何に遇ったのか
それによってその人生は決定する
言葉の解説
「仏に遇う」ということ
この言葉は「見て敬う」、つまり敬うべきものに出遇えたという喜びを表します。お釈迦さまが悟りを開かれた後、その気高く輝く姿に心打たれた修行者ウパカのエピソードのように、真実の教えや人物との出遇いは人生を根底から揺さぶります。しかし、その価値を即座に理解するのは容易ではありません。
聞こえる「声」としてのお釈迦さま
私たちは二千五百年前に生きたお釈迦さまに直接お会いすることはできません。しかし、善導大師が「教法ありて尋ぬべきに、すなはちこれを声のごとしと喩ふるなり」と示されたように、遺されたお経の言葉は、今まさに私たちに語りかける「声」として存在します。お経を読むことは、お釈迦さまの呼びかけを聞くことであり、「今、現にましまして法を説きたまふ」仏に遇う体験なのです。
「会う」ではなく「遇う」
親鸞聖人は「あう」という字にこだわり、「会」ではなく「遇」を用いられました。「会」が約束して会うのに対し、「遇」は思いがけず出あうことを意味します。仏さまの教えとの出遇いは、私たちが計画してできるものではなく、思いがけずいただくご縁です。天親菩薩の「遇無空過者(本願力に遇ったものは空しく過ぎるものはいない)」という言葉のように、この出遇いこそが、私たちを必ず救いへと導くのです。
救いとは価値観の転換
阿弥陀さまの救いとは、私たちの価値観が転換することです。自分の欲望や正しさに固執する生き方から、自分の愚かさを知り、仏法に随って生きる人間へと生まれ変わることです。特に現代は仏法に無関心な「闡提(せんだい)」の状態に陥りがちですが、教えを聞くことで、そんな愚かな私をこそ救おうという阿弥陀さまの願いに気づかせていただくのです。
解説全文を読む(大野孝顕 師)
「あかつきの聖人」
六月のことばは、浄土真宗本願寺派勧学の梯賞園和上(一九二七―二〇一四)のお言葉です。 梯和上は、 一九二七(昭和二)年に兵庫県飾磨郡夢前町(現、姫路市)でお生まれになりました。当時は敗戦直後の混乱期で、「どこか静かに勉強できるところはありませんか」と探し求め、同郷の先輩の紹介で一九四七(昭和二十二)年春、行信教校の戦後二期生として入学されました。ことに食料難は苛酷だったため、学生は栄養失調になって、三階の講堂へ階段で上るのもたいへんだったそうです。
和上は、他の学生が遊んでいても聖典や書物を読み学び、夜遅くまで灯りが消えなかったといわれています。梯和上の伝説の一つに「あかつきの聖人」があります。 その頃はたびたび停電があり、夜中まで電灯がついていたのは駅の待合所くらいでした。その灯りの下で暁まで書物を読み続けていたのです。梯和上にそのことを聞くく機会がありました。「当時は風呂にも入れなくて、襟が垢付きでなあぁ」 とおおせになり、これには思わず苦笑しました。痩せて聖教に没頭されているお姿には鬼気迫るものがあり、周りの人々をして「本当の学問とは、こうあるべきか」 と感心させたそうです。この若き和上の痩せても眼光鋭い姿に、幽霊のモデルとして頼みにきた絵描きがいたとも聞きました。
一九五三(昭和二十八)年に二十六歳の若さで行信教校の講師に就任され、その後、浄土真宗本願寺派勧学、行信教校名誉校長、浄土真宗教学研究所所長などを歴任されました。
「仏に遇う」
何に遇ったのか、それによつてその人生は決定する
このお言葉は季刊誌「一味』(一味出版)の二〇一九年春(七五五)号の中に書かれた一節で、元は二〇〇二(平成十四)年第一〇七回精舎課外講演を筆録したものです。「正信偈」の「信を獲て見て敬い大いに慶び、すなはち横に五悪趣を超載す」(『註釈版聖典』二〇四頁)というご文を「仏に遇う」という題名で法話されました。
「見て敬う」とは、敬うべきものに遇えたということです。 お釈迦さまがおさとりを開かれて、ベナレスの郊外のサールナートに行く途中で、ウパカというアージービカ派の修行者に出遇います。ウパカは、年は若いが足どりが堂々とし、眼光炯々と輝いているお釈迦さまの姿を見て、心打たれます。そして、「私は今まで、あなたのような堂々たる修行者に会ったことはございません。あなたは一体どういう先生について、どういう教えを受けておられるのですか」と尋ねたのです。尋ねたウパカもただ者ではありません。するとお釈迦さまは、「私に師匠はいない。私はなくして真理をさとった。私は全てに勝った。全ての誘惑に勝った。最高の真理を体得した」 と言われたのです。それを聞いたウパカは、本物の聖者なのか、それとも偽物なのか、わからなくなってしまいました。そのまま礼拝もしないで「そうかもしれない、そうかもしれない」と首を振りながら行ってしまったのです。後に彼も仏弟子になります。この方が真理をさとった仏陀だと認めるのは、大変なことなのです。
善導大師の二河白道の譬えに、「釈尊すでに滅したまひて、彼の相見たてまつらず、しかうして教法ありて尋ぬべきに、すなはちこれを声のごとしと喩ふるなり」(『註釈版聖典』二二六頁)とあります。 お釈迦さまは二千五百年前に既にお亡くなりになっており、私たちはお釈迦さまに遇うことはできません。しかしお釈迦さまが遺された教えは、私たちに喚びかけているのです。それを「声のごとし」と喩えられました。ですからお経を拝読するということは、お釈迦さまの勧め遣わす声を聞くことなのです。
それを『仏説阿弥陀経』には「今現在説法」(いま現にましまして法を説きたまふ) (『註釈版聖典』一二一頁)と説かれています。「お釈迦さまは二千五百年前の方だ」 というのは歴史家が語ることです。仏法にご縁のある方は、「お釈迦さまは、お経の言葉となって私に語りかけてくださる、その声を『今』聞かせていただくのです。そのことがお釈迦さまに遇っていることになるのです」と聞かれたことがあるでしょう。
「遇う」と「会う」
この「あう」という漢字には、大きく分けて「遇」と「会」があります。「遇」は思いがけずにあった時、「会」は約束してあった時に使います。「会議」「会談」というのは、時と場所と人数を約束してあいます。しかし「遭遇」といった時には約束せずにあうことをいいます。「あう」という字に「会」と「遇」では少し意味が違うのです。
親鸞聖人はこの「遇」という字に非常なこだわりを持っておられます。 天親菩薩の『浄土論』に、「観仏本願力 遇無空過者」(仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐるもの無し)(『註釈版聖典 七祖篇』三一頁)と、本願力に遇ったものは空しく過ぎるものはいない、必ず救われるといわれています。 「遇無空過者」と、空しく過ぎるということがないあい方には「遇」という字が使われています。ですから本願力にあう場合には「遇」という字を書きます。
私からいくらあおうと思っても、あうことはできません。私からいえば、まことに偶然に思いがけず出あいました。しかしお釈迦さまの教えに遇い、阿弥陀さまの救いに遇うということは、遇い難いものに遇い、聞き難い教えに遇い得た、という感動を表す言葉だったのです。 私は何をするために生まれてきたのでしょうか。人生にはうれしいこと、悲しいこと、心から感動すること、つらすぎて涙すること、いろいろなことがあります。 お釈迦さまをはじめすべての仏さまは、阿弥陀さまの本願を説くために生まれてきました。私はその本願を聞くために生まれてきたのです。 「説く」と「聞く」の違いはありますが、仏さまと私の生まれてきた本意は一致するのです。
仏法にしたがう生き方
科学の発展によって、現代の生活は便利で快適になってきました。しかし心の中は、権利意識が強くなり、罪の意識が乏しく、自分の欲望ばかりを広げているのではないのでしょうか。
救いとは、価値観が転換することです。私のものの見方、考え方、受け取り方が一変していくような、新しい智慧の領域というものを知らせていくのが、阿弥陀さまの願いの言葉なのです。その救いのめあてを「逆謗闡提を恵まんと欲す」(『註釈版聖典』一三一頁)といわれます。
「逆」とは五種類の反逆罪で、①父親を殺すこと②母親を殺すこと③阿羅漢を殺すこと④悪意をもって仏さまを傷つけること⑤仏さまの教えを心の拠りどころとしている人々の和やかな集いを破壊することです。 「謗法」とは、正しい仏さまの教えを謗り、拠りどころのない生き方をしていく人のことです。 「闡提」は、無関心になってしまい、仏法を否定することもしなくなってしまった人のことです。
現代の人々の多くが、仏法に無関心になっているのではないでしょうか。それは、五つの反逆罪や仏法を謗ることよりも一番危険な状態なのです。救いとは、自分が罪悪深重の凡夫であり、善悪の区別もつかないから、仏法にしたがって生きる人間によみがえっていくのです。
また仏法を聞くことは、死ぬまで手のつけようのない、自分の愚かさを思い知ることです。そしてそれに振り回されながら生きてゆく自分であることを知ることなのです。その愚かな私を救って、浄土にあらしめようと願いをかけてくださった阿弥陀さまがいることに気づかせてもらうことが、浄土のみ教えなのです。
ご往生、おめでとうございます
梯和上は晩年よく、「私が死んだら、可哀想にと言わんといてや、私は阿弥陀さまによって、お浄土に生まれさせてもらうんやから」と言われていました。ありがたい言葉です。
日本人は人が亡くなった時に、若ければ若いほど、突然であればあるほど「あんな風に死んでしまって、かわいそうに」と言います。なぜかわいそうなのでしょうか。それは人が死ぬことを不幸になることだと思うからです。親しい人が亡くなっただけでも悲しいのです。それを「かわいそうに」と思うことによって二重に悲しくなるのです。
親しい人との別れは悲しい、その煩悩から離れて生きていくことはできません。 しかし亡くなっていかれた方は、お浄土に生まれていかれたのです。命終えることもありがたい世界があるのです。
梯和上は、二〇〇九(平成二十一)年十一月に胃がんの摘出手術を受けられた後、療養されていました。ある先生が、「和上、お忙しい中、お身体は大丈夫ですか」と聞かれました。すると和上は、「しんどいですなぁ、でも講演でお聖教を拝読し、ご法義を味わうとき、このご縁を結んでくださった方、お聴聞の方、すべての方が私をお育てくださる場がありがたいですなあ」 と答えられたそうです。何よりもお聖教のお言葉を拠りどころに生きられ、お念仏と共に生きられたお姿の尊さ、ありがたさを拝見させていただきました。
最後のご講義は、ご往生の前年十二月二十五日でした。点滴を打たれ、学校に着くなり「少し横になりたい」と、とてもお疲れのようでした。しかし講義が始まるとにこやかにお話をされ、時間も三十分以上超過しました。その五日後に動けなくなりました。 ご子息である梯暁先生が「どうしてそんなにがんばるのか」と訊くと、「浄土で親鸞聖人にお会いした時、胸をはって報告できるように努めている」と言われたそうです。ご法義を伝えるために命をかけられたお姿でした。
二〇一四(平成二十六)年五月七日にご往生され、九日に通夜、十日に葬儀が大阪の津村別院本堂で行われ、千五百人を超える会葬者のお念仏と「正信偈」のお勤めが、本堂中に響きわたりました。 ご法話を担当された天岸海圓先生(行信教校校長)の第一声は、「和上、ご往生、おめでとうございます」でした。
「南無阿弥陀仏」
日常生活に活かすヒント
- 出遇いを意識する: 日々、誰と会い、どんな言葉や情報に触れるか。その一つ一つが自分の人生を形作っていると意識してみましょう。思いがけない出遇いが、人生を豊かにするかもしれません。
- 教えに耳を傾ける: 忙しい日々の中でも、本を読んだり、お寺の法話を聞いたりする時間を持ちましょう。それは、時代を超えて語りかけてくる「声」に耳を澄まし、「仏に遇う」貴重な機会となります。
- 価値観の変化を恐れない: これまで正しいと信じていたことが揺らぐ時、それは新しい智慧に触れるチャンスかもしれません。自分の間違いや愚かさを認め、仏法に生き方を尋ねていく謙虚さを大切にしましょう。
- 別れを捉え直す: 親しい人との別れは悲しいものです。しかし、浄土真宗の教えでは、命終えることはお浄土に生まれることであり、「ご往生おめでとうございます」と祝福されます。別れの悲しみの中で、その先にある安らかな世界に思いを馳せてみましょう。
よくあるご質問
人生は、どのような人、言葉、教えに出遇うかによって、その価値観や生きる方向が大きく決定づけられる、という意味です。特に、阿弥陀仏の本願という真実の教えに「遇う」ことこそが、迷いの人生を転換させ、真の安らぎを得るための最も重要なことであると示しています。
「会う」は会議のように、あらかじめ約束して会うことを指します。一方、「遇う」は偶然の遭遇のように、思いがけず出あうことを指します。親鸞聖人は、仏法との出遇いは人間の計らいによるものではなく、仏さまの側からのはたらきかけによって与えられる思いがけないご縁であるとして、この「遇」の字を大切にされました。
浄土真宗では、死は終わりや不幸ではなく、阿弥陀さまのお浄土に仏として生まれる「往生」であると捉えます。そのため、悲しむべきことではなく、むしろ祝福すべきこと「おめでとうございます」と考えます。梯和上は、自らの命が終えることもまた、阿弥陀さまの救いの中にあるという深い信念を持っておられたため、そのように語られました。
「闡提」とは、仏法を信じないだけでなく、そもそも関心すら持たない状態を指します。現代社会は科学が発展し、便利な生活の中で宗教や仏法への関心が薄れがちです。積極的に否定するよりも、無関心でいることの方が、救いの縁から遠ざかってしまう最も危険な状態である、という警鐘の言葉です。
この言葉に寄せて
六月のことばは、浄土真宗本願寺派勧学の梯賞園和上(一九二七―二〇一四)のお言葉です。和上は、他の学生が遊んでいても聖典や書物を読み学び、夜遅くまで灯りが消えなかったといわれています。その伝説の一つが「あかつきの聖人」です。たびたび停電があった当時、駅の待合所の灯りの下で暁まで書物を読み続けていたといいます。その求道の姿は鬼気迫るものがあり、周りの人々をして「本当の学問とは、こうあるべきか」と感心させました。このお言葉は、私たちが人生で何に出遇うことが大切なのかを問いかけています。