2024年1月のことば 帰ってゆくべき世界は今遇う光によって知らされる

浅井成海氏は一九三五 (昭和十)年五月に福井県で出生され、二〇一〇(平成二十11)年六月に七十五歳で逝去されました。

氏は、筆者にとって極めて身近な存在でした。というのは、大学の先輩の先生であったとともに、教えをいただいた指導教授が同じであったのです。浅井先生は指導教授の初期の学生であり、私は指導教授の最後の学生でした。それゆえ同一の指導教授に教えを受けたので、私にとっては先輩であるとともに同門でした。そのような関係でしたので、真宗学の教育・研究はいうまでもなく、極めて精力的に活動されていた伝道についてのさまざまな仕事も微力ながらご一緒させていただくという、私にとっては忘れがたい因縁の深い先生でした。

「帰ってゆくべき世界は今遇う光によって知らされる」の言葉は、氏の著書『法に遇う人に遇う 花に遇う』(本願寺出版社)に教示されるものです。この書名は、氏が日本の四季の美しさにしばしば心をうたれ、その変化のなかで自然のこころに触れることを「花に遇う」とされ、そのような自然の美しさに触れて、人生を味わってきた先師のさまざまな生き方に学ぶことを「人に遇う」とされたのでしょう。さらに人生において必然である、人との出会いと別れがあります。その出会いと別れを超えて人間の出遇いをまさに真実の出遇いとするものは、念仏法に遇うことであるとされ、それを「法に遇う」という意図のもとに上梓されたものです。

元原橋は月刊誌である「大乗』(本願寺出版社)に掲載されたものですので、内容は折々に先生の胸中に去来したテーマに基づいて書かれてあります。今月の言葉は「光をうけて共にいきる」という話の中の一文であり、書籍のタイトルでいうなら、「法に遇う」の具体的な内容として記述されたものといえるでしょう。

第一段の「光をうけて共にいきる」とは、仏教の基本的教えである「縁起」についてです。すべてのものに固定的自性はなく、あらゆるものは変化するということであり、人間もつねに変化してやまない存在であるという、仏教の基本的理念が示されています。また第二段の「療養生活の思い出」は、自らの絶対安静の療養体験を通じて、自然の花の美しさと、人間の親子の慈愛あふれる優しさについて述べられたものです。最後の第三段の「入れ物がない両手でうける」は、死を目前にした孤独の現実のなかにありながらも、人間の優しさを両手で受けるとして、他力に生かされた人間のありようを示されているものです。

今月のことばは、このような三つの内容で書かれた中の、第三段の「入れ物がない両手でうける」に出てくる教示です。

「帰ってゆくべき世界は今遇う光によって知らされる」とはどのようなことを示されているのでしょうか。内容としては、三つのことに気をつける必要があると思われます。一つ目は「帰ってゆくべき世界」であり、二つ目は「今週う光」であり、三つ目は「知らされる」です。

ではまず「帰ってゆくべき世界」とは、どのような世界を意味しているのでしょうか。

親鸞聖人は「帰ってゆくべき世界」、すなわち弥陀の浄土について「つつしんで、真実の仏と浄土をうかがいますと、仏は思いはかることのできない光明の如来であり、浄土はまた限りない光明の世界である」と示されています。親鸞聖人にとってさとりの世界は光明、すなわち光の世界だったのです。まさに浄土は光り輝く光明の世界であり、反対に迷いの来生の世界は闇に包まれた黒闇の世界とされます。それはさとりと迷いの象徴的表現です。

ところで、親鸞聖人は迷いからさとりの世界に往くことについて、特に「来迎」の語句について注意をされています。「来迎」は「臨終来迎」などといわれるように、死に臨んだ楽生を、仏が菩薩方を伴って迎えに来ることを示すものです。衆生が臨終において、気が動転してどのような世界に行くのかわからなくなるというような状況のなかで、仏が迎えに来てくれるならば、安心して往生できるということですので、鎌倉時代でも大いに歓迎された教えでした。

親鸞聖人はこのように理解されていた臨終来迎について、そのような来迎による往生は、諸々の行を修めて往生しようとする諸行往生のあり方であって、真実の往生ではないとされています。このような諸行往生の「来迎」について、親鸞聖人は「唯信文意」に、次のような独自の理解を示しておられます。

 

「来迎」というのは、「来」は浄士へ来させるということである。(中略)また「来」は「かえる」ということである(中略)「迎」というのは、「おむかえになる」ということであり、待つという意味である。

(「唯信鈔文意(現代語版)」九~一〇真)

 

いわば「来」とは「浄土に来させる」ということですが、それは「本願」をあらわす教えであり、それゆえ「他力」を示す言葉であるとされています。そしてさらには「来」は「かえる」という意味であり、それは真実のさとりに至るということです。真実のさとりを得るということは、そのさとりの場に止まることなく、再び迷いの衆生世界にかえって人々を救うはたらきを得ることであり、それを「来」といい、「かえる」という意味であると教示されているのです。

また「迎」の意味は「おむかえになる」ということであり、待つという意味であり、それは如来の本願を聞いて、疑う心がない真実の肩心をいうのです。そして心を得るならば、如来は摂めとって決して捨てることがないのであり、そのようなありようを正態の位に定まるというのです。このような層心ですから、倍心は壊れることのない金剛のような心といわれるのです。

ここでは「来迎」を「来」と「迎」に分けて、「来」を浄土に往生させるということと、海士に往生したならば、そのまま浄土に止まるのではなくて、婆婆世界に再び帰ってきて来生救済をすることであると示されています。それは、往することは同時に構することである、という浄土真宗の教えの基本構造である往還の二種回向として示されているということです。また「迎」は、如来が「むかえる」ということであり、それは心を得るということです。そのような人は正定界の位についているということであり、そして阿弥陀仏は真実信心の正定の人を摂めとって捨てることがない、ということであると明かしているのです。このような金剛不焼の心のありようを「迎」というのであると示されています。

「帰って行く世界」とは、いわば光り輝く清浄の世界であり、そしてそれは単に光り輝く世界としてあるのでなく、再びこの娑婆に帰って、苦悩の生を救うというはたらきをする世界であると明かしているのです。

しかしそのような光り輝く「帰ってゆくべき世界」は「数異抄」に、

苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、まだ生まれたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれない

(「異抄(現代版)」一六頁)

と示されるように、人間的実感としては力なくして終わるときに生まれる世界でもあったのです。

さらに「今週う光」とは「迎」の意味として、如来の本頭を聞いて疑いがないことを言心といわれるように、光り輝くさとりの世界を教示する仏、すなわち阿弥陀仏を具体的に顕現する名号に出遇うということであろうと思われます。そして名号に出遇うということは、具体的には浄土の教えを伝えた、聖典や七高僧に出遇うということでしょう。親鸞聖人は、「教行証」の「総序」に、

よろこばしいことに、インド・西域の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇いがたいのに今遇うことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた

(「顕浄土真実教行証文類(現代語版)」五頁)

と示されています。そして「遇う」ということは、「一念多念文意」に、

「遇」はまうあふといふ。まうあふと申すは本願力を言ずるなり

(『注釈版聖典」六九一夏)

と教示されるように、すべての苦悩する米生をう如来の本願のはたらきをじることでもあったのです。

さて、法語の最後の言葉である「知らされる」ということについてですが、それは具体的には遇いがたき聖典や高僧の教えに出遇い、そして知らされるということです。聖典や高僧に遇い、そして念仏の教えを教示されて、知ることができたということであり、その知ることができた内実そのものは、他力回向の言を獲得し、念仏に出遇ったときといえるでしょう。

念仏に出遇い、を得るという個人の内的な宗教的体験は、人によってさまざまでしょう。覚醒的な自覚的体験とは、凡夫にとってはなかなか困難なことではないかと思われます。極めて過酷な行を修められた行者さんから「仏を見た」という体験談を聞くことはありますが、世俗のただ中に人生をおくる凡夫である生にとっては、ほぼ不可能な体験であろうと思われます。日々の生活を在家として生きる楽生にとって宗教的実感は、人生を振り返ったとき、初めて知ることができるのではないでしょうか。

卑近な例で申し訳ないのですが、私の個人的な念仏との出遇いは、かつて幼い頃、本堂の仏前でお参りしたときに、母から「なんまんだぶつといいなさいよ」と、日常の生活の中で念仏することを教えられたことであったように思います。またガンに冒された父が、検診のために行った有院のベッドの上で言った「今日が最後だな」という非日常の状況での別れの言葉にたじろぎながら、父の念仏する姿を見たことにあったように思います。

そのときには気がつかなくても、あのときに教えられたと後に振り返って気がつくことが、帰るべき世界を教示する念仏としての如来、すなわち「光に出遇い」「知る」ということではないかと思います。

(川添 泰信)

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