十二月の法語は、龍谷大学名誉教授であり、浄土真宗本願寺派勧学であられた村上速水和上のお言葉です。
村上和上は一九一九(大正八)年に岡山県にお生まれになり、後に鹿児島県の永照寺に入寺されました。龍谷大学研究科、本願寺派宗学院をご卒業後、一九八七(昭和六十二)年まで龍谷大学文学部、龍谷大学短期大学部、中央仏教学院に奉職され、二〇〇〇(平成十二)年三月にご往生されました。

しょうしんげさんごう
今、手元に和上のご著書『正信偈護仰」(永田文昌堂)を置いています。色褪せた表紙を開くと「正信偈」の解説のページに赤鉛筆でラインが引いてあります。一九八六(昭和六十一)年、龍谷大学短期大学部仏教科の一回生だった私は、龍谷大学での和上の最終年度に、この「正讃仰」をテキストにして、和上から「正信個」のご講義を賜ったのでした。和上はその頃、ご病気の後遺症もおありになり、「正信偈」の一句ずつをゆっくりと解説してくださいました。大学生になったばかりの浅はかな私にはじれったく思えましたが、真摯に語られるお言葉には力があったのでしょう。赤鉛筆でテキストに幾筋もラインが引いてあります。ともあれ、本願寺教団にとっても、龍谷大学にとっても、大いなるご功績を残された和上のご講義を直接賜ることができたことは、大変ありがたいことでありました。
さて、この法語は、村上和上のご著書「蕗の墨ーこころの巻頭言集ー』(本願寺出版社)からの一節です。この本は一九八八(昭和六十三)年四月から一九九二(平成四)年三月号までの約四年間にわたって、和上がご執筆された「大乗」の巻頭言をまとめたものです。巻頭言ですから、一編一編は短い文章ですが、どのエピソードにも滋味あふれるお念仏の薫りが漂ってきます。
確かなものは、今もはたらいている如来の本願力
(村上速水「蕗の墓1こころの巻頭言集」一•九真)
この法語が書かれてあるのは、一九九一(平成三)年五月号の巻頭言です。「現生正定聚」と題されたその一編には、私の父が和上にお送りした寒中見舞いの葉書の文面が紹介されています。父は龍谷大学在学中に和上にご教授を賜ったそうで、そのご縁で毎年年賀状をお送りしていたようですが、その年は年賀状ではなく、寒中見舞いを出していたのです。その文面とは、
寒中御見舞い申し上げます。
「今が確かなのですネ、だから先も確かなのですネ」日頃このように話していた坊守が、如来さまの確かさの中に生き、昨年七月病気で急逝しましたので、賀状失礼いたしました…・・・・・。
(村上速水「蕗の薬ーこころの巻頭言集」一〇八頁)
という一文です。和上はこの一文を読んでくださり、思わず素晴らしいと感嘆の声を上げられたとあります。
一九九〇(平成二)年七月十四日、私の母はくも膜下出血で倒れ、五十二歳で今生の縁を終えました。当時私は大学を卒業し、実家から仕事に通っていました。その日の朝も、いつもと変わらず手作りのお弁当を持たせてくれた母が、自宅で倒れたとの連絡を受けて、急いで帰宅しました。母は痛みに苦しんでいましたが、かろうじてまだ意識はありました。しかし、救急搬送される時にはもう意識はなく、搬送先の病院で検査をしていただきましたが、手術もできない状態でした。結果、倒れてから二十時間余りの後に、一度も目を開けることなく、一言も話すことなく、臨終を迎えました。
私は到底母の死を受け入れることはできませんでした。大好きな母、大事な母、私のいのちの源なる母、その母が死んでしまうなんて想像もできなかったのです。
母とずっと一緒にいたいと思っていました。まだまだ教わりたいこともたくさんありました。もっともっと長生きしてほしかった。けれど、それはみな叶わぬことでした。
その後、私は結婚し、長女を出産しました。長女が三歳の頃、夜寝かしつける時に、「ママがしんだらやだぁ。ママがしんだらどうしよう」と泣くことが数日続きました。私は健康でしたが、おそらくアニメでそういうシーンを観たのでしょう。私は泣きじゃくる長女に、「ママは死なないから大丈夫だよ」
と言ってあげることができませんでした。三歳の子どもですから、そう言えば安心して泣き止み、眠りについたかもしれません。けれど、私はどうしてもそう言えなかったのです。なぜなら、私も長女と同じように思っていたのに、大好きな母はあまりにも急に今生のいのちを終えてしまったのですから。
村上和上も「確かなものは、今もはたらいている如来の本願力」というお言葉に続けて、
確かなものはー中略ー私の希望や思いではありません
(村上速水『のーこころの巻頭言集1」一〇九ー一一•頁)
とお示してくださっています。母が急逝したことによって、私はつくづくこのことを思い知らされました。だから、「ママがしんだらやだぁ」と泣きじゃくる幼い長女をただただ抱きしめ、今在る温もりを伝えるしかなかったのです。
では「確かなもの」とはなんでしょう。
母が倒れた時、父は他県に布教のご縁で出かけていました。病院に駆けつけた時にはすでに母は危篤状態でした。呼びかけても返事もせず、目を開けることもありません。温かくやわらかな手を握っても握り返すこともありません。しかし父は、母が意識のない体全体で、そして今生の縁つきようとしているいのちのありったけで、
今が確かなのです。だから、先も確かなのです。
とメッセージを送ってくれていると聞いた、と後に法話で話していました。このメッセージの言葉は、母が倒れる十日ほど前、夫婦でお茶を飲みながら世間話をしているうちに、話が阿弥陀さまの摂取不掛のおはたらきのことに及んだ時に、母が語った言葉です。
摂取不捨とは、阿弥陀さまはかぎりない光明の中に、私たちを携め取って決してお捨てにならない、というおはたらきのことです。私の生きざまの丸ごと全体が、今、ここで、阿弥陀さまの光明の中に摂め取られ、つつまれ、抱かれているのです。
たとえ私の側にどんなことがあろうとも、見捨てることはないというおはたらきです。
それは、ただ摂め取られているということではありません。親鸞聖人は「御消息』の中で、
それは、ただ摂め取られているということではありません。親鸞聖人は「御導真実感心の行人は、摂取不格のゆゑに正定の値に住す
(『註釈版聖典」七三五頁)
とお示しくださっています。
南無阿弥陀仏のお心とおはたらきを知らせていただき、お念仏のみ教えに生きる人は、阿弥陀さまの摂め取って決してお捨てにならない、まちがいのない救いのおはたらきの中につつまれているのですから、この世界(現生)において正定聚(正しくお浄土に在生して仏になることに定まった仲間)に入らせていただくのです。
そして、親鸞聖人は「顕浄土真実教行証文類』「証文類」の中で、
正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る
(『註釈版聖典」三〇七頁)
とお示しくださいました。
私たちは、今生で正定聚という確かな身にならせていただくのですから、かならず滅度に至る(お浄土に往生し、仏さまのさとりをいただく)というまちがいのない確かさをいただいているのです。
そのようなことを夫婦で話していた時に、母は深い感動をもって「今が確かなのですネ。だから先も確かなのですネ。ありがたいことですネ」と語ったそうです。
危篤状態の母を看ながら、父は十日前の母の言葉を思い出し、
今が確かなのです。だから、先も確かなのですよ。お念仏申すことも、仏さまのことを思うこともできぬ状態を迎えました。でも、私がどのような状態になろうとも、摂め取られ、どんなことがあっても見捨ててくださらない阿弥陀さまの確かさの中に、今、このままがつつまれているのです。だから、いつ、どのようなことで今生を終えようとも、往生浄土という確かさをいただいているのです。
と、母がいのちのありったけで伝えてくれていると聞いたのでした。そして父は、臨終を迎えた母の顔を見ながら、阿弥陀さまの摂取不捨の確かさの中に自らを知らせていただくことができた母の五十二歳の人生を「よかったな」と讃えたそうです。
村上和上は、この母の言葉から、
確かなものは、今もはたらいている如来の本願力と、力強く教えてくださっています。学生時代の「正信偈」のテキストのように、赤鉛筆でラインを引いておきたいお言葉です。
「不確かなあなたをかならず救う仏がここにいます。だから安心してこの仏にまかせなさい。なもあみだぶつ、なもあみだぶつ…・・」と、今、ここに至り届き、摂め取ってくださる阿弥陀さまの本願力の他に確かなことなどないのだという和上のお言葉は、「ママがしんだらやだぁ。ママがしんだらどうしよう」と泣きじゃくっていた長女と、ただただ抱きしめることしかできなかった私を、今つつんでくれています。
時が経ち、長女は龍谷大学で真宗学を学び始めました。一人暮らしの寂しさからか、はたまた頼りない私を案じてか、初めの頃は毎日のように電話がかかってきていました。ところがある時、何日も連絡がないことがありました。初めは忙しくしているのだろうと思っていましたが、長女の身に何かあったのかとだんだん心配に
なってきました。そこで携帯電話のメールで、
「もはや滅度か!」(もしかして、もうお浄土に往生し、仏さまのさとりをいただいているの?)
と送ってみたところ、数時間経って長女から、「まだ現生!」(今、現生で阿弥陀さまのおはたらきの真只中です)
と返信があり、安堵したことがあります。お互い、いつ、どのような縁で今生の別れを迎えるかわかりません。私の希望や思いは打ち砕かれてしまい、深い深い悲しみに沈むでしょう。けれど「なもあみだぶつ…・」とお念仏を申す中に、阿弥陀さまの確かさの中に生かされたお互いの人生を「よかったね」と讃えることができるのだと思います。
確かなみ教えに出遇えたことを今、親子で慶ばせていただいています。
(徳平 亜紀)
あとがき
親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年のご法要を迎えた一九七三 (昭和四十八)年に、真宗教団連合の伝道活動の一つとして「法語カレンダー」は誕生しました。門徒の方々が浄土真宗のご法義を喜び、お念仏を申す日々を送っていただく縁となるようにという願いのもとに、ご住職方をはじめ各寺院のみなさまに頒布普及にご尽力をいただいたおかげで、現在では国内で発行されるカレンダーの代表的な位置を占めるようになりました。その結果、門信徒の方々の生活の糧となる「こころのカレンダー」として、ご愛用いただいております。
それとともに、法語カレンダーの法語のこころを詳しく知りたい、法語について深く味わう手引き書がほしいという、ご要望をたくさんお寄せいただきました。
本願寺出版社ではそのご要望にお応えして、一九八〇(昭和五十五)年版から、このカレンダーの法語法話集「月々のことば」を刊行し、年々ご好評をいただいております。今回で第四十五集をかぞえることになりました。
二〇二五(令和七)年の「法語カレンダー」では、「宗祖親鸞聖人に遇う」というテーマを設け、これまでお念仏を称え人生を生きぬかれた、先師の言葉を選定いたしました。本書では、これらのご文についての法話や解説を四人の方に分担執筆していただきました。繰り返し読んでいただき、み教えを味わっていただく法味愛楽の書としてお届けいたします。
本書をご縁として、カレンダーの法語を味わい、ご家族や周りの方々にお念仏の喜びを伝える機縁としていただければ幸いです。また、各種研修会などのテキストとしても幅広くご活用ください。
二〇二四(令和六)年八月
本願寺出版社
















