2024年7月のことば 行いと言葉の背後に 世間があるか如来があるか

深川倫雄師の「行いと言葉の背後に世間があるか如来があるか」ということばは妙好人として知られる浅原才市のことば、

ぐちがをきたらねんぶつもをせぐちの明やくなむあみだぶつ

はらがたうたらねんぶつもをせぶつはひのてのみずとなる

なむあみだぶつ

を味わう中で述べられたものです。

妙好人とは、ご存じの通り、真宗の教えに生きた篤の念仏者と知られている人々のことです。また補恭編『妙好人 才市の歌』(※1)によれば浅原才市は、昭和二十年頃に鈴木大拙ら当時の宗教学者によって、彼の内面を見る鋭さや信仰のあり様が注目され、彼の歌を、解釈を添えて紹介されたことで広く知られるようになった、とあります。同書には、

妙好人というのは、大体学問のない人々で、信仰に厚いのをいうのであるから、彼等の表白はいずれも自らの心の中に動くものが主となる。(中略)彼等の口に出し筆に写すところは、各自の胸襟そのものから流出するのであるから、その中には自ら人に迫るものが感じられる。錐でえぐるようなものがある、また綿で包まれるようなものがある、また水の澄んだようなものもある。彼等の云うところには倍りがない。感情的圧力で向って来るのであるから、知性の上であれこれとそれをあげつらう余裕を与えてくれない。火で焼くようなもので、熱いも寒いもない、直ちに手を引かないと焼け爛れてしまう。禅者の言い草で「大火の如く近傍すべからず」

ということがあるが、如何にもその通りである。

才市の言葉には実にこのようなものがある。直ちに人の肺腑を突くのである。

と、鈴木大拙による妙好人の解釈が述べられています。

また浅原オ市は、江戸末から昭和初期、石囲(現在の島根県)の大工を生業とした人で、才市の父が昔、役僧をしていた手継ぎ寺の門徒となり、京都の本願寺(西本願寺)で帰敬式を受けた後、仕事の合間などに自身の信心を詠んだ歌(「口あい」と称する)を記すようになったと伝えられる人物です。

晩年に真宗の話をするときによく才市を取り上げていた鈴木大拙は、思索と反省を繰り返す中で得られる宗教体験を重視していたとされますので、そのような人物が特に注目し、世界的に紹介された才市の信仰のあり様がどれほどのものかは、彼の側境を深川師が「私にとって遥かに遠い」と述べているように、私たちには想像することも容易ではないでしょう。しかし、一方では、彼のことばを通して、法を聞く悦びを感じることができるのではないでしょうか。

さて、才市が愚痴や立腹の妙薬(「明やく」)と捉えているものが「なむあみだぶつ(南無阿弥陀仏)」ですが、「愚痴」とは仏教では根本的な煩悩として挙げられる三毒の一つです。愚かなこと、迷い(迷っていること)といった意味で捉えると良いと思います。また、立腹(「はらがたうたら」)も同じく三毒の一つで怒りを意味する「瞋表」のことと読んで良いでしょう。

これら二つの根本的な煩悩と、何でもむさぼるように欲しがる「食欲」とを合わせて三毒と言いますが、三毒は生きている中で常に私たちを悩ませる頃悩であり、容易には取り除けないものです。

仰に生きた才市においても三毒に悩まされる日々だったのだと思われます。

あさましが、ないならば、

わたしや、をてらにまいるま[い]。

あさましが、わしがしやわせ。

なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。

この才市の歌(※2)からは、自分自身のあさましい様を率直に詠んだ彼の思いが読み取れるのではないでしょうか。自分の肖像画を、角を生やした姿で描いてもらったという彼は、自分の頃悩や、煩悩によって生じた苦に悩むことが多かったのだと思います。逆に自分の煩悩や苦悩が、それによって生じていることに気付かない人には、自らを省みる機会も少ないのではないでしょうか。つまり、才市のように苦悩を抱えている自分と向き合う人ほど、迷いからの解放(解脱)を真摯に願うことができるのであって、一人ひとりにとって大切なものに出会う機会も多くなるのではないでしょうか。

日常的に自分を悩ます愚痴や「志といった、火が燃え広がるように沸き起こる煩悩を鎮めてくれる水こそが阿弥陀如来であり、「南無阿弥陀仏」であると受け止めた才市の法悦とは、自分にとって大切な教えに出会えた悦びであり、それこそが他力の教え、一切の衆生を救いたいという阿弥陀如来の願いを聞くことができたということなのでしょう。そう考えると、「南無阿弥陀仏」とは、才市の悦びを表したことばとして聞くべきである、ということが深川師の伝えたいことだと思います。

それと同時に、お称名(南無阿弥陀仏)を愚痴や順恚を打ち消してくれる妙薬、言い換えると「もの」として語るべきではないし、用いるべきではないということも読み取れるのではないでしょうか。何故なら、お称名がもののように捉えられ、話られるようなものであるとするならば、お称名を便利で都合の良い、自分の思い次第で用いることができる道具のようなものにもなりかねないからです。

「南無阿弥陀仏」と称えることで自分を悩ませる愚痴や患といった煩悩が鎮まったという経験をお持ちの方もおられることと思います。ただ、「南無阿弥陀仏」と称えることの目的が自分の煩悩の火を鎮めることであるならば、それはいわゆる対症療法的なものとなり、それではいつまでたっても順悩が沸き起こる状況は続くことになってしまうのではないでしょうか。一時の煩悩の鎮まりを得る喜びと、才市の阿弥陀如来に出会えた悦びとが同じものといえるでしょうか。

先に引用した鈴木大拙の解釈の中には、妙好人とは言い難い私たちのことを次のように述べられています。

(前略)学問のあるといわれる人々の場合では、その学問の故に自らを(ることを知っている。それは何故かというに、その学問のおかげで、他人の事でもわがことのように言いなすすべを覚えているのである。彼等の論議なるものは、それ故に、自ら抽象的になる。自分の体験から割り出すことのかわりに、何か抽象的・一般的原理とかいうものを持ち出すのである。それが誠に結構でもあり、また甚だ然らずでもある。抽象的であるから、あてはまる点は広いが、徹底を久くのが常である。従ってそれを聞くものの胸の奥に突き通るということはない。知性が主となっているところでは、もとより然るべきである。(後略)

ものごとを冷静に、かつ客観的に捉えることが良いことと教わりながら日常を過ごすことが多いのが私たちではないでしょうか。

それは一面では正しいことではありますが、自らの頃悩によって引き起こされているはずの自身の苦悩を、他者によってもたらされているものとすり替えてしまうことも起こりえます。どうしてそうなるかというと、「他人の事でもわがことのように言いなすすべを覚えている」私たちは、そのすべを客観的に自分自身を捉えようとする場合にも用いることがあります。そうすることで、自分の苦悩も、それを起こしている自分自身の煩悩も他人事のように考えてしまうことがあります。しかも、その考え方にある客観的とは、私たちが日常の中でものごとを捉える範囲の中にとどまるものですから、世間的な価値に基づいたものごとの捉え方に他なりません。

ですから、そのような捉え方を日常的にする私たちの言動の根底には世間を意識したものがあるといえるでしょう。

私たちの容易に拭い去れない順悩と、そこから起こる苦悩を解決したいと考えた時に、日常を超えた、つまり世間を超えた仏陀の覚りの智の目という視点が重要になります。しかし、覚ることが困難であるのが私たちです。そのような煩悩を身にまといつづける私にとって阿弥陀如来への帰依とは、私たちの世間的、日常的な生活の中の苦悩を取り除いてくれることを期待してのものではなく、成仏にまで導いてくれるという後生の一大事をお任せすることに他なりません。

ですから、「南無阿弥陀仏」が、私たち自身の煩悩に染められた日々の言動をその都度、都合よく消し去ってくれるものなのか、煩悩に覆われた私たちが覚るまで傍らにいつづけてくれるという阿弥陀如来に出会えた悦びの中から出てきたのかについて、才市の悦びとは何かを考えながら自らを振り返るとともに、日々の私たちの言動がどのようなものか改めて考えたいものです。

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