2020年9月のことば 自分のあり方に痛みを感ずるときに 人の痛みに心が開かれる

心に感じる痛み

私は大学のソフトボールの試合をときどき観に行きます。面識のある保護者の方々と、選手の調子や対戦相手の状況などを話しながら観戦します。保護者の方は、わが子たちのプレーに一喜一憂しながら、勝てば歓喜の笑みを浮かべ、負ければ悲しみを抱きつつ、次の目標に向かって切り替えようと励まし合われます。そこには、保護者同士、お互いに同じ思いを共有されている光景が広がっています。ほとんどの選手は小学校からソフトボールを続けています。ですから、わが子加活躍したときのうれしさも、失敗したときの悔しさ・申し訳なさも、幾度となく体験されてきた親御さんばかりですから、お互いに相手の気持ちが理解できるのです。
このように、私たちは自らが体験したことのある同じ状況に他の人が置かれたときは、自分目身を相手に投影させて(シンクロさせて、相手の心持ちを慮ることができます。今月のことば「自分のあり方に痛みを感ずるときに人の痛みに心が開かれる」は、九州大谷短期大学名誉教授であった宮城顎先生の『他人さえもいとおしく』(九州大谷文化センター)にあるお言葉です。宮城先生は、

  自分のあり方に痛みを感ずるときに、人の痛みに心が開かれる(中略) 一人一 人には、他の人にはわからない心の痛み、その重さがあるということが、わかるということです。                       二五頁)

と述べられています。
たとえば、親(子)を亡くし、何一つ親孝行できなった(親らしいことができなかった)と、自分白身に痛みを感じている人は、親(子)を亡くして悲しんでおられる人の心の痛みを感ずることができます。しかし、その経験のない人は、悲しいという気持ちを推し量ることはできても、どれはどの悲しみかを感じることはできません。自らが痛みを感じるとき、その人は悲しみに沈んでおられる、あるいは立ち直ろうとされている人の痛みを、我がこととして感じることができるのです。

 

REMEMBER PEARL HARBOR! の教訓

 

話は変わりますが、私は広島に生まれ育ちました。小学生の頃から、学校で「平和学習」という授業がありました。平和公園や原爆ドーム・平和記念資料館にも、何度も訪れました。
身内の体験談も聞きました。祖母(父方)は、原爆が投下されたときお寺にいて、爆風で倒壊した建物の下敷きになりました。たまとま近くを通りかかった人に助け出されて一命を取り留めましたが、その後も亡くなるまで後遺症に悩まされました。祖父(母方)は海軍に所属しており、潜水艦に乗って赤道直下の方までよく行っていたそうです。八月六日には、たまたま山口県の岩国に帰還していました。もし国外で終戦を迎えていたら、日本仁戻ってこられなかったかもしれません。両親からも疎開していたときのこと、戦中・戦後のことを聞きました。

また、原爆の日には、毎年、平和公園内の原爆供養塔前で、いくつかのお勤めが行われています。広島市内の中心部に位置する本願寺派の広陵東組・広陵西組においても、八月五日の夜には、僧侶やご門徒さんなどの関係者が原爆ドームそばのお寺に集まってお勤めをし、供養塔前まで提灯行列をして、そこで原爆死没者のお逮夜法要を勤修しています。このような環境のなかで私は育ちましだから、平和についての思いもそれなりに持っていると思っていました。
ところが、私自身、”本当の平和とはなにかとを考えさせられたことがありました。いまから二十数年前になりますが、龍谷大学の研究の一環で、先生や大学院生たちと一緒に本願寺派の(ハワイの開教区を訪れる機会をいただきました。そのとき、私たちは(ハワイの開教使の先生にアメリカ軍の基地内を案内していただきました。
いろいろ見て回るなかで、古びた建物の外壁に、穴と言いますか、くぼみのようなものが幾つも空いているのに気づきました。けじめは、。なんとも変わったデザインだな”と、〃老朽化が進んで穴が空いたのかな”などと呑気なことを考えながら見て回っていましたが、どうしても気になったので、開教使の先生に尋ねました。
そうすると先生は、「これは真珠湾攻撃のときの弾丸の跡です。取り壊したり修繕したりしないのは、そのときのことを忘れないようにするためです」と教えてくださいました。その話を聞いて私は、(ワイの人々にとっての「REMEMBER PEARL HARBOR!(真珠湾を忘れるな!)」がどれだけ大きくて、深い憤りと悲しみをいまだに残しているかを感じました。私は、戦争がもたらす悲しみは、立場が違っても同じであると思いました。と同時に、私は”お主えは戦争による本当の痛み・悲しみとは何かを真剣に捉えようとしていたか”。生半可なうわべだけの平和しか見ていなかったのではないかと、「本当の平和とは何か」をつきつけられたように感じました。
戦争は敵も味方も関係ありません。それに関わったすべての人々に深い悲しみをもたらします。戦争はしてはいけない、それは誰もがわかっていることだと思います。戦争という手段では、何の解決も導かれません。握造されたり作為的に書きかえられたりした歴史に触れても何にもなりませんが、歴史の事実を直視することによって、戦い・争いは問題を解決する有効な手段とはならないことに気づかされます。自らに痛みを感じることができる人は(被害を受ける悲しみだけでなく、相手を傷つけてしまう・殺めてしまうと感じる痛みもあります)、相手が受けた(あるいは受ける)心の痛みを知ることができるはずです。そこに初めて戦争は無益なものだとうなずかされてくるのではないでしょうか。

 

自らの痛みと他者の痛み

 

自らに痛みを感じない人は、相手の痛みを感じることができません。ずいぶん前になりますが、ある方が広島の赤十字・原爆病院を訪問し、「病は気からと言いますから、気をしっかりと持ってください」と、原爆症で苦しんでおられる方々に声を掛けられました。その言葉に被爆者の方々は、言葉であらわせない深い悲しみを抱かれたそうです。なぜなら、原爆による後遺症は、ふつうの病気やけがによるものとは違います。言葉をかけたその方も戦争を体験された一人です。身をもって戦争による悲しみ・痛みを感じておられるであろうはずなのに、間違ったお見舞いの言葉を掛けてしまうということは、自らの痛みとして感していない人としか言い様がありません。自ら痛みを感じていないのですから、相手の痛みを感じられないのも当然ですよね。逆に、結果的に自らの研究が原爆製造に力を貸すことになってしまったアインシュタイン博士は、日本の人々に対して「申し訳ない」との思いを抱いておられたそうです。それは、自らの研究が人類の役に立つと思って疑わなかったけれども、幸福をもたらす道具とはならずに悲劇を生む元を作ってしまったという漸愧の思いを、自らの痛みとして感じておられたからだと思います。だからこそ、多くのいのちが失われ、後遺症に苦しんでおられる方々の痛みを、重く受け止められたのだと思います。争いからは、決して安らぎは生まれません。争いは争いを生かだけで絶えることがありません。その連鎖を断ち切らない限り、真の安らぎは訪れません。

偉そうなことを言っていますが、私は非常に性格が短気です。些細なことでも、つい頭に血がよって”カーツ”となってしまいます。気がつけば近くにあった物を投げつけたり、壊したりしてしまうこともあります。そのあと少し冷静になって感じることは、自らがとった言動に対しての後悔です。。なぜその二日を言ってしまったのだろう刀”どうしてあんなことをしたのだろうと。ときにはその逆もあります。なぜ、その一言を掛けてあげられなかったのだ。どうしてあのとき、行動に移せなかったのだと。ただ、私か気付けている自らの反省すべき言動は、ほんの一部だと思っています。なぜなら、後で周りの人から叱責されて、初めて気付くことが何度もあるからです。

 

他者の痛みを自らの痛みに

 

悪性さらにやめかかし
こころは蛇蝸のごとくなり

修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる

無漸無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまふ             (『註釈版聖典』六一七頁)

(悪い本性を抑えることなどできるはずもない。その心はまるで蛇や蝸のようであり、たとえ善い行いをしても、煩悩の毒がまじっている。だから、その行いはいつわりの行と呼ばれている。 罪を恥じる心がないこの身には、まことのこころなどないけれども、阿弥陀仏があらゆるものに回向してくださる名号であるから、その功徳はすべての世界に満ちわたっている。『三帖和讃(現代語版)』 一八三頁)

このご和讃は、親鸞聖人の『正像末和讃』「愚禿悲歎述懐讃」のなかの二首です。私の心は正に蛇や蝸のたとえで示されるように、他人を傷つけてしまう邪悪な心の持ち主でしかありません。しかも後悔できればまだいい方ですが、ほとんどの場合、自らが取った言動を顧みることもしません。そんな私か「争いはよくない」と言ってみても、それは痛みを感じないものでしかありません。痛みを痛みとして感じることができない、それが私の本性なのです。しかしそんな私に、。なかなか痛みを感じられない私であるμと気づかせてくださるのが、「南無阿弥陀仏」のみ名をもって私に掛けられている阿弥陀さまの願いなのです。
相手を傷つけてしまうことは悲しみであると感じられるようになれば、おのずと相手の気持ちを感じることができるようになると思います。いまも世界のあちらこちらで、紛争やテロが起こっています。自分の愚行が他人を傷つけてしまうことに痛みを感じられる人は、紛争やテロによってどれだけの人が悲しむかを知ることができるのではないでしょうか。私は、広島でも(ワイでも、多くの方々が国籍に関係なく一緒に手を合わせておられる様子をみてきて、勝者も敗者もない、ともに「南無阿弥陀仏」のご縁に遇わせていただく、それがお念仏の世界だと思っています。
(貫名 譲)

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