2022年11月のことば たとえ一人になるうとも 仏はあなたと共にある

「フッドーバイ」という言葉の由来

一九九一(平成三)年に発刊された『ブッドーバイーみほとけのおそばにI』(百華苑)という題名の本を手元においています。これは、その前年に五十歳で往生された雪山隆弘師の遺稿集です。この本の題名が鮮烈で、ひきつけられたのです。
ページをひらくとまず、別れの挨拶に使う英語「グッドーバイ」の「グッドはゴッドにつながり、別れてもいつも神さまのおそばにいる」という意味にヒントを得たことが記されています。そして、「私はゴッドをブッダ、『神』を『仏』にあらためて使う」としめしておられます。
そして、

   われらのブッダ、阿弥陀仏は、いつでも、どこでも、今ここでも私のそば
にいらっしゃってくださるのだ。
そう、〃なもあみだ仏”というお念仏は、この私の日常の暮しの中にあって、それはことばを加えれば『ブッドバイ』なのだ。
(『ブッドーバイーみほとけのおそばにI』二頁)

と、「ブッドーバイ」の言葉の由来を述べられています。
この本におさめられている二十五話最後の「道」という文中に出てくるのが「たとえI人になろうとも 仏はあなたと共にある」という十一月のことばです。
著者の表現をかりれば、

   私は、最愛の父、最も尊敬していた師をいま失った。しかし、念仏者はブッドバイだ。
つまり失ったのではなく、別れたのでもなく、私の大好きな父は、阿弥陀仏の世界に往き、阿弥陀仏の世界に生まれて、いま、この私を待ってくれている
のである。                           (『同』三頁)

とあるように、私たちにとってかけがえのない大の死が大きな衝撃となり、こころが傷つけられます。しかし、この別れは誰もが経験しなければならないことであって、どのような方法をもっても避けることはできません。
悲しみにくれている大に周囲の人々が心配して二亡くなった人のことばかりで明け暮れないで、あきらめて元気をだしなさい〉と励まします。このときの「あきらめる」は「諦める」と表現され、「それ以上考えない」という意味です。しかしそれでは問題の本質に目をそむけ、避けては通れない死について考えたくないという姿勢となり、不安の根本的解決にはなりません。

現在進行形の「南無阿弥陀仏」

ところで、仏教には諦観という言葉があります。これは「あきらかにみる」という意味で、目をそらさないでしっかりと見つめることです。私たちは自分のことはわかっているつもりですが、とかく自己中心的です。ですから、自らの生か死と一体であることを忘れて、いつまでも生きているつもりで先々の予定を立てて生活をしています。ところが、予想外の大切な人の死によって、自らも死に向き合わねばならなくなります。私か「生きている」ことは当然ではなくて、私の意志を超えて「生かされている」ことに気づくことによって、こころが大きくひらかれることになります。
私たちは幸福な人生を願って、いつも愛を求めてやまないこころ(愛欲)、地位や肩書を重んじるこころ(名誉欲)、そして金銭に執着するこころ(財産欲)をもち続けています。しかし、そのどれもが本当の幸せの条件とはなりません。かえってそれらの欲望がもととなって憎み合ったり、争ったりしなければならなくなり、願いとは逆の苦しみを背負うことになります。みんなで楽しく暮してきた家族も時間の経過とともにバラバラになり、また亡くなって一人になってしまいます。それを『仏説無量寿経』には、

  人は世間の情にとらわれて生活しているが、結局独りで生れて独りで死に、独りで来て独りで去るのである。      (『浄土三部経(現代語版)』九九頁)

と戒めています。
しかし、本当のやすらぎとなり依りどころとなるのが、お念仏―南無阿弥陀仏です。親鸞聖人は、法然聖人から「ただお念仏をするばかりで、まちがいなく阿弥陀さまのお救いにあずかるのだよ」という教えを聞くことによって、迷いの世界を乗り越えることができるよろこびを得られました。ここに親鸞聖人の依りどころが定まるのです。
阿弥陀さまは、たくさんの仏さま方のなかで、煩悩(欲望)の火をあるときは大きく、また激しく燃やし続けて生きる、この私をすくうことをめあてに、「必ずわかしの世界(浄土)に生まれさせたい、もしそれができないならば、わたしは決してさとりをひらかない」と誓われました。その私に「信じさせ(み名を)称えさせよう」とのおこころが本願であり、その誓いの名のりが名号です。
親鸞聖人は、

  「尊号」というのは南無阿弥陀仏である。  (『唯信診文意(現代語版)』四頁)

と示されています。尊号の「尊」とは尊くすぐれているということであり、名号の「号」は、本願をなしとげて仏になられてからのお名前です。この名号は、すべてのものをこの上ないさとりに至らせてくださるのです。
国語の文法にしたがえば、名号は名詞に分類されることになりましょう。しかし、南無阿弥陀仏は「まかせよ、必ずすくう」という本願のはたらきであり、今私をめあてに喚び続けてくださっているのですから、動詞、しかも現在進行形といってよいでしょう。南無阿弥陀仏の名号は単なる名称ではなく、ましてや無意味な呪文でもなくて、阿弥陀さまがその功徳のすべてをこの私にあたえたいと願われる、大いなる慈悲のおこころの表れなのです。

前のものを尋ね後のものを導く

ブツドパイーみほとけのおそばにー』の著者である雪山師厄姓は牡牛)の郷里は私の住まいに近いことから、学校の通学区域のこともあって同じ高校で学ぶ同級生でした。卒業後、彼は東京へ、私は引き続き大阪と、所を異にすることによって、長い時間が経過してゆきました。このたび、私かこの著書の法語の味わいを書くことになったことに、深い因縁を感じないではおれません。「最愛の父、最も尊敬していた師」のみ跡を慕うように、彼はほどなくお浄土へ導かれていきました。 私は、一番身近な存在である自分の親を「師」と仰ぐ彼の姿勢にこころひかれますが、このことについて、かつて目にした東昇博士の言葉が浮かんできます。この方のことを、私の龍谷大学での恩師、村上速水先生は、しばしばその著書で紹介されていました。
東昇博士二九一二-一九八二)は、京都大学医学部教授で、日本ウイルス学会長もされる一方、熱心な念仏者でもありました。この方の言葉に、「宗教のことばは時代を超えてひびき、科学のことぼけ時代とともに変わる」があります。近年、日常生活のなかにカタカナ表現が氾濫していて、それらの用語を理解しようと追いかけることでたいへんですが、一時的な流行語として消えていくものもあります。お釈迦さまの説法は、はるか二千五百年前で、親鸞聖人の書物は七百五十年以上前に著わされたものです。しかし、そこに示される表現は、混迷を深める私たちのこころにいつも新鮮な息づかいをもって聞こえてきます。
束昇博士は、「二人の師」(『心-ゆたかに生きるI』法蔵館)において

  生後はじめて耳にした人間の言葉は、念仏者たった母のとなえる南無阿弥陀仏
であったにちがいありません。幼年時代、私は母の背中で念仏を聞きながら育  った記憶があります。小学校へ通う以前、母が最初につれていったのは村のお寺たった。今は昔、六十年の昔、村のお寺で何遍か聖人のお名前を聞いた。浄
土真宗信徒の多い鹿児島は薩摩半島の南端で、お寺参りをした体験、私にとり原体験ともいうべきもので、いまの私に生きています。私の親鸞教信仰への門出はまったく念仏者、母の感化によるものです。         (一三九頁)

と書かれているように、生涯、お念仏への導きをされたお母さんを「師」と仰がれました。
浄土真宗の根本聖典である『教行信証』の結びに、

  前に生れるものは後のものを導き、後に生れるものは前のもののあとを尋ね、
果てしなくつらなって途切れることのないようにしたい
(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』六四六頁)

と説かれています。ここにはお念仏相続の願いが表されています。すべてのものを喪失し絶望の淵に立つことになっても、南無阿弥陀仏のはたらきはつねに声となって私とともにあるのです。そして、そのお念仏を先人より受け継ぎ次代にしっかりと伝えることが願われています。
我がお念仏の師
最も身近な親を「師」と敬慕できることはすばらしいことです。先立った方々のことを想えば、ありし口の面影をなつかしむと同時に、いいようのない寂しさを感じることがあります。それも一人になったらなおさらです。自ずから手を合わせ、〈ナマンダブー、ナマンダブー〉と口から声がこぼれでます。もし家族に取り囲まれて賑やかで楽しい家庭生活を送っていれば、合掌・念仏、そして礼拝はしないままで、ときを過ごしていたかもしれません。涙にくれた別れが縁となって、仏法の門戸が開かれたのです。
親鸞聖人はお弟子宛のお手紙で、

  わかしは今はもうすっかり年老いてしまい、きっとあなたより先に往生するでしょうから、浄土で必ずあなたをお待ちしております。
(『親鸞聖人御消息 恵信尼消息(現代語版)』八四頁)

と書き送っておられます。私は、これをそのまま私へのお言葉といただいています。
再び会うことのできる所がそこに用意されているのです。また、『歎異抄』では、

  往生浄土の真実の教えでは、この世において阿弥陀仏の本願を信じ、浄土に往
生してさとりを開くのである         (『歎異抄(現代語版)』三八頁)

と教えてくださいます。すでに本願の教えに出遇えたとき、今ここで救われ、再び会うことのできる世界がめぐまれます。
私か四歳のとき、父はフィリピンで戦死しました。父とのふれ合いは残された数々の写真を通して、かすかに回想するばかりです。すでに七十五年もの歳月が過ぎています。しかし最近、ますます私の体内で父への想いが強くかけめぐっています。
私か今、お念仏の生活ができるのも、自分の意志や努力ではなかったのです。
私もまた、東昇博士や雪山隆弘師のように、我が父をお念仏の「師」と仰ぐばかりです。
(清岡 隆文)

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