2021年10月のことば 老いが、病いが、死が、私の生を問いかけている

先生の生涯

今月のことばは、東本願寺出版部(現東本願寺出版)より出されている、同朋選書図『自分か自分になる』の中にある二階堂行邦(ゆきくに)先生のお言葉です。
二階堂先生は、一九三〇(昭和五)年に東京の真宗大谷派専福寺にてお生まれになられました。戦中、戦後と激動の時代を生き抜かれる間には、早世されたお父さまの後を継ぎ、二十三歳という若さで住職を譲り受けられました。それ以来、自坊教化と積極的な布教活動により、全国に多くの念仏者をお育ていただきました。
二〇一三平成二十五)年にご往生されるまでの八十三年という長い人生の中で、曽我量深、安田理深という真宗大谷派の学僧など、浄土真宗のみ教えに深い造詣を持った方々との出遇いが、自分の人生に大きな影響を与えてくださったと、晩年に自らの人生を回顧しておられます。

言葉の背景

さて、今月の法語は「老いが、病いが、死が、私の生を問いかけている」という言葉です。先ず、この言葉の真意をくみ取るために、その前後の流れを少しだけ紹介しておきたいと思います。『自分が自分になる』のこの章は、質問者に先生が応えるという、いわゆるインタビュー形式にて構成されています。
ここでの話題の中心は、浄土真宗における葬儀の意味です。身近な人の死を通して、私か何をどう受け取めるのかという問題です。インタビューの中で、先生は現在大きく変わりつつある、「看取り」の問題や「葬儀・納骨」のあり方について言及されます。人生最後の「看取り」という家族にとって極めて大切な作業が、医療技術の進歩と合理的な便利さの中で病院の仕事となったために、ほとんどの家庭から消えてしまったという事実。「葬儀」が「直葬」や「お別れ会」という名で合理化・簡略化され、「納骨」が「合葬」や「散骨」という名のもとに遺骨廃棄になり、その人の死が忘却の彼方に忘れ去られているという現状があります。
そのような問題を語られた後に次のようなお言葉があります。

  生・老・病・死という人生苦を、私だけの体験として固執し、私だけが災難に遭ったように考えてしまい、そこから自分の人生をすぐ結論づけてしまうのです。しかし、人生の体験は、結論を与えるものではなくして、むしろ人生体験の事実からその人の人生が問いかけられているのです。老いが、病いが、死が、私の生を問いかけているのです。「これでいいのか?」と。しかし、自分の合理主義的な思考では、その問いに答えられないのです。それで苦悩する。それが人間なんですね。                       (一六一頁)

葬儀の目的とは

先生は、人間の合理的な思考が自らを苦悩の存在にしていると申されていますが、合理的な思考とはどのような考え方なのでしょうか。因みに「合理的」を辞書で引いてみると、

①論理にかなっているさま。因習や迷信にとらわれないさま。
②目的に合っていて無駄のないさま

と、二つの意味が出て来ますが、この解釈に従って「葬儀」を当てはめてみれば、合理的な葬儀とは「因習や迷信にとらわれないで、目的に合った、シンプルで無駄のない葬式」ということになります。
私の住む地域では、平成の初め頃までは結構自宅葬が残っていました。そして葬列を組む時は(列といっても玄関から霊柩車までの短い距離ですが)、紙で作った「旗」「燈篭≒天蓋」という三つの葬具が必需品でした。それ以前、墓場まで棺を運んでいた時代はもっとたくさんの葬具が使われていたと聞いています。多分、各地各宗派で行われていた因習的な葬送の形式が、浄土真宗独自の形をもって習俗として当地に受け継がれてきたものだと思います。斎場(ホール)での葬儀が流行りだした当初までは、喪主から「故人は入院生活が長かったので、一度自宅に連れて帰り、せめて通夜は自宅で……」という声をよくいただいたものです。ですから葬送の列といっても、自宅の玄関から霊柩車までのほんのわずかな葬列の場合もありましたが、それでも隣保班(隣組)の人たちによって葬具は使われ続けていたのです。
旗には、『仏説無量寿経』「往致傷」より、

其仏本願力 聞名欲往生
皆悉到彼国 自致不退転
(『葬儀勤行集』四一~四二頁)

光明はひろくすべての世界を照らして、仏を念じる人々を残らずその中に摂め取り、お捨てになることがない
(『浄土三部経(現代語版)』 一八四頁)

の文が、燈篭には、『仏説観無量寿経』より、

光明偏照 十方世界
念仏衆生 摂取不捨
(『勤行聖典浄土三部経』二六二頁)

この仏の本願の力により、仏の名を聞いて往生を願うものは、残らずみなその国に往き、おのずから不退転の位に至る
(『浄土三部経(現代語版)』八〇頁

の文字を大きく書き入れます。

笹竹の先端だけに葉を残しか竹棒の先に、この旗(四本)と燈篭二対)、そして天蓋をつるして、葬送の列は進むのです。私の父が生前に、あの天蓋は「仏天蓋」だったとよく話していました。つまり、それは亡くなられた方のご遺体を「死体」としてではなく、その人を世の無常と念仏の確かさを知らしめてくださる「仏さま」として敬い、その仏さまに雨露がかがらぬように、棺桶の上に天蓋をかぎして歩いたのだというのです。 現在では、ほとんどの葬儀が葬儀社のホールで執り行われるようになり、葬送の列がなくなると同時に、いつの間にか三つの葬具も消えていってしまいました。夏は涼しく冬は暖かいホール。そしてロビーにはコーヒーまで準備が整い、すべてのことを業者の方が時間どおりに進めてくださる。まさに斎場は、楽で便利で非常に合理的な場所として遺族に提供されています。しかし、そこからは、先立つ人を「仏さまとして敬う」という心をほとんど感じ取ることができなくなってしまいました。
浄土真宗にとって、葬儀は「お別れ会」や「告別式」ではありません。身近な人の「死」を通して、今の私の「生(いのち)」と「生き方」が問われる場所なのです。

老と病から問われること

人は誰しもが、できることならば健康で若さを保ち、病むことなく、少しでも長生きをしたいと願いながら生きています。しかし人間が生身である以上、老いも病も絶対に避けることができない事実です。不老長寿という言葉がありますが、歳を取らず(不老)長生き(長寿)ができる人など一人もいないはずです。そもそも「若死に」と「長生き」に境界線はありません。法律上は前期高齢者や後期高齢者などという言葉がありますが、誕生日が来た途端に老人になるというのもおかしな話です。しかし、そんな曖昧な寿命の長短にとらわれ右往左往しているのが私たち人間なのです。
親鸞聖人のご和讃に次のようなものがあります。

南無阿弥陀仏をとなふれば
この世の利益きはもなし
流転輪廻のつみきえて
定業中夭のぞこりぬ
(『浄土和讃』、『註釈版聖典』五七四頁)

南無阿弥陀仏を称える身になると、この世で得る利益は果てしない。迷いの世界を生れ変り死に変りし続ける罪も消え、寿命に限りがあることや、その途中で死んでしまうという恐れも断ち切られる。
(『三帖和讃(現代語版)』五九頁)

「定業」とは人間の「寿命」のことです。また「中夭」とは「早死に」のことであり、「のぞこりぬ」とは「除かれる」という意味なのです。つまり、阿弥陀如来の至心を疑いなく受け入れ、お念仏申しながら浄土を目指して生きていく人の人生からは、「いつかは死ななければならない」という怖れや「早死にするのではないだろうか」という不安が取り除かれてしまうのだ、とお示しくださったのでした。
他人から「この歳まで生きたのだから大往生だよ」と言われるほどに長生さした人も、または「早かたね」と悔やまれる年齢でこの世を去った人も、その人のいのちの重さには何の違いもありません。大切なのは、この人生で真実に出遇い生死
の迷いを超え、仏恩を報ずる生き方に目覚め得たかということでしょう。

清浄光明ならびなし
遇斯光のゆゑなれば
一切の業繋ものぞこりぬ
畢竟依を帰命せよ

(『浄土和讃』、『註釈版聖典』五五七頁)

阿弥陀仏の清らかな光に並ぶものはない。この光に出会うことにより、迷いの世界につなぎとめる悪い行いも、その力がすべて失われる。究極のよりどころである畢竟依に帰命するがよい。
『三帖和讃(現代語版)』九頁)

日常の生活の中で、自分の思いどおりになるのが当たり前だと傲慢に生きている私に、老いが、病いが、死が、思いどおりにならない現実となって、「私とは何なのか、生きる喜びに出遇えたか、何を依りどころとして、どこに向かって生きているのか」と、私の「生」を問いかけてきます。
(田中 信勝)

 

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