生い立ち
今月のことばは、『信仰についての対話』(大法輪)から取り上げられた法語です。
『信仰についての対話』は、I・Ⅱと二冊が刊行されており、これはそのIのなかにある安田理深師の言葉です。
兵頭格言さんという四国宇和島の方が上洛して、安田師に「信仰の問題」を尋ねられたときの記録といわれていますが、この文はその安田師の答えのなかにあるものです。兵頭さんが最初に京都に来られたのは一九五八(昭和三十三)年で、以後七年間、毎年夏に入洛されており、一九六九(昭和四十四)年に亡くなられました。
安田理深師は本名を安田亀治といい、一九〇〇(明治三十三)年に兵庫県美方郡温泉町(現・新温泉町)に生まれられましたが、不幸にして両親と別れ、鳥取市で成人されました。
幼児期には、ミッション系の幼稚園でキリスト教に触れられ、長じて禅寺で参禅
されました。そして、金子大築師の著『仏教概論』によって仏教に関心を持たれ、金子師が教授として籍を置いていた大谷大学の専科に、一九二四(大正十三)年に入学されました。翌年四月には、曽我量深師が東洋大学から大谷大学へ教授として移られ、その曽我師の唯識思想の影響を受けて、法相唯識と他力信心について深く求められていかれます。
一九二八(昭和三)年には、金子師の『浄土の観念』加東本願寺から異安心と指摘され、教授職を追放されたうえ、僧籍まで剥奪されました。また一九三〇(昭和吾年に、曽我師も教授職を辞任させられました。真宗大谷派の清沢満之・曽我量深・金子大築という近代の求道的思想家の系譜に出会った安田師は、一九三五(昭和十)年から、私塾「相応学舎」を通して学生の指導・育成を行なわれました。以後、逝去されるまで講義は続きました。
安田師は、一九四三(昭和十八)年に東本願寺で得度をされたときに、曽我師から「釈理深」という法名をいただかれました。安田師は、常に教団と教学は不可分
の強い関係があると力説されました。一九六七(昭和四十二)年、六十七歳のときに肺結核のため入院され、その後、退院され自宅で療養されていましたが、一九八二(昭和五十七)年にご逝去されました。院号は「相応院」といわれます。
本当のことがわからない
兵頭さんと安田師の対話をみてみましょう。まず兵頭さんは「我々の悩みとは」と問われています。それに対し、安田師は次のように答えられています。
法は完全であるが、信心という問題になると割り切れるものではない。すかっ と割り切れたということはない。本願を疑うということは、どういうことかといえば、自分を放さない。我です。我を頼る。本願を疑う疑いのもとは、仏の智恵というものがないためにはっきりしない。そのために自分を頼る。本当のことがわからないと、本当でないものを本当にする、自分を捨てない。自分を本当にする。その我執というものは根が深い。その根が深いといっても、根が深いということも信仰によって教えられていく。
(『信仰についての対話』
本当のものとは
『教行信証』は、一部六巻から成っています。すなわち教・行・信丿証・真仏土・方便化身土です。正式の題名は、「顕浄土真実教行証文類」(浄土真実の教行証を顕わす文類)といいます。教巻から真仏土巻までは、けじめに「顕浄土真実」と「真実」という語が入っていますから、真実ではない最後の方便化身上巻は必要ないようにみえます。しかし、白色が白色だけでははっきりしないときは、灰色や黒色と比べることによって、白色はさらにはっきりします。「真実」も、「方便」があることによって「真実」が明確になります。
また題名は「教・行・証」と三法になっていますが、本文のなかでは「教・行・信・証」と四法になっています。これは、行から信が別解され、表面にあらわれてきたからであると思われます。そのことを示されるのが信巻冒頭の特別な序文(作序)の記載です。また「方便」の語には「真実」に入らしめる意味があります。
『教行信証』信巻(本)の「ご二問答」、すなわち「法義釈」のなかの信楽釈では、『涅槃経』(迦葉品)を二文連引して、第一文では信心が菩提の因であるとし、第二文では信心について如実の信と不如実の信の違いがあることを述べられています。
あるいは阿排多羅三貌三菩提を説くに、信心を因とす。これ菩提の因、また無量なりといへども、もし信心を説けば、すなはちすでに摂尽しぬ
(『註釈版聖典』二三七頁)信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞よりして生じて、思より生ぜず。このゆゑに名づけて信不具足とす。また二種あり。一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道ありと信じて、すべて得道の大ありと信ぜざらん。これを名づけて信不具足とす 荷頁)
また、すぐ後に『華厳経』(大法界品)を引かれて、信心を得て疑心なきものはこの上なきさとりを開くと述べられます。
この法を聞きて信心を歓喜して、疑なきものは、すみやかに無上道を成らん。もろもろの如来と等し (同頁)
さらに『教行信証』方便化身上巻の「真門釈」にも、前掲の『涅槃経』の文を連引するとともに、さらに詳しく信不具足に加えて、聞不具足や戒不具足について述べられます。不具足とは具足の反対の意味であり、すなわち不具足は自力のはか
らいである疑心をあらわし、具足とは他力信心のことを説かれているのです。
また「真門釈」の終わりには、有名なコニ願転入」の文があります。
ここをもって愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でてノ水く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるにいまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂ぽんと欲す。 (『註釈版聖典』四一三頁)
ここでは、第十九願の自力諸行往生(双樹林下往生・要門)から第二十願の自力念仏往生(難思往生・真門)へ回入し、さらに第十八願の他力念仏往生(難思議往生・弘願)へ転入することを勧められています。「三願転入」の文が「真門釈」の結びにあるのは、親鸞聖人が真実の第十八願の他力念仏往生の上に立って、方便の第十九願の自力諸行往生と第二十願の自力念仏往生を誠められているからです。
本当のものを知らされる
今月の法語「本当のものが わからないと 本当でないものを 本当にする」を逆にいうと、「本当のものを知らされると、本当でないものが見えてくる」、あるいは「本当のものを知らされると、本当でない自分が知らされる」という意味になります。
如来の智慧の光明に照らされることによって、闇のなかにいる私に気づかされます。人間の分別・知識によっては、真実の世界は見えてきません。如来の光明・名号のはたらきによって、真実信心を獲得することができるのです。
(林 智康)