6月のことばは、大神信章師のお言葉です。
大神師は一九四九(昭和二十四)年にお生まれになり、龍谷大学文学部仏教学科大学院修士課程を修了され、浄土真宗本願寺派光林寺住職を務められました。二〇一三(平成二十五)年にご往生されています。
師が住職をされた光林寺は、福岡県築上郡上毛町にあります。大分県の八面山という名峰をのぞむ、福岡県と大分県の県境に近い農村地域です。広がる田んぼの中、こんもりとした緑の大木に囲まれたお寺でした。お寺の脇には村を抜ける道が通っていて、その道に面したお寺の壁には掲示板が掛けてありました。師の人柄があらわれたような大胆で思い切った、そして温かい字であったように思います。
なぜそんなことまで知っているのかといえば、筆者の郷里が師の隣の市だからです。親戚が光林寺の門徒で、筆者の兄が、お寺の脇を抜ける道を通って高校に通学していたのです。そんなこともあり、筆者は光林寺の掲示板を道を通るたびに見せてもらっていました。
小学生の頃、師に遇ったことがあります。近隣のお寺の日曜学校でミニキャンプに行くことになり、車で光林寺に立ち寄った折でした。優しそうな笑い顔を、今でもはっきりと覚えています。その頃、師はまだ三十歳なかばの青年でした。
今月のことばは、「学仏大悲心ほとけのおしえ詩と言葉』(探究社)の中の掲示板法語です。他にも、
見えねども
いのち育む
春来る
(『学仏大悲心ほとけのおしえ詩と言葉」四二頁)
いつのまにか
優秀ないのちのほうがそうでないいのちよりも
尊いと思ってしまう
いつのまにか
有能ないのちのほうがそうでないいのちよりも価値があると信じてしまうそうでないいのちたちは
いつかまた
幼いころのほほえみを消している
(『同』四三頁)
苦労をすれば苦労をにぎる我慢をすれば我慢がたまる
我がはげめばはげむが残る積んだそれらが他人を泣かす
放す力がナモアミダブツ
(『同』四三頁)
などの法語もあります。師の道心に淳い心を知らせてもらいます。
ご子息も「あとがき」で触れておられるように、師の掲示板を見て首をかしげた方もおられたように思います。しかし当時、浄土真宗の教えを全く知らなかった筆者は、師の思い切ったお言葉を理解できていませんでしたが、読んで確かに元気と新たな視野をもらっていました。今、少し教学を学ぶ身になって改めて拝読させてもらいますと、どの言葉も師の念仏生活から出た豊かな法味であったといただけます。
「美味いもん食ったら、こらあ美味い!なぁ、あんたも食っちみない!つちなる
やろ?」
(「同』一六一頁)
師の豊弁の言葉にある通り、お念仏に遇った慶びは、慶びが大きいほど、人にも勧めたくなります。師とお念仏の味を語り合ってみたかったと思います。
今月のことばは、
いい人
いい雨
いい天気
みな私中心
善い人悪い人といいますが、それはその時の私の都合やその時の気分で決めているのが、私の現実です。だから、同じ人や同じ雨なのに、私のおかれた状況によって、善い人や悪い人、いい雨や困る雨に変わります。しかも、それで当然だと思っている私がいます。
師の法語集は「学仏大悲心」といいます。
学仏大悲心
仏の大悲心を学して
(「净土真宗聖典全書』六五五頁)(「註积版聖典(七祖篇)』二九八頁)
七高僧の第五祖、中国唐時代の阿弥陀仏浄土教家である善導大師(六一三ー六八一)のお言葉です。「正念仏園」には、
善導独明仏正意
(『浄土真宗聖典全書」六三頁)
善導大師お一人が仏さまの本当の御意を明らかにしてくださいました。
(筆者意訳)
と親鸞聖人は讃談されておられます。親鸞聖人の先生である法然聖人(二三三ーーニーニ)は、五百年の時を超えて、書物を通して善導大師に会い、
偏に善導一師に依る。
ひたすら善導大師お一人を依りどころとしています。
(『註釈版聖典(七祖)』一二八六頁)(筆者意訳)
とおっしゃっています。直接会えなくても、お言葉を通して、その方の心に会い、その方に本当の意味で会うということがあるのです。
「学仏大悲心」について、善導大師は尊敬すべき仏教徒とは「仏の大悲心を学んで、永久に退くことのない人である」とおっしゃっています。仏教徒とは仏教を学ぶ者のことであり、それは「大慈悲心」である仏さまの御心を学ぶ者のことです。仏教を学ぶ方々は、大慈悲について、「慈を与薬」「悲を携帯」と味わってきました。つまり、「慈」とは、すべての者に愛と憎しみを超えたまことの平安を与えようと願う心であり、「悲」とは、すべてのものの痛みを共に痛む、痛みの共感を意味すると味わったのでした。だから、「大悲心を学ぶ」とは、人の痛みのわかるものになろうと努めることでした。
そうした仏さまや仏教徒の生き方は、仏さまの智慧、すなわち自己を超えた「いのち」の目覚めから必然的に出てくるものです。それを善導大師は、「大悲心」の「大」の字で顕されています。
仏さまの智慧に根ざした大慈悲なる生き方や、大慈悲を学び続ける仏教徒の生き方に触れた者は、自分の現実が仏さまや仏教徒のあり方とは真反対であることを知らされます。まさに「みんな私中心」にしか考えられない痛ましい私の現実です。
自分では直視できない現実とは、自分本位の想いをもって、利益になるものは際限なく取り込み、邪魔者は正義の名において抹殺しようとして、互いに憎み合い、恨みあって、果てしない抗争に明け暮れている自分の姿です。
浄土真宗の教えを聞く者にとって、仏さまとはお釈迦さまと阿弥陀如来さまに代表されます。お釈迦さまの生き方は、さとりのお言葉としてのお経です。具体的には「浄土三部経」です。阿弥陀如来さまの生き方は、念仏となって私の上に実現しています。念仏を税え聞法する者は、私の上で活動し続ける阿弥陀如来さまの生き方に呼びさまされ、大慈悲心に育まれることで、自分だけのしあわせを求めている自分の愚かさに気づかさせていただき、少しでも仏心を学び、仏意にかなった生き方をしようと努めるようになります。それが念仏を称える者の生き方です。
さらにその念仏者の生き方は、自分が念仏を称える以外は仏意にかなわない生き方ばかりする者であることを明らかにします。その仏意にかなわぬ私を捨てておけない仏さまの心を大慈悲心といいます。その大慈悲心に育まれ、また念仏を称えて開法し続け、仏意にかなおうと生きてゆく。この繰り返しを摂取不捨の利益とも味わいます。
親鸞聖人は、摂取不捨について『浄土和護」に、
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
(「註釈版聖典」五七一頁)
と和讃されて、その「摂取」文字の横に、
摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへとるな
り。摂はをさめとる。取は迎へとる。
(「註釈版聖典』五七一~五七二頁脚註)
と説明されています。
念仏を称え仏さまの生き方を受け容れた者を、永久に見捨てずに、仏さまはナモアミダブツ・ナモアミダブツと育み続ける。それは、すぐに仏意に背いて仏さまから逃げようとする私を、追いかけていって、抱きしめるような仏さまの生き方であるとおっしゃるのでしょう。
師の掲示板法語には、
いだかれて
煩悩のまま
五月晴れ
(『学仏大悲心ほとけのおしえ詩と言葉」四三頁)
ともありました。
あの笑顔で念仏にいだかれて生きられた大神師がしのばれます。
(濱畑 僚一)