四月のことばは、仲野良俊さんのお言葉です。
仲野良俊さんは、一九一六(大正五)年、京都市にお生まれになりました。一九三九(昭和十四)年に大谷大学文学部を卒業され、同大学の講師を勤められました。一
九四二 (昭和十七)年にビルマ(現在のミャンマー)で日本語学校の教師になられました。帰国後の一九五六(昭和三十一)年、真宗大谷派の教化研究所の所員に就かれ、一九六六(昭和四十一)年に同派教学研究所副所長に就任されました。北海道教学研究所所長を経て、一九八一(昭和五十六)年に真宗教学研究所所長になられました。
また、京都市の真宗大谷派専念寺のご住職を務められ、一九八八(昭和六十三)年一月六日にご往生なさいました。

この四月のことばは、「急化側講義皿」(法蔵館発行)に収められていることばです。この本の「後記」(伊藤英倍さん著)によると、「正念仏偈講義」三巻は、仲野さんが一時病床に臥され再起された後の一九七〇(昭和四十五)年から、「正信偈講義」の内容を記録作成されたものです。「(前略)天親善産と製影がのご遺徳を通して海土真宗が苦薩道であることを御教示なされると共に、宗祖親聖人の御生を貫き支えたものとは何であったのかを訴え続けられると共に、私共をして同じ道に導かれようとされた御苦労」を示してくださる内容です。
さて、「聞法するということは、結局自分を聞くことなのです」ということばは、
「正念仏偈講義町」の中で、親葉聖人が「正念仏偈」依釈既において激が師を
お読えになる「朧大な魔大智漁」の文言を味わわれるところに出てまいります。
「常無明正意(普導、独り仏の正意を明かせり)」と善導さまだけが本当に仏の
お心というものを明らかにされた。その内容は「粉定与道悪(定散と逆悪とを
粉哀して)、光明号蹴因縁(光明名号の因縁たることを頭かしたまう)」。そして「開
入本願大智海(本願の大智海に開入すれば)」と続き、これが善導さまのお仕事と言われます。
「開入」というのは「離示替入」の略で、「法華経」にも「開示悟入化見」と出てまいります。仏の智慧を開示して、そして染生をしてそれに悟入せしめる。紫生のために仏の智慧を開き、そしてその智意の世界へ衆生を悟り入らしめるという意味の言葉ですが、「法華経」にはどのようにして開示し悟入せしめるかということについては書かれていません。しかし、善導さまは「仏説無量寿経」について仏のお心を明らかにされ、定散と逆悪とを粉哀して、光明名号が因縁であることをあらわし、そして本願の大智海にわれわれを開入せしめてくださったのだと示されたのです。それとともに、これが二重の意味を持っており、本願の大智海に開入したならば、「行者、正受金前心(行者はまさしく金剛心を受ける)」というふうに続いていく。
つまり「開入本願大智海」は、善導さまのお仕事を結ぶという意味の言葉であるとともに、「行者正受金剛心」という次を呼び出してくる、前にも後にもかかる意味の言葉なのです。
親鸞聖人は、本当に開示悟入せしめる具体的なものは、本願の宗教、いわゆるお念仏の道だけであるということを見極められたのです。それは、仏の世界を開く唯一の方法であるところの光明と名号なのだということを、善導さまから教わられたのです。仏の世界を開く唯一の方法は、光明と名号、それが因縁である。仏の世界を光明名号をもって開示して、そして悟入するのは借心による。光明名号をもって如来の世界を開き、倍心をもってその世界に悟入せしめるのです。
しかし、浄土真宗の倍心の場合は、悟入というよりもむしろ選入であり「開示廻入」、その方が念仏の道の入り方としては正しいのです。それは、心の利益を述べられた「正念仏偶」依経段の一節に「成要道謝茶選入」とあり、「法華経」に悟入といっていることは、その方法は念仏の道から言えば心であり、心によって入るという入り方は、必ず入という入り方です。運入というのは廻心して入る、すなわち自分に気がついた、自分というものを思い知って(知して)仏の世界に入る唯一の入り方だと仲野さんはおっしゃいます。
さて、私たちは、生まれてこのかたいろいろなものを見聞きし、学び、経験することによって多くの知識を得て、賢くなってきました。そして何でも知っているように思い込み、特に自分のことは自分が一番わかっているつもりでいます。しかし、大きく見誤っていたり、勘違いしていることも少なくありません。
例えば、世間では「一寸先は闇」と言いますが、仏法に出遇い気づかされることは、一寸先が闇ではなく「今が闇」であるということでしょう。「今が闇」であるということは、自分自身が見えていないということです。その闇を破してくださるのが、光明名号(お念仏)です。
「前」と「後」という漢字があります。「まえ」と「うしろ」と読みますが、「さき」と「あと」とも読みます。これを時間の概念(過去・現在・未来)で考えてみますと、皆さんは「未来」といえば、ご自分の「前」にあるとお思いですか?「後」にあるとお思いですか?指さしてくださいと言われたら、どちらを指されますか?多くの人が、未来は「前」を指されるのではないでしょうか?果たして未来は「前」にあるのでしょうか?
昨日のことは「一日前」と言います。一昨日のことは「二日前」と言います。去年のことは「一年前」と言います。逆に明日のことは「一日後」、明後日は「二日後」、来年は「一年後」と言います。つまり、未来は「後」、「前」は過去なんですよね。そもそも中世までの日本語は「後」には「未来」の意味しかなくて、「前」には「過去」の意味しかなかったようです。その証拠に「前(過去)」は見えますが、「後(未来)」は見えませんね。「昔はこうだった」とか「あの時はこんなだった」とか「前(過去)」のことは見えて(覚えて)います。しかし、明日のことも、明後日のことも「後(未来)」は見えません。
ということは、私たちは生まれてからどのように人生を歩んできたのかというと、前向きに歩んできたのではなく、後ろ向きに後ずさりしながら歩んできているのです。後ろ向きに歩むってどんな感じでしょう?怖いですね。不安ですね。でも、その怖さや不安を感じることも気づくこともなく、毎日を過ごしています。後ろ向きですから、時に人にぶつかって人を傷つけたり、何かにぶつかって自分を傷つけたりしながら生きています。そして、この人生、いのちがどこに向かっているのかも知らずに生きています。つまり、人生のたどり着く所、いのちの目的地がわからないままの人生を送っています。こういう目的地がない人生を「迷いの人生」というのでしょう。しかも「迷っている」ということにも気づいていない、これを本当の迷いというのでしょう。
私たちは普段、目的地をもって行動していますし、最終的にはお家という目的地があります。迷っていることに気づけば、目的地はどこか、今どこにいるか、どうすれば行けるかを探したり開べたりしますが、気づくことがなければ彷徨い(さ迷い)続けるだけです。これこそが本当の迷いです。
阿弥陀さまは、そんな後ろ向きで後ずさりしながら迷いの人生を送り続けている私(たち)をご覧になって、放ってはおけず、すくわずにはおれないと、願を立てられました。今、私たち一人ひとりに「南無』弥陀」という言葉と声の仏さまが至り届き、抱きしめて、抱き上げて、
「あなたのいのちはお浄土に往き生まれて、仏さまといういのちに成るのだ」と告げてくださっています。阿弥陀さまが、私以上に私のことを案じてくださり、「あなたのいのちの全責任を負う」と、私のいのちの目的地「お浄土」を知らせ、私の身体といのちに入り満ちて、後ろ向きの人生をご一緒してくださっているのです。
お念仏申すときに、阿弥陀さまがご一緒と知らせていただきます。
善導大師は「観経読」の中で、
経教はこれをふるに鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発す。もし智慧の眼開けぬれば、すなはちょく苦をひて湿築等を成楽することを明かす。
(「註釈版聖典(七祖窟)」三八七頁))
(経典はこれを喩えていうと鏡のようであって、たびたび読み、たびたび尋ねたならば智慧が開ける。もし智慧の眼が開けたならば、よく迷いの苦を厭い、涅槃の楽を放うことを明かすのである)
とお示しになりました。「経典に説かれるみ教えは鏡のようである」と。
私たちはほぼ毎日、鏡を見て暮らしています。鏡を見るといっても、ウチの鏡は丸いとか四角いとか鏡自体を見ているのではなくて、鏡に映る私を見ています。そして、鏡は私を映すのと同時に、私の背後(未来)も映します。後ずさりしながらの迷いの人生を送っている私を知らせ、すくわずにはおれないと私のいのちの目的地「お浄土」を知らせ、連れてゆくぞと抱き上げてくださる仏さま(南無阿弥陀仏)を知らせてくださいました。
「開法するということは、結局自分を聞くことなのです」のことばの後には、「自分の姿が見えてこなければ、人間は助かってみようがありません」と続きます。「開法」とは「法を聞く」よりも「法に聞く」という方が適切ではないでしょうか。仏法を知識として聞くのではなく、仏法に自分自身を聞いていく。そこには、後ずさりしながら、いのちの目的地を知らず、迷いの真っ只中にいる自分の姿が見えてきます。
そして、そのような私をめあてとして今、私をすくう仏さま「南無阿弥陀仏」が届いてくださっていました。そうお聞かせいただいたときからは、もう阿弥陀さまのすくいの真っ只中の人生を歩ませていただくのです。
それがお念仏の人生であり、今までとは違う生き方に育まれていくのでしょう。
(石崎博敍)
















