老いや病や死が
人生を輝かせてくださる
湯浅 炭幸 師
(『病死の生に学ぶ』より)
言葉の解説
苦の自覚から始まる道
仏教の開祖であるお釈迦さまは、城の外で老人、病人、死人に出会い、自らも避けられない生・老・病・死という「苦」を深く自覚されたことから、真理を求める道へと入られました。このように仏教は、この世の苦しみを直視することから始まります。
「涅槃に至る仕事」としての病
湯浅師は、あるお婆さんの「この病気がばばの毎日の仕事でございます」という言葉を紹介します。これは、病や老いといった苦しみをただ受け身で耐えるのではなく、それこそが仏の悟り(涅槃)へと至る「生きる道(仕事)」であると能動的に受け止める姿勢を示しています。
抜苦与楽と阿弥陀如来の大慈悲
仏教は「抜苦与楽(苦を抜き、楽を与える)」の教えですが、それは私たちが実践するものではありません。私たちは小さな慈悲さえも持つことが難しい凡夫です。この抜苦与楽は、ひとえに阿弥陀如来の大いなる慈悲のはたらきによるものです。私たちはそのはたらきをただ聞かせていただくのです。
苦楽を超えた世界
仏教が説く「楽」は、苦しみの反対にある一時的な快楽ではありません。「楽(sukha)」の語源は「良い車軸の穴」がスムーズに回ること。それは、苦しみを無くすことではなく、老・病・死という苦を抱えたまま、それにとらわれず、ものごとが調和している安らかな状態を指します。苦楽の二項対立を超えた、仏の世界の「楽」なのです。
解説全文を読む(井上 陽 師)
一、苦の自覚
現在のインドとネパールの国境付近にあったカピラ城を居城とするシャーキャ族(釈迦族)の太子として誕生したガウタマ・シッダールタは、仏伝文学などによれば、妻子をもうけ、何不自由なくカピラ城で暮らしていたといいます。
二十九歳になったシッダールタは、初めて宮殿の外に出ることになりました。そこで出会ったのが、東門の老人、南門の病人、西門の死人でした。それまで老人にも、病人にも、死人にも出会ったことがなかったシッダールタは、おおいに当惑しました。これらはわが身にもおこることなのだろうか。もしそうだとしたら、これからどうして生きていけばよいのだろう。どうせ老いるのに、どうせ病むのに、どうせ死ぬのに、生きる意味はあるのだろうか、と。それは紛うことなく苦しみであり、その苦しみから解放されるにはどうしたらよいのかと思い悩みます。そして、北門で出会った遊行者の姿を見て、出家の道を選ぶことになりました。
苦行を続けて三十五歳の時、ナイランジャナー川(尼連禅河)畔で沐浴をしていたシッダールタは、村娘のスジャーターから乳の布施をうけました。それによって体力を回復したシッダールタは、それまで続けていた苦行を捨て、近くのピッパラ樹(菩提樹)の下で瞑想に入り、真理に目覚めたことよってブッダとなりました。
ブッダとなったシッダールタの出発点が苦の自覚であったことは、その後の仏教を方向付けることになります。つまり、生・老・病・死、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦八苦をどう解決していくのか。仏教の出発点がこの世の「苦」を直視することから始まるのは、シッダールタの出発点が苦の自覚にあったからなのです。
二、今月のことばについて
さて、今月のことば「老いや病や死が 人生を輝かせてくださる」は、湯浅炭幸(一九三〇~二〇一八)著『病死の生に学ぶ~無量寿の花が開くとき~』(東本願寺出版、二〇〇五)の中の「涅槃に至る仕事」と題された随筆から簡抜されたことばになります。
湯浅さんは、一九三〇(昭和五)年熊本県生まれで、真宗大谷派山田寺前住職、真宗大谷派鹿児島教務所長、鹿児島別院輪番を歴任された方です。著書も多く、『人間解放への道』(法藏館、一九九四)、『【伝道ブックス68】親鸞さまのみ教え~「真宗宗歌」に聞く~』(東本願寺出版、二〇一一)などを上梓されています。
この「涅槃に至る仕事」で、まず援用されているのが、曽我量深(一八七五~一九七一)先生の「願に死して願に生きん」「願に死し願に生きよ」ということば(※)です。
このことばを湯浅さんは「真実に目覚めたところから、つまり、真実の信心から真に生きんとする、いのちの願力をいただくのでしょう」と味わわれています。あるおばあさんのことばとして「この病気がばばの毎日の仕事でございます」を述べられ、「『目覚めた』というところに止まることを許さない、気付いたところから、いのちの願いがはたらく」とし、それは「生死の矛盾に気がついたら、その生死の場が涅槃に至る道」、つまり「涅槃に至る仕事」と述べています。
ここで述べられる「仕事」は、そのまま「生きる道」と同義で扱っています。先のおばあさんのことばは、「この病気を病気として受けとめることが、ばばの毎日の生きる道でございます」という意味で受けとめているのです。
三、抜苦与楽
仏教は、抜苦与楽の教えであるといわれます。この点は、冒頭で述べたとおり、シッダールタの苦の自覚が出発点となっていることに起因していると考えてもよいでしょう。
曇鸞(三八五〜四三三)訳『大般涅槃経』巻十五「梵行品」には、「もろもろの衆生のために、無利益を除こうとすることは、これを大慈という。衆生に無量の利楽をともにしようとすることは、これを大悲という」と説かれています。
龍樹(約一五〇〜約二五〇)が造ったとされる『大智度論』(鳩摩羅什訳)巻二七「釈初品中四十二種字後大慈大悲義」には、「大慈とは、一切衆生に楽を与えることである。大悲とは一切衆生の苦を抜くことである」と説かれています。
曇鸞大師(四七六〜五四二)が著した『無量寿経優婆提舎願生偈註』、つまり『往生論註』には、「苦を抜くこと(抜苦)を慈といい、楽を与えること(与楽)を悲という。慈によることで一切衆生の苦を抜き、悲によることで、衆生の心が安らかでないことから遠離させる」と説かれています。抜苦と与楽のどちらが慈で、どちらが悲であるか、いまはそれにこだわる必要はありません。両方を合わせ、抜苦与楽が慈悲のはたらきであると受けとめてよいでしょう。
もちろん、私たちがその慈悲を実行することは、なかなか難しいものです。親鸞聖人はご和讃の中で「慈悲の心はさらになし」(『註釈版聖典』六一七頁)と述べておられるように、私たちは小さな慈悲さえも持つことが難しい存在です。
ところが、阿弥陀如来の慈悲は大いなる慈悲なのです。『仏説無量寿経』には、「身を観察するをもってのゆえにまた他心を知見したてまつる。他心とは大慈悲これなり。無縁の慈をもって、もろもろの衆生を摂したまう。」(『註釈版聖典』一〇二頁)と説かれています。阿弥陀如来が大慈悲をもって衆生を摂受するのは、抜苦与楽のためであることが示されています。親鸞聖人は『正像末和讃』の中で、「往相回向の大慈より 還相回向の大悲をう 如来の回向なかりせば 浄土の菩提はいかがせん」(『註釈版聖典』六〇九頁)と述べられておられます。これは大慈も大悲も阿弥陀如来のはたらきであり、小悲すらままならない私たちを、抜苦与楽する阿弥陀如来の姿が述べられています。その阿弥陀如来のはたらきをそのまま聞かせていただくのが、浄土真宗のみ教えということになります。
四、真実信心の目覚め
湯浅さんは、この一節の中で親鸞聖人の『浄土和讃』から次のご和讃を引用されています。「真実信心うるひとは すなはち定聚のかずにいる 不退のくらゐにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ」(『註釈版聖典』五六七頁)というものです。
このご和讃を引用されたあと、湯浅さんは「真実信心の目覚めは、現前の生活の場が『聞法不退の場(絶えず真実に耳を傾け心を注ぐ生活)』となって『正定聚(自分にとって都合のいいことも悪いことも、矛盾を引き受けて生きる人間関係)』に住し、必ず『滅度(涅槃)』に至る完全燃焼の生活をいただくのでしょう」と述べています。
さらに、この聞法について、「教えを聞くということは、単なる教義や教理の理解ではない。その道に生きている人との出会いがいかに大切であるかということ。現在、自らが抱いている具体的な問題を抜きにしてはあり得ない。非常に身近な事実が、また、老病死をわがいのちとして生きる人間の、いのちの問題であろうと思われます」と自らの心象を述べています。
先に触れた大慈大悲は、阿弥陀如来のはからいで、自らなしうるものではありません。ですから、苦を抜き、楽を与えるのは、私たち自身ではなく、阿弥陀如来のはからいの中に生かせていただくことになるのです。私たちはそのように聞かせていただくことが、すなわち真実信心の目覚めであるのです。
五、苦楽をこえて
ところで、「楽」に相応するサンスクリットはsukha(スカ)といいます。阿弥陀如来が住する極楽もsukhavati (スカーヴァティー楽を有するところ)といいます。このsukhaは、「幸せ、喜び、安らぎ、安楽」といった意味もありますが、もともとは「良い車軸の穴」を意味します。つまり、車軸の穴を車軸がぎくしゃくすることなくまわることが「楽」だということを意味しています。またこれとは反対に車軸がぎくしゃく回ることをduhkha(ドゥッカ苦)といいます。
老・病・死といった苦しみは、duhkhaとsukhaが二項対立で考えるなら、老いることがない、病むことがない、死ぬことがない、これらが楽ということになるでしょう。できることなら、いつまでも快適に車軸が回り続けた方がよいに決まっています。しかし、老いを止めることも、完全な無病でいることも、まして死なないことなどあり得ません。永遠の若さや、必要以上の健康、生へのこだわり(あるいは死のうとすることも)、それらは煩悩として仏教は否定します。
仏教が説く「楽」は、車輪の軸がうまく回ったりするような「楽」、つまり不老、無病、不死になるような「楽」を説くのではありません。最初期の仏教以来、この世界は無常であり、すべてのものは苦を本性としていると説いてきました。ですから、抜苦与楽の「楽」は、決して苦と対立する概念としての「楽」ではありません。この「楽」は、そういった二項対立する苦楽を超越した仏の世界の「楽」を述べているのです。
六、老病死が生きる人生
湯浅さんは、「私たちにとっては、老いも病も死も、除かれるもの、不幸なことではなく、老病死によって生の豊かな営みを教えられるのです」と述べています。
老いるから、病になるから、死ぬから不幸なのではありません。もしこれらがまったくの不幸なら、私たちは生きている限り不幸せでしかありません。もっといえば、生きる意味を感じることすら難しくなってきます。そうではなく、如来の大悲を聞かせていただくこと、このことによって、老いや病や死が、苦しみや不幸のままに終わるのではなく、私たちの人生を輝くものにすると気付かせていただくのです。
※教学研究所編(二〇一二)『曽我量深集上 聞思の人一』(東本願寺出版、二三七頁)
日常生活に活かすヒント
- 苦と向き合う: 老いや病、避けられない困難を、ただの不幸と捉えるのをやめてみましょう。それらがあるからこそ気づけること、学べることがある、という視点を持つことが第一歩です。
- 教えを聞く場を持つ: 法話を聞いたり、本を読んだりする時間を作りましょう。教えは、自分の悩みや苦しみを照らし、新しい生き方を示してくれる光となります。
- 「楽」の捉え方を変える: 目の前の快適さや快楽だけを追い求めるのではなく、困難の中にも見出される穏やかな心や、物事との調和に目を向けてみましょう。そこに揺るぎない「楽」があります。
- はからいを手放す: 自分の力で全てを解決しようとせず、「阿弥陀さまのはたらきの中に生かされている」と聞かせていただく姿勢が大切です。思い通りにならない現実を、そのまま受け入れる心が安らぎに繋がります。
よくあるご質問
それらを単なる不幸と捉えるのではなく、いのちの有限性を知り、真実の教えに出遇うための大切なご縁と捉えるからです。苦しみを通して阿弥陀如来の慈悲に触れることで、苦が苦のままで終わらず、人生を深く豊かにする縁となると説かれています。
はい、違います。私たちが思う「楽」は苦しみの反対にある一時的な快楽ですが、仏教でいう「楽」は、苦しみや悩みを抱えたままで、それらを超えたところにある穏やかで揺るぎない安らぎ(涅槃の境地)を指します。苦楽の対立を超えた世界です。
いいえ、浄土真宗では「抜苦与楽」は私たちが実践するものではなく、阿弥陀如来のはたらきそのものであると教えられます。「慈悲の心はさらになし」と親鸞聖人がおっしゃるように、私たちは他者の苦を真に抜くことはできません。その私たちを救おうとする阿弥陀如来の大慈悲を、そのまま聞かせていただくことが大切です。
曽我量深師の言葉で、「自分の小さな願い(我願)に死んで、仏さまの大きな願い(本願)に生きよ」という意味です。自分の都合や欲望で生きるのではなく、それを超えた真実の願い(阿弥陀如来の救いの願い)に生かされていく生き方への転換を促す、力強い言葉です。
この言葉に寄せて
七月のことばは、真宗大谷派の湯浅炭幸師(一九三〇~二〇一八)のお言葉です。師は熊本県に生まれ、鹿児島教務所長などを歴任されました。この言葉は、著書『病死の生に学ぶ』からの一節です。一般的に避けたいと願う「老・病・死」が、いかにして私たちの人生を輝かせるものとなるのか。苦しみが苦しみのままで終わらない、仏法が示す逆説の真理を問いかけています。