もご門徒さんと一緒に本堂から外へ出ると、枝垂れ桜の下で、女性数名のグループが花を見ておられました。一陣の風が吹くたびに花びらが舞い上がり散っていく様子を見て、そのグループの方がたは、「あんなに満開に咲いていた桜ももう終わりね」「あっという間よね」と言いながら、しみじみと桜を見つめておられました。私はご門徒さんを納骨堂の方に案内しながら、そのグループのすぐ横を通り過ぎようとしました。すると、花を見ていた方がたがこちらに気づき、まずは私のすがたを見て、「あ、お坊さんだ」という感じで軽く会釈をしてくださったので、私も「ごゆっくりどうぞ」と言いながら会釈を返しました。続いてその方がたは、私の後ろを歩いておられたご門徒さんの方に視線を移しました。ご門徒さんは胸に骨壷を抱いておられました。その骨壷を見た一人の女性が、「あれ、骨壷じゃないかしら」と言うと、他の方がたも「そうよ、骨壷よ。せっかくお花見に来だのに縁起が悪いわ」と言って、すぐに目を背けておられました。私は、その方がたの声がご門徒さんの耳に入れば、あまりご気分がよくないであろうと思い、早足で納骨堂の方にご案内しました。
その後、ご門徒さんは納骨を済ませて帰られたので、私はもう一度、桜の下で花を見上げながら考えました。満開であった桜が数日を経て散っていくことも、人間の肉体がいずれ滅びていくことも、「無常」ということからするとその本質は変わりません。私たちは散っていく桜であればしみじみと眺めることができますが、骨壷を目の当たりにすると自らの「死」を連想し、できるだけ「死」という現実から目を背けようとします。しかし、私たちがどれほど「死」から目を背けて生きようとしても、そこから逃れることはできません。だからこそ、この人生は何に出遇うための人生であるのか、人生の依りどころとは何なのか、このいのちの行く末はどこであるのかを聞かせていただくことが大切なのです。いのちの帰するところを知らない人生は、ただ生き、死の恐怖に怯え、寂しく死んでいく人生であるといえるでしよう。
お念仏に出遇う人生
「私のこの人生は、阿弥陀さまのご本願に出遇わせていただくための人生であった。今このときも、阿弥陀さまが南無阿弥陀仏となって私に届いてくださっている。
この人生の喜びも悲しみも阿弥陀さまとご一緒だ。このいのちが終わっても、寂しく死んで消えていく人生ではなく、私はお浄土に生まれさせていただくのだ」と、お念仏を依りどころとし、いのちの行く末をお浄土と定めて歩んでいけるのが念仏者の人生です。ご門王さまが「念仏者の生き方」において、
私たちは阿弥陀如来のご本願を聞かせていただくことで、自分本位にしか生きられない無明の存在であることに気づかされとご教示くださっているように、煩悩具足の凡夫であるこの私に届いてくださる真実の声に出遇うことによって、この身がいかに愚かな存在であるのかを知らせていただきます。そのような私を「必ず救う」と喚びかけてくださる阿弥陀さまにおまかせして、大きな安心のなかで人生を歩んでまいりましょう。
(能美 潤史)