2026年9月のことば 悲しみが「いのち」への深いめざめとなっている

瓜生津隆真先生

九月の法語は、四生津隆、真先生の共著「みんなの法話1」(本願寺出版社)から選ばれた言葉です。瓜生津隆真先生は、龍谷大学名誉教授で浄土真宗本願寺派の勧学療

頭を務められた瓜生津隆雄和上のご子息として、一九三二(昭和七)年、滋賀県犬上郡の法城寺(浄土真宗本願寺派)に誕生されました。

龍谷大学文学部(仏教学)卒業後、東京大学大学院インド哲学科を修了され、その後、京都女子大学の教員となられました。大学では、女子学生たちに宗教のもつ奥深さを教授されながら、同時に、ご専門である中観思想の研究に邁進されました。

一九八三年、それまでのご研究の集大成ともいえる論文「ナーガールジュナ研究」で、東京大学より博士(文学)の学位を授与されました。

一九九七年には京都女子大学の学長に就任され、四年間にわたり大学運営の先頭に立って隆々発展に尽力されました。また、二〇〇一(平成十三)年に同大学の名誉教授となられてからも、浄土真宗の学僧として宗門内外で活躍され、本願寺や本願寺派関係学校などが開催する研修会で、度々、講師を務められました。ナーガールジュナや海士思想に関する著書が多く、今日もその業績は僧侶や研究者に多大な影響を与えています。

二〇一五(平成二十七)年、八十二歳でご往生なされました。

死別の悲しみの中で

仏教には、愛別離者という言葉があります。文字通り、愛する人との別離の苦しみのことです。誰しも、愛する人との別れは辛く、また悲しいものですが、特に、日常生活をともにしてきた家族との死別は、筆舌に尽くし難いものがあります。愛情が深ければ深いほど、過ごした時間が長ければ長いほど、別れの悲しみも大きいといえるのではないでしょうか。

ここで、有名な「芥子の実」という話を紹介します。主人公は、キサーゴータミーという女性で、彼女にはようやく歩けるようになったばかりの一人息子がいました。しかし、その愛し児が病気で息を引き取ると、コータミーは「息子の死」という現実を受け入れることができず、亡くなった我が子を抱いて町中をさまよいます。

「息子を何とかしたい」という一心で助けを求めますが、誰も死んだ子を生き返らせることなどできるはずもなく、町の人たちは困り果てるばかりでした。ある人が「お釈さまなら何とかしてくださるはずだ」というので、すがる思いでお釈迦さまのもとを訪ねました。

「この子の目を覚ます手立てを教えてください」

とゴータミーが懇願すると、お釈迦さまは彼女の願いを受けとめて、「白い芥子の実をもらって息子に与えるとよい。ただし、その芥子の実は一人も死

者を出したことのない家のものに限るぞ」

と教えられました。それを聞いたゴータミーは、必死になって町中の家を一軒一軒訪ね、死者を出したことのない家の芥子の実を探し回ります。

「息子を生き返らせるために白い芥子の実が要る」と伝えると、「譲ってあげよう」という人はいますが、「これまでに、この家から死者を出したことはないですか」と尋ねると、みな哀しい顔をしながら首を横に振るのです。あきらめきれないゴータミーは、町中のすべての家を残らず訪ねましたが、いまだ死者を出したことのない家など一軒もなかったのです。

彼女はようやくお釈迦さまが伝えようとしていることに気づき、意を決して、町

はずれの墓地に息子を葬りました。

お釈迦さまから「白い芥子の実は手に入ったか」と尋ねられると、ゴータミーは「私にはもう芥子の実は必要ありません。町中のすべての家庭を訪ねましたが、これまでに家族を亡くしたことのない家庭などありませんでした。人はみな、いつかは必ず死ぬ、それが特別なことではないとよくわかりました。お釈迦さま、どうか私をお救いください」

とあらためて懇願したのでした。お釈迦さまは

「子どもや家畜が確実にあるものだと思いこんで、それらに執着する人たちは、大きな「死という恐怖」が襲ってきて、すべてを奪い去っていくのだよ」と教えられました。そして、

「仏の教えに違うことなしに百年を生きるより、たとえ短い時間でも、仏の教えに遇うことができれば、それに越した人生はないのだよ」と論されたのでした。

「死」は他人ごと

ゴータミーも「人は必ず死ぬ」ということは知っていたに違いありません。しかし、「我が子が亡くなった」という事実を絶対に認めたくなく、この厳しい現実から無意識に逃避し続けたように思います。

「何かのまちがいであってほしい」という切なる思い、「もしかすると目を覚ますのでは」という一縷の望み、諦めようにも諦めきれない母心、誰も彼女の心境を身勝手だと責めることはできません。ゴータミーのように、無常の現実に我が身が直面したとき、一体どのように受け止めることができるのでしょうか。

私たちは平生、「死」を自分の問題として受け止めていないように思います。どこまでも他人ごととして、客観的に考えているように感じます。人ごとであれば一都込油は道理、人が死ぬのは当たり前のことだ」と言えますが、それを自分や自分の家族に置き換えて考えてみると、決して「当たり前」では済まされないのです。

それなのに「死」の問題を先送りにし、自分の「いのち」が終わることを考えずに生活しているのです。「どうせ死ぬのだから、そんなこと考えても仕方がない」とか、「考えたところで、死なないわけではない」とかいって開き直り、死ぬことを忘れて生きていく。味は、その方が楽なのかもしれませんが、それはただの現実逃遊で、問題は何一つ解決されていないのです。自分自身の「死」は、絶対に避けることができない最も憂鬱な問題であり、人生の一大事です。「死」を主体的に受け止めてこそ、はじめて「いのち」への深いめざめの第一歩となるのではないでしょうか。

「いのち」への深いめざめ

瓜生津先生は、今回の法語の出拠となる著書の中で、

この世のいのちは無常であり、落とせば壊れる茶碗のように、いますぐにでも壊れるのです。しかしそれだからこそ、そのいのちが壊れずに今あると思うと、とても愛しく、大切にせずにおれません。(中略)

自分のいのちが無常であるということを知るなら、一瞬一瞬のいのちがいかに大切であるか、今なすべきことは何であるか、ということを真剣に考えるようになるのです。

仏法はそこから始まると言っても過言ではありません。

といわれて、童謡「しゃぼん玉」を引用されます。

しゃぼん玉とんだ

屋根までとんだ

屋根までとんでこわれて消えた

しゃほん玉消えたとばずに消えた

生まれてすぐに

こわれて消えた

風、風吹くな

しゃぼん玉とばそ

幼い愛し児を失った作詞家の野雨情がつくった歌詞です。瓜生津先生は、

雨情の悲しみがどれほど深いものであったか、その心が痛いほど伝わってきます。(中略)

しゃぼん玉に愛児のいのちを重ね合わせ、そのどうしようもない悲しみから

「風、風吹くな」と心から願わずにはおれなかったのです。

しかし、このようにいとし児の死を悲しむ雨情でありましたが、この童謡からは、悲しみが「いのち」への深いめざめとなっているのを感じ取ることができます。 (中略)

生と死の境に人間のいのちがあるという自明の理を痛感した作詞者の心を見

過ごしてはならないと思います。

と解説され、生まれてから死ぬまでが人の「いのち」、そのいつ終わるかも知れない「いのち」に目覚めるために、「一日も早く聴聞すべきである」と勧めておられます。

仏となる「いのち」

ある先輩から、「死別という大きな悲しみの中で、真実の教えに出会っていく。

それが、浄土真宗の葬儀の意義だよ」とお話しいただき、「悲中、法縁」という言葉を教わりました。厳しいご縁であればあるほどに、仏さまの教えは響くものです。

普段聞いてもなかなか耳に入らないことが、死別の悲しみの中では素直に心に届いてきます。

「大切な人の命終は、私に対する無言の説法」という言葉を思い出しました。「すべては無常であり、生まれたものは必ず滅びゆく」という道理を、亡き方が目の前で説いてくださっているのです。

「いつかは終えるいのち」と思っていたけれど、「いつ終えるかも知れないいのち」と気づかされます。いつ終わっても不思議ではない「いのち」、今日終わってもおかしくない「いのち」、それなのに今もこうして生きているのです。悲中法縁、あらためて「どう生きるか」を問われているような気がします。

南無阿弥陀仏。「死んだら終わり」と考えていた私の心に阿弥陀さまの説法が刺さります。

この無常なる「いのち」が、思い通りにならない「いのち」と知らされるこの思い通りにならない「いのち」が、かけがえのない「いのち」と知らされるこのかけがえのない「いのち」が、生かされている「いのち」と知らされるこの生かされている「いのち」が、願われている「いのち」と知らされるこの願われている「いのち」が、仏となる「いのち」と知らされる

私の「いのち」は無常、仏さまの「いのち」は無量

無常の「いのち」が無量の「いのち」へと転ぜられる

それが南無阿弥陀仏、阿弥陀さまのおはたらきなのです。

(緒方義英)

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