2026年6月のことば 人間とは自分で自分の始末を仕切れぬ者の別名である

六月のことばは、真宗大谷派の僧侶、高光大船さんのお言葉です。

この言葉が掲載されている「高光大船の世界道ここに在り」(東本願寺出版部)

に高光さんの略伝が掲載されてあり、その中にたずねますと、高光大船さんは、一八七九(明治十二)年、現在の石川県金沢市北間町にお生まれになりました。幼少の頃、生家の邸内に設けられた道場から寺院となった専称寺の養子となり、九歳で得度されています。

大谷大学に入学され、昭島線さんに師事し、大谷大学初代学監(学長)の営沢蔵こさんの教えを深く学ばれます。その生涯は「自己とは何であるか」という人生の根本問題を問いながら、極限まで自己を内省しつつ、仏法の中に身を置き、仏法の中に生活を送られる仰に生きられた人でした。また、高光さんが兄事された暁鳥敏さんと同い年の藤原哲乗さんとともに「加賀の三羽鳥」と敬われた御方でした。

そして、多くの後進も出されます。特に高光さんの思想を表す言葉があります。

仏法をずるとは、報恩報徳できる生活を身心に充たすことである。報謝とは、返礼することではない。おかえしすることではない。報謝とは不借身命のことである。身心を挙げて一事一事に処していくことである。

(「不惜身命」「真人(五)」)

「不慣射能」とは、「新集 浄土宗大辞典」(海土宗出版)によれば、元は『法華経」に説かれ、仏法を受持するために身命を惜しまないことという意味です。一見すると「真宗的」でないと思われるかもしれませんが、「同辞典』には続けて、

「一般には『法華経」受持に対して用いる場合が有名。浄土宗義においては、善導が深心釈に「一心にただ仏語を付じて身命を顧みず、決定して依行せよ」(「観経琉」散善義、聖典二・二八九/浄全二・五六下)というところの、「不顧身命」も同義と理解されている。また法然は「「仏法に逢いて身命を捨つる』といえる事を」(聖典六・四八二/昭法全八八〇)と歌に詠んでいる。(中略)不借身命の逆に、仏法を体得して、むしろ身命を大切にして、ながく人々のために法を説き広めることを「但倍身命」ともいう。

とあり、あながち真宗念仏者とは関係なくもないと思われます。むしろ、現代において真宗念仏者においては大切な示唆だと思います。

また、近頃は殺謝を「ありがとう」とか「感謝」とする傾向にありますが、そんな短絡的なものではないことも意識しておきたいと思います。

さて、今月のことばは、「高光大船の世界道ここに在り」(東本願寺出版部)に掲載されている言葉です。本書に掲載された部分は「あとがき」によれば、高光さんが全身全霊を投げ出し、後半生をささげて出版した個人雑誌「直道」に掲載された自らの生活日記録「白日生活」を一九四•(昭和十五)年に「白日抄」として出版したものを「生活者」「死・生」「実相」「開法」「倍」の五つのテーマのもとに分類編集されたものです。そのうち「死・生」の中に収められている「自己を知るには」から抜き出された言葉です。

「人間とは自分で自分の始末の仕切れない者の別名」

この言葉の意を私が解説するよりも、元の「自己を知るには」を全文紹介するほうが適切だと思います(現代では不適切と思われる個所もありますが、全文紹介します)。

自己を知るには

久しぶりに友達に誘われて街を歩いた。自分では自ら健康者だと自認しているが、人と歩いて見るとまだまだ一人前でないことが痛感される。本当に自分を知るには、やはり人という鏡がなくてはならない。今日までその人々をうるさい者としていた自分の愚かさがつくづく思われる。自分という狭苦しい殻の中にいる間は、自分を押し立てるために他人が邪魔になるけれど、自分という殻が自分を苦しめる正体であることが分かってこの殻を破って出てみると、他人という鏡がなくては自分の殻は破れない奴だとつくづく思われる。ここに人々のいろんな生活態度が善かれ悪しかれ、自己を内省する自己の生活資料として尊からさるものはない。人間が上は大臣から下は人事相談所のお役人まで、人のお世話を焼くことをやめて自分を反省するようになったら、国家も社会ももっと円滑であるのではなかろうか。否こんなことを考えることがお世話さまなことである。こんなことによってまでも、自分の生活を披露させてもらえるのである。

何かと力みたい人に人間の貧弱さをつくづく思う。彼の心が如何に貧之であるかをつくづく思う。富める人のやつさないのと借金持ちのやつしたがるのと、内に貧弱なる者ほど力みたがるのである。力もうが力むまいがたかが人間同士のことである。人間とは自分で自分の始末の仕切れない者の別名であって、自分で自分の始末を仕切れないことで人間ほど長い歴史を持ったものはなかろう。

世移り時変わり、時は千九百三十年になっても、人間は人間であって、自分で自分の始末をつけ得ないのが人間の悲しさである。その人間の中で力んでみても始末がつくものでもなく、やり込められたって始末がつくものでもない。その証拠には、人間の逃げることのできない死の一事件にさえも、何の解決ついていないのでも解る。昔孔子は「我未だ生を知らず、いづくんぞ死を知らんや」と言ったが、せめて今の人は力んだり騒いだりする暇があったら「死は遂に来るべし、いづくんぞ生を知らんや」位は言ってもよかろう。生死の解決は直ちに自分の解決であり、そのまま人間の解決である。

一九三〇(昭和五)年

(「高光大船の世界道ここに在り」一一〇頁)

私たちは、生まれてくることも死していくことも、何一つ自分の思い通りにすることはできません。また「仏説無量寿経」には、ん、世間愛欲のなかにありて、独り生れがり死し、独り去り独り来る。

(「註釈版聖典」五六頁)

とあり、人のいのちというものは究極的に「独り」であると教えられます。

その「独り」たるいのち同士がであい、関係し合って、支え支えられながら生きています。けれども、最期はまた「独り」でいのち終えていくのです。

「独り」で生まれた初めの頃は、食べることも、排便することも、着替えることも何一つ自分でできることはありません。そして、成長するにつれ、知力や体力、財力等いろいろな「力」を得て、何でも自分でできるように「錯覚」していきます。

しかし、今まで得たさまざまな「力」は衰え失われ、また誰かの支え無しには生きていけず、最期は得てきたすべての「力」は私から離れ、いのち終えていかなければなりません。そんな私の本当の「力」になるのは「本願力」すなわち南無阿弥陀仏でした。

あなたは、ご自分のお誕生日をご存じですか?

「当たり前だ!」とお叱りを受けるかもしれませんが、では本当にその日にお生ま

れになったのでしょうか?

実は、自らのいのちが生まれた日も、どこで生まれたのかも、誰から生まれたのかをも、自ら知ることはできません。全部「あなたは〇月〇日に、〇〇で生まれたのよ」と聞かされたままに「倍じている」のではありませんか?

また、いつ、どこで、どのように死ぬのかも知りません。「自分のことは自分が一番わかっている」と思っていても、実際自分の「いのち」のことは何一つわかっていないのではないでしょうか。

さらに、何のためにこの世に生まれ、何のために生き、何のために死んでいかなければならないのでしょうか?そして、死んだらどうなるのでしょうか?

これらの「こたえ」を持たないままに過ぎ行く人生を「むなしく過ぐる」という

のでしょう。

仏法に出遇う以前に、私たちは学校や社会の中でいろいろなことを学び、経験することによって知恵や世間的な常識、さまざまな「力」を身につけます。しかし、そのどれもこれらの「こたえ」を示してはくれません。前にご紹介した高光さんのお言葉の最後の「「死は遂に来るべし、いづくんぞ生を知らんや」位は言ってもよかろう。生死の解決は直ちに自分の解決であり、そのまま人間の解決である」は、死の解決あってこそ生の解決もつく、すなわち「自分・人間の解決」を剛弥陀さまのみ教えに問い訪ねて解決することを勧めてくださっているのではないでしょうか。

阿弥陀さまは、救いのめあてを「十方衆生 (すべてのいのちあるもの・みんな)」と願われました。それは「すべてのいのちあるもの・みんな」が救われる状態ではなかったからです。「みんな」の中に「私」が含まれていなければ「みんな」にはなりませんので、阿弥陀さまの願いは「私」を救いたいとの願いです。阿弥陀さまがお出ましになられた理由は、「十方の楽生」それは「むなしく過ぐる私」を救わんがためでありました。私以上に私のことを心配し、私がむなしく過ぎないように私にかかり果ててくださる阿弥陀さまが「死んだらどうなるのか」を知らない私に「お浄土に生まれさせ、仏のいのちと成らせる」といのちの行方を知らせ、はたらいてくださっています。

この阿弥陀さまに、私たちはたまたま逃わせていただきました。しかも、私の方から求めて会ったのではなく、阿弥陀さまのほうから南無阿弥陀仏の名号となって私のもとへ遇いに来てくださいました。その名号は私の称えるお念仏となってくださいました。「週」という字には「たまたま遇うた者どうしが、一緒になって歩むこと」という意味があるそうです。今、私たちはお念仏申して阿弥陀さまと共に人生を歩んでいます。

私は何のために生まれてきたのか。それは阿弥陀さまに出遇わせていただくためでした。私は何のために生きているのか。それは仏道を歩むためでした。私は何のために死んでいかなければならないのか、そして死んだらどうなるのか。それは、お浄土に生まれて仏のいのちに成るためでした。

この「こたえ」をいただき、「自分で自分の始末を仕切れぬ」「独りの」「無力な」私が南無阿弥陀仏と共に生き、南無阿弥陀仏と共に死ぬるいのちであったと味わわせていただきました。

(石崎博敍)

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