表紙のことばは、藤代先生のお言葉です。
藤代先生は明治四十四(一九一一)年、福岡県の真宗大谷派の寺院に生まれ、単量 深氏のもとで仏法にふれられ、平成五(一九九三)年にご往生されました。
曽我量深氏は大谷大学学長を勤め、明治から昭和にかけて伝統的な仏教、浄土真宗の教えを、時代の風潮を踏まえて広く人々に伝えた方です。濃沢議之氏、通常観氏、銘子犬楽氏などの方々と親交を深め、当時の思想的、哲学的な受けとめのなかで、幅広い視野と深い念とによって仏教の教えと仰をひろめました。
その曽我氏に随行し、薫陶を受けた藤代先生の言葉に次のようなものがあります。
今日であるあること難き今日である
(「藤代聡麿先生法語集』九州鶯音会

この言葉は、あること難い今日なのだから、二度とない今を大切に精いっぱい生きましょう、といった教訓のような内容を仰っているのではないでしょう。
あること難しとは、ここにあるということが、私自身、思いもよらない巡り合わせのなかで、たまたま恵まれて生かされている身であることを表しています。有り難いいのちであり、おかげさまで生かされている私であることを教えてくれる言葉です。
ところが現実の私は、おかげさまの心を忘れ、あたりまえに過ごしてしまっています。浄土真宗の教えにふれ、有り難いご恩のなかに生かされていることを教えていただきながら、日々の生活を改めることなく、慌ただしさに追われて毎日が過ぎていきます。
大きな恩ほど忘れやすい、と言います。身近なところには「ありがとう」と言えても、ご恩があまりに大きいと、そのご恩を有り難いことと感じるのは難しくなるようです。
朝、目が覚めて「あぁ、よく寝た」と眠りに感謝することはできても、夜が明けて一日が始まる朝陽を「有り難い」ものだとは思えません。食事をするとき、ごはんを作ってくれたことに「ありがとう」と言えても、いのちをいただいて今日を生かされるご恩に「おかげさま」とはなかなか思えません。一日を無事に終えて今日起こった出来事の気づいたところに感謝することはできても、見えないところで様々に支えていただいた思いもよらない多くのかかわりに、「あること難い」一日であったといただくことはとても難しいものです。
生かされているご恩があまりに大きすぎて、あたりまえになってしまっている私です。その私が浄土真宗の教えを聞き、手を合わせるなかで自らの姿に気づかされるのです。
一日の始まりの朝に、食事の前後に、一日の終わりの夜に、手を合わせてきた先輩方の後ろ姿を通して、あたりまえではなかったことを私たちはこれまで教えられてきました。手を合わせ、南無阿弥化と申しあげるところに、仏さまのはたらきが届いているのです。
そう簡単に生き方を改めることはできません。それでも仏さまのはたらきのなかにあることで、今日の私の生活はそのままに、あること難い今日を生かされていることに気づかされるのです。
今日という日は、感謝を忘れ迷いのなかで危なっかしく生きている私であると、自らの姿に気づかされる日であり、また、手を合わせ南無阿弥陀仏の声とともに、仏さまのはたらきのなかにあることを実感する日ともなるのです。
「今日であるあること難き今日である」。この言葉には、生き方や処世術、教訓としてではなく、南無阿弥陀仏に込められた仏さまのはたらきを、しっかりといただいていかれた藤代先生の、よろこびの心がうかがえるのではないでしょうか。
仏さまのはたらきのなか
「これからがこれまでを決める」という表紙のことばは、一見すると、これからの行いがこれまでの価値を決める、これからの生き方次第でこれまでのあなたの人生は良いものにも悪いものにもなりますよ、という教訓のような言葉にも見えます。
今後のがんばりがこれまでの努力を活かしもするし、無駄なものにもする、だからこれからをしっかりと生きていきましょうという前向きな人生訓は、ときに大事な心構えにもなります。
過ぎてしまった過去は変えられないけれども、これからの未来は自分次第で変えられる、それによって過去の価値も変わる、大事なのは今なのだというのは、社会においてはもっともなことです。
その延長線上に表紙のことばを見ると、今後の生き方によって過去におこった出来事も、見え方や感じ方が変わる、と読むこともできそうです。しかしそれでは、すべては気の持ちよう、考え方次第でどうにでもなる、と言っているのと同じになってしまわないでしょうか。
藤代先生のこの言葉は、『藤代聡麿先生法語集」に決のような形で収められています。
これからがこれまでを決める
得度を祝して
春が来る 正月が来る と申します
南無阿弥陀仏があれば 浄土は来る
南無阿弥陀仏は 向こうから来て
目の前を 浄土にするので
未来は 歳と共に だんだん明るくなる
長崎県大村市〇〇寺の御正忌にて
(「豚代聡磨先生法語集」九州鸞音会)
長崎県大村市のあるお寺で行われた「御正品」において述べられたものでした。
御正忌とは「御正記報思議」のことで、製聖人の雑用命日におつとめされる、浄土真宗で最も重要な年間行事の一つ、親鸞聖人の恩徳に報謝する法要です。
法語集を発行する「九州鶯者会」は、曽我量深氏のご命日の法要である「焼音忌法要」を、現在も九州大谷短期大学で開催していて、藤代先生の言葉を伝える者を複数刊行している集まりです。
藤代先生を浄土真宗のみ教えに導いた曽我氏の、そのご命日の法要を大切に伝承してきた方々が、親鸞聖人の恩徳を偲び、浄土真宗のみ教えにふれる「報恩講」での藤代先生の言葉をご紹介くださっているのです。
きっとそこには、南無阿弥陀仏に込められた仏さまのはたらきをいただいた、藤代先生のよろこびの心があるはずです。
仏道を歩むということ
藤代先生の言葉には、「得度を祝して」と添えられています。
得度とは僧侶になることで、剃髪し師僧について定められた儀式にそって出家の許可を受けることをいいます。
得度の「度」は渡る、渡すという意味で、迷いの世界からさとりの世界へ渡り到ることを表します。そのような教え、歩むべき道を「得」るので、得度といいます。
仏さまの教えに生きるということであり、仏道を歩む始まりとなるのが得度です。
浄土真宗の寺院では、毎年の報恩講の際に本堂に「御絵」を掛けて、親紫聖人のご生涯を偲びます。「御絵伝」とは親鸞聖人のご生涯を図絵で表した絵巻物を掛軸にしたものです。
「観絵伝」の一番最初の場面は、親鸞望人が九歳の時の「出家学道」の図絵です。
聖人の九十年のご生を偲ぶにあたり、最初の場面が誕生のシーンや幼い頃の様子なのではなく得度のお姿であるのは、九十年のご生涯が仏さまの教えに生きた日々であり、仏道の歩みであったところに、私たちの念仏者としての日々の歩みを教えていただいていると受け取ることができます。
さらに申しあげると、「御絵伝」の二番目の場面は「吉水入室」です。親鸞聖人の
師、法然聖人がいらっしゃった京都東山吉井の草庵を、二十九歳の親鸞望人が訪ねるシーンです。このとき親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願のはたらきのなかに生かされる、他力念仏の教えに出遇われました。
親業型人の人生は仏さまの教えに生きた九十年であり、その仏道は他力念仏の教えのなかにあったのです。
そのような得度を祝して藤代先生が述べられた法語が、「これからがこれまでを決める」です。そこには仏道を歩むということが、どのような道であるかが述べられていると言えるでしょう。
言葉は、「春が来る正月が来ると申します」と続いています。春が来るのは、私ががんばって暖かくしてその季節がやってくるのではありません。寒い冬を過ごす私に、あるとき気がつくとやって来て、暖かさに私を包み込んでくれる。そのとき、春が来たと感じるのです。
正月もそうです。私ががんばって春にするのではない、私が正月に向かって行くのでもない、春も正月も自然のはたらきとして、私にやって来るのですね。
「南無阿弥陀仏があれば浄土は来る」。浄土は、私ががんばって作り上げる世界ではありません。親鸞聖人のみ教えは、生活を改め、より良い生き方をして人生を価値あるものにすることを教えるものではありませんでした。
お浄土は、仏さまの真実の世界です。そして南無阿弥陀仏は、海士へ生まれてきてくれよと願う仏さまのよび声です。
南無阿弥陀仏が私に届いているということは、私を導き、育てる仏さまのはたらきのなかに私はあるということであり、そこに、浄土へ生まれ往く人生であることを私は実感できるのです。
がんばって世界を浄土にするのではない、浄土に向かって懸命に進み行くのでもない、仏さまのはたらきとしてのお浄土が私の人生に開けているのです。
これからがこれまでを決める
南無阿弥陀仏の六字には、擽め取って捨てない仏さまの慈悲のはたらきが矢けることなくそなわっています。「南無阿弥陀仏があれば浄土は来る」と述べられているように、藤代先生にとって南無阿弥陀仏があることは疑いようのないことであり、私には南無阿弥陀仏が届いているのです。
これからの毎日が、お浄土へ生まれ往く人生であるといただくことができるのは、南無阿弥陀仏のはたらきのおかげです。
これまでの日々の生活で手を合わす身へと育てられてきたのも、南無阿弥陀仏のはたらきのおかげです。
おかげさまで生かされている私であるという大切なみ教えに出遇いながら、迷いのなかに感謝を忘れる私です。そのような私がそれでも仏さまとともに歩む人生であり、そのままお浄土へ生まれ往くまちがいのない仏道を歩ませていただけるというよろこびがあることを、藤代先生の言葉は教えてくれるように思います。
(佐々木隆晃)
















