2023年2月のことば 世の中に最も度し難いものは 他人ではない この私

宗の繁昌

二月のことばは、浄土真宗本願寺派勧学の稲城選恵和上(一九一七-二○一四)の言葉です。和上は、現在の広島県呉市音戸町にお生まれになり、一九四五(昭和二十)年に龍谷大学文学部を卒業し、翌年に浄土真宗本願寺派光蓮寺(大阪府八尾市)に入寺されました。その後、龍谷大学研究科、宗学院をあいついで卒業し、中央仏教学院講師等を経て、一九八五(昭和六十)年に本願寺派勧学に就任されました。
和上の研究は、本願寺派内で大切に相続されてきた真宗教義に関するものをけじめ、その内容を宗教学や哲学、社会科学など学際的な考究を通して確認されるものも多くありました。それらは伝統性と先進性を併せ持つ先駆的なもので、多くの著書を残されました。また、そうした研究成果を現代の人にわかりやすく解説された本や法話集なども数多く出版されるなど、晩年まで精力的に広く浄土真宗のみ教えを伝えんとする自行化他の生涯を歩まれました。その教化やお人柄に出遇い感化を
受け、学恩を蒙った人は数多いらっしゃると思います。

二月のことば「世の中に最も度し難いものは他人ではない この私」は、ご著書『わかりやすい名言名句 蓮如上人のことば』のなかに出てくる一節です。和上の著書には蓮如上人に関するものが多いことで知られていますが、この本は、蓮如上人が『御文章』や『蓮如上人御一代記聞書』に残された数多くの言葉のなかから五十ほど選び出して解説を施されたものです。この言葉は、次の『聞書』百二十一条の解説のなかに出てまいります。

一宗の繁昌というのは、大が多く集まり、勢いが盛んなことではない。たとえ一人であっても、まことの信心を得ることが、一宗の繁昌なのである。だから、『報恩講私記』に、「念仏のみ教えの繁昌は、親鸞聖人のみ教えを受けた  人々の信心の力によって成就する」とお示しくださっているのである。

(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』八二-八三頁)

和上が「この『聞書』の文は、浄土真宗の教団人の一人ひとりが銘記すべき言葉である」と警鐘を鳴らされていることを、重く受けとめたいと思います。 和上は続いて、いかに満堂にあふれるほどに参詣者があっても「名ばかりの門徒」では意味がなく、蓮如上人がおっしゃるように、お参りしている一人ひとりが信心を得る身となることが大切なのだ、と書かれています。和上もまたその危機感から、折に触れ、口を酸っぱくするほどに、この教え(信をとることが何より肝要)を強く説かれていました。
自戒を込めて申しますと、門徒という言葉には、広くは浄土真宗の教えをいただく人全般という意味もあるので、住職・僧侶も入れていいと思うのです。そうしますと「名ばかりの住職」(形ばかりの僧侶)という言い方もできるのです。
私か勤務している大学では学外の一般の人に向けた講座を開いていて、そのなかで真宗概論という科目を担当しています。年に数人ほどですが、全十五回の講義を受講されています。ほとんどがご門徒さんです。日頃は所属寺院のお世話をされていたり、法要にもよくお参りされている人が多いように見受けられます。ある年に、雑談をするなかで、そのうちのお一人から、冗談っぽく「住職さんは全員親鸞聖人と同じ信心を得ていらっしゃるのでしょうか?」という鋭い質問をいただきました。
慌てました。私も住職の一人だからです。私か「所属寺のご住職に聞いてみては?」と言うと、「直接は聞けないから、先生に聞いてみたんですよ」と言われたので、「それはそうですよね」と笑い合いましたが、正直に「それはわかりません」
と答えました。立教開宗八百年の区切りの年に、たまたま住職を務めるご縁をいただいている身として、和上が言われるように、今一度、この蓮如上人のお言葉を自分のこととして銘記したいと思います。

極難信の教え

さて、稲城和上は続いて次のように述べておられます。

お寺の宝物は、重要文化財のようなものではない。一人の信心を得た人が、生きたほんとうの宝物というべきである。この一人とは、私そのもののことといわねばならない。世の中に最も度し難いものは他人ではない、この私そのものである。         (『わかりやすい名言名句 蓮如上人のことば』 一八二頁)

ここに二月のことばが出てきます。親鸞聖人は、信心を得るとは、「仏願の生起本末」を聞いて「疑心がない」ことだと示されています。生起とは本願が起こされたきっかけのことで、阿弥陀如来が法蔵菩薩であられたときに、大慈犬悲にもよおされて、一切の衆生を平等に救おうという本願を建立されたことを言います。また本末とは、その本願と修行によって(本)、阿弥陀如来となり浄土が完成されたこと(末)を言います。つまり、阿弥陀如来の本願が実はこの私のためであったのだと、そのまま素直に受け入れることを信心を得たと言うのですが、これが簡単にはいかないのが凡夫・衆生の現実なのです。親鸞聖人もそのことをよくご存じであって、「正信掲」には、

  信楽受持甚以難 難中之難無過斯         (『日常勤行聖典』 一六頁)

(信じることは実に難しい。難の中の難であり、これ以上に難しいことはない。『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』 一四六頁)

と説かれています。
また現代においては、法蔵菩薩のお話は宗教の世界で語られる独特の説話であり、物語であって、現実の自分の人生とは無関係であるという受けとめをされる人が多いものと思います。和上がこの言葉を書かれた一九八七(昭和六十二)年でも、事情は同じではなかったかと感じます。いずれにしても、親鸞聖人の時代においても、現代にあっても、信心を得ることは難事だということです。
時代は違っても、その難事の原因は、「この私」が私のことを確かな存在だと思い、無常(すべては移り変わる∵無我(単独では生きられない)であることを顧みないこと、さらには貪欲(むさぼり)・填恚(いがり)・愚痴(真理を知ろうとしなどという三毒の煩悩に振り回されて生きていることに無自覚な点にあることは、共通しているように思います。言い換えますと、「自分はどのようないのちをいただき、なんのために生き死んでいかなければならないのか」、こうした自己に対する問いこそ、仏願の生起本末の物語が、わが事として聞こえてくる入口になるのだと思います。その問いは、仏教の説く道理を聞いていくなかで起きるのかも知れません。
あらゆるいのちは、縁起的存在である(確かな本体はなく、無量無数の因縁によって構成されていて、常に変化し、なくなっていく性質を有している)ことを聞いていくなかで、自己のいのちに対する問いがおのずと生まれることもあります。あるいは、親しい人との死別体験や、思いもよらない自身の健康問題などがきっかけになることもあります。あるいは、お付き合いでお寺に参り聴聞のご縁にあった人が、初めは馬耳東風であったけれども、聞き続けるなかで次第にそんな問いが掘り起こされる場合もあると思います。

往生は一人しのぎ

稲城和上はそうした点について、同書のなかで『聞書』第百七十一条を取り上げて、ご教示くださっています。まずその原文と現代語訳をあげます。始めのフレーズはたいへん有名で、声に出して読むときの語感も味わい深いと思っているので、あえて原文も紹介します。

  往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。
よそごとのやうに思ふことは、かつはわが身をしらぬことなりと、円如仰せ候ひき。(『註釈版聖典』 コーハ四-コーハ五頁)
今往生は一人一人の身に成就することがらである。一人一人が仏法を信じてこのたび浄土に往生させていただくのである。このことを大ごとのように思うのは、同時  に一方で自分自身を知らないということである」と、円如さまは仰せになりました。
『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』 一〇九-一一〇頁)

円如上人は蓮如上人のお孫さまにあたるので、これは蓮如上人の教えと受けとめてよいと思います。和上は、ここには往生、後生の一大事の問題は他人事ではなく、私の問題であることが厳しく示されていて、そもそも(本当の)宗教というものは、まずは何よりも私そのものに問いを持つことから始まると言われます。そして、

この私そのものはただ一人しか存しない。『無量寿経』にある如く、「独り生れ独り死に、独り去り独り来る」というたた一人の自覚は、死を自覚することによって成立する。(中略)仏法が問題となることは、この私一人が問題となることである。      (『わかりやすい名言名句 蓮如上人のことば』二〇四頁)

と述べておられます。
立教開宗八百年にあたり、宗門(西本願寺)はノ目他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献することを目的として、さまざまな社会の課題に取り組んでいます。このことはとても大切なことと思いますが、それはまた、「往生は一人のしのぎなり」という教説の内実とともにあることも忘れないようにしたいものです。
(河智 義邦)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 パーマリンク